一花,もう一花

 

               一光 輝瑛

 

 

 見覚えのある銀色のスポーツカー。路肩に止められたそのシルエットを見た安田は,

ただならぬ胸騒ぎを感じた。何事も無く通り過ぎようとしていた細い道。

が,彼は慌てて左側のウインカーを点滅させる。

「あの車,まさか…」

 もしもそれが思ったとおり星川の車だったとしても,だからどうしたと言うのだろうか。

だが,安田の胸騒ぎは,そんな理性的な判断を超越していた。

「…」

 安田は同じように車を止め,そして光の方角に歩き出した。ちらと見た腕時計は10時過ぎ。

家の光,街灯の光,そして漆黒の世界。

 

「星川…」

「…」

「星川,だよな…」

「…」

 星川は,言葉も無く近寄ってきた。が,目はじっと安田を見ている。

街灯も遠く,暗闇に近い世界。そんな中でも,お互い認識できたのは雰囲気のせいか。

「安田か。どうした」

「どうした,って」

「驚いたよ。突然」

「驚いたのはこちらの方さ。こんなところでいったい何をしているんだ…」

 

 

 夜,夜中に近い範疇になって,近づく人も無くなった学校の校庭。

当然校舎からの光は無く,民家の光もまた遠い。

「何をって,さあ,何をしているんだろうな…」

「…」

「自分でもよくわからないけどな。でも,ここに来ると落ち着くんだ」

 

 

 遠くで犬の遠吠えが聴こえた。

家々の光は見えるが,一面に曇った空,そして差し込むような寒さ。

「…」

 安田は,まっすぐに星川の表情,暗闇の向こうのその表情を追っていた。

「まあ,そんなに不思議そうな目で見るなって」

「…不思議だよ。こんなところで…」

「確かにな。とんだ奇行ってやつだ。こんな時間に,たった一人,中学の校庭で膝を抱える謎の男」

「…」

「でもなあ,俺にとっては,大切なことなんだ…」

 

 

「俺にとってはな,この場所は思い出の場所であり,そして,栄光の場所なんだ」

「栄光…」

 暗闇,そして寒さは,ますます深まってきた様に思えた。星の光も無く,風をさえぎるものも無い,

広い校庭。その片隅に,二人の男。

「何年前の話だろう。ここで,生徒会長の選挙があった」

「…」

「俺は,ある意味何も考えずに,それでも何かを目指して立候補したんだ。

今から考えれば,無鉄砲な,怖いもの知らずの話だ」

「無鉄砲な?…」

「前の年に,2年生ながら副会長をやっていたまじめな男がいてな。

誰がどう考えてもそいつが会長の有力な候補さ。頭も良いし,口も立つ。教師の受けも良くてな」

「…」

「そんな有力候補に対し,俺は何も考えずに立候補した男。10人中10人が言ったさ。

『お前が会長だなんて無理だ』ってね」

「よくある話だ」

「そうだ。だが,ここから一世一代の大逆転劇が始まった」

「逆転…」

「そう。投票前日の立会演説会。これが,とにかく勝負だった。

あの頃の生徒会長選挙なんて,立候補した後の活動は,知り合いを頼って票を頼むことくらいで,

生徒全員に呼びかける機会は,この立会演説会くらいしかなかった。

ここで,俺は捨て身の勝負に出たんだ」

 星野のトーンは徐々に上がり,ついには一対一の会話にはふさわしくないほど,

まさに演説と呼べてしまうほどの,口調に変化していた。

そして,その得意そうな目つきは,薄い光の中でも十分に確認できた。

「相手候補が先に演説した。確か,『わが校の将来』なんていう演説だったかな。

頭のよさと,副会長としての経験と,そしてすばらしい理念を前面に打ち出した,

恐ろしいほどにかっこいい演説だったさ。

最初は,俺も正面切って勝負してやろうと思っていたが,それを聞いて,その気も失せたね」

「で,勝負に出た,と」

「そうだ。まさに勝負だったよ。俺は意表をつく奇襲攻撃に出た」

 星川は,もったいぶった様に間合いを置く。

「つまり,“俺はこんなにも母校を愛しています”ということを,強烈に訴える作戦に出た」

「…」

「最初に,『俺の母校を思う姿を見てください』なんて強がった俺は,おもむろに逆立ちをして,

そして校歌を歌ったんだ」

「校歌を…」

「そう。逆立ちして校歌を歌ったんだ」

「…」

「捨て身のアピールってやつさ。俺もむちゃくちゃ不安だった。

馬鹿だと思われたらそれで終わりだからな。でも,この作戦は,想像以上の成功を収めた」

「え,」

「最初はぱらぱらだった笑い声が,あっという間に校庭全部に広がったんだ。

歌う俺は苦しかったよ,でも,その苦しさ以上の喜びがあった。

まさに,『してやったり!』って感じさ。

後にも先にも,こんなにまで快感を覚えたことは無かったね」

 星川は,大きく体を振り,両手を広げて,校庭に一歩を踏み出した。

「それが,この場所さ。今も変っちゃいない。

この朝礼台があって,向こうの広いグランドにはたくさんの仲間達が立っていて…」

「それで…」

「それで,次の日の投票で,俺は見事に選ばれたさ。

誰もが無理だと思っていた,そんな生徒会長になったんだ。

俺にとって,一番の逆転劇。そして,何よりも一番の栄光の一瞬さ」

 星川はますます両手を広げる。

まるで,誰もいない漆黒の校庭に,彼の同級生達が居並んでいるような錯覚…

 

 

「それで,今でも君はこの場所に立つのか」

 安田は,まさに夢見るような星川に向け,冷静に話し掛ける。

「今でもこの場所に立つのか」

「ああ,そうだ。俺にとっての,一番の栄光の場所だ。

俺は,何かに迷ったり,何かに悩んだときには,必ずこの場所に立つことにしている。

いろんなことに困っていても,この場所に立てば,あの時の自分がよみがえってくる。

あのときの自分が,今の自分を後押ししてくれる」

「それで,この場所に…」

「そう,この場所は,こんなに年数が経ってしまった今でも,俺にとって一番大切な,

一番の思い出の場所。そして,今の自分にとっての出発点でもある」

「…それって,さ」

「え?」

「それってさ,何かむなしくはないか…」

 

 

「何を言うんだ,安田」

「悪いな。だが,俺は思うんだ。今の星川のような気持ちでいては,少なくとも,

いつまでもそんな気持ちでいては,絶対にいけないってね」

「なんだって…」

「過去の思い出の場所があるってことは,とてもすばらしいことさ。

それが実際の場所であれ,心の中の思い出の場所であれ,その場所が,

ある意味自分の支えとなって,心を助けてくれるのは事実さ」

 安田は,ちょっと悲しげな目つきで続ける。

「でもな,それをいつまでも引きずることってさ,ものすごく不健全なことだと思う」

「…不健全…」

「言い方が悪くてすまないな,星川。

でもな,今のお前の行動,つまり,何かを求めていまだにこの場所に戻ってきている

お前の行動ってさ,やっぱり良くないと思うよ」

「…」

「お前にとってここはすばらしい場所さ。それはわかる。

でもな,お前がここに帰ってくる限り,お前はそのときの自分を超えられていないってことなんだ」

「…」

「人間には,誰にだってそれなりの栄光の時がある。

でも,栄光の時って,一度じゃないし,一度だと思っちゃいけないと思う。

ひとつ栄光があったら,次はそのさらに上を行く栄光をつかむためにがんばる,

それが,人間としての生き方なんじゃないかって,俺は思う」

「…」

「だからさ。もし一度栄光があったとしてもさ,それにあまりこだわるべきじゃないと思う。

少なくとも,俺はな」

「でも…」

「確かに,過去の栄光って,すばらしいことだし,そこがひとつの出発点になるってことも,

はっきりとした事実だと思う。でもな。そこにいつまでもこだわることって,

もしかしたら,次に来るべき栄光を放棄する過程なんじゃないかと思うよ」

「…」

「星川,いろいろ思うこともあると思うけどな。いつまでも昔を考えるのはやめてさ,

次の一歩を踏み出そう。そうすれば,また次の栄光に一歩近づけるはずさ」

「…」

 星川は,かなり悔しそうな,それでいて,はっきりと驚いたような表情を浮かべ,

無口に安田を見ている。

 

「そうか,そうだよな,そうかもしれないよな…」

「おい,星川…」

「ああ,大丈夫さ。大丈夫だって…」

 ちょっと肩を落としたような,それでいて何かを吹っ切ったような足取りで,

星川は歩き出す。安田は,同じく黙ってしまって,その姿を見送っている。

 

 星川の向かうのは真っ暗な方角。

だが,その先には例の銀色のスポーツカーと,どこまでも続く漆黒の道路が存在していた。

 

 

  以上  PN 一光輝瑛

 

  

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