我がバレーボーラー・ビーチバレー人生
小学校時代
私は小学校4年からバレーボールをやっていた。(まだやってたりする・・・・)
ところで私は小学校2年くらいから力こぶが出てて筋肉質だったのだがそれが後に背が伸びない原因の一つになるとは知らず、一人喜んでいた。
話を元に戻そう。小学校のときのチームはなかなか強く、市内ではいつも優勝していた(といっても当時は、といっても今もか…小学生の男子チームは少なかった。)そして6年生の時都大会にでてなんと2位になってしなった。そういうことで全国大会(第3回ライオンカップ)に出てしまったのだが、そのころの写真をデジタルカメラに収めてみた。
な、なんか大学生みたいな感じがするが、まあいいだろう。
全国大会に向けて朝練が始まった。今思うと夜行性の私が朝6時に起きるなんて信じられない事だ。
当時の監督は日めくりカレンダーのようなものを作って毎日「全国大会まであとOO日!」というのをめくっていた。当時はまだ朝食を摂っており、もちを食べていたような気がする。のりについた醤油が手に付き何とも言えない匂いを発していた。
我々のチームは他の代表のチームより背が低かった(私は139cmだった)のでそれなりの努力を強いられた。市長にも呼ばれ、市役所の市長室にも行きみんなで写真を撮ったりした。当時の町田市長が父母達に質問をしているときにその横でジュースの早飲み大会をしていた。俺の母はそんなことも知らず張り切って質問に答えていた。
1ヶ月後、我々選手達の父母に見送られ、藤の台バスセンターを旅立った。みんなで電車に乗るといつも騒ぐというより騒がないでどうする?という気持が当時あった。特に俺は小さい頃から落ち着きが無く騒ぐ方だった。他の乗客にも迷惑をかけ監督は何度かキレた。(先生、許してくれ)
宿舎(東京オリンピックのときの選手村)に着いても相変わらず騒ぎ、先生を怒らせていた。大会中は生活リーダーというのがあって、俺のビーチバレー(後述)のパートナーである宮澤が選ばれた。適役であった(当時彼は小学校の生活委員長をやっていた。俺もそういう役職に就いてみたかったが、性格上選ばれる事も無く小学校生活を終えた。)
そしてついに1回戦。みごとにまけた、小学校の青春はもう終わったかに見えた・・・・・・・
そんなわけで我々はその日はがっくり過ごした、そして翌日、敗者復活戦が始まったのだがその結果・・・・

なかなか調子がよく勝ってしまった。そして次の日読売新聞のスポーツ欄に私がスパイクを打ってる写真が載っていた。しかしその写真はスパイクを打ち終わってる写真なのでなんか変だった。
(ちなみにこの写真は母が新聞社に頼んで引き伸ばした。今でも押し入れにある)
そして2連勝して、決勝トーナメントに出たのだが(思えば当時の大会参加者はまだバレーボールをやってるのだろうか、メールくれ)、私は前夜緊張して、一人グラスを傾けていた。

さて我々は決勝トーナメントに出て、これに勝てばベスト8というところにきた。話は飛んで最終セット。あのたける君がすごいスパイクを決めた。

会場はそれなりに盛り上がり、試合が終盤にさしかかった。そして相手が13点、あと2点で我々の負けが決定する。とその時!!我々の逆襲が始まったかに見えたが・・・・・
すでに試合はそろそろ終わりそうだった。応援を含めみんな希望を持っていたが、私の中では試合にすでに負けていた。そしてその夜食べるハンバーグの事を考えていた。そんな事を考えてるうちに、相手が14点とってしまった。そして気づいたら、私の前に敵のスパイクが落ちて試合終了になった。(チームのみんな許してね。)
その後もバレーを続け、今に至るのだが、私の予想以上に背が伸びず、残念ながらスーパープレーヤーになれなかった・・・・・。しかし今では新スパイク"プレデター"

の開発にいそしんでいる。
中学校時代
中学のときもほぼ同じメンバーだった(我々は毎週土曜日練習をしているが、当時のチームメイト達とだ)なかなか強かったが、他のチームが予想以上に強くなり全国大会には出る事はできなかった。
高校時代
高校のときは私だけ中学のときのメンバーと違う高校にいってしまった。彼らの高校はなかなか強かったが、私のいってた高校は初心者が多く、なかなか勝てなかった。たまに冗談で「これが取れたら春高バレー」などといっていたが、もちろん冗談で終わった。中学、高校時代は大体毎朝ピザを食べていた。
中学の頃のライバル校のメンバーの多くは市内の有名私立校に行き、高校2年のとき春高バレーに出ていたのをテレビで見てショックを受けた。かといって猛練習をするわけでもない我々だった。
その後・・・
高校卒業後は中学のメンバー達とともに社会人チームを作り、市の大会などに出ている。(一回裏切って、ビーチバレーのパートナーであり小学校の頃の生活リーダーであった宮澤とチームを作った。チーム名はアーバンチャンピオンwithルケッタ(通称アーバン)
なかなか強いという前評判であったが、奇しくも同じ中学のOBチームと当たってしまった。何とか勝てるだろうと思っていたが、あっという間に負けた。(それに勝てば3位だったのに…。)2年後にまた下克上を起こしたが、今度はセッターの裏切りにあい、負けた。
以来新チームを作る事はもう無いだろうといわれている・・・。
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我がビーチバレー人生
1998年
それから4年後インターネットを始め、ビーチバレーのページを見て毎週大会 ("FOVA" (Fujisawa Outdoor Volleyball Associates。鵠沼海岸をホームビーチとして活動するビーチバレークラブ)が主催の大会)がある事を知った。そこで早速バレー仲間でもありライバルでもある宮Oに連絡をして大会に出てみた。最初は楽勝だろうと思っていたが、砂の感触に慣れず、インドアでは決してしないようなミスばかりしていた。それからというもの毎週大会に出た。シーズン終わりの頃になるとだいぶ動けるようになり、”ビーチバレー”というスポーツがわかりかけてきた。
しかしまだ結果は残せていない。トレーニングを重ねそのうち上位に進出できるといいなとおもっている。
ところでいつも電車で行き、帰りは藤沢の箱根そばに寄るのが習わしになっている。
箱根そば藤沢店
(箱根そば歴はもう15年になるだろうか・・・。私が中学一年のときはかけそばが160円だった。たぬきは190円だった。
当時は金が無くその30円に苦しんでいた。ごくたまに豪華に肉そばを食べた。しかも箱根そばを食べるにはホームの中にはいらなければならないので、いつも駅の塀を乗り越えて食べに行った。
今ではようやく就職したものの経済的には当時よりはだいぶ余裕があるので肉そばかコロッケそばを食べる。ここ2・3年でコロッケが変ったようだ。前よりグルメになった感じだが(グルメな感じって!?)前の冷凍コロッケみたいな方が好きだ。そばも昔と変った感じがする。
そんな訳で家で箱根そばの味を再現しようとおもい、箱根そばのそばつゆを買って作ってみたがやはり素人には難しそうだ。夏は冷やしたぬきもいいだろう。ただ俺はワサビときゅうりが苦手なのでいつも抜いてもらっている。(ちなみに私は野菜をほとんど食べない。肉と魚だけで人生を送ってきた。)おっと話がだいぶ脱線してしまった。
ビーチバレーはなかなか面白く夏男であり海の男である俺にはもってこいのスポーツだ。なんせ夏の晴れてるときに外で遊ばない、なんてのは太陽に対する裏切り行為だとまで考えている。しかし我がパートナーの宮澤は暑いのがどうも苦手らしい。しかし彼も日焼けして徐々にたくましくなっていくのを見て私は嬉しい。
11月で大会のシーズンは終わり、我々の夏は終わったわけだが始めた頃よりだいぶ強くなり来期は決勝トーナメントに行けるであろう。
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1999年
さてビーチバレーのシーズンが終わり冬がやってきた。この季節はバイク乗りにもつらい季節で、さらにビーチバレーを始めた私にとっては夏がこんなに待ち遠しい年はなかった。そして5月下旬、2人の後輩がビーチバリヤーになろうとしている。その後輩を含めたメンバーをみるにはここ(あったーずの面々)をクリックしてみよう。
さて6月、ついに私と宮Oは決勝トーナメントに進むことが出来た、(といってもくじ引きで結構いけたりする・・・)
優勝は・・・まだ遠い。
そしていろいろな人と出会ったり教えてもらったりして成長した、ところでシーズンが終わってしまった。それにしてもネット高いよ・・・。
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2000年
さあ2000年がやってきた。ご存知の通り2000年の瞬間ローマ法王に接見した俺は不思議なパワーを感じながら来日した。ビーチバレーの方はというと、寒がりな俺はなかなか海に行く事ができず4月頃から練習を再開した。
そして府中にインドアビーチバレーコートができたという事もあり、今は(一応)求職中の身でありながら週3〜4回ビーチバレーをしている。いいのだろうか?と思いつつシーズンが始まった。
2001年
今年は仕事がシフト制で土日休みは6週間に1度という悲しい現実に直面した。そんなわけで試合にあまり出てない状態だ。だが有給を取ったりしてたまに出ている。今年からコートが8mになったという事もありスパイクがなかなか決まらない。まあその代わりレシーブがしやすいという事になるのだが・・・。とにかく小さいプレーヤーにとっては不利な事であることはまちがいない。
2002年
転職をして土日休みになったが8月に鵠沼海岸で膝をすりむきあまり海に行かなかった。
2003年
まあまあ海に行ったがこの年も最高位は3位止まり。年々参加者の身長が高くなってるんですけど・・・
2004年
前半はまあまあ行っていたが8月以降はなんとなくだるく土日はずっと二日酔いで家で苦しんでいた。
2005年
年々ビーチバレーに行く回数が減りどうかなあという感じだったが、縁というものは面白いものでいろんな人と出会い、その人たちに会いに(飲みに)海に行ってるような感じ。またつねちゃんからの脅迫(?)に応じ一応毎週行っている。俺という人間はビーチバレーという目的だけではなかなか海に行かない人間なんだなと実感してる。