デリバリーボーイ

 

                             一光 輝瑛 

 

 山田課長は,手もとの書類を見て顔をしかめる。

部下である細川から先ほど手渡された書類なのだが,何度見ても頭が痛いのだった。

「う〜ん」

 まるでうめくような声を出して,顔を上げる。部屋を見渡すが,皆忙しそうに動き回っていて,

なかなか目が合わない。

「…」

 ただ一人,背筋をぴんと伸ばして働く,浅野君と目が合ったのだが…

「う〜ん」

 山田課長はもう一度書類に目を落す。

 

「浅野君,ちょっといいかな」

「は,はい」

 ちょっと驚いたような表情を見せたが,それでも浅野君はすぐに課長のデスクにやってくる。

「ちょっとやってもらいたいことがあるんだが」

 山田課長は,手近にあった封筒に,先ほどの“頭の痛い書類”を入れる。

「これを,青野商事まで届けてくれないか」

「…はい」

 浅野君の表情がとたんに曇る。

「いや,届けるだけだから,たいした仕事じゃない。ちょっと行ってきてくれ」

「…はい」

 ちょっと不安そうだが,それでも元気な返事ではあった。

 

 

 浅野君は,この4月に入社してきた,つまり新入社員であった。最初の一週間だけ研修を受けて,

すぐに営業所に配属になった。それから三週間ほどになるが,もちろん仕事の内容は

まだ完全な見習状態。指導役の先輩に手取り足取り教えてもらいながら,

なんとか5時半までの勤務時間を必死に過ごしていた。

…まあ,その成果もあって,最近の新入社員にしてはがんばりやだ,との評判を得つつあった。

 そんな浅野君,ここ数日は先輩から渡された書類とのにらめっこが続いていた。

取引内容のデータを端末入力用紙に転記していく作業なのだが,これが不慣れな浅野君にとっては

結構難しい。電卓を片手に,一枚1時間ほどかけて,それでもミスが散見される書類を

作成中であった。

 

 

「ええっと,今やっている仕事は…」

「ああ,あれは別に遅くなっても構わん。とりあえず,この近くだからちょっと持っていってくれ。

場所は…」

 山田課長は,胸ポケットから手帳を取り出して,めくる。

「商店街の入り口にあるパチンコ屋の,となりのビルの三階なんだが…,ああ,これだ。

番地で言えば,中央三丁目12−10。まあ,茶色い背の高いビルだから,すぐにわかるだろう。

もし不安なら,庶務のところに地図があるから,コピーして持ってゆくといい。

そのビルの三階。受付で社名を言えばあちらもわかるはずだ」

「青野商事に行くんだったら,こっちもたのめないかな」

 するすると,手に封筒を持った男がやってくる。この課では課長の次に年上の,尾崎であった。

「同じビルの5階に,エンペラー商事というのがあるんだが,そこに

これを持って行ってくれるといい。なぁに,渡せば向こうもすぐにわかるから」

「…は,はい」

 大きな声のよい返事。だが,ちょっと不安そうなのは否めない。

「まあ,渡すだけだから,頼むよ」

 もう一度,山田課長。

 

 

 丁寧に,地図のコピーを持ってでかけた浅野君を見送ったあとで,細川が課長に話しかける。

「だいじょうぶですかね。青野商事にエンペラー商事といえば,うちの“厄介双璧”ですよね。

新入社員で本当に大丈夫ですかね」

「…エンペラー商事までは計算外だったがね。そうだろう,尾崎」

「はは,確かに厄介な先ではありますが,書類を持ってゆくだけですから大丈夫でしょう。

よい経験になるかもしれませんし」

 ふたたびするすると歩いてきて発言する尾崎であった。が,細川はどうも納得がいかない様子。

「しかし,いきなり厄介な先にしなくても」

「…むしろ,新入社員だから助かることもあるだろう。その辺を期待するよ」

 細川は,尾崎の目をじっと見る。尾崎は気まずそうに目をそらす。

「まあ,大丈夫だろう」

 再び,山田課長の一言。

「うまいことやるだろう。なんといっても社会人なのだから」

 

 

「あ…」

 軽い足取りで社外に出た浅野君。そんな彼を,春の,それにしては強い陽射しが迎える。

アスファルトではねかえったその光は,むしろ暑いくらいだ。

「太陽だ…」

 つぶやく浅野君。入社して数週間,ずっとデスクワークだったことをいまさらのように実感する。

 

 

 浅野君はあっという間に茶色いビルを見つけて入ってゆく。エレベーターで三階。

うむ,確かに『青野商事』の看板がある。

「すみません,星雲工業のものですが…」

「…」

「星雲工業ですが…」

 受付に座っていた,受付嬢,というにはずいぶん歳をとった人物が,浅野君の方に目をやる。

「…はい,お世話になります。どうぞ,中に…」

 

 事務所の中には,どうやら社長らしい,立派そうな人物が座っていた。

「星雲工業のものですが,…書類を…」

「ああ,れいのやつか」

 かなりフランクな感じで受け答えする社長。浅野君はちょっとだけ安心したような表情になって,ようやく一息つく。

 一方,社長は書類をぱらぱらとめくると,

「なんだ,これは。話が違うじゃないか」

「…」

「聞いていたものと,性能が違う。これじゃあ,商売にならんぞ。どういうことだね」

「…え…」

「え,じゃ無いだろう。こないだおたくの課長と話をしたときには,こんな話じゃなかったはずだ。

コストは下げる,性能は上げる。…それがこの書類では,」

 ばさばさと音をさせて,社長は書類を振る。

「性能の向上はこれだけか。こんなことで,納品できると思っていつのか,君のところは。

だいたい,」

「まあ,社長さん」

 先ほどの,“受付嬢”がなだめに入る。

「こんな若い人に言ってもしょうがないのじゃないですか。直接向こうの課長さんにきいてみないと」

「…,ああ,それもそうだな」

 課長は,彼女の方をちょっと向き,再び浅野君の方を見る。

「とにかく,今日のこの書類は受け取るが,これではだめだ。帰って,課長によく言っておきなさい」

 

 

 逃げるように,挨拶もそこそこに,浅野君はその青野商事を後にした。

それでもドアだけはゆっくりと閉めて,

「ふぅ」

 一息つき,そしてハンカチで額の汗を拭く。その手許には,もう一つ,封筒が残っている。

同じビルの,五階…

「まいったなぁ…」

 誰に言うでもなく,つぶやく浅野君。

 

 

「失礼します,星雲工業のものですが…」

「…はい」

 さきほどよりは少し若そうな受付。カウンターの,エンペラー商事,の文字。

「わたくし,星雲工業の浅野と申します…」

 丁寧に名刺を差し出す浅野君。

「書類をお持ちしたのですが…」

 

 中に通されると,再び貫禄のある社長らしき人物が出てくる。

「わたくし,星雲工業に今年入りました,浅野と申します。本日は,

上司より預かった書類をお届けにあがりました…」

「ああ,例のやつかね」

 うやうやしく封筒を差し出す浅野君。表情は穏やかだが,

よく見るとこわばっているようにも見える。

「これが例のやつか…」

 ぱらぱらと書類をめくる社長。

「…実は私は書類をお持ちしただけでして,詳しい話は…」

「星雲工業さん,これじゃぁこまるよ」

「え」

「以前の話と,ちょっと形式が変わってきているようだね。ここのところなんだが…」

 社長は,指差しながら,先ほどの書類を浅野君に見せる。

「まあ,ちょっとしたところなんだが,勝手に変えてもらっては困るんだが」

「…ですから,わたくしは書類をお持ちしただけですので,詳しい内容の方は…」

「いや,ちょっとしたところだから,わかるかもしれないと思ってね。実は…」

「…申し訳ございませんが,わたくしではちょっと…」

「ええっと,では…」

「申し訳ございませんが,詳しい話は後ほど尾崎の方からでも。

…わたくしは新入社員なものですから…」

「…そうか,君は新入社員か…」

 

 

 再び逃げるようにエンペラー商事を後にした浅野君。

「ふぅ」

 再び息をつき,汗を拭く。

…重労働のあとの,労働者の光景。

 

 

 不慣れだと思っていたオフィスの光景が,妙に親近感を持って目に入ってくる。

怖そうで近づきがたかった先輩達が,突然家族のように見えてくる。星雲工業の営業所…

 

「どうだったかね,浅野君」

「…はい」

 帰社した浅野君に,山田課長が話しかける。その横には,尾崎の姿も見える。

「どうだ。無事に役目は果たせたか」

 

「はい,私は無事でした」

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

 

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