努力の行方
一光 輝瑛
「ねぇ,あれ見てよ」
「え」
私は妻に引かれ,スーパーに買い物に来ていた。運転手兼荷物持ち,そんな役目であったのだが,
それでも自分の欲しいものは買って,なんとか面目を保った,そんな後の話だ。
「ねぇ,あの人何をしているのかしら」
“夏の大謝恩プレゼント”と銘打った,スーパーの福引会場に私達は来ていた。
「さあ,何をしているのだか」
五千円買うと一度くじがひけるとあって,妻の緻密な計算は冴えわたった。
何の気なし荷買い物をしては“福引補助券”をあまらせ,そのまま捨ててしまっていた
独身時代の私とは,根本的に生活感が異なっているように思えた。
「やっぱり変よ,あの人」
「ああ」
妻と私はその奇妙な行動に目をみはり,そして戸惑っていた。列に並んだ私達から見て,数人前,
今まさに福引をひく順番が回ってきたその男は,ガラガラ回す抽選器を前にして,何やらおかしげな
動作を見せていた。いや,もはや動作,ではなく,ダンス,踊り,その類にまで達していた。
「ああ〜あ,うあ〜あ,えいや〜ああ,あ」
「!」
ついに奇声を発しはじめたその男を見て,まさに妻は言葉を失っていた。
「…」
そんな私にも言葉はない。
「お客様,どうされたのですか」
「…!,ん,これかな。これはな」
見かねて話しかけた従業員を,その男はまるでかわいそうなものを見るかのような目つきで見る。
「これはな,福引が我に当たるためのおどりじゃ」
「え」
「うぅむ,わからんかのぉ。わしは,このおどりを編み出すのに,数十年の歳月をかけたというに」
「…」
「ともかく,わしはな,このような福引で幸運をつかむため,何年も修行を積んできたのじゃ。
その中から生まれたのがこの舞いじゃ。来る日も来る日も,わしは血をにじませ,
目を血走らせながら繰り返したのじゃ。この境地では誰にも負けぬ。
慌てるでない,妨げるでない…えいやぁ」
話しながらも,その男,中年を過ぎ,かなり“年寄り”に近づきつつあったその男は,
手足,腰,首,それこそ全身のすべての部位を軽快に動かし続けていた。
「えいや,やや,あ〜ああ,あぁ」
その男の声は十分に大きく,私達,そして同じように抽選会場に群がっていた人達にも
十分に聞こえた。たちまち,あちらこちらからひそひそ声がきこえはじめる。
「なんなのかしら,いったい」
理由がわかったせいか,ようやく言葉を取り戻した妻が,話しかけてくる。
「さあ,いったい…」
「やっぱり,ちょっとおかしいのかしら。格好も変だし」
「…」
確かにその男の服装は変であった。上は簡単な和服調。下はゆったりとしたズボン。
白く分厚い素材からは柔道着が連想できたが,それとも違っている様だった。
「うぅうああ,えいや,ややや,あ」
男の奇声はますますエスカレートし,そして,
「あややややぁ,どりひやぁ,ああ」
一瞬にして男の手が回転式抽選器のハンドルに触れたかと思うと,次の一瞬,
鮮やかな回転での一回転が見られた。
「どりゃあ,ああや,やああぁ」
男はまるで力尽きたようにその場に倒れ込む。それを従業員は横目で見つつ,
それでも機械的に出てきた玉を拾う。
「!」
「え!」
私だけでなく,妻も,そして周囲の人達も一瞬息をのむ。
「あ」
出てきたのは紫の玉。あ,あれは…
カラ〜ン,カラ〜ン,カラ〜ン
ハンドベルがけたたましく響く。そして,「大当たり,1等賞で〜す」
商売用の高い声を出しながらも,それでも困惑の表情が隠しきれない従業員の姿があった。
「それにしてもこの前のあの人,凄かったわね」
「ああ」
朝食と共に新聞を開き,ほのかなコーヒーの香りで少しづつからだを慣らしていたそんな時,
実は私の目には違うものが映っていた。
『10周年感謝,福引セール』
「…」
この前とは違うスーパーのおり込み。けばけばしい文字は紙からはみ出すかの様に踊っていた。
すぐに,先日のあの男の姿が目に浮かぶ。
「あら,また福引があるの?」
「そうだな」
「じゃあ,また来るかしらね,あの変なおじさん」
「さあ…どうかな。…いや,絶対に来るだろうな」
「ねぇ,私達も行ってみましょうよ。この前は1等が当たったけど,今度もそうなるのか,
これは見物だわ」
「そうだな…」
うなずく雰囲気で相槌を打ちながらも,私は別のことを思いついた。…どうやら妻としては,
私を買い物要員として動員するための口実らしい。
「きっとこの時間に来るよ」
「え〜,どうして」
「ああ。この前も確かこんな時間だっただろう,ああゆうタイプの人は,結構ジンクスや縁起に
こだわるものなんだ。だから,この前と同じ時刻。これがもう一度見るとしたら,ねらい目の時刻だな」
「そういえばそうかしらね」
妻は反論しない。どうのこうの言って,この時刻,昼をちょっと過ぎたくらいが妻にとっての
“買い物タイム”なのだったから。
「あ」
「お」
「来た,来たわよ。ねぇ,やっぱりあの格好で」
「ああ。この前と同じだ」
ばさばさと福引補助券を持ち,その男は辺りを見まわしながらやってきた。鋭い目つきは
ハンターのそれを想像させたが,あまりに場に不釣合いで滑稽でもあった。
“一般市民達”の福引は,何事もなかったかの様に淡々と進んでいた。時折ハンドベルの
にぎやかな音が鳴ったが,様子ではまだ1等は出ていないようであった。
「さぁ,くるわよ,くるわよ」
妻と私は,今回は行列に参加せずにギャラリーとしてそこに立っていた。
…まだ妻の買い物はスタートしていないのだから当然か。
「あ,はじまったわよ」
その“おどり”は,音もなくはじまった。まず右足の振り子運動から入って,すぐに腰が動く。
そして,見る間に全身が躍動する激しいダンスに変わってゆく。
「え」
「あ」
しかし,今回妻と私が驚かされたのは,彼の動きではなかった。本来なら,そんなお客の動きを
じっと見て,怪訝そうな表情を浮かべるだけのはずの店員が,いっしょになって踊り始めたのだ。
が,動きはまるで違う。客の動きが躍動なら,店員の動きは流麗。テンポは速いが,
決してムダな動きを取らない。そして,お互いにまったく合わせようとしない二人の“連舞”は,
突然客の側から停止する。
「…!,なんじゃ,いったい」
「…」
それでも踊り続ける店員。が,客の動きが止まったのを見て,やはり踊りを停止する。
「…なんじゃ…」
「これですか。ふ,あなたにばかり1等を当てられたのではかなわないですからね。
私の踊っているのは“ランダムのダンス”。抽選の確率を限りなく理論値に戻し,
すべての人に平等に当選のチャンスを差し上げるための踊りですよ」
「…」
「あなたは,その踊りをマスターするのに相当の時間をかけたのかもしれない。ですが,
私も同じ方法論をたどってきたのです。…目指すものはまったく反対になってしまいましたがね」
「そんな…」
「私はこの“ランダムのダンス”を編み出すのに,数十年の歳月をかけました。…あなたの技の登場が,
私の技をお披露目するための大いなるきっかけになったのは,皮肉な話ですがね」
「…」
「まあ,お互い,それぞれの術が打ち消し合う以上,ここは勝負しかないのです。
最善を尽くしましょう。…負けませんよ」
「…」
客が見る前で,その店員は再度おどりを再開する。
「うぅりゃ,どやぁ,やああぁあ,うぅ」
けたたましいまでの掛け声と共に,客も再度ダンスに突入する。唸りと静寂の対決,
これもまた一つのコントラスト,一つの勝負の形であった。
「とりゃ,りゃやあ,えいや,やや,あ」
もう誰も,この二人の男を止めることはできないように思えた。止める手のない,
一つの真剣勝負が,ここでは展開されていた。
「ぐりゃ,ぐぐ,うぅりゃ,ありゃや」
男の叫びはしばらく続いたが,ますます大きな声になった時,彼の手が回転式の福引器に伸びる。
「そういえば,福引だったのよね」
「ああ,そうだったな」
いつのまにか会場の全員がこの勝負を見守っていた。一瞬が以上に長く思える。
そして,一回転,もったいぶったような,そして待ちわびた運命の玉が,ついに飛び出す。
「あ!」
以上 PN 一光輝瑛
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