新幹線の指定席券って,とても危ういものだ,と,思う。一枚数千円の価格は決して
安くないものだと感じる。それなのに,すべてが灰燼に帰してしまう危機を常に内包している。
…つまりだ,たとえその新幹線に何時間乗っている予定だったとしても,
もしもその“乗りこみ”の時間にずれてしまえば,その後続くはずであった数時間と共に,
すべてが消滅する,のだ。
仮に,新幹線の扉が開いている時間を一分間であると仮定するとして,それよりも遅く
ホームに駆け込んできたとしたら,もちろんその人物の乗り込みは失敗。指定席券であれば,
その時点でそのチケットの持つ意味はすべて失われてしまう。まあ,これは当然のことだとしても,
逆に早くホームに駆け込んだとしても,あらかじめ列車に乗りこんで時間を待つという余裕の行動は,
一部の駅を除いて不可能だ。つまり,いくら準備万端でも,最後に列車に乗りこみ,
自らの位置を確定するその時まで,その後の数時間の趨勢も,チケットの運命も,
決まらないということになりはしないか? これが演劇や映画なら違う。
多少遅れても何とかなるし,多少進むのは誰も気にしない行為であろう。
…ううむ,なんと,はかない…
,なんてことを考えていたら,ついつい早くホームに着き,しかも入り口に向かう矢印に
けなげにも並んでしまった。あと10分。
時速300キロの平穏
一光 輝瑛
ホームから福岡の方向?を見ると,その青い車体が近づいてきていた。
うるさいくらいの場内放送が,繰り返し“のぞみ6号”の到着を告げる。
「!」
来もしない風圧を感じてややのけぞる。爪を立てるような金属音。そして,紫,青,銀色の車体。
航空機を模したそのままに,滑らかで,そして生々しいフォルム。
「ああ,そう言えば…」
“新車両登場”がニュースになったのはいつのことだっただろうか。
たしか,驚異的なスピードをうたって登場したのが,この見なれない車体だったか。
まあ,いまさら珍しいものでもないのだが,それでもこれまでも何度か乗った一般型の車両に
乗るよりは,ちょっと得した気分になるから不思議だ。
2号車11列D,2号車11列D,…一人きりの旅行なのに,なぜか反芻してしまう座席の番号。
窓際の席でないのがちょっと残念だが,まあ,朝買ったばかりの切符ではそれも仕方ないだろう。
そして,ややもったいぶったような一呼吸が過ぎ,ゆっくりとドアが開く。一番に飛びこむ私。
上京するのも,友人達と再会するのも,本当に久しぶりだと感じる。というか,本当に久々だ。
別に恋人を残してきたわけではないからそんなこと感じる義理はないのだが,
それでも昔暮らした場所を再び訪れるというのは,どこか胸を打つものがある。
のはなぜだろうか,とも思うが。
日頃読みもしない週刊誌を,売店で悩んだ末に買ったとしても,それでつぶせる時間なんて
たかがしれているだろう。自動ドアの上にある電光表示は繰り返しニュースを流しているが,
それを目で追うのにもすぐに疲れてくる。リクライニングを深めに倒し,天井の穏やかな照明に
目をやる。そして,流れる景色。窓際のE席はまだ空席。
何度か乗った同じ軌道の上を走っているわけだから,少しくらい見なれた風景があっても
よいのだろうが,なぜかいつ見ても新鮮な風景に思えてしまうのはなぜだろう。
私は何もしていなかった。普段,もしも一時間の余裕があれば,あれをして,これをして…などと
考えている自分だが,なぜか東京までの新幹線の時間は,限りなき怠惰の中に身を置いてしまう。
かつては5時間半だったものが,いまや4時間を切っている,そんな時間。
スピードアップがもたらす恩恵は,学生の時分にはどうでもよいものであったが,
今になって思えばたまらなくすばらしい。が,座席に座るその時間の間には,
そんな発想もすべて吹き飛ぶ。このままずっとでもいいのに…
岡山駅で乗り込んだスーツ姿の男性は,無慈悲にE席に座り,けだるそうに経済新聞を開いた。
リクライニングを一度戻すと,殺人的なくらいの直角が背中をなでるが,
高い視点は私に違う光景をもたらす。
真横の風景が事実上消え,再び加速してゆく車体。改めて中に目をやると,紫色のシートの列。
一環されたデザインがもたらすものは,高級感か,それとも画一か…
網籠からミネラルウォーターを取り出し,キャップをひねる。冷たくもない,が,心地よい湿り。
このごろでは様々なソフトドリンクが乱舞していて,それぞれに特筆される着想だけを競っているが,
今のところたどり着いたのが“ただの水”というのは,どういうわけだろう。
…すぐにキャップを締め,再び定位置に戻す。たいした渇きもなく,そのまま温存されそうなボトル。
先日発売されたばかりの文庫本は,いつものシリーズということもあって,私の好奇心を
刺激し続けていた。刺激もなく読み終わった週刊誌と,いつもの通勤のように20分で
読み終えてしまった新聞をしまいこみ,かわりにその文庫本を取り出す。
加速と減速を繰り返す躍動感は,その正反対の心境にいる私にも平等に訪れていた。
斜めに見える景色も,すぐに直線になって後方に消えた。隣人は,二つめの新聞にとりかかった。
リクライニングをさらにもう一段深め,後頭部もシートに沈めた。まだひらかれない文庫本は,
右手に握られたまま。…夜寝る前に文庫を読もうとして眠ってしまったとき。
そしてしおりが欠落して,寝ぼけとあいまってどこまで読んだかわからなくなってしまったとき,
朝の私を後悔の念が襲う。
『こんなことなら素直に眠っておけばよかった…』
…いつもはそうなのだが,この空間に入ってから,どうも私のイメージは
日常からの脱却を果たしてしまっていた。
『現在時速300km』の表示が電光表示に出る。うぅむ,そんなこと伝えられても
よくわからないのだが,それでも何かすごいことが起こっているかのようなイメージを
植え付けられる。300キロ,200キロとどう違うのだろうか。…だが,
“新型車両”の売りの一つであることは確かだから,それをアピールすることは認めよう。
…300キロだと思うと,本当にそう感じられてくる。確かに以前乗った新幹線とは違う,え?
人の横顔をのぞき込むわけにもゆかず,E席のビジネスマンを避けるとすれば景色は限定的になる。
高速,横の世界。模様か。
…
眠るとけだるさが増すのはなぜだろう。眠り?いや…
時計を見ても時間はわずかしかたっていない。数分,数十分,それとも…
右手にはまだ文庫本が握られている。首筋にはうっすらと汗の感触。天井からのほのかな光,
遠くの話し声,近くの息遣い。E席のビジネスマンは新聞の残骸を網かごに入れ,
ひたすら風景と直面していた。私のところからは風景はよく見えない。そういえば同じE席で
風景を見つづけたことがあった。雪に染まる山,つきぬける木々とコンクリート。
繰り返されるトンネル,そして白い雲。
もう一度浅い眠りをくぐると,名古屋に近づいている。らしい,見てもわからないが。
大阪を越えると雰囲気が変わるのはなぜだろうか。ふと,半分寝ぼけた表情で見廻す。
何も変わっていないはずだが。いや…
『乗り降りの際にはリクライニングを戻して…』…そんなこと言われたのはいつのことだっただろうか。
減速に減速を重ね,横目に増えたレールが駅の到来を告げる。大きなホテル,見慣れない私鉄の車両,
けばけばしい看板。ああ,見なれた風景だが,あのときのままだろうか…とにかく,乗りこんだときの
ままに椅子が戻る。再び窮屈な感触。が,周囲に立つ影はないか。車内放送は繰り返し駅名を告げ,
すれたような英語のアナウンスは私の教養欲を刺激した。荷物と共に乗りこむ人達。
狭い通路は一瞬華やかになるが,その影もすぐに消えることはいつでもわかる。
「…」
どうしてこんなに静かなのだろう。波間を行く船の感触,穏やかに風を切る騒音。
窓の外に興味を失った私は,まるで自分が車内最後の人間であるかのような感触を受ける,
名古屋→新横浜の長い旅路。二種類の人。かたや露骨に疲れをにじませ,今にも崩れそうな
スーツの人達。そして,行楽にでも行くのだろうか,軽装の人達。わくわくしているのは
乗りこんだうちだけ。調子に乗って車内販売を呼びとめたりしていたが,それもすぐに力尽きて
静寂へと化けた。どこからともなくほのかなコーヒーの香り。相変わらず続く風景の直線,電光の文字。
すべての音が消えたような時。確かに動きゆく車両の轟音は引き続き響いていたが,なぜだろう,
それも心地よい風の音に感じられてならなかった。再びつかの間の眠り。心地よい座席の感覚と
止まった空気。隣はより深い眠りに入ったか,やや大きめの寝息の音と,無残にも落下した週刊誌。
活気ある,少なくともそのはずの大都市の狭間,何もない時間と何かあるはずの窓,
その二つが流れていた。
ようやく文庫本を開いたが,実はどうでもよかったのかもしれない。
目は一行飛ばしでドラマを追ったが,すでにして再読の債務を負いながらの読書であることを
知っていた。どうせどうでもよい本,その先には何もないが,それでもまだ自宅のベットで
読むことの方が礼儀であるような錯覚。ありふれたしおりを挟んで中断,が,
引き続き右手に握られたまま,ブックカバーが汗ばんでこないか気になる。
新横浜を過ぎると,いつか感じたような傾斜感が車内を襲った。陸橋を走る車両,もしかしたら
日本の最先端の地を走っているのかもしれなかったが,それにしては沿線の普通の家が気になる。
都会的な団地と,川,道,そして雲,空。斜めに見える風景からもはっきりと認識できるのは,
速度が落ちたせいか,それとも目が覚めたのか…
特別な車内放送が流れ,ターミナルへの到着が告げられる。ああ,もう4時間が経ったか…
荷物を降ろすと,突然現実の世界に引き戻される。夢でも霞でもない。自分の脚で歩くべき現実が,
ついにそこに来ている。高い,それでも生活感を感じさせる建物が続き,平行して走る線路に
在来線が見える。はじめてくる土地でなくてよかった。少なくとも知っている…
終点だから全員が降りる。減速を重ねると,今までが嘘のように,車内に活気が戻る。
行楽客,おそらくそうだろうが,いきなり元気を取り戻して子供の声が響く。
安定した車窓の風景,それでも空に浮かぶような感触。
東京駅,すごい駅のはずだが,それでも車両から見たものにはそのすごさを感じさせないのが
またすごい。停車が近づいても,どうせ降りるしかないという安心感に支配されていたが,
それではすでに抱えたスポーツバックが矛盾している。余裕を見せることが美徳だとすれば,
別に急いで出ることはない。が,前後の客の私以上にのんびりした行動にたまりかね,
ついつい通路に踏み出してしまう。いくつか放置された新聞が,この数時間の残骸だとすれば,
自分は何か残したか…いや,ホテルを後にする気分で振り向くが,忘れ物はない。
同じように並んでしまった人,大きな荷物達,並ぶ知らない顔。そして,やがて開くドア。
記憶の中にある光景,とめどもなく流れる人波,
そして青い空…
以上 PN 一光輝瑛
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