想像と言う産物

私が行った事の無いところや、見た事の無い物について想像で語ります。

その1「パリ」
パリとは花の都です。
パリに生息している人は全てベレー帽をかぶっています。
98年度の調査では男性の名前で一番多いのは「ミッシエル」、女性では「マルガリータ」でした。

またパリでは年に一回「エッフェル塔祭り」が行われます。
この祭りは毎年4月の第3日曜日を中心に3日間行われます。
この間パリの人々は飲まず食わずで一心不乱にパーティーを開き倒します。

そして祭りの最終日に執り行われるメインイベントは「エッフェル塔爆破」です。
その年、人民投票によって選ばれた「ムッシュパリジャン」が起爆スイッチを押します。
毎回このためにTNT火薬0.5キロトンが用いられます。
基本的に爆薬は大目です。
1932年のエッフェル塔祭りの際には火薬の量を間違え5.5キロトン使用してしまったためにエッフェル塔はおろかパリごと爆破してしまいました。
今となってはパリっ子たちのいい思い出です。

パリの交通網は基本的に「メトロ」と呼ばれる地下馬車鉄道です。
このメトロは1882年に全線開通し、以降庶民の足として親しまれています。
メトロ建設に当たっては実に様々な問題がありました。
パリの地盤は脆弱で掘削するにあたっては非常に危険です。
地盤の強度はおおよそ「こんにゃく2枚分」とされています。

そのため、建設中には様々な悲しい事故が頻発しました。
今のメトロの繁栄はこういう様々な悲しい墓標の上に成り立っているという事をパリっ子達は忘れません。
そのために毎年5月の第3日曜日を中心に3日間、鎮魂の意味を込めて「メトロ祭り」が行われます。
メインイベントは「メトロ爆破」です。


その2「連射装置」
「連射装置」とは特定のスイッチを連続してすばやく入力できる装置です。
この装置は、現在家庭用ゲーム機のコントローラーなどにも使用されているためご存知の方も多いと思われます。

しかし、この装置は第2時世界大戦終了後のいわゆる「冷戦」の時代にアメリカによって 開発されたという事をご存知の方はあまりおられない事と思います。
本来の開発目的は「核ミサイル発射ボタン」をすばやく正確に押すためのものでした。

ご存知の通り、当時のアメリカの仮想敵国はソ連でした。

アメリカの方が核開発が一歩進んでいたとは言え結局は追いかけ追い越せのいたちごっこ。
そこで相手の核ミサイル発射に対してすばやく報復できるように「連射装置」というものが必要になってきたのです。

最初は秒間2発がいいところでした。
なぜなら連射装置の動力を水車にしていたからです。
その後水車ではあまりにも効率が悪いという事が内部機関から指摘され、新たな動力を模索する事となります。
次に使用されていたのがブローバックシステムです。
これはオートマチック式拳銃の薬莢排出機構から、時のFBI長官フーバー氏によって発案されました。
欠点として常に空砲を撃ち続けなければいけないのでシステムの温度が上がり過ぎ、すぐにオーバーヒートしてしまうという事でした。
その後、鉄定規、痙攣打ち、コスリ打ちなどのテクニックを経て、現在では電気式(シンクロ式)が主流となっています。
これは画面の垂直同期から最速の設定を割り出すと言う画期的なものです。
秒間60連射までは安定しています。

この「悪魔の兵器」も現在ではすっかり家庭の中に浸透し、小さな子供たちもその恩恵に浴しています。
この装置が平和的に利用されていると言う現実を噛みしめながら、使っていきたいところです。


その3「ステンドグラス」
ステンドグラスとは色のついたガラスを鉛をはさんで様々な形に組み合わせて作る、いわゆる「ガラス絵」とでも言える物です。
教会の窓などにはめ込まれている物を想像して頂くといいかと思います。

ステンドグラスは8世紀中頃のトルコで生まれました。
当時ガラスは同じ重さの金と同価値であると言われるほど高価な物でした。
主に貴族達が自分の財力を誇示するために職人を囲って作らせていたと言われています。
しかし、「職人を囲う」という閉鎖的な環境において徐々にその制作法の秘匿性が高まり、貴族達の没落とともにそのまま「幻の技法」として歴史の表舞台から姿を消していく事となります。

その後ステンドグラスは歴史の中に100年以上出てきません。
ステンドグラス復活の声は10世紀のイタリアにて聞かれることとなります。

幻の技法として一部の寺院などに眠っていたステンドグラスを復活させたのは、フィレンツェの彫刻家「モデラート・アルバトーレ」です。

彼は独自の研究によってステンドグラスの技法を復活させました。
しかし、その完成までには20年の月日と氏の財産全てを投じなければなりませんでした。
その後、トルコでの技術の散逸という苦い過去を重んじた氏は技法の完成と同時に「アルバトーレ・ドジョー」を設立しました。
「ドジョー」とは「技術を教える」という意味のイタリア語です。
日本語での「道場」という言葉はこの「ドジョー」が訛って伝えられたものであると言われています。

イタリアではその氏の業績をたたえて、毎年8月の第3日曜日に「ステンドグラス祭り」が行われます。
この日はイタリア全土のステンドグラスが美しくライトアップされます。
日本の神戸で毎年行われている「ルミナリエ」はこの祭りを持ち込んだ物です。

祭りは深夜まで続き、そのクライマックスにはアルバトーレ氏の名を叫びながら全てのステンドグラスを粉砕します。


その4「フレイル」
そもそも誰がフレイルを発明したのかははっきりしていません。
一説によると紀元前3世紀のローマ帝国においてオクタビアヌスが考え出したとも、2世紀の日本において地方豪族である歯迦那壬大王(はかなみのおほきみ)が考え出したとも言われています。
武器とは人間が骨を手にしたときにその歴史が始まったと言われているように、今となってはその歴史をさかのぼることなど不可能であると思われます。

ここではフレイルという武器自体について軽く説明したいと思います。
フレイルとは主に木製の柄の先に棘の付いた鉄球を鎖などで固定されている物の総称です。

柄の先に鉄球がついているという事で間接的に「手の長さ」が長くなり、また鎖で結び付けられている鉄球の重みにより振り落とした時にそのスピードと質量によって破壊力が付くと言う点では原始的でありながら効果的な武器であるといえます。
鉄球に「棘」が付いているという事も被打撃物に対して効果的といえます。
衝撃が「面」でなく「点」で伝達されるという事はより密集された力がその一点に加わるという事に他なりません。

このフレイルが実際に使用されたとされる戦闘で最も有名なのが16世紀後半の日本での「長桶原の戦」です。
この戦いは従来の「白兵戦」の歴史を塗り変えるものであったと言われています。
100人のフレイル隊で2000人の騎馬軍団を倒したと言われています。

また、フレイルは近代戦においても多用されています。

1941年に始まった太平洋戦争において、日本の最大の敗因は10万人にのぼる米国のフレイル兵を軽んじていたためと言われています。
特に激戦地であった屋久島では米国の1万人にのぼるフレイル兵の猛攻に、日本軍の要塞は3日で陥落しました。
それまで数十回の爆撃にも関わらず死守してきた要塞もフレイル兵の進撃にはなすすべが無かったという事です。

フレイルとはかくも恐るべき威力を秘めた武器です。
米国ではこの「屋久島陥落」をたたえ、毎年9月の第3日曜日に「フレイル祭り」が催されます。

この祭りでは米国中の主要幹線道路でフレイル隊による行進が行われます。
この祭りの2日目のクライマックスにおいてはフレイルで近隣商店を徹底的に破壊します。


その5「アマゾン」
アマゾンとはたくさんの植物が茂った楽園です。
主にユーラシア大陸に集中しています。
アマゾンには数多くの動植物が生息しています。
世界中の生物学者達はこのアマゾンの様々な生態を調査することが生涯の目的であるとまで言われています。

アマゾンの生態研究に一生をささげた生物学者として最も有名なのはやはり「ミハエル・ボルグマン(1882〜1941)」でしょう。

彼はジャングルにおける29年間もの実地研究において実に様々な動植物を発見しました。
最も有名なのは、げっ歯目サルネズミ科の学名「ツキツキコモネズミ」でしょう。
通称「ミサイルネズミ」と言われているので、一般の方にはその方がなじみがあるかもしれません。

この通称「ミサイルネズミ」は非常に独特な習性を持っています。
非常に多数の固体で群れを作り行動するといったものです。
多い時には100万匹もの群れで行動する時もあります。
この群れの中でははっきりと役割が分担されています。
「皇帝ネズミ」を中心としてその下に「将校ネズミ」「兵隊ネズミ」「補給隊ネズミ」「重歩兵ネズミ」等に細かく分けられます。
その、ある意味階級ともいえる役割の分担は非常に厳格で、「階級」が下のネズミは「階級」が上のネズミに対しては絶対服従です。
1931年の記録によると皇帝ネズミの行く手を遮った兵隊ネズミがその所属師団もろともことごとく処刑されたとも言われています。

このネズミのように、まだまだ未知の存在とも言える生物が多数生息しているのがアマゾンです。
この動物達にとっても、生物学者達にとってもまさに「楽園」と言えるアマゾン。
完全な生態系の解明はまだまだ数世紀かかると言われています。


その6「ブラックホール」
ブラックホールとはいわゆる巨大な恒星のなれの果てです。
中性子星等があまりに巨大な自己の質量によって中心の1点へと崩壊してしまう事によって生成されるといわれています。
「1点」に莫大な重力が働いているために、空間すら歪めてしまいます。
その重力圏内においては、光すら脱出する事が出来ません。
そのためにブラックホール自体を目視する事は決して出来ません。

地球から一番近いところにあると言われているブラックホールは距離的におよそ1.5光年の場所にあると言われています。
余りに距離が近いために、毎秒2万5千宇宙ノットで太陽系ごとブラックホールに接近しているといわれています。

このブラックホールの調査は1998年から始められています。
核爆発を推進力に利用したロケット「ゲオルグ2世号」の打ち上げからスタートしました。
このロケットはWHO(世界保健機構)を中心とし、世界的な技術提供によって1997年に完成しました。
速度は最高で光速の97%まで出せると言われています。
あと半年もしないうちにブラックホールに到達して様々なデータを地球に送ってくれる事と思われます。
ただ、そのデータの収集および送信できる時間はブラックホールの重力圏に入ってから0.3秒間のみです。

太陽系の行方はこの0.3秒間の通信に委ねられていると言えるでしょう。
そのたった「0.3秒間」が我々太陽系の歴史において最も重要な「0.3秒間」となるでしょう。


その7「バレンタインデー」
バレンタインデーとは日本特有のものです。
そもそもキリスト教で聖人とされている中に「ヴァレンタイン」という人物がいますが、このバレンタインデーとは全く無関係です。
事の起こりは昭和30年代に菓子メーカーの不二家が「2/14に好きな人にチョコレートを送ろう」とキャンペーンを始めたのがきっかけと言われています。
スペインのカタローニャ地方を発端とする「サンジョルディーの日」に本を贈る事がこの発想のきっかけになったと思われます。

最初は本当に好きな人のみにチョコレートを贈るのが目的でしたが、世代を重ねるごとにその意味合いが変ってきました。
現在では好き嫌いを別にして勢いのみでチョコレートを贈る日となっています。
それに伴ない非常に様々な事件が毎年起こっています。

記憶に新しいところでは1989年に埼玉県のある女性が贈ったチョコレートによる事件いわゆる「毒チョコ事件」というものがあります。
彼女は「好きです」というメッセージと共にある男性にフグ型のチョコレートを贈りました。
もちろんチョコレートの中にはフグ毒の主成分である「テトロドトキシン」が大量に混入されていました。
このため贈られた男性は死亡、贈った女性は殺人罪で逮捕という事になりました。
1990年に行われた第一回口頭弁論では被告である女性は「そんなつもりはなかった、私の好物のフグにしただけだ」と主張しましたがその主張は却下されました。
現在、最高裁において抗争中です。

このすっかり定着したとも思われる「バレンタインデー」。
これを記念して毎年2月14日にチョコレート業界を中心に「バレンタインデー祭り」が行われます。

この祭りでは好きな男性に告白の意味も兼ね、男性宅を爆破します。
痕跡を残さないほどに焦土と化すのが最高の恋愛表現であると言われています。
1998年には2万6千程の幸福な男性宅が焦土と化しました。

その8「携帯電話」
携帯電話とは持ち運び可能な通信式のポータブル電話の事を指します。
コードレス電話の延長線上にあるPHSとは一線を画しています。

1960年代に開発された最も初期の携帯電話は縦横20メートル、重さ14トンという巨大なものでした。
しかし、技術の発展とともに小型軽量化が一気に進んでいます。
1997年には縦横2ミリ重さ0.5グラムというものも発売されました。
しかし「あまりに小さすぎて会話できない」という欠点を指摘されたために商業的には失敗の憂き目に遭いました。

現在主流となっているものに「DF(デジタルフォン)1004型」というものがあります。
これはプッシュボタンすら省略してしまうという画期的なものです。
これの操作には外科的な手術を必要とします。
まず、手術により脳内(言語中枢)に電極を埋め込みます。
それに伴ない左首筋に電話との接続のための「コネクター」を設置します。
これにより言語中枢での電気的刺激が直接出力されるようになります。
その出力される電気信号により電話を制御します。

思うだけで「電話がかけられる」という事です。

さらなる実験として脳から直接コンピューターを操作する方法も現在模索されています。
まだ実現には相応の期間を必要とされると思いますが、確立した暁には今までのコンピューター環境を一気に刷新する事となるでしょう。

この「DF1004型」が」発売されたのは1998年10月22日です。
この日を記念して10月24日には「DF祭り」が全国のドコモショップで行われます。

この祭りのクライマックスにおいて参加者は携帯電話を一斉に路上に投げつけます。
一度の「投げつけ」で電話自体が粉砕された者に対しては賞賛の意味も込めて携帯勲章が贈られます。

その9「DNA」
DNAとは生物の遺伝上の情報を全て記録した情報物です。
形状的にはいわゆる「二重らせん」と呼ばれる特異なものになっています。
このDNAが二重らせんである事は1953年、英国のワトソンとクリックという人物によって解明されました。
後の1962年にこの発見に対してノーベル賞が贈られています。

基本的な情報の流れは「DNA」→「RNA」→「サーロインロース」となっています。
この流れを総称したものを「セントラルドグマ」と言います。

この遺伝情報が詰まっているDNAを解明するという事が人類、ひいては全ての生物の謎を解く事に重要な意味を成します。
現在世界でヒトのDNAを完全解明するという計画、「ヒトゲノム計画」が進められています。

かなり計画も進み、現在では92%のDNA情報の読み出しに成功しています。
特にルーマニアではこのヒトゲノム計画が最も進んでおり、歴史上の人物の組織の一部からクローニングによって人体を再培養するという事も行われています。
1991年2月に「再生」された人物にヴラド・ツペシュがある事で有名です。

ヴラド・ツペシュとはいわゆる「ドラキュラ」のモデルとなった歴史上の人物です。
クローニングした目的は「人はいかにして精神的な影響を外部からどのように蓄積するか」という実験のためです。
そういう意味合いで1万もの兵を串刺しにしたといわれる、残虐で有名なヴラド公が選ばれました。

ヴラド公の生活環境は出来るだけ当時の生活用式そのままにされ、外界とは完全に遮断されています。
しかしながら現在、満8才のヴラド公はまだその片鱗は見せていません。

ルーマニアではこの「ヴラド公再生」「世界初のヒトクローニング成功」を記念して毎年2月の22日に「ヴラド祭り」が催されます。

この祭りでは広場に集まった民衆が一斉に隣の人の「血を徹底的に吸う」のがクライマックスとなっています。
吸われた者は死亡しますが、クローニングによってまた再生されます。
こういった死亡と再生が毎年繰り返される事によってルーマニアの平均年齢は毎年下がっていると言われています。

この夜はいつまでたっても「ヴラド!ヴラド!」という人々の声が途切れる事はありません。

その10「クローブ」
クローブとは和名では「丁字」というスパイスです。
味を整えるというよりむしろ、香りをつけるという意味合いでよく用いられます。
その芳香は強く、丁度バニラのような香りがします。
古い時代のヨーロッパにおいては「キスをする際にクローブを口に含む」という事もあったように甘い香りがします。
また肉類のにおいを消す効果があるので、主にポトフやビーフシチューといったような肉料理に多用されます。

このクローブの歴史は非常に古く、カンブリア紀中期のパージェス頁岩からもその痕跡が認められています。
主にアノマノカリス等の肉食性動物が餌となる小動物をおびき寄せるための「エサ」として使われていたと考えられています。

クローブが人類の歴史に登場してきたのは古代エジプト王国からであると言われています。
紀元前2850年の上下エジプト王国統一において、戦士はそのクローブの香りを自分の服に焚き込んでいたとされる記録が残っています。
これにより士気を高揚させた結果、メネス王による統一王国が完成させられたといっても過言では無いでしょう。

最近になってではクローブに関する新たな効用として「解熱作用」が発見されました。
1979年にこの作用の発見者であるチェコスロバキアのフリードリッヒ・エンゲルス(1932〜88)によって初の臨床実験が行われました。
東欧諸国では「ユダ・カプセル」という商品名で盛んに生産され、数々の患者を救っています。

この「解熱作用発見」を記念して、クローブの主な産地であるマレーシアのモルッカ諸島では毎年9月25日に「クローブ祭り」が催されます。
祭りにおいてはその年収穫したクローブを全て中央広場に集めます。
その香りははるか海を超えてインドにまで届くといわれるほどです。
島民達は積み上げられたクローブを中心として3日3晩夜を徹して大騒ぎします。

そして、この祭りのクライマックスにおいては、その積み上げられたクローブを一斉に焼き払います。
その猛炎は高さ3000メートルにまで達するといいます。

その11「ブルドーザー」
ブルドーザーとは主に土木工事などで使用される無限軌道を駆動方式に用いた「土砂排斥用車両」の事を言います。
無限軌道というより商標名である「キャタピラ」と言った方が皆様のなじみは深いかと思われます。

現在ではどこの工事現場でも見かける事のできるポピュラーな車両ですが、かつては軍事用として暗躍していたという悲しい一面もあります。
元来、悪路を走破するために考案された無限軌道。
それは戦場での劣悪な路面環境において真価を発揮するために設計された物でした。
第一次世界大戦において独軍が初投入した「戦車」。
その駆動方式もすでに「無限軌道」を採用した物でした。
塹壕や鉄条網等による簡易バリケードなどをものともせず攻め込んでくる戦車はかつてない恐怖の対象でした。

現在のブルドーザーといえるものは第二次世界大戦初頭の独軍によって始めて登場しました。
砲弾を撃ち敵を撃破する、といった戦車の攻撃法に対してブルドーザーは主に歩兵などに対してその重厚な装甲を活かして「突入」するというコンセプトの元に設計されました。
そう、並み居る兵士を「轢き潰す」ためなのです。
そのため、連合国兵士の間ではブルドーザーという名前ではなく「キルドーザー」という隠語で呼ばれ忌み嫌われていました。

しかし、そのあまりにも悪い機動性と航空戦が主流になった大戦末期には早くも時代遅れとなり次第に前線から姿を消していきます。
大戦終了後この技術は軍事用から民間に引き継がれます。
我々のよく知る所の「工事車両としてのブルドーザー」の誕生です。

現在では様々な種類のブルドーザーが土木作業のよきパートナーとなり活躍してくれています。
最新型のブルドーザーでは1992年に発表された中国製の「大喜36型」が有名です。
これは今までの無限軌道方式を取りやめ、四足歩行型に改良したものです。
これにより今までのブルドーザーでは整地できなかった斜面などの開発も一気に進んでいます。

中国ではこの「大喜36型」発表を記念して毎年3月第2金曜日に「ブルドーザー祭り」を行います。
この祭りでは中国全土のブルドーザーが天安門広場に一同に集まり壮大なパレードが行われます。
最後には人民軍司令官の掛け声に一気に隊列を解き、その辺の建物をなぎ倒します。
数万台のブルドーザーが一気に散らばり、手当たり次第に建物を破壊しまくるのはまさに壮観です。
この祭りの別称が「花火祭り」というのも納得できるほどです。

その12「野球」
野球とはアメリカを中心として世界中で親しまれている球技の一種です。
1チーム9人からなり、攻守交代制で得点を競い合います。
この球技はイギリスなどで盛んに行われている「クリケット」がルーツであるなどと言われています。
20世紀初頭にはすでにアメリカなどではプロ化し、名実とも球技の王様とも言えるべきまでに発展しました。

野球が広まり始めた頃のアメリカはまだ「西部開拓時代」と呼ばれていた時代でした。
そのため主にバットには「バッファローの大腿骨」、ボールには「インディアン(ネイティブアメリカン)の頭蓋骨から削り出したもの」が用いられていました。
また、試合も単なるゲームではなく生死を賭けたいわゆる決闘と言えるものでした。
最も有名な「試合」としては後に映画化された事などでも有名な「OK牧場の決闘」などもあります。

日本に伝わった際にはこのような「残虐な決闘」としての野球は鳴りを潜め一般的な娯楽としての「野球」という形になっていました。
しかし、時代はまだ江戸末期。
尊皇派と攘夷派に国が真っ二つに別れている頃でした。
そのため一部では打ち倒した相手の骨を用いて行われていたという話もあります。
「池田屋襲撃」などもそのボールやバットになる「材料」を求めて行われたという記録が残っています。

現在では日本でもポピュラーになった国民的スポーツ「野球」。
その裏側にこういう血塗られた過去がある事を我々は忘れてはいけません。

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