「狼たちへの伝言」

国際ジャーナリスト 落合信彦氏の作品の中で私が

最も気にっている作品「狼たちへの伝言」を紹介します。

この作品は、88年に彼が書いた人生論です

10年以上たった現代にも通用する、不変のエッセーです。


生きるということは攻めることだ。
防御的な人間に面白いヤツなんていない。

     今の世の中、ツマラない人間ばかりだと、オレは思う。破天荒
     破天荒な人間、滅茶苦茶な人間、個性のある人間がいなくな
     った。
     心の自由を持てる人間、闘争心のある人間もいなくなった。
     政治家も、マスコミも、親も教師も。つまり、
大きなバカが世の
     中にいなくなって、代りに
小利口ばかりが幅をきかせる。
     だから、世の中そのものがおもしろくなくなってしまっている。
     飽食の時代。洋服は何を着なければならない。料理を食べる
     ならここ、車は何じゃなければならない。やれニコルだ、ニナ
     リッチだ、ブルックスブラザーズだフェアレディだと、自分の考
     えがない。不幸だね。
     
考えることも、行動することもできないブタは死ね、といいたい。


悪しき平等社会、ニッポンにいると
他人ばかり気になる。しかし、自分の首に
値札をぶらさげるような生き方はやめろ!

     「非情の情」という言葉がオレは好きだ。何やかやとトンデモ
     ナイ人間ではあったが、オレの親父にはそれがあった。泣い
     いる子を見捨てる、というか、おまえのために見捨てるんだ、
     という感じの情が。
     いまだったら、泣いている子がいたら抱きよせて、よしよし何
     が欲しいんだ、買ってやる買ってやる、だろ。
     そんなものは愛情でもなんでもない。ただ甘やかしているだ
     けなんだ。だから人間が甘くなる。そんな甘く育てられた人間
     ばかりだから、余計に世の中がツマラなくなる。

     日本を飛び出ることは、多いに結構なことだ。いつまでもこの
     国にいると、どうしようもない人間になってしまう。それも事実
     だ。現在の日本は豊かな国だ。しかし、物ばかりがあふれか
     えって、逆に自由がない。
つまらない意味での平等社会だ。
     ほかの人は何を考えているのだろうか。自分と同じポジション
     にいるもう一人の人間はどう行動するのだろうか。そんなこと
     ばかりに人々は気をとられている。

     ということは、自分の首にプライスタッグ、値段票をつけて生
     活しているということだ。「自分はこれだけの人間だ」。それで
     すべてを決めている。

     日本にいるかぎり、そういう社会の不自由さになかなか気が
     つかない。だから、一度はこの国を自分から捨てる必要があ
     るのだ、とオレはいつも思っている。しかし、勘違いはしてほし
     くない。外国は逃げ出す場所じゃない。それだけは覚えていて
     ほしい。


負け犬は誰も相手にしない!
「負けたけど、よくやった」なんていうのは
日本人だけのメンタリティーだ。

     男はケンカが強くなければどうしようもない、とオレは思う。
     精神的な強さなんてのも、しょせんは
肉体的な強さに裏うち
     されたものなのだ。肉体的にケンカの弱いヤツで精神的に
     強い人間、などというのにオレはまだ会ったことがない。

     オレが海を渡った時代、アメリカは少なくとも、まだジョン・ウ
     ェインのアメリカ、”強きアメリカ”という精神があった。強い
     ものが勝つ。勝つものは正しい。そして美しい、と。

     オレがアメリカで学んだもの、それはそういうことだったのだ。
     いいか悪いかは別にして、いまでもオレの生き方というのは、
     オレが20歳かそこらの年齢にアメリカで肌でつかんだもの、
     それが大きく影響している。だからオレは
「ケンカもできない
     ヤツ、弱いヤツは男としてダメだ」
といい切れるんだ。  


イイ女を抱きたかったら、DCブランドに身を
包むよりエキサイティングに生きることだ!

     この地球上の男と女の比率がどうなっているのか、正確に
     はわからないが、最近女にアブレてしまっている男がなんと
     多いことか。同じ男として、その事実は嘆かわしい。

     だけど、少し待て。自分で自分の相手もうまく攻略できない
     ようなしょうもない男ならば、そのまま滅んでしまったほうが、
     人類のためなのかもしれない。これ以上、世の中にブタの
     子供たちが増え続けるのはたくさんだからだ。

     そんななかで、オレは一つだけ悟ったことがある。何かーー
     
本当にいい女というのは、”ワル”を好む、ということ。
     ワルな人間というのは、通俗常識がみるワルで、どうしよう
     もなくドライなヤツということだ。しかし、案外ワルという連中
     には、
エキサイティングな人間が多いのだ。エキサイティング
     であること、オレもやっぱりそういうのが好きだし、そういうふ
     うに生きたいと思ってこれまでを生きてきたんだ。だから、少
     しは人より多くイイ女にめぐり会えたのかもしれない。

     結局、オレにいわせれば、退屈な人間というのは、単なる
     ブタにしかすぎないということだ。とにかく日本人でも外人
     でもいい。女を抱きたかったら、
エキサイティングに生きる
     ことだ。そうすれば、女は自然についてくる。      


女どもに「やさしい男が好き」などと
いわれてヤニ下がっているヤツは、
人生でも必ず負け犬になる。

     最近は、若い連中がケンカをしなくなったように思う。殴り
     合いのケンカなど、ついぞ見たことがない。妙に冷めてし
     まっているのか、思わず熱くなって腕力でケリをつけ合う、
     といった場面をほとんど目撃しなくなった。

     見るのは、ツマラない酔っ払いのたぐい、あとは女と男の
     痴話ゲンカぐらいだ。まあ社会が暴力を否定するのは当然。
     運動部の先輩のシゴキや学内のイジメが問題化し、暴力
     追放のキャンペーンがはられるのも結構なことだ。だが、そ
     れで世の中がはたして、よくなったか?対立、抗争、イザコザ
     はあいかわらず存在する。一対一、力対力の対決がなくな
     ったかわりに、それが陰湿でくらい争いになってしまった。
     憎しみ、悔やみ、殺し合い。そういったものばかりが、新聞の
     三面記事を埋め尽くす世の中になってしまっている。

     憎しみや殺し合いとケンカはまったく違う。ケンカはいわば
     男と男、存在と存在とを賭けたアイデンティティーの勝負だ。

     激動の社会を生きていくうえでのいわばプリミティブでシン
     プルな争いなのだ。暴力を礼賛するつもりは毛頭ないし、
     アオるつもりもない。だが、男なら、自分を否定する人間には
     立ち向かわなければならない。
言葉で説得するにしたって、
     腕力の裏づけがなければ、負け犬の遠吠えになってしまう。

     もし相手がなぐりかかってきたにしても、それをブチのめす
     自信があれば、堂々と自己を主張できるのだ。男にとって力
     は絶対に必要だ。とオレは思う。


苦しみも悲しみも人生のスパイス
自分自身の二本の足で立つしかない!

     オレはここでいいたい。不安だから、さびしいからといって、
     そこから逃げるな、と。寂しさも、悲しさも、人生の重要な
     スパイスなのだ。少しくらいしんどいからといって、安易に
     それを紛らわすために、クダラナイものに逃げるな。まして
     ワケのわからない新興宗教といったそういうものにだ。

     若者よ孤高になれ。二本の自分の足で地上にたて、と、
     そういうことなのだ。      


ローンで身を飾り、ラーメンをすすって外車を
乗りまわしたって、男の価値は上がりやしない。

     今の若い連中を見ていると、誰もが極端なブランド志向で、
     やれクルマがBMWだ、ソアラだ。着るものはブルックスだ
     何だ、と、やたら一流品を追いかけている。しかし、街でそ
     ういう頭から足の先まで、ブランド纏った連中をみても、オレ
     は少しもカッコイイとは、思えない。

     というのは、生活というか、人生にそれらのブランドがまったく
     フィットしていない
からだ。やっぱり、中身がない人間が、い
     くら本物に囲まれたからといって、これは変にトンチンカンな
     だけだ。

     オレが思うに、われわれは何のために生きているかーーー。
     
一日一日過ごすことで墓場にそれだけ近づいているということ。
     だからこそ、時間がもったなくって、その日その日をどう生き
     るか、ひいては、明日、自分はどう死ねるのか、ということが
     問題になるのだ。その意味でたったいまの瞬間をひとつひとつ
     現金化していかなきゃならない。使いきっていかなきゃならない。
     約束手形は、もう切っちゃいけないのだ。つまり
中身もないの
     に外側をつくるというのは、約束手形のなにものでもない。


柵の外のブタは死ぬ。死にたくなかったら
血ヘドを吐いて狼になるしかない。

     日本を繁栄させてきた、終身雇用制がいま崩れようとしている。
     その理由の一つは経済が大きくなりすぎたことが上げられる。
     これだけグローバルになると閉鎖的なシステムではやっていけ
     ないのだ。そして、もう一つの理由は、日本企業の社員への還
     元の少なさだ。儲けた金を、不動産の買いあさりや財テクにつ
     ぎこむばかりで、ちっとも社員に還元しない。だから、一生ひと
     つの会社に忠誠を誓うなんてことは、バカバカしい、となる。

     そこで、結果として出てくるのが、転職だの脱サラだの流行だ。
     ところが、これがまたゆがんでいるから困る。
     
組織にアジャストできない人間や、仕事のできない人間に限っ
     て、転職だ、脱サラだと騒いでいるようなのだ
。こんなのはただ
     の逃避でしかない。本当の転職、脱サラというのは、会社を儲
     けさせ、その上で正当な見返りがないから、オレは出ていく、
     というものだ。

     自分を追い込み、血を流すことを恐れるな。血の小便をして、
     ヘドを吐くことをためらうな。実力というのは、そういう戦いの
     中でしか、身につかないものなのだ。
ブタは柵の中でしか生き
     られない。柵の外では死ぬ。
日本という社会の柵は、経済大
     国になったがゆえに次々ととり払われていくだろう。そのとき
     死にたくなかったら、狼になって、生き残るしかない。

 

 

 

引用参考文献 狼たちへの伝言(落合信彦 1988年 小学館)

      

 

 

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