椅子ヲ獲ル,汗ヲ拭ク

 

                                  一光 輝瑛

 

 刀タララ,ッタララララララ,ラッタッタ!♪

刀タララッ〜…

 

 あどけないオクラホマミキサーの調べが,頭上のスピーカーから短調に流れていた。

そのメロディーに乗って,僕たちは単純な回転運動を繰り返していた。円になって立ち,

時計回りに歩いていた。誰が先頭でもない,誰が最下位でもない。

 ただ,その中心に目を配りながら,その秩序ある円形を維持していた。

 

 中心にはなぜか古臭いパイプ椅子が置かれている。体育館のぴかぴかの床には恐ろしく

不釣合いに見えたが,それでもその椅子が何を意味しているのかはみんなが知っていた。

そして,今の平穏な運動が長くは続かないことも,椅子の数が必ず人間よりも少ないことも…

 

 僕の右目に不思議な光景が飛び込む。ジャージ姿の僕から見ると,恐ろしく立派に見える

タキシードの男。その男は,蝶ネクタイのゆがみを気にしながら,それでも何事もなかったように

そこに座っていた。

 

「なぜ…」

 思わず口にしてしまう。が,その言葉がなぜか音にならない。ありふれたそのメロディーに

かき消されるように,僕の前でただの風になる。

 

 つい今まで,僕の真ん前で歩んでいた男が,するするっと列から離れると,

まるで特権のようにあたりまえに,ちょっと色あせたパイプ椅子に腰掛ける。

くすんだ色の赤いセーターが,雰囲気上椅子の色に近い。

「…」

 その男の無表情さが,その行動を強力に正当化していた。そして,

椅子に貼りついてしまったかのように,ピクリとも動かない。

 

 音楽はやや速度を増して続く。周りのほかの人達も,何事もなかったかのように,

それでいてどこか緊張感が増したような歩みで規則的な運動を繰り返していた。

 中央を気にした僕の目に,対角線上の男の表情が飛び込んでくる。必死の形相,鋭い目つき。

しかし,なぜかその顔からは生気が感じられず,背筋に冷たいものが走る。

 

 タキシードの男は,相変わらず座して動かない。自分にとっての“正面”をじっと

凝視しているが,その方向から見ても視点が特定できない。時折蝶ネクタイに手を当てるが,

まるで指先に目があるかのような動きだ。

 

 赤いセーターの男は微動だにしない。うつむき加減の姿勢で目は見えない。

椅子につく動作の途中で,時間が止まってしまったかのような体勢。恐ろしく不自然なはずだが,

それも回転の中に流れてゆく。

 

 ふと気づくと,さらにいくつかの椅子がふさがっている。剣道の胴着をつけた男。

スーツ姿に不釣合いなサングラスをかけた男。そして半そでのシャツから筋肉質の腕が

むきだしになっている男。この男は妙にほっとした表情をしているが,

顔は凍りついてしまったかのようにまったく動かない。

 

 回転の列の人数は,確かに減ってきているはずなのに,まったくそれが感じられない。

走り行く電車の車内から,先頭を思い描くもどかしさ…

 

 気づくと,音楽のピッチが恐ろしく上がっていた。が,速くなっただけで,音の調子は

相変わらず短調。まるでいつまでも同じ繰り返しが続くかのような錯覚に陥るが,

終わりが近い運動であることも知っている。

 それにしても物凄い轟音になっている。僕の耳は完全に麻痺して息遣いさえ聞こえない。

が,そんな音量にもまったく不自然さがなかった。

 

 明るかったはずの室内が,うっすらと暗くなっている。そして,中心に向かって輝く

スポットライト。古ぼけたパイプ椅子の群れが,いっそう強調されてそこにあった。

目指すべきゴールはすぐそこに。が,とてつもなく遠い存在にも思えた。

 

 前の男の足取りが,急に目につくと,僕の目はくぎづけになってしまう。茶色のズボンの太い足。

が,本来ならコミカルと言えるくらいてきぱきと動いていた。その歩みは立派なその体を

支えると言うよりも,天井からつられたジャガイモについたひげ,そんな印象を受けた。

前も,後ろも,恐ろしく速い動き。対角線上の男は,ほとんど風で流されるような動き。

もしかして自分も…

 

「…!」

 数人の男達が,音楽の停止と勘違いしたのか,椅子に向かって激しく飛びこむ。

が,すぐに肩を激しくゆすりながら円の中に戻ってくる。

一人,そのまま椅子に貼りついてしまった白い服の男を除いて…

 

 周囲は完全に真っ暗になっていた。そして,椅子はますますライトで強調される。

あまりのまぶしさでほとんど見ていられないほどなのだが,それでも自然と目がいってしまう。

ますます古ぼけて見えてしまう複数の椅子。数人の男。

 

 まったく疲れは感じなかった。音楽はますます大きく,歩みはますます速くなっていた。

それなのに…

 

『ピキィー』

 

 空気を劈くような,あまりにも不自然な笛の音。ほとんど断末魔の叫びに近かったが,

それでも確かに笛の音であると認識できた。ほとんど爆音と化していたオクラホマミキサーは,

この世の終わりのようにぴたりと停止した。

 

「!」

 

 体は自然に反応していた。自分でも信じられないようなダッシュ力,

そして中央の椅子に群がる男,男。

 

 確信される勝利。目の前には,僕が座るべき椅子が,まばゆく輝いて存在していた。

古ぼけていても,色あせていても,確かに僕のものであると認識できた。

 

「!」

 

 そんな僕のもくろみは,あまりにも不自然に,直前でさえぎられる。青い服の男。それも全身。

まるっきり規則的な,落ち着いた動作で,何事もなかったかのように腰を降ろす。

そして,その瞬間,僕の体は電源が切れたかのように,ピシリと動きを止める。

 青い服の男。息も乱さずに,規則的な動き。なのに,どうして,僕よりも速い…

 

「…」

 

 ウワア〜

 一瞬にして,人間達が戻ってきた。今まで完全に停止していた,人の息遣い,そして会話,

空気の流れが戻ってきていた。ドオッと崩れるような緊張感。気づくと明るい,

ぴかぴかの体育館の床。

 

 僕のほかに,数人の男達が,目指すべき椅子をさえぎられて床に倒れていた。

僕は中腰になって,青い服の男越しに,僕が座るはずだった椅子を眺めていた。

 

「■○▲〇〒※〆…」

「♂⊇∀□◎●…」

 

 椅子の男達から,一気に楽しげな笑い,そして会話が飛び出すが,内容はまったく聞き取れない。

そして,タキシードの男の笑顔,赤いセーターの男も笑顔。

「…どうしておまえ達まで…」

 

「※●■▽∀…」

「♀∞□@:●…」

 

 青い服の男,そしてその先にある椅子,古ぼけた,赤張りの,パイプ椅子…

 

 ガヤガヤという,不規則な音と共に,椅子の男達が再び立ちあがろうとしていた。

 

「…!」

 

 肩に手を置かれて,ふと振り向くと,そこには警備員の制服を着た大柄の男が立っていた。

中腰の僕からは,とてつもなく巨大な存在に思えたその男。

 

「次のゲームが始まります。敗者の方は,すみやかに退場してください」

 

  以上

          1999.3.14 

              PN 一光輝瑛

 

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