永遠の楼閣
一光 輝瑛
その世界の中に埋没していても,それでも夢であることが認識できる夢,そんな夢がある。
『あ,これは夢だ』,そんな感じをどこかに受けながらも,それでも世界は続いて行く。
その日もそんな夢,そう,確かに夢だった…
目の前に大きな扉があった。蔦が生い茂った壁の一角,くすんだ,それでも銀色の鈍い輝きがある
一角。私は,それがこの建物への入り口となっていたことを知っていた。そう,なぜか知っていたのだ。
「…」
もう一度見上げ,そして右に歩く。
「!」
生い茂った蔦は,軽く払いのけることができた。そして,その一角には小さな台のようなものがあり,
計算機のようなキーボードが載っていた。
「確か…」
自分でも驚くくらいの慣れた手つきで,4桁の数字をはじくと,『ガタン』という音がする。
そして…
「…!」
冷たい風の感触。ふわっと頬を打つその空気の流れと,ぎしぎしした金属のきしむ音。
そして,音もなく,先ほどの“とびら”が左右に移動する。
「お帰りなさいませ,ご主人様」
「…」
黒いフードを顔が隠れるようにかぶった姿。身の丈はむしろ子供に近い。が,その声からは
確かに大人,いや,老人のそれが聞き取れた。ようやく開き終わったその銀色の向こう,
ほのかに明るいそのスペースに,その老人は立っていた。
「ご案内致しましょう,ご主人様」
「ああ…」
私にはわかった。どうやら,はじめてのことではない。記憶のどこにあるのだろう,
何事もなかったように扉をくぐり,その中に入って行く自分。老人はゆっくりと前方を向き,
先導するようにやはりゆっくりと前を行く。背筋は極端に折れ曲がり,まさに“せむし”といった印象。
まっすぐ歩けるのが不思議なくらいのぎこちない足取りだが,それも何の違和感もなく
受け入れられる自分であった。
「…」
うっすらと埃の積もった床。ほのかな間接照明の光が,廊下らしいものをまっすぐに照らしていた。
コツコツした,硬い床の感触。そして,涼しい風の流れ。生い茂る蔦も中までは入っていない
ようだったが,所々のひび割れからは緑色のものがのぞいていた。
「どうぞ,ご主人様」
ガラス張りの小さな扉の向こうには,色違いの小さなスペースがあった。
「ああ」
大股でその中央に入る。老人は扉の横に立ち,ゆっくりとボタンを操作する。
「…十一階だな」
「はい,ご主人様」
ガタン,
左右に揺れる感触に一瞬不安になるが,老人は何事もないかのようにそこに立っている。
ぎゅっと身体が押し付けられるような軽い感覚,そして上昇するスペース。
扉の上を見るが,苔に覆われてランプの点滅だけがかろうじて確認できる。
ガラス扉の向こうで何かが動き,時折光が見えるがよくわからない。
「ご主人様,こちらでございます」
「ああ,そうだったな」
再びまっすぐに伸びる廊下。何箇所か扉のようなものが確認できたが,自分のための扉でないことは
自分でも知っていた。
コツコツ,
固い床と靴の音が妙に響く。そして,突然目の前をよぎる黒い影。
「!」
一瞬たじろぐが,それでも老人の背中を見ながら前に進む。
「それではご主人様」
「ああ」
胸ポケットを探ると,いつの間に入れたのだろう,カードが入っている。
「…」
再び慣れた手つきで扉にカードを通すと,かすかな電子音が鈍く響く。
ガチャン,
冷たいドアノブを下ろす。そして…
いちだんと冷たい風が流れてくる。床の感触はやや優しくなるが,埃は極端に厚みを増す。
非常灯の嫌な光がそのスペースの奥行きを無限に感じさせていた。老人も後から入ってきて,
まっすぐに奥に向う。壁に手を伸ばすと,ちょうどその場所にスイッチがある。
パチッ,
光,何も隠さないその残酷さがすべての真実を映し出すかのようだ。
朽ち果てた絨毯は床をまだらに見せていた。壁も天井もすすけて火事場の様にも見えたが,
それでも空気の流れはどこか快適だった。壁の時計は2箇所で別々の時間をさしていたが,
それでも自然に動き続けていた。そして,カビだらけでぶざまな形をさらしているのはカーテンか。
「ご主人様,カーテンをお開け致します」
「…」
埃だらけの醜い床を,何事もないように歩く老人。
ガタン,
「!」
老人の歩みが突然止まる。
ギシギシ,ガガ,
すぐにもう一度歩き出すが,その動きは私に何かを見せてしまった。
「ではお開け致します」
「…」
ガサガサ,ギギ,
レールのきしむ音と共に,かろうじてカーテンが開く。まばゆいばかりの光,そして…
「!」
くすんだ窓ガラスの向こうにも,確かに外が確認できた。が,
「え…」
どこまでも続く赤茶けた大地。見下ろすその世界には,当然あるはずの隣家はなく,
ただの荒野が広がっていた。
「…」
窓に歩み寄る自分。老人はいつのまにか視界から消えていた。ガラスの埃を払い,その先を見る。
が,やはり同じ。
どこまでも広がる,何もない,ただ赤く茶色いだけの大地。そして,それを見下ろすように
立っている自分,そして,そんな自分を含む建物。ほかには,何もない。
「……」
もう一度埃を払おうと手を伸ばす。
「!」
肉が削げ落ち,骨ばかりが目立つ。節々が茶色く変色し,爪が無様にそりあがった手。
「え,まさか…」
ガラスの向こうにはそのままの世界。そして,そのガラスに添えられた年老いた手,
自分の手…
「ねぇ,これ見に行きましょうよ」
「なんだ,またバーゲンか」
「違うわ,これよ」
日曜の朝,ゆっくりとトーストをつまみながら,新聞を見る。その新聞の向こうには,
エプロン姿の妻が,やはり朝食をとっているが,左手には新聞の折込か,
ちょっと派手な紙が握られている。
「駅前のやつよ,この前言っていたでしょう,今日広告が入っているわ」
「…あぁ」
ほのかなコーヒーの香り,そして,何かを企んででもいるかのような妻の表情。
「ねぇ,どうせ見るだけならただだし,行って見ましょうよ」
「ああ」
そっけない返事だが,確かにどうでもよかった。どうせ日曜日に買い物に付き合わされるのは
日課になっている。同じことだ。
それでもチラリと広告を見る。
『アーバンな暮しの実現,最高の立地をあなたに。クイーンエレガンス中央駅前,遂に最終分譲!』
「こんな良いところにあるマンションなのに,まだ売り切れてないなんて不思議ね」
「仕方ないよ。いくら立地がよくても高いだろう,手が出ないよ」
「でも,金利も下がっているし」
「…確かにそうだが,ローンを組んでも払えるかどうか不安だよ」
楽しそうな妻の横顔。大々的に宣伝していた割には他の客もいなかったが,
確かに凄いマンションらしいことは遠目からもよくわかった。
「ようこそいらっしゃいました。お客様」
若そうな営業マン。きっちりと背広を着込み,さわやかな印象を出していた。
「工事も完成しておりますので,実際に分譲されている部屋を見ていただくことに致します」
「こちらがエントランスホールです」
立派そうな入り口。丈夫な扉。
「オートロックで,部外者の侵入を完全に排除できます。24時間体制の監視システムが,
安全な暮しをお約束します」
営業マンが暗証番号を入力すると,ゆっくりと鉄製の扉が開く。
「どうぞ,お客様」
「この廊下は通常の規格よりかなり広めに造ってあります。空調も24時間全自動の体制で
整えられており,共用スペースにつきましても快適な環境が造られているのが
このマンションの特徴です」
「すごいわね」
「ああ」
妻は感心しきりである。私は,手元の分厚い豪華なパンフレットだけで,『もう十分』の
気分になってしまっている。
「エレベーターも,部屋数に対してかなり大きめなものをご用意させていただきました。
こちらも管理会社が24時間体制でシステムを監視するため,安全です」
「…すごいですね」
「ありがとうございます。それでは,今回分譲になりました,十一階にご案内致します」
十一階にも同じように広い廊下。そして,営業マンはその奥に進む。
「こちらの1108号室が一番のお勧めとなっております」
居宅スペースとしては,妙に重厚なドア。営業マンはカードを取り出すと,すっとドアに通す。
「このように,ロックシステムも万全です。警備保証会社の監視システムともつながっておりますので,
極めて安全です」
「…」
「お客様,どうぞ」
妻が一番に部屋に入って行く。軽い足取り,どうやら心底マンション見学を楽しんでいるようだ。
続いて私,最後に営業マンが入ってくる。ちょっと暗い室内だが…
パチッ,
営業マンがスイッチを入れたらしい。すぐに室内が見渡せる。
「こちらの部屋は4LDKのタイプになっております」
「まぁ,なんだか広い感じがするわね」
「はい。着脱可能なしきり,広い廊下等を採用したため,通常のマンションよりはずいぶん
広く感じていただけるはずです」
「…」
「この部屋の空調システムは24時間全自動で管理されますので,快適な環境となっております」
「…」
「ねぇ,すごいわね」
「ああ…」
……
「快適か,ああ,たいしたものだな」
「え」
「人がいなくても,部屋のシステムは万全だ。これほど凄いことはない」
「…君はいったい」
「私か,ああ,私は将来の君さ」
「…」
「信じないのも無理はない」
「いったい…」
「人がいないんだよ,今では誰もいなくなってしまった。妻も,子供達も,そして,近所まで」
「え」
「でも,恐ろしいくらい快適だ。何も心配はいらない」
「…」
「私が生きてゆく限り,いや,それ以上にも,ここは快適だ。さすが高価なシステムだ。
…いつまでも快適だ」
「…」
「どうだ,君にもわかるだろう」
「…」
「そうだろう」
「…そんなものに,何の意味があるんだ…」
……
「お客様,この部屋の特徴はなんといっても十一階からのすばらしい眺めにあります。今は保護のため
カーテンをかけておりますが,今から開けますので,どうぞご覧になってください」
営業マンは,ゆっくりした足取りで部屋の奥に入って行く。妻にひかれ,私もついて行く。
そして,営業マンは慣れた手つきでカーテンを持つ。そして…
「…!」
以上 PN 一光輝瑛
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