東欧首都・イタリア4分の3周鉄道5700kmの旅

12/10東京→モスクワ
一人旅をするのは1年ぶりだ。しかもまたあの悪評高い(?)アエロフロートだ。しかし彼らはサービスの改善という事で”スマイルキャンペーン”なるものを12月10日に行うとの事だ。運良くその10日に乗る事ができたのだ。
なるほど珍しく愛想が良いような気がする。途中で紙が配られて笑顔が良いスタッフの顔と名前をかけというのでナターシャという女性の顔を描いた。なかなかの出来栄えだったが残念ながら似顔絵賞を取ったのは別の人だった。ナターシャはなかなか愛想がよく1番票を取ったためにスチュワーデス世界大会に出る事になった。よかったね。
さてモスクワに着いてノボテルホテルへのバスを待っていると空港の女性がいきなり「トウキョーパリーッシュ(東京―パリの事)!」と叫び出した。パリ行きの飛行機の案内をしてるのだろう。そのうち軍服の女性も出てきて延々と二人で「トウキョウ、パリーッシュ」を連呼しているのでなんだか笑ってしまった。
トランジットホテル”ノボテル”のフロントに着いた。フロントの向こうはラウンジになっていてピアノの弾き語りなんかやったりなんかしちゃたりしている。一杯のみたい気分だがそこはノボテル、すぐにロシア人の大男が通路をふさぎにやってきて我々をにらむ。そして2階に連行され部屋に監禁された(いや軟禁か)。このホテルはトランジット客用に2階に部屋があり一周する事ができる。しかし部屋を出ると監視員が目ざとく見つけ何の用だ?と聞きにきたりTVカメラであらゆる角度から監視しているので注意が必要だ。これから12時間何をしようか。
部屋にはテレビがあったがコード付きのリモコンのコードが切れていたためテレビを見る事ができなかった。そこで事情を説明するとしばらくして別のスタッフが来てコード無しのリモコンを渡してくれた(最初からコード無しのリモコンにすればいいのに)。
トランジット客は2階にあるバーに行く事が許される。バーといっても”チャチな”いすとテーブルしかない。しかも物は高くルーブルで買わなくてはならない。そのため1回ドルで払うとレジの女性はルーブルに両替をしに行くので15分ほど待たなければならない。その日は1ドル=28ルーブルだった。パンを買って4ルーブルお釣(15円くらい)だったがお釣がないようだ。ちょっと待ってろといわれ待つとを1コペイカを40枚にして返しやがった。こんなの何に使えばいいんだよ。
空港であらかじめビールを買っておいたが栓抜きがない、仕方がないのでドアで栓を開けたのはよいがドアがべりっとはがれてしまった(ほんのちょっと)。

12/11モスクワ→プラハ
そして朝何度かモーニングコールで起こされ一番遅れてホテルのロビーに着いた。なんだかスタッフが文句を言っている。空港であった旅人でモスクワに留学していた女性いわく「日本人は時間に正確なのになんで時間通りに来ないんだ」って言ってたよと教えてくれた。たまたまだよ。
そして飛行機に乗ると俺の座る窓側の席にロシア人のおばさん2人がすでに座っていた。ビデオを撮ってて楽しそうにしてたので譲ると、感謝の言葉を言ってたが俺にはさっぱり分からん。とりあえず3人でワインを乾杯して飲んだ。
そしてチェコ共和国(Ceska Repuplika)プラハに着いた。まずは地下鉄・バス・トラムの公共交通件3日分を買った。約630円でうれしかった。街は美しく感動してしまった。そうして歩いてるうちに宿を紹介するところがあったのでいって希望を言うと紹介してくれた。1500円くらいのところでなかなかいいところだった。ここではパンに巨大なソーセージ(トイレットペーパーの芯2本分くらいといえば分かるだろうか)が挟まっていて30円ほどで買える。安いからこの国が良いなんていう事はおかしいが、おいしい事は確かだ。
地下鉄の加減速がすごく加速した時に足が絡まってしまい地元女性にしがみついてしまった。向こうは俺が襲いかかってきたと思ったらしく「ノーノー」なんていっていたがそれは誤解だ。

12/12
今日はまず靴を買った。旅では毎日かなり歩くので軽くて良い靴を履かなければならない。良い靴を履けば足の負担も軽く旅の疲れを軽減し、それが旅の面白さにもつながるだろう。とりあえず3500円で特価のランバード(MIZUNO)の靴を買った。底が黄色で奇抜な配色なので2回にわたり値下げをしていた。本来ならば1万円くらいで売っていたのだろうとかってに考え満足した。今まで幾度かの旅の相棒”FILA”の靴はその近くのごみ捨て場へ行く事になった。さようなら。
靴は履き心地が良くバネの上を歩いているようだ。そして足どり軽く旧市街をまわった。そうこうしているうちに5時になった。あたりはもう真っ暗だ。
昨日デパートで買った南京錠はかばんのチャックに入らず軽いショックを覚えた。夜は日本食を食べに行った。たまには贅沢もいいだろう。ご飯と分厚い生姜焼きと味噌汁とビールで770円だった。

12/13プラハ→ベルリン
しばらくプラハにいようと思ったがいろいろまわるのでベルリンに行く事にした。
まずは国鉄ホレショヴィツェ駅に行った。今回の旅はライダーである私は皮ジャンで来たが、あまりに寒いので服を買う事にした。露店でB3のにせものみたいのが2000円で売っていたので1400円に値切って買った。ヨーロッパの列車に乗るのは3年ぶりで懐かしく旅情あふれる。
列車の中でテキサスから来た女の子と少し話をした。そしてドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Detschland)ベルリンについた。ここは巨大な街で東京とにている。第一印象はあまり好きではないなと思った。そして地下鉄を乗り継いだりしてドミトリー(2人部屋)に泊まったが、部屋の相方は50歳くらいのロシア人だった。仕事で来ているようで気難しそうに書類を見たり計算したりしている。なんだか居心地が悪いので街に繰り出した。まずはベルリンで一番高いテレビ塔に行った。200mからの眺めはまあまあといったところだ。
それから部屋に戻り、例のロシア人と話をした。彼はあまり英語が話せないのでなかなか通じなかったが、会社を持っているらしく仕事でベルリンに来たようだ。そのあとはひとりでBARに行きビールを飲んだ。ベルリンは結構寒いのだがロシア人は窓を開け裸で寝ていた。さすがだ。

12/14
まずは駅でワルシャワ行きのチケットを買った。そして1日観光をした。ブランデンブルグ門に行ったり博物館に行ったりで足が疲れてしまった。街は建設ラッシュでどこを見てもクレーンで工事している。次にくる時はビルが立ち並ぶ街になっているのだろう。

12/15ベルリン→ワルシャワ
駅で食料と水を調達し夜行列車に乗った。私は夜行の時はクシェット(簡易寝台)に乗る事にしている。3段ベッドで高さはあぐらをかいて背を丸めたくらいの高さでちょっと窮屈だが慣れればそれで十分だ。部屋はドイツ人夫妻と学生風の人だった。ドイツ人は「暑いなあ、おい」と暖房を止めてしまった。ちなみに俺は寒がりなので困る。そのうち寝ていると国境越えで係員がやってきた。初めて鉄道でスタンプを押されたのでしばらくスタンプを見ていた。そうこうしているうちに学生風の男が話し掛けてきた。最初はペラペラアメリカ英語を話していてオハイオの大学に行っているんだと言っていたので、アメリカ人だと思っていたがウクライナ出身との事だ。アメリカに6年いるそうだ。
そうこうして朝6時にポーランド(Rzeczposplita Polska)ワルシャワについた。まだinformationがあいていないので街を歩きホテルを探した。ユースホステルは夕方4時にならないと空かないし他はつぶれていたり高かったりで結局7時間かけてinformationに戻った。荷物を持ちながらだったので疲れ果てていた。そして宿を紹介してもらいトラムで25分くらい走り場所を探した。近くにいたじいさんにホテルのメモを見せ近くまで連れていってもらった。しかしその住所の場所は団地が立ち並んでいてホテルらしきものはない。とりあえずは同じ住所のところに行ってみるとそこがホテルだった。場所は8号棟だがその号棟だけ団地をホテル代わりにしているのだろう。部屋はもちろん団地風だ。

12/16
今回の旅は予定を立てていない旅なので大まかな予定を立て旧市街に向かう。4時頃には暗くなるので何もする事がない。

12/17ワルシャワ→クラクフ→オシフィエンチム→クラクフ
ワルシャワと別れ古都クラクフに向かう、列車はコンパートメントで俺を含め3人いたが誰も言葉を発さずに旅は続く…。
ポーランドの両替商はトラベラーズチェックを替えてくれないのでもっと現金を持ってくればよかったと思った。クラクフ駅で両替所を見つけたが「トーマスクックのTCは取り扱えません」といわれたが強引に替えてもらった。なんせ替えないと私の旅はここで終わってしまうのだから。
そして今回クラクフに来た目的は70km離れたアウシュビッツ収容所跡(オシフィエンチム市)に行く事であった。とりあえず駅前のバスターミナルでバスを見つけ1時間半ほどで着いた。ガイドブックにはアウシュビッツの博物館は3時に閉まると書いてあったが3時半ごろ着いた。当然閉まっていた。仕方無しに近くにあった店でアウシュビッツの日本語版のパンフレットを買って帰ろうとすると、店の婦人が「どこから来たの?まあ日本なの。しょうがないわねえ。私の旦那が門係をしているので裏からはいっていいわよ。」といわれ、重要な見学ポイントを教えてもらった。幸運な俺は裏から入った。この博物館はアウシュビッツ収容所をそのまま保存していて約30棟ほどある。恐ろしい雰囲気だ。ここでは28の民族、150万人以上が殺害されたという。実際にこの博物館に言って殺害された人たちの生活の様子を知る事ができたがかなりショックを受けた。見学している人がまだ数名いたが泣きながら見ている人もいた。(俺も泣きそうだったが)
帰りのバスはバスを2時間待ちつまさきまで寒くなり感覚がなくなってきた。ちょうどそのころバスはやってきた。

12/18クラクフ→ウィーン クラクフから夜行に乗った。寒そうに列車を待っていると車掌が「おお寒いのかい?」なんて感じで話し掛けてきた。列車ないで眠れた事は眠れたが途中でチェコとオーストリアを通過するため何度も出国と入国で起こされた。そして寒いので頭まで毛布でくるまって寝ていると車掌が笑っていた。そして朝ウィーンに着いた。この街は3年前に4,5日いたので今回はトランジットなのだ。
そしてバスでスロバキア共和国(Slovenska Republika)の首都ブラチスラヴァに向かう。日本人はスロバキアに入国するにはビザが必要だが俺は持っていない。行けるのだろうか?そんな不安をよそにバスは高速を飛ばして行く…。そして国境が近づいてきて係員がバスの中へやってきた。簡単にスタンプを押され、なんだあっけなかったなあと思っていると10分ほどしてまた人がやってきた。さっきのは出国の人だった。
そして俺の番になりパスポートを見せると「ビザは?」と聞かれたので「ない」と答えると「来い」といわれた。そして建物の中でやり取りをした。入国管理官はドイツ語とスロバキア語で話していて俺にはさっぱり分からない。英語ができるやつがいるから待ってろというので待っているとしばらく助っ人がやってきた。しかし彼もほとんど話せなかった。5分ほどして入国するのに2000SK(約5500円)必要らしい事が分かった。なるほど横の貼り紙にも2000SKとかいてある。また彼らは「それを払えば30日いれる」と言うので「俺は2日でいいんだよ」というと「それはだめだ」といいまたしばらく言葉の通じない問答が始まった。そして5分ほどして1日でも30日でも値段はいっしょだという事が分かった。理解はできたがスロバキアの通貨は外国で手に入らない事になっている。俺はスロバキアのお金なんてないよと笑ったら。向こうも笑って「そんなこと俺達に言われてもどうしようもできないよ」という感じだった。そして申請用紙をもらい写真を貼って提出しろといわれた。俺はこれを書けばただになるのかななんて思っていた。そして隣に銀行があるから両替してこいといわれああやっぱり払うのか、と思った。写真は俺の帰りを待っているバスの中にあったが、乗客の怒りが目に見えているので「写真はない」といった。係員はそれでもいいといった。あいまいな入国審査だ。
ようやく審査が終わりバスに帰ると乗客達の冷たい視線が待っていた。隣のアメリカ人に「2000SKも払ったよ。」というと彼の彼女(スロバキア人)に伝わり電報送りのように他の乗客達に伝わった。そして乗る事20分ブラチスラヴァに着いた。とりあえず駅まで行きinformationに行こう。近くにいたおばさんに駅行きのバスをたずねた。東欧諸国では第二外国語といえばドイツ語で英語はほとんど通じず困ったが「バス・駅」とかいえばまあ何とかなるもんだ。そして駅に着いてinformationで希望を言うと「1泊では厳しいねえ。私の友人の家を紹介しようか?」というので紹介してもらった。駅から近いしなかなか良い部屋だ。東欧ではプライベートルームというのがあり一般の家の部屋を開放している。現地の生活の様子が見えたりして面白い。
それから外出して博物館に行こうかとバスに乗ったが反対方向に行ってしまったようだ。ヨーロッパではバス停の名前も書いておらずどこにいるか分からなくなってしまったのでとりあえずバスを降りて地図を見ていると現地のおばさんが「どうしたか?」というような事を聞いてきたので「muzeum(博物館)」といったが向こうはスロバキア語で話しつづけるのでさっぱり分からない。そのうちに女の子がやってきて英語で聞いてきたのでなんとか助かった。彼女は医学生でこの街の事をいろいろ教えてもらった。そしてバスの乗り換えまでついてきてくれて最後に「何かあったら電話してくれ」と携帯の番号を教えてくれた。 そんなこんなでなんとか博物館についたが何が書いてあるかさっぱりわからなかったし時間もなかったので足早に鑑賞して博物館を出た。その後はぶらぶらしたりした。

12/19ブラチスラヴァ→ブダペスト
朝シュミットさんにスープと紅茶とビスケットをごちそうしてもらい、その後別れを告げブラティスラバ中央駅に向かった。両替をしてブダペストに向かう。
車窓は畑に雪が積もっている風景が延々と続く。
そしてハンガリー共和国(Magyarkoztarsasag)のブダペストに着いた。まずはinformationがある東駅へ行った。公共交通券(3日分)を買ったのだがお釣が1000フォリント(400円くらい)足りない。しかし怒って抗議したところ横柄な態度で1000フォリント返してきた。油断のならないところだ。
そして東駅のinformationで2500円ほどの宿を紹介してもらい行く事にした。しかし地図があまりよくなくバスの乗り場がよく分からない。とりあえず地元の人に道を聞いたりしてなんとか近くまで来た。バス停に降りたが停留所にはバス停の名前も書いてないため自分がどこにいるかも分からなかった。仕方ないのでとりあえず近くにあったケーキ屋でケーキを買った。3つで100円ほどでおいしそうだ。そして歩いているうちに運良く見つかった。ホテルは建ってからまだそんなに長くない様でなかなかきれいだ。ホテルと言うよりペンションであり部屋数は10数部屋くらいだ。テレビもある。ここには2泊するので洗濯をする事にした。夜はたまには地元の典型的な料理を食べるのもいいなと思い、ペンションの下にあるレストランに行ってみた。料理は小説家ヨーカイが好んで食べたと言うヨーカイ・バブレヴェシュ(豆スープ)を頼んだが、しばらくしてないのでグヤーシュと言うスープにしてくれと言われた。牛肉と野菜のスープで美味である。メインはカツレツでその後アイスとビールを2杯飲んで1150円ほどだった。こんなに食べたのは久しぶりでしばらく動けなくなってしまった。その後眠りについたが1時ごろどこかのグループが夜中に到着したらしく私の眠りは妨害されてしまった。ここは防音があまりよくなく安宿は何かしら弱点があるものだなあと思った。

12/20
今日はまず両替をした。TCを多く持ってきたのは失敗した。かなりの確率で両替商がTCを取り扱ってないからだ。今日は月曜と言う事もありほとんどの美術館や博物館が閉まっている。そしてこれからの行程をどうしようかと思っている。まずは城に行って街の眺めを見てからぶらぶらした。そしてここブダペストは温泉の町と言う事で行ってみる事にした。一番大きいセーチェニが地下鉄の駅の近くにあるという事なので行ってみたが近くには温泉らしき建物がなく、はてどうしたことか?と思いしばらく探したが大聖堂のような建物が温泉だった。更衣係の兄ちゃんはなかなか愛想がよく「プレイステーションはいいよね。特にバイオハザードが良いね。」と言っていた。温泉は快適でサウナやらいろいろあった。温泉を出た後ロビーでくつろいでいるとばあさんがコートを持ってやってきて俺に何かを言っている。最初はコートを買ってくれとか言ってるのかなあと思ったがどうやらコートを着させてくれとの事だった。

12/21ブダペスト→ザグレブ
8時に起き、国際駅の発着駅である東駅に向かった。食料を調達し両替をし、ザグレブ行きの列車に滑り込んだ。車中で面白いおじいさんに出会った。ヨーロッパではドイツ語が一番じゃよと言っていた。確かに東ヨーロッパではドイツ語が一番通じる。彼はパスポートで昔の写真を見せてくれた。1925年生まれで若い頃の写真は今のしわくちゃの顔とは想像もつかない皇帝のような写真だった。
検札が来たので「ザグレブ?」と聞くと「向こうの車両だ。」と言われたので残念ながらじいさんと別れ車両を移った。旅行中しばらく雨が降っていたが今日になってやっと晴れた。しかしやはり寒さは続く。さらにこのコンパートメントは暖房が効かない。そして電車の中は暇でもっと本を持ってくればよかった。雪景色はいつまでも続く…。
クロアチアとの国境駅Gyekenyesではいろいろ詰問された。「オー、ジーザス、なんて寒いんだ。暖房が効いてないじゃないか。ああ日本から来たのかビジネスか?ビジネスをするには若すぎるなあ。」とパスポートで生年月日を見て「そうでもないか」と言った感じで国境越えは終わった。そして次の駅で車掌に他の車両に移ってくれと言われ移った。移ったコンパートメントにはNYから来た陽気な男だった。しかしちょっと変わっていた。今日は宿を捜すのは面倒で節約するため近くのYHに泊まる事にした。部屋の中には仙人のようなドイツ人もいた。そのうちスキー板を持ってきた別のNYの男が来た。この男も変わっていた。ニューヨーカーは変わっているのが多い。

12/22ザグレブ→リュブヤーナ
昨日の夜は私の旅人生の中でもっとも過酷なものだった。NYから来た男のいびきが強烈でそれだけで眠れないと言うのにユーゴから来た男の異臭には例えようのないものがあった。寒いのを我慢し窓を開けたがあまり効果がなかった。おかげで朝5時まで眠れなくここに泊まったのをかなり後悔した。8時頃起きてもうここにはいられないと思い足早に去り、街をぶらぶらする事にした。 街の銀行でTCを両替したが手数料を700円以上も取られてしまった。大損だがこれしか方法がないので仕方がないとあきらめる。そして次なる目的地スロベニア共和国の通貨に両替したのだが、全部両替してしまい手荷物預かりの分だけ再び両替する。
1番ホームで13:22の列車を待っているとみんな2番ホームの方に慌てて移ってしまった。俺も慌てて2番ホームに行ってみたが違う車両だった。その時車両に「リュブリャーナ ワンペロン?(ペロンはホームの事。)」 と聞いたら車掌が「ワンペロン、ワンペロン」と言っているのでなんだかおかしかった。電車がなかなか来ないので初老の夫婦に「リュブリャーナに行くか?」と聞いたがクロアチア語で返ってきてさっぱり分からない。そんな様子の俺を見て「ドイチ?(ドイツ語)」と聞かれたのでイタリアーノと答えたら彼らはイタリア語が話せるらしく「30分くらい遅れているみたいだねえ。」との事だ。クロアチアとスロベニアの人はイタリア語が通じるらしいのでドイツ語の分からない俺にはちょっと助かった。電車は思いのほか快適で居心地がよくエアコンも付いている。車両が新しいせいかあまり揺れなかった。
30分ほどすると国境駅に着き係員が来た。目的、所持金、クレジットカード類、切符といろいろ調べられ、パスポートの写真もじっくり照らし合わせかばんの中や床の下を調べ帰っていった。途中車内販売のおじさんが100SIT(スロベニアのお金で56円くらい)硬貨を差し出し、50ドイツマルクと交換しないかと言う。俺はマルクを持っていないので「ない」と断った。後で計算してみると50ドイツマルクは2700円ほどで交換していたら大損するところだった。危ない危ない。
スロベニアのリュブリャーナに着き、三本橋がある中心街のinformationでプライベートルームを紹介してもらった。駅の目の前のマンションで約1400円と言う好条件だった。家に行くと老夫婦が待っていて部屋を案内してくれた。 それから旧市街に行った。広場ではクリスマスも近いという事でコンサートなどで盛り上がっていた。屋台が数件あり、その中でもトルティーアを出しているところがあった。店を出していたのはペルー人で何故か意気投合して5分後にはテキーラとトルティーアを食べていた。トルティーアは新鮮な感覚でおいしく日本に帰ったら作ろうかなと思った。他の屋台ではステーキみたいなハンバーガーとあの日清カップヌードルがあり、どちらにしようか迷った挙げ句カップヌードルにした。久々のカップヌードルはうまかった。部屋に戻りほろ酔い気分でシャワーを浴びていると途中で水になってしまった。水と言うよりか氷水だった。お湯になるのをしばらく待ったが相変わらず氷のような水のままで、しかも老夫婦の部屋は離れていたのでしかたなくそのままシャワーを浴びた。最後の方は少し慣れたが風邪をひきそうで心配だ。

12/23リュブヤーナ→トリエステ
朝おばさんに別れを告げ駅へ向かった。駅までは3分ほどなので楽だ。そして切符を買おうとしたらおととい会ったNYの変わった男がいた。彼は「ザグレブのYHは今まで泊まった中で2番目に臭かった。」と言っていた。じゃあ1番目は何なんだと聞きたかったがこの男と話すのは疲れるので挨拶もそこそこに別れ、イタリアはトリエステ行きの切符を買い、荷物を預けリュブリャーナ城へ向かった。城へは30分ほど雪道を登らなければならない。滑りそうだなと思っていたら二人がかりで道に塩みたいなものを撒いていたので思いのほか良いグリップをしていた。さすがに景色は良くトリグラフ山もよく見えた。その後ぶらぶらしてから列車に乗った。アルプスの山々がきれいだ。そして国境駅でイタリアの係員がやってきた。何故かイタリアでは入国が厳しくかばんの中の荷物を全て調べられた。そして10分ほどでトリエステに着きまず両替した。 以前来た時は1万円で13万リラほどだったが、円高のせいで18万リラになった。そしてinformationで宿を紹介してもらった。駅から歩いて2〜3分で部屋は狭いが快適だ。夜はボロニェーゼとワインを食べた。駅ではホテルリストなどもありさすが観光王国だなあと思った。

12/24トリエステ→ボローニャ
朝早く起きようと思っていたが10時頃起きてしまったので予定を変えてボローニャに行く事にした。今回はまったく予定を立てていなかったのでなかなか大変だ。駅で切符とパンを買ったが水が売っていなかったのでのどが渇いて仕方がない。そして電車に乗り込んだが切符をパンチするのを忘れてしまった。もし発覚すると4万リラ=1200円ほどの罰金を支払わなくてはならないと本に書いてある。どうしようかどうしようかと思った。そしてひとつの考えが浮かんだ。とりあえず電車の一番端まで行き、車掌を探し切符をパンチするのを忘れた事を説明しなんとか検札してもらった。そしてVenezia Mestreで乗り換え待望の水分を手に入れこの上ない満足感を覚えた。駅のinformationでホテルリストと地図をもらいホテルを探したがクリスマスと言う事もありホテルはやってなかったり満室だったりとなかなか見つからない。ようやく見つけたのが4500円ほどのところだった。既に夜になりつかれたのでまあいいかと決めた。それから街を散歩した。
街の通りは必ずアーケードがありその下にはたいてい屋台がある。クリスマスと言う事でいろんな種類のプレセーピオが売られていた。ビールを買って帰り飲んでみるとなんだか味が違う。スロベニア製でAnalcoholicoとかいてある。どうやらノンアルコールだった。何でこんなの売ってるんだよ。バービカンじゃないんだから。
気を取り直して街へ出る。そしてBARでビールを飲み、その後屋台でホットワインを飲んで帰った。部屋のテレビでバチカンが生中継されていて「ああ行けばよかったかな」とちょっと思った。

12/25ボローニャ→ヴェネツィア
朝10時45分に起き、急ぐようにしてホテルを出た。そして駅で日本人が電車の案内板を見ながら困っていたので時刻表の見方を教えてあげた。そしてその人はヴェネツィアに行くと言う事なので俺も久しぶりに行こうかなと思い行く事にした。列車の中で南イタリア系の家族に会い、クリスマスと言う事でシャンペンと巨大な甘いパン(バレーボールくらい)をごちそうしてもらった。彼らは途中で降り巨大な甘いパンを置いていってしまった。そしてヴェネツィアに着きとりあえず中心地であるサンマルコ広場に行く事にした。街は迷路のようでガイドブックに乗っているホテルが見つからず、適当に歩いてホテルを探した。そのうちに一つ星のホテルが見つかったのでそこに泊まる事にした。女主人はなかなか気さくな人だ。それからレストランに行きリゾットとパスタと魚を食べた。リゾットはしょっぱかったがなかなかおいしかった。そして勘定をしたが一人3000円ほどだった。納得の行かない俺はウェイターを呼び何でこんな金額になるんだと説明を求めたが魚が1700円だと言われた。それでも納得がいかなかったがここは引き下がる事にした。
釈然としないままホテルに戻り、例の女主人にその事を言うと「そりゃあ高いよあんた」みたいな事を言っていたので「外国人だから高い金額を請求されるのかい?」と言うと「そうではない、あーだこーだ」と言っていたがなんだかよく分からなかった。そのあとまあ仕方がないわねという困ったような同情するような表情をしてた。さて明日はどこへ行こう。

12/26ヴェネツィア→リミニ
ここから北と南どちらに行こうかと迷った挙げ句、南の方面に行く事にした。とりあえずはリミニと言う都市に行く事にした。まずはボローニャで乗り換えてBARでサラミのパンを食べた。イタリアのサラミはうまくしばしばサラミパンを食べた。そしてリミニに着いた。少し南に来たせいか大分暖かいがとにかく風がすごかった。竜巻でもきてるのかなとも思った。ホテルは駅前に安いところがありそこに泊まる事に決めた。フロントに「この街はいつもこんな強い風が吹くか?」ときいたが、「今日だけだ。」と言われた。そりゃそうだ毎日こんな強風が吹いていたら誰も住まないか。それから海に行ったが風がすごく砂まみれになってしまったので早々に引き上げた。それからまた中心街に戻り散歩を続けた。夜は中華を食べた。

12/27リミニ→サンマリノ→リミニ→バーリ
今日はサンマリノに行った。景気は素晴らしく箱根のようだった。しかしリミニ駅のコインロッカーが壊れていて荷物を持ちながら行ったので大変だった。何とかサンマリノ観光を終えリミニ駅に戻った。南行きの列車がちょうど20分遅れだったため乗ろうと思ったが、かなり混んでいて乗る事はできなかった。次の電車は2時間ほど後にくるので両替がてら街をぶらぶらした。そして次の電車は混んでいたがなんとか乗る事ができた。1時間くらいしてやっと座る事ができたが次の目的地のバーリまではあと4時間あまり…。
そうこうしてバーリに着きホテルを決め街を散歩した。そしてピザ屋を発見した。Pizza e birra 6000と言う貼り紙があったので注文してみた。350円ほどなのでピザが一切れだと思ってたら1枚来た。おおうまいぜよ。

12/28バーリ→マテラ→バーリ
朝7時半に起きて駅に向かう。朝のバーリ駅は太陽を浴びていてやしの気があってどこかサイパンを思わせた。今日は洞窟住居(サッシ)の街マテラへ向かう。車窓は岩だらけの大地と言った感じで印象深かった。
途中Altamuraと言う駅で一番前の車両に乗っていたが車掌に「バーリは一番後ろの車両だ」と言われ乗り換えた。危ないところだった。マテラはなんだか怖い感じのところで昼だと言うのに人は少ない。しばらく街を歩いたあと駅に行ったが、黒い犬が俺になついてきた。おお何だ、と思い道を横断してみるとその犬も俺と一緒に車が来なくなるまで待ってなついてくる。電車までいっしょに乗っていきそうな勢いだなと思っていたら犬好きの人が犬に「おいでおいで」と言って呼び寄せあとをその人に任せる事にした。
バーリに戻り、港まで行ってみた。そこには世界中の旅人が集まっていた。ああいつか船旅がしたいな。そのあとは昨日と同じピザ屋に行き”pizza e birra”を頼んだ。

12/29バーリ→アルベロベッロ→バーリ→ナポリ
朝はいつものピザ屋に行き”café e cornetto 1500”を頼んだ。80円でエスプレッソとコルネットが食べられる幸せ。それから駅に荷物を預けアルベロベッロに向かった。街は観光地化され期待していたほどのものではなかった。帰りの列車で広島在住の予備校講師の人と会い旅話などをした。バーリに戻り電車を予約しようとしたが前に3人ほどいて30分もかかってしまった。日本だったら3分といったとこだろう。
列車はかつての花形ETR450だ。丸みを帯びたその姿は昔の日本の新幹線に似ている。列車は快適だったが途中予約したと言う男が来て席を替わった。その後2回も同様の理由で席を替わり面倒だった。
そしてあのナポリへ着いた。混沌とした世界が広がっていた。ガイドブックの書いてある通り、道の横断は待っていると一生渡れない。そして何件かのホテルに行き結局一番最初に行ったところにした。明日も泊まりたいといったが「だめだ」と言う。フロントは俺が2泊で4万リラにしろと言ってるんだとだと思ったらしいので、「今日4万、明日4万払う」と言ったがそれでも「だめだ」と言う。押し問答の末、明日が予約で一杯なのかと思い聞くと、満面の笑みを浮かべて「そうだ」と言った。とりあえず理解できてよかった。そのあとBARに行きピザとミートボールとビールを飲んだ。
夜はぐっすり眠れそうだったが夜中じゅう車の警報機が鳴っていて何度も起きた。ああここはナポリ、耳栓を持ってくればよかった。

12/30ナポリ→ポンペイ→ナポリ
宿を出た後、今日泊まるところを探す。駅前のあたりは泊まるところが結構あるので探すのはさほど大変な仕事ではなかった。そして朝の定番コーヒーとコルネットを食べポンペイ遺跡へ向かう。街は相変わらず混沌としていて道を渡るのもひと苦労だ。ヴェスビオ周遊鉄道で約40分ほどで着いた。遺跡のチケット売り場は窓口が2つあるのだが1つしか開いていなくかなり待った。
古代ポンペイは何とも言えないところでヴェスビオ火山と松の帰途遺跡がいい感じで組み合わさっていた。2時間ほどかけて見学したので疲れたのでもう一つの遺跡エルコラーノに行くのは断念した。そしてホームでナポリ行きの列車を待っていると男がたばこをくれと言ってきた「もうないよ」と言うとがっかりした顔をしてとなりに座ってきた。そのうちもう一人来て俺は2人の男に挟まれた格好になった。彼らは金がなくて3日も何も食べてなくて死にそうだと言って金をせびってきた。そして俺のポケットに手をかけようとしたので「NO!」と怒りその場を去った。彼らは俺と同じ電車に乗っていて他の人にも金をせびっていた。そんなこんなでナポリに戻り海岸沿いを散歩する事にした。夕暮れのサンタルチアは美しく、おかげで日が沈むまでずっと歩き8kmにわたる散歩を終えた。そしてホテルに戻り、夕食を食べに行こうとするとフロントのおじさんに「下のレストランがいいぞ」と何度もすすめるので行ってみる事にした。しかし結構混んでいるので時間を置いて店に入った。席はほぼ満席と言ったところで俺より10分ほど前に来たおじさんはなんだかいらいらしている。俺はTonno(マグロ)のピザを頼んだ。そしてピザは来たが隣のおじさんにはまだ来ない。彼はウェイターがくるたびに「どうなっているんだ」みたいな感じで聞いて怒りながらパンだけ食べてる。結局俺が食べ終わるまでとなりは一皿目も来なく、隣のおじさんは怒って帰ってしまった。

12/31ナポリ→ローマ
今日はおおみそかだ。俺はいつもこの日に特別なものを感じるが今はイタリアにいるせいか何も感じない。
小さい頃郵便局でもらった2000年までのカレンダーがある下敷きを愛用していて2000年の瞬間は何をしているのだろうと常々思っていた。大人になってもその思いは変わらず、ヨーロッパとりわけイタリアに影響を受けた俺はやはりその瞬間はイタリアで過ごさねばならないと感じていた。いわば俺の中の巡礼なのだろう。その2000年まであと12時間…。
ローマ行きの列車はなかなかのスピードで飛ばしてゆく。そして3年ぶりにローマに着いた。俺は再びこの地に戻れてうれしい。

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1/5ローマ→モスクワ

1/6モスクワ→東京

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