一光 輝瑛
「あ〜あ,ここまではっきり書かなくてもなぁ」
青山は,ちょっとがっかりしたような表情になり,がさがさと新聞を閉じる。
ちょうど春休みで学生の姿が無く,ずいぶん空いた感じのする通勤電車。コート姿がまばらになり,
かわりにちょっと華やかな色彩の服が散見されたが,どことなくまだ冷たい,3月の終わりであった。
「あれ,どうした,青山」
ひょっこり現れたのは,職場の同僚の井川だ。同じ方面に住んでいて,
帰りの電車ではいっしょになることも多かったが,行きに出会うのは実は珍しかった。
「ああ,この記事見てみろよ」
「ん,」
青山は,再び新聞を開いてみせる。テレビ欄の方から開いたところを見ると,
どうもトップニュースではないようだ。
「“プロ野球,明日開幕”,ああ,そう言えばそうだったな」
「それはいいんだけどな,この記事は頭に来るよな」
「“ペナントレース順位予想”か,毎年あるやつだな。評論家も好きなこと書くよな」
「それにしてもひどすぎるぞ。うちのチーム,5位と6位ばかりじゃないか」
「ん,…ああ,確かにそうだな。6,6,6,5,6,6,5,6,…,ちぇ,これはひどいや」
「確かに巨人は金かけて強くなっただろうし,優勝も確実だろうけれども,それにしても何だよ,
この予想は」
「仕方ないさ。今の戦力じゃな。主砲はいなくなる,若手は伸び悩む,外人はぱっとしない,
…期待の新人まで怪我したんじゃなぁ」
「だけどさぁ,これだけ評論家がいて,ここまではっきりと5位6位の予想ばかり突きつけられちゃぁ,
夢も希望も無いよな。一人くらい間違えて優勝の予想をしてないかな」
「はは,そりゃ無理だって」
「あ〜あ,無理してチケットなんて取るんじゃなかったな」
「お,もうチケット取っているのか。…来週は地元だったよな」
「それよりもこれだろう。4月22日,土曜日の巨人戦のチケットさ。
さすがにプラチナチケットだから,早めに買ったんだけど,…これじゃとても希望は無いよな…」
青山は,小さなチケットをひらひらと揺すって見せる。表情は相変わらず暗い。
「あ〜あ,いっそのこと,雨で中止にならないかなぁ…」
4月半ば,ラッシュでごみごみした電車で青山と井川が出会う。
どこか初々しい雰囲気の漂う月曜日の朝。井川の手には,いつもの経済新聞ではなく,
赤い見出しが躍るスポーツ新聞が握られている。
「おい,昨日の試合見たか」
「昨日,ああ,あれか」
「すげぇよなぁ,逆転満塁ホームランだってよ。これで三連戦勝ち越し,まだ貯金生活だ」
「まあ,相手が阪神だからな。秋には最下位争いをする相手だ。今のうちに叩いておかなくちゃ」
「でも,今のところAクラスだろう。捨てたものじゃないぞ」
「結局,勝つのは巨人さ。…巨人の金持ち主義はどうしても好きになれないけれど,
それにしても今年の戦力は群を抜いている」
「…ああ,確かに巨人も最近強いよな。このまま行っちゃうかな。…横浜次第か」
「とにかく,うちは一日でも長く,貯金生活を続けることだな。なんだかんだ言って,まだ貯金1,
少なくとも火曜日までは大丈夫ってことさ」
「…なんだか,ずいぶん弱気だな。俺は少しは,…Aクラスくらいは狙えると思うんだけどな」
「無理だって。また怪我人が出ただろう。いったい,こんな戦力でどうやって戦うんだ」
青山の表情は相変わらず暗い。だが,彼の持つ地方新聞は,しっかりとスポーツ欄が開かれていた。
「おい,ついに首位だ。やったぞ,やった」
「…ん,ああ,そうだったな」
「そうだった,じゃ無いだろう。2年ぶりの首位だ。すげえぞ」
4月20日木曜日,雨上がりの朝の電車は,曇った空に似て,どこかどんよりとしていた。
が,井川の顔は笑顔そのものであった。
「いやぁ,今世紀中に首位が見れるとは思わなかったな」
井川の手には,やはりスポーツ新聞が握られていた。一面は巨人の負けを大きく伝えていたが,
片隅にポツリと,“たなぼた首位”の文字が躍る。
「雨で中止の時に,たまたま巨人が負けただけだろう」
「そりゃそうだけどな,でも首位はすごいぞ。いやぁ,これほどうれしいことは無い」
「去年の阪神だって首位になった時期があったんだ。
4月の順位でどうのこうの言っても仕方ないって」
「いや,それにしても中継ぎ投手さまさまだよな。毎日毎日抑えているんだから」
「…それで,夏場までには疲れ果てて,どうにもならなくなるんだよな。毎年のことだ」
「それにしても強いって,これは本物だ。まさかここまで勝ってくれるとは思わなかったな。
これでますます希望が持てるぞ」
「希望って,優勝のか?,はは,いくらなんでも今の戦力じゃ無理だろう。
だいたい,今でも何で勝っているのか不思議なくらいさ。わけわからないうちに勝っている。
そのうち負け始めると一気に落ちるぞ。確か,去年もそうだった」
「わけわからないうちに勝つから,本物なんだって。理屈で言えば絶対に巨人だけれども,
それでもうちが勝つ。これが野球の醍醐味だな。さすが若いチーム。勢いに乗ると違うよ」
「…スタメン見たら,とても勝てるようなチームには見えないけどな」
「俺は,本物だと思うんだけどな…」
井川は,ちょっと不満そうである。
「首位はうれしいけど,多分一日天下だろうな…」
青山は,ちょっと遠くを見るような目つきを見せる。が,手元にはきっちりと新聞が開かれている。
青山の右手には,“四連勝,首位がっちり”の新聞が握られていた。
市内電車を降り,横断歩道を渡ると,にぎやかな喧騒が広がる。
4月22日,土曜日の夕方,快晴の空に場内アナウンスが響いていた。
狭い階段を上ると,一気に緑色の視界が開ける。見慣れた市民球場の独特の雰囲気。
が,いつもとは違う熱気があふれていた。
「何だよ,いったい…」
試合開始にはまだ十分時間があるというのに,スタンドはすでに満員の状態であった。
「…指定席でよかったよ」
青山は,手元のチケットの番号をちらと見る。
「…」
自由席は,すでに喧騒に満ちていた。手に手に赤いメガホン,そして,
応援団らしいはっぴを着た男達。スコアボードの画面には,“このまま優勝だ!”の文字が躍り,
それに反応したか,一気に歓喜の声が沸き立つ。
気の早い応援団は,トランペットを伴って応援を開始している。
「…」
青山は,左手の腕時計を見る。やはり,試合開始まではずいぶんと時間がある。
が,赤いメガホンを叩く音は,一つの渦巻きとなって満員の客席を支配していた。
「…誰だよ,5位6位だなんて言ったのは…」
以上 PN 一光輝瑛
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