夜道を歩くのは慣れている。
桜は酔っ払いの脇をすり抜け街灯の下に出た。セーラー服の袖を少し上げ、華奢な時計を見る。
(ちょっと早いかな?)
だが、発車時間に間に合わなかったら何にもならない。これから乗る予定の電車を逃せば、もう後は終電しかない。
前に、ちょっとしたことで遅れ、終電で帰ったことがあるが、その時の両親は扱いが面倒だったのだ。
今日も暑い。腰まで伸ばした、黒髪を左手でかきあげ熱気を逃がす。迷っているとお腹が鳴った。
(いいや。食べていこう。大体家は厳しすぎるのよ)
太ることが心配だったが、ファーストフードでシェイクでも飲みたい気分だった。
(糖分は体に良いんだし)
桜が、塾の参考書も入った重い鞄を持ち直し、歩き出そうとした、そのとき。
『がタン』
と、音がした。
(なに?)
音がした方には、薄暗い路地があった。もう閉まっている店と店の隙間、どこにでもあるバケツに出所は飲食店らしい生ゴミの山。
(ね、猫とか犬?あ・・・でも野良犬だったらやだな。危なそう)
明かりの下から出て、暗闇に目を凝らす。
(え・・・)
人、だった。
汚らしい壁にもたれ掛かるようにして、荒い息を繰り返す。桜の心に、変なオジサンの類いかと、一抹の不安がよぎったが、その人物は怪我をしていた。
左眉の上の方から、耳までが裂けているらしく、頬をつたって首筋まで血が流れていた。
かすかな光に照らされて、その血は黒くぬらぬらとしている。尋常な量ではない。
また、服もあちこち破け、泥がつき、体中傷だらけのようだ。
(ちょっ、この人ヤバくない?)
やの字がつく、小指のない人かと思った。
だが、そうだとするには若い。まだ十代前半、自分と同い年に見える。
(不良?それで、ケンカでもしたとか?)
だったら自業自得だが、人道的立場からみれば、このままにして置けない。
大体、普通の殴ったり蹴ったりのケンカで、こんなにもボロボロになるだろうか。
「あの・・・大丈夫?」
みりゃわかるだろ、と自分でツッコミながら一応声を掛けてみる。
「警察、電話しようか?あ、先に病院かな」
途端に少年は、固く閉じていた瞼をあけ、眼をこちらに向けた。
その眼差しは鋭く、光る日本刀の切っ先を喉に突きつけられる気がした。
「警察に連絡するな。病院もいい」
彼は短く言った。
「でもっ、怪我しているし、体調悪そうだし」
「俺がいいって言ってるだろ。ほっとけよ」
「でも・・・」
「いいって言ってるだろ!何べんも同じこと言わせるな!行けよ!!」
桜は、少年の剣幕にびくりとしたが、それを気取られるのは癪だった。
「なんだよ!こっちは心配して声かけたのに!」
「いらねェ心配だよっ、行けって!」
腹が立った、こんな無礼な奴はいないと。
桜はデカイ「フン!」を引っ掛けて駅に向かって歩き出した。
日付ももうすぐ変わる時間だというのに、怒りで、眠たさもだるさも吹き飛んでいた。
もともと面倒なことには関わりたくなかったのだ。
(なのにアイツがあんな所にいたからいけないんじゃない!要らない心配だって?だったら大怪我して目の前に居るんじゃないよ!)
――大怪我――
(でもっ、どうせ悪いことして出来た傷よ!アイツがいけないんじゃない!)
少し、言い訳をするように、思う。そんな心に気づき、迷い出す。
歩みを止め、今来た道を振り返る。
(まったく。どうしよう?)
ふと隣の自動販売機を見た。大きな蛾がびっしり張り付いていた。
なんとなく、ため息をついた。
(――あれ?)
やけに周りが静かだ。いつもなら聞こえるはずの、自販機特有の機械音が聞こえない。
それに、いつのまにか、うるさい音を撒き散らしながら、走っていく車も居なくなっていた。
夜の通りは暗く、人一人いない。
なにか不気味だ。急に心細くなった。
(!なっなに?)
いきなり全身に奇妙な力がかかった。大きな風の塊が、前からぶつかって来たようだった。
自動販売機の蛾が、箒かなにかで叩かれたように落ちていく。
ものの一分もたたないうちに、それは収まった。
と思うがいなや、今度は悪寒がはしった、まるで肌を蟲が這うような。
夜道に目を凝らす。閉店した店々の向こう側。
一瞬だけ赤く光った。場所はまさか。
(さっきアイツがいたとこ?)
そう思うが早いか、桜はもと来た道を駆け戻っていった。
「――よう、お前しつこいぜ?」
言って、少年はわずかに口の端を上へ曲げた。
彼は赤く光っていた。
右腕を肩の高さまで突き出し、手の平を下に向けていた。広げた全部の指には、なにかをはめているようだった。
赤い光は、その間からこぼれるように出ていた。
彼は、不敵な顔で正面を見据える。
目の前には男がいた。
頭はボサボサで、ズボンもシャツもダブダブだ。ずいぶん老けているように見えるが、身に付けているアクセサリーが、大きい金のドッグタグと若者らしい。目は落ち窪み、頬は痩せこけていた。
奇妙としか言いようのないアンバランスさがあった。
そして、その男は左腕が無かった。
いや、取れてしまったと言った方が正しいのか。
少年の足元に、真っ赤な血にまみれた、人の腕らしき物体が転がっていた。それは小規模の爆発かなにかで砕け散ったかのように所々皮膚が無かった。
足も、どうも千切れかかっており、かろうじて立っている。荒い息を吐き出しながら、千切れた部分をもう一方の腕で掴む。
白目はぎらぎらと光り、殺意と憎悪が交差する。
少年は、軽く笑い、言った。
「一秒だ」
「!?」
「てめえみたいな死にぞこない、一秒で片付てやる。こいよ」
怒りは頂点に達した。男は人とも獣ともつかない叫び声を上げ、少年に踊りかかった。千切れかかった足は、急な運動に耐えられず、血しぶきを撒き散らす。
「ハッ」
少年も地を蹴る。
跳躍、伸びやかなライン。
少年の右拳、地面へ、髪を掴み、叩きつける!
勝負はそこで決まった。
男の頭、めり込んでいく。
『ずごがががっ』
派手な音をたてて、アスファルトが割れた。
その瞬間、少年の腕から真っ赤な炎が噴き出した。
火柱は、瞬く間に男の体を包み込んでしまう。
そして、三秒もしないうちに、すべてを焼き尽くし消えた。
後に残ったのは、人の形をした大量の灰だった。
しかし、それも、しばらく姿をとどめていたが、すぐに自らの重さに耐えきれず、生暖かい死の風にとけていった。
「ふうっ」
少年は、地面に突っ込んでいた拳を引き上げる。
立ち上がる。
が、足に力が入らず、よろけてしまった。
「くっ・・・そ、あいつら。こんな不良品作るなよ・・・」
『ゴトン』
「誰だ!!」
何か落ちる音がした。鋭い眼で振り返る。
「お前・・・」
桜だった。
彼女は鞄を落としたまま、呆然とテナントの陰から身を半分ほどだし、突っ立っていた。
しばし、二人は向き合った。
「キ・・・」
「!?」
張り付いた喉から、桜がしぼりだした声は・・・。
「キャアアアアアアアアアア!!」
少年が慌てる。
「バッ、バカヤロ!叫ぶな!」
「イヤー!来ないで人殺しー!!!」
「な!?」
わずかに身を固くする。
だが、すぐさま人がくる気配を感じ、反対方向へ駆け出す。
そして、彼の右手が強烈な閃光を放った。
思わず目をつぶる。
そっと、眼を開けた時には、もう少年の姿は無かった。
「なん・・・だったの?」
少年の消え去った方向を、信じられないといった様子で見ていた桜は、ハッと気づき、アスファルトの陥没したところに目を向けた。
すると、先ほど灰があった穴に、なにかが粉々になったような黒い破片と、直径が五百円玉ぐらいの赤くて丸い玉があった。
躊躇いながら、赤い玉を手に取る。
さっと、赤い光りが見えた。手の玉ではない。
「げ。パトカー!」
きっと、先ほどの自分の叫び声を聞きつけたのだろう。ここに居てはいけない。
桜は脱兎のごとく駆け出した。