朝から困惑
一光 輝瑛
「おはようございます。モーニングコールです。いかがお目覚めですか。
今日も暑くなりそうですが,おからだの調子はいかがですか。
お仕事たいへんだと思いますが,今日も元気にがんばってくださいね!」
女子大二年生の船木さんは,この春からはじめたアルバイトで,今日も早朝から出社していた。
噂にはきいていたが,本当にあった,生き残っていた“モーニングコール・サービス”の会社,
その“コール・メッセンジャー”つまり電話のオペレーターとしての仕事が,
現在の彼女の有力な収入源であった。
「もしもし,あ,おはようございます。モーニングコールです…」
壁に張られたポスター『元気に,優しく』は,マネージャーの口癖でもあった。
早朝5時からの勤務は実際船木さんの元気をそいでいたのであるから,それでも“営業用の声”で
電話を続けられる自分が不思議でならない彼女であったが,塾講師を上回る時給は
何はともあれ魅力であり,そして必需でもあった。
「おはようございます。今日も暑くなりそうですね…」
オペレーターたちの手許には,日替わりの模範メッセージが配られていた。
『暑くなりそう…』などといっても,正直言って,船木さんは今日の天気に興味はなかった。
「あ,島田さん,終わりですか」
「ええ,終わったわよ。やっとね」
島田さんは,同じ女子大の一つ先輩で,そもそもこのバイトを船木さんに紹介してくれたのも
彼女であった。『うまいことやればおいしいバイトだから』との説明であったが,
なるほど島田さんはうまいことやっている。電話が早く,当然,ノルマのリストをかけ終わるのも,
全員の中で一ニを競う早さであった。そのくせ,声の“営業指数”も群を抜いていて,
まさしく『オペレーターとして生まれてきた』,そんな存在であった。
慣れた手つきでリスト上の番号をプッシュすると,すぐにダイヤル回線のありふれた電子音が
きこえてくる。
「もしもし」
「おはようございます,モーニングコ…」
「ああ,待ってましたよ。今日もありがとうございます。あなたの声を聞くとほっとするんです。
元気が出そうです,それに…」
「!……」
船木さんは,一瞬目をパリクリさせた後,それでも二言三言加えてから電話を切る。
「やっぱりねぇ,うちの客って,単身赴任のおやじで,会社でも話し相手がいない
寒いおっさんが多いでしょ。だからそうなるのよ」
帰りに一緒になった船木さんと島田さんは,喫茶店でモーニングを食べながら,
それでも話に花を咲かせる。
「そう…なんですか…」
「そうよ,そう。つまりね,奥様がいて,子供達がいて,明らかに幸せな家族がいる家族の大黒柱が,
奥様を差し置いてモーニングコールなんて使うと思う!?,やっぱり寒いおやじなのよ。
マネージャーも言ってたわ,単身赴任の客ばっかりだって」
「それで…」
「そうそう。もともと,こんな仕事ができたのだって,ターゲットは単身赴任のサラリーマン。
奥様は学校の関係で子供にかかりっきり,そして,旦那は一人寂しく暮らしている。
まあ,そんなおやじ達を起こすのが私達の仕事。なんだか寂しいけど,それでも時給いいもんね」
「…そうですよね…でも」
「んん,どうしたの」
「…“待ってましたよ”なんて言われても,それじゃあまるで…」
「…そうね,おやじ達にとっては,私達のコールは貴重な優しい言葉ですものね,
あ〜あ,あんなおやじ達みたいには,絶対なりたくないわ」
「…」
「…」
今朝も手許に渡されたリストを見て,ちょっとだけ船木さんは考えてしまう。
昨日と同じリストだから,やっぱり同じ名前がある。
「…」
また“待っていました”なんて言われてしまったら,いったい,自分の電話には,
どんな意味があるんだろう…
「おはようございます,モーニングコールです…」
リストを3枚めくって,“その名前”にまず電話をする。
「…今日は雨が降るかもしれません。傘を忘れずに持って…」
“元気に,優しく”,そして手許の模範メッセージを読み上げる船木さん。
が,瞳の奥には不安がある。
「ああ,今朝はちょっと早いですね。でも,待っていましたよ。今朝もありがとうございます。
今日もかわいい声ですね…」
「!」
またあの声,まあ,それは当然としても,船木さんの背筋に何かが走る。
父親とも酔っぱらいのおやじとも違うその声,どこか一生懸命な口調…
「…で,では,今日も元気,に,がんばってくださいね…」
珍しくしどろもどろになって,船木さんはようやく電話を切る。マネージャーがちょっと
驚いたような視線でこちらを見るが,船木さんはそれにも気づかない。
「…」
そして,何かをふりきるように次のダイヤルをはじめる。リストの先頭…
「あのぉ,島田さん,ちょっとお願いがあるんですが…」
「え,あらたまって,何かしら」
「…実は,このお客さんなんですが,…」
「ん,どうしたの」
「ちょっと私苦手なものですから,かわりに…」
「え,あ,つまり,このお客のコールをかわりにすればいいのね」
「はい」
「いいわよ,そんなことくらい。じゃあ,ちょっとリストかして」
「…あ,島田さん…」
「え」
「…いいです,やっぱり自分でかけます…」
「…おはようございます,モーニングコールです。今日は…」
「ああ,今日はちょっとだけ遅かったですね。でも,ちゃんと待っていましたよ。
いつも早くからありがとうございます。あなたの声を聞くと…」
「…」
ちらと時計を見る船木さん。確かにいつもより5分ほど遅れていた。
「…」
「あれ,今日はちょっと元気ないですね,どうかされたのですか」
「…!」
「僕はあなたの元気な声が…」
かすかに手が震え始める船木さん。机の上には取り落としたリストが,無造作に広がっていた。
「あのぉ,島田さん…」
「あ,船木さんおはよう。何かしら,またかしこまっちゃって」
「…私,やっぱりこのお客さん苦手です。すみませんが…」
「へぇ,そんなこともあるんだ。…いいわよ。コールすればいいのね。わかったわ。
一軒くらいどうってことないから」
「…」
翌朝,船木さんはついにリストを島田さんに渡した。瞳の奥にはさらに不安そうな色が
浮かんでいるが,島田さんと話して少しは落ちついたようだ。そして,それでも
申し訳なさそうにその電話機の横に立ったままだ。
「…お願いします…」
島田さんは,相変わらずなれた手つきで,“例の番号”をプッシュする。そして…
「おはようございます,モーニングコールです。暑い夏が続きますね。今日は金曜日,
あとちょっとでお休みですよ。元気を出して今日もがんばってくださいね」
「おはようございます,今朝も待っていましたよ。いつも元気な声ですね。
その声を聞くと,今日も元気にがんばれそうです…」
「…」
聞き耳を立てた船木さんの耳に,昨日までとまったく同じ,“あの声”が細く響いてくる。
漏れ聞こえるタクシー無線のような音量,だが,確かにあの声の電話であった。
「また明日もお願いしますね。あなたの声を聞くのが…」
「それでは今日も素敵な一日を。失礼しまぁす」
何事もなかったかのように電話を切る島田さん。そして,無言でそのリストを船木さんに返すと,
再び自分のリストを持って次のプッシュをはじめる。
「…」
手許には取り戻した自分のリスト。ちょっとだけ重い足取りで席に戻り,
再び無理な笑顔を作る船木さん。
「おはようございます,モーニングコールです…」
以上 PN 一光輝瑛
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