黒い箱,近い未来
一光 輝瑛
所得証明書を発行してもらうのに市役所に行ったら,一階のロビーのところでなにやら
イベントめいたことをやっていた。
まず目をひいたのが,何枚も続けて貼られていた黄色いポスター。正直言ってあまりにも
趣味が悪く,あまり見たくないものであったのだが,それゆえにかやたらと注意をひかれた。
でぶでぶと太った女性が,見苦しくもある水着姿で立っている。いやはや,よくぞここまで
太ったものだと思えるような風貌。そして,その下に赤いゴシックのキャッチコピー,
『ローンとぜい肉はすぐに増える!』
『ローンのご利用は計画的に』
…どうやら,今はやりの“カード破産”かなにかの防止を訴えるポスターらしい。しかし,
それにしてもよくもまあこんなポスターに出るものだなあ,と思って写真の水着女性の顔を
よく見ると,実は“セクシーアイドル”と呼ばれているあの女性タレントの顔。
…どうやら,よくできた合成写真のようだ。
そういえば,よく行く居酒屋に,この女性の水着のポスターが貼ってある。もちろん,
ノーマルな水着姿なのだが,夏冬かまわず水着を着て,ビールのジョッキを持っているあれである。
…今目にしているこの“ローンとぜい肉は…”と比べると,ずいぶん違うが,その笑顔はいっしょ。
なんだか,妙にギャップがある。
このポスターがずらりと貼られてあって,その先には
『防ごう自己破産』
『消費者金融何でも相談所』
という立て看板が置いてある。
どうやら,市民グループが行なっている相談兼啓蒙活動の,PR運動をやっているらしい。
平日であるせいか,人の入りはまばらで,受付で対応している人数もかなり少ない。
一番奥に“相談所”と書かれた席があって,なにやら歳のいった賢そうな人が座っていたが,
現在相談をしている“お客”はいなかった。壁の方には,“消費者金融の実情”
“増え続けるカード破産”等々の,文字のたくさん書かれたパネルが貼ってあり,
そちらの前には数人の人が立っていたが,関心があって見ているというよりは,
むしろ時間つぶしに眺めている,といった感じであった。
いずれにせよ,その題材のなせるわざか,ずいぶんと寂しいイベントであるには違いなかった。
まあ,市役所のロビーでやっていることなのだから,客の入りを気にすることも無いのだろうが。
…よくやっている“小学生絵画コンクール入選作品”などという展示のほうが,本当はずっと
良いのだろうが…
わざわざ壁のパネルを読もうとは思わなかったが,一つ目をひくコーナーが作られていたので,
近づいてみることにした。
『あなたは大丈夫か!? 自己破産度チェック』
という立て看板があって,テーブルを挟んで受付の女性が座っている。ここも同じく客がいないのだが,
手前にいくつかテーブルが置いてあるのを見ると,どうやらなにか書類を書きこむスペースが確保して
あるらしく,真新しい鉛筆も配置してある。座っている女性は妙に若気だが,ちょっと化粧が濃いのが
気になる。奥に,パソコンらしいモニターがあって,かすかな起動音を発している。
「どうぞ,あちらにありますアンケート用紙にご記入ください。あなたの“自己破産危険度”を
判定いたします」
やや機械的な感じがしたが,笑顔で女性に案内され,決して悪い気はしないのが悲しいところか。
配置してあるテーブルは,明らかににわか作りの印象が強く,おそらく会議室かなにかからそのまま
持ってきたものであろう。確かにアンケート用紙のようなものが置いてあり,アンケートの内容は
テーブルの上に貼りつけてある。…それにしても手作りの印象,もう少し本格的にできないものか。
テープの貼り方などまさに素人仕事。突貫工事か!?
『あなたは魔法を使ってみたいと思ったことはありますか』
『休みの日でもいつもと同じ時刻に起床しますか』
『自分は友達が多いほうだと思いますか』
『旅行に行ったらその土地でしか食べられないものを食べたいと思いますか』
『傘が無く,雨の中を走って帰ることがよくありますか』
…いろいろな質問が,想像以上に数多く書かれていて,それに一つ一つ、『よくあてはまる』
『あてはまる』『どちらともいえない』『あてはまらない』『まったくあてはまらない』の五段階で
回答してゆく。全部で50項目も質問があったせいか,考えるだけで疲れてしまいそうであった。
しかも,回答用紙がマークシート方式になっていて,鉛筆で塗りつぶしていく方式なのだ。
下のほうには『正しい塗りつぶし方』まで記載してあり,まさに高校時代のマークシート試験を
連想してしまった。どうも,あの当時からマークシートなるものには嫌悪感があるのだ。
…しかし,ある意味わくわくしていたのも事実だった。なにやら,アンケートに答えれば
“深層心理がわかる”とかいうあのパターン。これはいいや。
窓口のあの女性に解答用紙を手渡す。
「ありがとうございます。ただいまより分析にはいりますので,しばらくそのままお待ちください」
無料のサービスでありがとうと言われてもリアクションに困るのだが,まあ,これも
機械的なセリフなのだろう。
彼女はやたらと簡単にそのアンケート用紙を持ち,左手のパソコンの方に向く。そして,
横にセットしてある読み取り機のようなものにそのまま差し込む。
ガチャガチャッ,と音がして,ゆっくりとその用紙が機械に入ってゆく。思わずその光景を
見てしまっていた私であったが,
「結果が出ますまで,しばらくお待ちください」という女性の一言で現実に戻る。
3分ほどして,プリンターが動き始める。轟音を発しながら,左右に振動,そして少しづつ用紙が
出てくる。いやはや,いまどき珍しい前時代的な機械だ。担当の女性は,何事も無かったように
座っているだけ。このコーナーには他に客も無く,相変わらずのどかな風景だ。
「はい。こちらが結果でございます」
いかにも“古いパソコンで打ち出した紙です”といったような用紙。両脇にやたらと
穴があいている,途中にミシン目が入った用紙だ。
『判定結果 E』
大きな文字ではっきりと書いてあるのだが,はたして“E”とはどんな評価だ?
『あなたは,完全に自己破産予備軍です。ローン,消費者金融にはまり,借り入れを膨らせて
しまったあげくに,返済困難な状況に陥りやすい性格ですので,充分に気をつけてください。
ローンの利用だけでなく,日々の買い物等にも充分な計画性が必要です。あなたの将来のために,
良く考える習慣を身につけてください』
機械的な文字が私の目に飛び込んでくる。装飾のかけらも無いその文字は,内容にまで容赦が無い。
しかし,どうして…
「どうしてこんな結果が出るんですか」
思わず,受付の女性に詰め寄る。引き続き客はおらず,退屈そうな表情を浮かべていたその女性が,
戸惑ったような表情でこちらを見る。
「私は今まで,ローンなんか使ったことも無いし,クレジットだってめったに使わないんです。
それなのに,いきなり自己破産なんてひどいじゃないですか。何でこんなこと書かれなくちゃ
ならないんですか」
「…」
「冗談じゃないですよ。どうしてこんな結果が出たのか,きちんと説明してください」
確かにあまりにひどいのだ。その出てきた用紙には,判定結果のほか,一般的な
ローンの注意点が打ち出されているだけで,どうして自分が“自己破産予備軍”なのかは
まったく説明されていなかった。
「機械で出てきた結果ですから」
「どうして,どうしてこんな結果が機械から出てくるのか,その説明が欲しいんです」
大人気無いとは思ったが,あまりの残酷な結果に少々頭に血が上っている。
「お客様が書かれたアンケートのデータを,こちらの機械に読み込ませたところ,
その結果が出てきたのですが…」
「それじゃあ説明になってない。だいたい,失礼でしょう。いきなり人が自己破産するだなんて」
「…」
「私は,きちんとした公務員なんです。…自衛隊ですけど。年収だってしっかりしているんです」
先ほどもらったばかりの所得証明が頭に浮かぶ。年収450万円。普通のサラリーマンをしている
同級生の友人達よりは,しっかりした給料をもらっているのだ。
「まじめに働いて,貯金だってしているんです」
ちょっと声が大きくなってしまったようで,周りの人が怪訝そうに振り向く。
…もっとも,そんなに人数がいたわけではないのだが。
「…ええっと,こちらの機械でアンケートを読み取りまして,それをコンピューターが分析した結果…」
「だから,いったいどんな分析をしているって言うのですか」
「…さあ…」
「さあ,じゃないでしょう。人に向かって自己破産するなんてひどいことを言っておいて,
その理由がわからないなんて…」
「…機械が打ち出した結果ですから…」
その女性はただただ困惑した状況で,迷惑そうにこちらを見ている。
女性の左手には先ほどの読み取り機が置いてある。赤いパイロットランプが灯ったままで,
まるで次の用紙が挿入されるのを待っているかのようだ。前時代的であるためか,やたらと大きい
印象を受けるその機械からは,数本のケーブルが延びてパソコンにつながっている。
パソコンの画面にはいかにもそれらしい堅苦しい画面が広がっているが,
すでにセーバーが起動して渦を巻いている。
かなり怒った足取りで,私はその場を後にした。結局,受付の女性は受け流すだけで
何も回答を与えてはくれなかった。左手には打ち出された用紙がいまだに握られている。
出口に向かって曲がると,先ほどのコーナーは見えなくなる。ちょっとだけ振り向いて,
そしてもう一度前を向く。ガラスの扉の向こうには駐車場が見えているが,ふと手前のゴミ箱が
目に止まる。
ビリビリッ,パソコン用紙が容赦無く左右に裂かれ,そしてゴミ箱に吸い込まれる。
「ふう,」
軽いため息をつくと,何とか落ち着きが取り戻せる。もう一度振り向くが,やはり
先ほどのコーナーは視界に入らない。
かばんをあけると,先日ディーラーでもらった車のパンフレットと,そして市役所の封筒が
入っている。封筒の中身は先ほどの所得証明書だ。
ストン,厚手のパンフレットを放りこむと,しっかりした音が耳に入ってくる。豪華な
パンフレットで,わくわくしながら何度も見返して,書き込みまでしてしまったものだったが,
それも捨ててしまえばただのゴミだ。
実は,そのパンフレットと,さっきもらった所得証明書を持って,銀行にマイカーローンを
申し込みに行こうと思っていたのだが…
ビリビリッ,封筒から再び取り出した所得証明書,200円相当は,ずいぶんと仰々しいつくりで
しっかりと朱肉の印鑑が押してあったのだが,左右に,そして上下にも引き裂かれた。
燃えるゴミだ。
以上
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E-mail kiei_ichi@geocities.co.jp
この作品はあくまでもフィクションです。
余談;取り扱い金融機関によって異なりますが,一般的にパンフレットと所得証明書だけでは
マイカーローンの申し込みはできないことが多いです。その他に免許証,見積書(または契約書),
届出印等が必要になるかと思われます。
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