炎の宴3――再会
桜は拳を口に当てて、わずかに噛んでみた。そうして、自分の震えを止めようとした。
もたれたブロック塀が、かび臭い。電信柱の陰に、身を潜めていた。
あの化け物はもう追ってきやしないかと、様子をうかがう。
犬の遠吠えが聞こえた。身の縮まる思いだった。
(何でよ?どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの?)
ポケットを探り、ハンカチを出そうとした。
(あ・・・)
折り目のついたハンカチに、軽く包まれていた物。
(もしかしてこれ?)
赤い、あのときの丸い玉。
これのせいで私は襲われたのかもしれないと、桜は食い入るようにそれを見た。
「ぐるるるる・・・」
気が付かなかった。
ゾンビがこんなに近くにいたとは。
四つの足で、踏ん張り、桜の攻撃を受けてもちゃんと立っている。
冷や汗が首筋を伝った。
と、四方から、別の唸り声がした。
慌てて見る。
左右の暗闇から、また、四匹ほど出てきた。
なんということだ、回りを囲まれてしまう。
今度は、ゾンビを殴りつける鞄さえない。
(くう・・・)
ゾンビが襲いかかる。
その汚らしい顔が近づく。
桜は恐怖のあまり、目をつぶる事も忘れた。
あわや、黄ばんだ牙が桜に届きそうになる。
その時、ゾンビ犬が真っ赤な炎に包まれた。
ゴウゴウと燃え盛る炎は、あっという間に犬の行動を不能にした。
犬は、切ない泣き声を上げながら灰になった。
その途中、桜の目の錯覚か、火だるまの犬が、人の形に変化したようだった。
仲間の壮絶な最後に、まるでやらしい顔をしているように見えた犬たちが、さっと気色ばむ。
犬たちの視線の先。
(誰?)
黄色い月の光りに照らされ、眼をらんらんと輝かせた不敵な顔。
その右手は、赤い光りの帯を放っていた。
(あいつ!!)
あの少年だった。
あの、三日前の。
「おい、死にかけ共。そんな姿になってまで、何しようってんだよ?」
低く笑い、ゆっくりと歩み寄る。
ゾンビ犬達は、唸り声で威嚇する。
が、すぐにその中の一匹が、奇声を上げて飛びかかった。
少年は、にやりと笑い、右手を突き出した。
「滅す」
手の平から大きな炎が生み出された。
それは、フラフープほどの大きさで、真正面から突っ込んできた相手を襲った。
少年は、地を蹴る。
「らあああああああ!!」
両腕を振り回す。
両方の手にも炎が生み出された。
飛び掛った二匹の犬をわし掴みにし、思いっきり振り投げる。
その体は、もう二匹の犬に向かって飛んでいった。
「ギャワンン!」
一匹は他の者と同じように火だるまになった。
もう一匹は、ぶつかった勢いで体の半分が吹き飛んだ。
(なんて馬鹿力!)
桜がなかば呆れていると、半身を失った犬が、よろよろと少年の方に近づいた。
それが、驚いたことに人の上半身へと変化していった。
恨めしそうに少年を睨むその顔は、まだ若い、桜と同い年位の者だった。
肘を付き、よだれと血を口から出し、懸命に少年へ手を伸ばす。
瞬間、その姿は炎に包まれた。
炎の衝撃か、桜の足元に何かが転がってきた。
見ると、それはひしゃげた金のドッグタグだった。
あっという間に犬達は壊滅した。
いや、犬だった者達というべきか。
少年は、灰となった者達に傲慢に言う。
「はん、出来そこないが」
髪をかき上げこちらを見る。ふてぶてしく聞く。
「よお、無事か」
とても無事かどうか心配しているようには見えない。
どちらかと言うと、迷惑そうだ。
「お前、立花桜だろう」
「あんた・・・」
手を桜の目の前に突き出す。
「返せよ。あの場所から取ってたんだろ?赤い玉を」
桜を助けた人物。
三日前、桜の前で、死にかけている男を灰にしてしまったあの少年。
あの時は、かなり怪我をしていたはずだが、今はどこも異常はなさそうだ。
桜が何も言わずに睨み返していると、また催促した。
「おい、聞いてんのか?返せって」
「やだ」
「何?」
「嫌だって言ってんのよ!アンタ何者?いきなり現れてさっ。人殺しのくせに!えらっそうに」
襟首を掴まれた。
「コノヤロ、あれはなあ、もうすでに人間じゃねえんだよ!!人殺しって言うな!なんも、知らねえくせにっ」
ぶたれるかと思ったが、揺さぶられただけだった。
腹の立った桜は言い返す。
「何にも知らないから聞いてんじゃない!それに、あれは私が拾ったものよっ、あれがあんたの物だって言う証拠あんの!?名前でも書いてあった!?」
少年は言葉に詰まった。
我が意を得たとばかりに、桜は畳み掛けた。
「ほら、見なさいよ。私に頼みたいんだったら、もっと丁寧にしなさいよ。大体、説明になってないじゃない」
「この・・・・・・、何が知りたいんだよ。首突っ込まない方がお前のためだぞ」
「大きなお世話だよ。石が返して欲しければ、説明しなさいよ」
「お前、ところであの石はちゃんと持ってるのか?」
桜は考えた。
ここで持っていると言えば、この少年は、自分を殺して奪おうとするのではないか。もう何人も人を灰にしているのだから。それに、あれはもう、人ではないとはどういう意味なのか。
「今は持ってないよ。ある所に隠してる」
少年は驚き、考え込んでしまった。
なかなか考えあぐねているので、桜は言葉を続ける。
「もし、あんたが私の知りたいことを教えてくれるなら、あの石は返してあげる」
「本当か」
桜は頷いた。
「よし。じゃあ、何が聞きたいんだ?」
「まずね。アンタ誰?なんで私の名前知ってるの?」
「俺はカズキだ。名前は、お前の落ちてた鞄についてた、ネームタグみた」
(ああ、そうか。くっそー)
桜は、ネームタグの校則に歯噛みした。
(どうして学校は、ろくでも無い時代遅れの校則なんか、押し付けんだろ)
「おい、それだけか?」
気を取り直して、カズキと名乗った少年を見る。
「じゃあ、あの犬は何?金のドックタグが落ちてたけど、『ジンクス』と関係あるの?」
「お前・・・、ジンクスしってんのか」
カズキの瞳に浮かんだ、警戒の色。
「この辺の中学生なら皆知ってるよ」
桜自身、今日初めて知ったくせに、カズキの緊張を解く意味でも、知ったかぶりをした。
「そうか・・・。俺はジンクスと戦ってる。あの三日前の男は、ジンクスのやつなんだ」
戦っているという表現に違和感を覚えながら、まあ、確かにおかしな炎を使うぐらいだから、と思い続きを促す。
「で?あの変な犬は?何なの?」
カズキが、言いにくそうにチラッとこちらを見る。
「・・・・・・・・・・・・実は、ジンクスの不良の中にサーカス団の息子がいて、そいつは犬使いなんだ」
「な・・・・・・まさか、その犬使いの使ってる犬が、あれだなんて言うんじゃないでしょうね?」
「そうだ」
「嘘だ!!!」
「う、嘘じゃねーよ!」
「あんたねえ!!じゃあ、何でサーカス団の息子があんたを狙うの?あの犬がゾンビなのは何故?一番知りたいのは、どうしてあたしが襲われなきゃいけないのよ!!」
「えーと、それはだなあ・・・」
「ほら!答えられないじゃん!!」
「るせー!」
怒鳴る。
そして、嫌がる桜の腕を掴み、歩き出した。
「とにかくなあ、お前を安全な所に連れってってやる」
桜を睨みいう。
「大体、お前があんなとこにいるから、イケネェんだ。でもって、あれを持っていっちまうなんてよお。だから狙われたんだよ。分ったか!」
「ぜんっぜん、わかんないよ!あの赤い石って何なの!?」
「・・・お前。それ知ったらとんでもねえことになるぞ」
目付きをますます鋭くしながら、言う。
「普通の生活したけりゃ、首突っ込むな」
ぴしゃりと言われた。
反抗心が芽生える。
「だったら、石は返さないよ!」
「何だと!わがままな女だな!助けてやったのに」
「なによ!誰も助けて欲しいなんて言ってないよ!アンタいまいち信用できないのよ」
「この〜」
にらみ合いがしばらく続く。
それを破ったのは、甲高い機械音だった。
少し慌てた様子で、カズキは胸元を探る。
内ポケットから取り出した携帯で、桜に背を向け、会話を始めた。
(こいつ生意気。私だって高校入って、バイト始めるまでPHSも持てないのに)
「それが、見つけたんだけどよ。すっげー頑固な女なんだよ。ちっとも自分の立場わかってねえんだ」
こそこそ言おうとしてる割には、よくわかるしゃべり方をする。カズキの声は全部、桜の耳に入った。
「何だよ。ナオだって困る相手だろうぜ!俺のせいにすんな!なら、てめえが相手しろ!!」
(ナオ?女の子?)
会話の最後は、カズキが一方的に怒鳴りつけるようにして終わった。
くるりと、こちらに振り向いた彼の顔は、真っ赤になっていた。かんかんに怒っているらしい。
「おい、お前!!」
雰囲気に飲まれそうになる。
「なによ・・・」
「これから安全な所に連れってってやる!つべこべ言わず、ついて来やがれ!!」
そのまま、桜の後ろの襟首をつかみ、カズキはずんずん歩いていった。