販売競争
一光 輝瑛
うだるような暑さもようやくおさまりかけてきた,そんな季節の話である。
大学生の上原光雄は,7月からはじめたアルバイトの勤め先である,“杉原商店天空西町支店”
に来ていた。いつもと同じ時間の出勤だったが,開店前の時間,店内にはただならぬ雰囲気が
漂っていた。
週に一度の朝礼である。
「毎年恒例の“レタスカップ”が,今年も9月一ヶ月を使って行なわれます。当店は,
ご存知の通り前年まで3連敗中,今年こそは必ず勝利できるよう,みなさんの奮起を期待します」
この店のトップ,秋山店長の一言であった。
「ところで,その“レタスなんとか”っていったい何なんですか?」
上原君は,朝礼終了直後,正社員の大原さんに話しかける。大原さんというのは,26歳の男性で,
この店の正社員の中では一番若いので,上原君としても話しかけやすい相手なのだ。ちなみに,
この店は野菜を販売している,昔ながらの“八百屋”である。杉原商店というのは,この近辺で
全部で7つの店を構える老舗の八百屋なのだが,この天空西町支店というのは比較的新しい支店
ということだった。従業員は正社員が男性ばかりで,大原さんのほかに30歳もつれの西川さん,
そして上司の倉田課長とさきほどの秋山店長で四人。そのほかパートの女性が桑田さんと東野さん。
二人とも40歳くらい(ただし詳細不明)である。そしてアルバイトの上原君でこの店は
運営されていた。
「ああ,上原君はまだ知らなかったかな。その“レタスカップ”というのは,
毎年この時期にやる販売実績競争のことなんだ」
「競争,ですか」
「ああ。隣町にうちの東町支店があるのは知っているよな」
「ええっと,天空東町駅の近くのやつですよね」
「そうだ。その店と,毎年9月の販売額を競争するのが“レタスカップ”なんだ。まあ,
どうしてこんな趣味の悪い名前がついたのかは知らないが,どっちにしても来月はこれに
振り回されるようになるからたいへんだ」
「そんなに激しくやるんですか」
「ああ。激しいのなんのって。毎年店長の頭に血がのぼってしまって,毎日毎日売上の数字を
とやかく言われるんだ。まったく災難としか言いようがないよ」
「どうしてそんなことを…」
「本店からの指示ってことさ。ちょうどうちと東町支店は同じくらいの規模だから,
それを競わせて売上を伸ばそうって魂胆らしい。まあ,他の支店もそれなりの競争や目標を
割り当てられてたいへんらしいがな」
そんなこんなで,上原君にとって初体験となる,激しい販売合戦が始まろうとしていたのだ。
「昨年までの敗因を分析しますに,やはり最終的には市場の,マーケットの質で負けている
部分が大きいと考えます」
営業終了後,全員出席の作戦会議が開かれていた。バイトの上原君や,二人のパートさんにとっては
本来帰宅している時間なのだが,重要なミーティングだということで,時間外に呼び出されたかたちに
なっていた。店長の催促を受け,倉田課長が説明をはじめていた。
「要するに,販売対象顧客数の差がそのまま売上の差にはね返ってきています。一顧客ごとの
売上単価は両店とも大差ありません。来店客数に差がありますが,これは比率で見ると東町と西町の
人口差にほぼ一致しています。本店はこの差をわずかなものとして認識していますので,
この調整は行なわれていませんが,最終的な売上の差もわずかなわけですから…」
「要は,条件的にはうちが不利なわけだな」
「はい。本来ならこの部分を調整してから競うのが妥当かと思われますが,その見込みがない以上,
当店としてはこの不利な条件を埋める抜本的な対策をとる必要があると思われます」
倉田課長は,先程から手に持った白い紙を時折見ながら話を進めている。他の従業員達には
遠目でよくわからないが,どうやらかなり詳しいデータが記されているらしい。
「抜本的な対策か…」
秋山店長は,腕組みをして考え込むポーズをとる。
「…昨年は来店客を増やそうと折り込み広告や立て看板を多用。その前はお客様一人あたりの単価を
上げようと高級商品を多数仕入れ。…いろいろと対策はとってみたが,なかなかうまくいってない
ところだな」
やや自嘲気味の店長の言葉が妙に響く。
「ただでさえスーパーに押されて,売上の増加は難しい部分です。かなり善戦しているとは
思うのですが…」
「しかしかんじんの9月に東町に負けるようでは,うちの評価も上がらないからな…」
やはり,店長の意識には本店へのアピールという部分が強くあるようだ。
「そこで,対策ですが…」
倉田課長は妙にかしこまって説明を続ける。
「限られた市場では顧客層も限られてきますので,ここはひとつ,対象市場の拡大を図ってみては
どうでしょうか。つまり,現状の販売エリアにとらわれず,販売の拡大を図るのです」
「ん,つまりどういうことかな」
「現在,当店のエリアは西町のみとなっていますが,実際は東町の中にも,東町支店に行くより
当店に来た方が便利なお客様もいらっしゃるようです。これまではエリアにこだわるあまり
この層へのアピールはありませんでしたが,今年については積極的にこのエリアに進出して
行くことを考えましょう」
「つまり,町境のことか」
「そうです。外商も積極的に行なって,今まで当店に対して“隣町だから遠い店”というイメージを
持っていた顧客に対して,積極的に当店を売りこむのです」
「…でも,それでは東町支店と競合しますよね」
沈黙を守っていた西川さんが発言する。
「そうです。ただ,もともと直線距離では当店の方が近いお客様も多いわけです。
町単位での考えを捨てることも一つの方法だと思いますが」
「つまり,東町支店のお客様をとってしまうこともやむなしということか」
「そうなると思います。もともと,うちと東町支店の顧客層はほぼ一致していますから,
そうなってしまうわけです。しかし,売上増加への作戦としては,もともとうちの店に向いていない
顧客を引っ張ってくるよりは,即効性があって確実です」
『売上が上昇すると同時に,東町の売上も落とせるから一石二鳥か…』
そんな思いが上原君の頭にも浮かんだが,発言はできなかった。
そして9月1日,嵐のような販売強化がはじまった。上原君は今までにないプレッシャーに
さらされた。これまでは来たお客に対して“笑顔で接しろ”“てきぱきと応じろ”の指示だけ
実践していれば良かったのだが,急に売上を伸ばすための指示が飛び始めた。それも何人もから。
“もう一品買ってもらう努力をしろ”“どんどんセールスをしろ”。はじめて二ヶ月のアルバイトに
とっては,かなり過酷なものであったか。
「お客さま,安くしますよ,ぜひ買ってください…」
相手は主婦,歴戦の勇者達である。一方,こちらは見るからに若僧。
どこまで効果があったものか…
急造“外商部隊”の活動も多忙を極めた。いつもは仕入れにしか使わない軽トラックも総動員して,
町境に発進した。西川さん,大原さん,そして時には倉田課長も発動することになった。見なれぬ
地図をめくりながら,細い道を駆けてゆく軽トラック。しかも,販売するのは野菜,
相手は見知らぬ主婦である。
ピンポーン
「こんにちは,杉原商店です。突然ですが,お野菜はいかがでしょうか」
「…」
もう少しうまいやり方があるようにも思えたが,拡声器すら積んでいないただの軽トラックである。
しかも準備時間もない。とりあえず,必死さだけはよく伝わったようだ。
店の裏の廊下には,売上のグラフがでかでかと貼り付けられた。折れ線グラフが二本。
昨年の実績と,そして書きこまれてゆく今年の実績だ。
横にはスローガンを書いた紙がこちらも圧倒的な存在感で。
『勝利を勝ち取れ』
上原君の目には脅迫としか見えなかった…
9月20日,本店からのファックスで,月半ばまでの西町支店と東町支店の売上比較の
データが届いた。
「想像以上のデータです。当店の売上が前年比10パーセントアップに対し,
東町支店は今のところ昨年比8パーセントダウンできています」
「かなりシェアを食っているってことか」
「そうですね。外商の手応えからいっても,かなり東町の顧客を取ってきているようです。
…まだまだ効率は悪いですが」
「いずれにしても,10パーセントアップというのはすごい数字だな。これもみんなのがんばりの
成果か」
「このデータが出た以上,今後の10日間はあちらもかなり巻き返してくるでしょう。
ここまではかなり水をあけましたが,正念場はこれからです」
折込広告の数も倍に増えていた。それも,きちんと“天空西町支店”と明記し,詳しい地図まで
記入された,黄色の一色刷りのものだ。
立て看板の作戦も激しかった。特に,営業終了後に,東町に行っては電柱に括り付けてきたその数は
いったいいくつになったか。その看板(布製の安っぽいものだったが…)にも,しっかりと
“天空西町支店”そして地図の明記があった。上原君が偶然見かけたところによれば,
東町支店のかなり近くまで設置されていたようだった。
「もしもし,杉原商店天空西町支店です。はい,西町支店です。突然ですが,奥様,
お野菜などいかがでしょうか。,はい,配達もさせていただいております。…」
夕方,二つしかない電話回線は,いわゆる“電話外交”に占領されてしまった。しかも,
このセールスはかなり遅い時間まで継続されたらしい。受けた主婦の感想はいかに…
「ええ〜,レタスカップもあと一日を残すのみとなりました。これまでのところ,当店は東町支店に
対して優勢に来ているようです。しかしながら,あちらもかなり必死の追いこみをかけてきている
ようですので,くれぐれも油断は禁物です。最後の最後まで,気を抜かずにがんばってください」
9月30日,臨時朝礼での店長の一言であった。
「もしもし,店長さんですか,…はい,こちら西川です。さきほどの東町支店の件ですが,
たった今偵察してきました。店頭の状況は,普段よりはかなり繁盛しているようですが,
まだまだ予想の範囲内のレベルです。ただ,ここに来る途中であちらの軽トラとすれ違いました。
あちらさんもかなり必死のようです…」
路上にとめられた,野菜をつんだ軽トラック。そして,人目をしのぶように携帯電話をかける男。
周囲の目にはどのように映っただろうか…
10月7日,1枚のファックスとともに歓喜の時がやって来た。本店からのその1枚の紙は,
西町支店の圧勝を伝えていた。
「皆さん,本当にありがとう。これで当店も面目を保つことが出来ました。これも,ひとえに
皆さんの努力のおかげです」
パートさんまで含めて全員が笑顔だったが,特に男性陣の喜びようには尋常でないものがあった。
「ようやく念願がかなった。倉田君,君の案に助けられた部分が大きいな」
「はい。うちが後半頭打ちになったものの5パーセントアップ,東町が3パーセントダウンまで
盛り返しましたが,結果的には圧勝でした。両店をたした売上額は前年比,そう伸びてはいません
から,まさにうちの作戦勝ちだと思います…」
10月15日,先日までスローガンが掲げられていたその場所に,仰々しく豪華な額に入った
表彰状が飾られた。
『表彰状
天空西町支店殿
貴店は,平成11年度9月特別運動において,優秀な成績をおさめられ,
当社の売上に多大なる貢献をされましたので,ここに表彰します。 ……』
以上 1998.12.27
PN 一光輝瑛
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