26歳の野宿

 

                             一光 輝瑛

 

 

 大工の棟梁の突然の腹痛なんて,私にはなんの責任も無いはずだ。それなのに,

その結果は如実に私に跳ね返ってくるとは,まったくもって理不尽ではないか。

 …てなことを,壁に雑に張られたビニールシートを眺めながら考えていると,

ますますむなしさが増してくる。

 

 夕方から降りだした雨は次第に激しさを増し,風も伴って嵐の様相になっていた。

吹き荒れる風雨がシートに叩きつけられ,ある意味けたたましい音をたてていた。

眠りかけては現実に引き戻されるそんなまどろみの中,首を横に向けるとほのかな街頭の灯り,

そのぼんやりとした光が見えた。肩の布団をもう一度引き寄せると,分厚い二重毛布の感触が

首もとに伝わってくる。使いなれた布団が,これほどまでにありがたく感じたことは

いまだなかった。そんな感じ。…いったい…

 

 近所で評判のリフォーム業者に発注して,工事にとりかかったのが三週ほど前。

増築部分の基礎を掘り返し,新しい外壁が,その骨組みが姿を現しはじめる。

…そう,ここまではよかったのだ。

 見なれた壁をぶち抜き,新しい外壁にその息吹を吹き込もうとした頃,突然のハプニングが

彼を襲った。

「痛い!」

 それが彼にとって精一杯の緊急表現だった。もんどりうって倒れると,そのまま立ちあがることが

できなくなった。…ちなみに目撃したわけではないのだが…その時階上ではなく地上にいたのが

彼にとっての唯一の幸福だったらしい。最初は単に怪訝そうに見ていたほかの大工達も,

手足さえもはや動かせずに倒れたままの棟梁を,取り囲んで不安そうな目つきに変わる。

「…」

 不思議とこんなときには救急車が連想できないものだが,幸いにも懸命な一大工の発案で,

頼みの綱の電話がかけられる。

 

 騒然となるのは勝手だが,動揺で仕事が手につかない大工達を前に,果たして我が家の運命は

どうなるのだろう…

 まあ,将来的にどうなるかは置いておいても,とりあえず今夜はどうなる?

 骨組みだけの壁と,すでにぶち抜かれた壁。つまり,部屋は外気と直結していた。

まず,いつもよりもかなり派手な音が聞こえる。騒がしい,なんてものではない。

風,雨,そしてまた風。ビニールシートが揺れる音も,想像以上に耳障りに響く。

 そして,寒さだ。4月ももう終わり,と言っても,たとえ5月だとしても

外気温と同じ環境で眠ることを考えると,殺人的な印象を受けてしまう。

パジャマの上にトレーナーを着こみ,しまいかけた毛布を引っ張り出し,

エアコンのスイッチを…,いや,暖房はムダか。世界全部を暖めることはできない。

 

 気持ち分,壁際から離れて敷いた布団で,私の睡眠がはじまる。

「…」

 やはり恐ろしいほどの音が耳につく。ビニールシートがけたたましく揺れる。

雨が強烈に屋根を打つ音も,いつもより大音量でさらに耳まで打つ。

 

 …

 

 夜遅く東京駅を発した鈍行列車は,横浜駅で日付を越える。春休み,私と同じ学生達が

駅のホームに並び,限られた座席を巡って激しい争い。合い席ながら確保できた私は,

立っている一般客に申し訳なさそうな顔をしながらも,一夜の平穏を得たりと安心する。

 胸ポケットには,横浜までの切符,そして“青春18切符”が入っていた。

同じ日付なら乗り放題の特性をフルに利用した鈍行旅行。目指すは広島の実家だ。

足元に置いた荷物と共に,明朝の大垣まで一本で運ばれる。

 普通列車の硬いシート。その背もたれの直立は,まるで私の睡魔を拒むように存在していた。

それでも,夕方までの長丁場。眠っておきたいのが本心であった。同じ車両には,

同年代ばかりが目につく。やはり,同じ趣旨の旅行者か?

時折見かけるサラリーマン風の中年は,顔を赤らめて通路に立っている。

 はじまったばかりの長い異色の旅。はじめてのその経験にわくわくする心と,漠然とした不安。

たどり着けるか…

 絶えず揺さぶられる感触,そして春休みながらそれでも残る寒さ。

「…」

 目が覚めては,細目で腕時計を見る。着実な回転,しかし長い夜。明るい室内。

通路に座り込む人達。

「…」

 どこの駅だろう,ずいぶん長く止まっているようだ。明朝,定時につくための時間調整か?

 明け方にはまだ遠い。再び寒さの感触が身を捕らえるが,もう一眠り…,できるだろうか。

 車内を照らし続ける蛍光灯の灯り。遠くから聞こえるかすかな話し声…

 

 …

 

「…!」

 寒さの感触が全身を走る。慌てて乱れた掛け布団を手繰り寄せ,再びの安息を求める。

枕もとの時計,まだ深夜の範疇。…やはり途中で目が覚めてしまったか…

 

 …

 

 引っ越しの日時を指定しておいたはずなのに,荷物が届かないなんて酷すぎる。

簡単な手荷物と,はじめて手にした鍵を持って室内に入ると,きれいな,

または何も無いスペースが広がっていた。畳六枚がこんなに広いと感じたのはあとにもさきにも

この時だけだ。

 食事はなんとかなる。着替えも,まあ手荷物の範囲内でまかなえるだろう。

が,どうやって眠るんだ?

 真新しい絨毯。着こんできたコート。つまり,これだけが眠るための道具だった。

前途洋洋のはずの大学生活,そのスタートがこれだなんて…

 絨毯の床って,思いのほか硬い。そして,実はパジャマとは眠るのに適した衣服なのだ。

替えとはいえ,昼間用の服,そして,枕はもちろん,クッションも一枚の布さえない。

こんなことなら,わずかの希望を持って荷物を待つより,買い物に行くほうを選ぶべきであったか。

いや,いっそホテルにでも行ったほうが良かったか…

「…」

 はじめてみる天井は,本当は自分のものであるはずの天井なのだが,

その殺風景さばかりが感じ取られた。

 寒い,そして,痛い。一尾だけの雑魚寝,絨毯の向こうからは床の冷たささえ伝わってきて,

ますますむなしさを増す。

 いっそのこと,あそこに掛かっているカーテンを巻いて寝ようか,いや…

 その何も無い空間に,恐ろしくゆっくりとした時間,そして身にしみる寒さが流れていた…

 

 …

 

 目覚めてしまった後の夜は,まどろみから眠りまでが恐ろしく長い。

眠いくせに頭が冴えてしまうのはどうしてだろうか。時計の針は4時,

まだ起床まで2時間もある。いつまでこうしていればいいんだろう。しっかりと目を閉じる。

「…」

 外はまだ雨。けたたましい音はおさまりつつあったが,風の音はむしろ増したか。

そして,しんしんとやってくる寒さ。外の明かりはもう見えないが,外の気配は見えていた。

 

 …

 

 いくら中学生の修学旅行だといっても,ひと部屋に十人も寝るのは酷ではないか?

やたらと早い消灯時間,が,先生の目を盗んでは友人達との内緒話に徹した。

枕投げもさっきやった。

「…」

 なぜかにぎやかにしていたやつから順に,ばたばたと寝入っていった。今は,すでに9人の寝息が

聞こえ始めた。それなのに,自分だけ眠りの世界に行けないのはどうして?

 ゆっくりと立ちあがって,窓の外を眺める。まだまだ暗い空は朝がまだ遠いことを告げていたが,

それでもこれから布団に戻っても眠れる自信はなかった。日常から脱却して興奮しているのが理由か,

枕が変わったのが理由か,それとも,もともと集団の中で眠ることに向いてないのか?

 寝相の悪い男,寝息の大きな男。自分だけ立ち姿で眺めるのも一興だったが,

最後は眠れないのが一番たちが悪い。

 仕方ない。今日の観光バスでは眠り続けるか…

 

 …

 

 結局まどろみから5時半に覚める。朝の寒さがそれ以上の惰眠を許さなかった。

ゆっくりと起きあがった私に,前途多難な一日が…

 

 

 仕事を終えて帰ると,工事の方は順調に進んだ様子だった。もちろん完成したわけではないが,

外壁は断熱材までを入れて,外気を防ぐ盾になっていた。

工事の結果埃っぽくなってしまった私の部屋。もう一度確認して見ても,

外の世界とは完全に隔たっていた。

 昨日より減らした掛け布団が,ようやく春のイメージを運んでくる。

 いつもよりちょっと早めに布団にもぐりこむ。横を見る,室内の空気,かすかな音。

 

「やっぱり,壁のある家っていいなぁ」

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

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