金曜日の夕刻,明日からは休みだと思うだけで楽しい気分になってしまうそんな時間。
その日の仕事の締め上げもほぼめどがたち,さあ,飲みに行くことでも考えよう,そんな,
ゆったりした気分になっていた三島君を,一本の電話が直撃した。
上級職の男
一光 輝瑛
ガチャン
投げるように受話器を置く三島君。それでも,相手が電話を切った音を確認してからのことだから
実害はないのだが,当然のごとく周囲のデスクには驚きを与える。会話の途中には作り笑顔をしていた
三島君も,すでに頭にきた様子を前面にだして憮然としている。
「まあ,そう怒るな,三島」
向かいの席の近藤が声をかける。ちなみに彼の席はもうきれいに片付けられてすっかり帰り支度だ。
「何かあったのか」
「頭にくるよ。『操作方法がよくわからないからちょっと来てくれ』だとよ。
いったい何時だと思ってるんだ,あの宇田の馬鹿が」
「ああ,例の宇田か」
日頃取引先相手にはうやうやしい敬語を駆使するこの二人も,同僚同士の会話となると容赦がない。
「いくら中央病院の部長だからと言っても,こんな時間に外部の人間を呼び出すなんて常識がない。
いいかげんにしてもらいたいよ」
「まあ,そう言うなって。中央病院にはしっかりもうけさせてもらってるんだろう。
そのくらい我慢しろよ」
「ああ,あの宇田の馬鹿さえいなければましなんだがな」
中堅のシステム会社,広域システムサービスの,渉外担当が集まるフロアだ。
この会社は病院相手のシステムを導入・管理することが多いせいか,医者からの電話が
よくかかってくる。
若手営業の三島君は,社内でも上位のやり手渉外担当といわれていて,新規の案件も
たくさん獲得していたが,その分後々のフォローがたいへんなのもこの業界の宿命であった。
システムがダウンしたり,端末が破損したりしてくれればそれなりのメンテナンスグループも
いるのだが,日常のいろいろな質問等は,雑用とあいまって三島君のところに飛んでくることが
多かった。
「それじゃあ,ちょっと行ってきます」
三島君は,パソコンをはじめとしたモバイル一式の入った大きめのかばんを抱え,
憂鬱そうに立ち上がった。
「ああ,がんばって。…多分,先に飲みに行ってるよ」
近藤の容赦ない一言が追い討ちをかける。
昼間あんなに賑わう大型総合病院も,この時間になるとすっかり静かになる。
もちろん病院だから多少の人の行き来はあるのだが,やはり寂しい印象はぬぐいきれない。
中央の自動ドアはすでに閉まっていて,仕方なく通用口に廻る。
「すいません,広域システムサービスの者なんですが…」
時間外受付の小さめの窓から呼びかけると,奥からいかにもそれらしい警備服に身を包んだ
大柄の男が現れる。何回かここを通った三島君であったが,この男ははじめてであった。
年は50を過ぎたくらいか。いかつい表情が強く印象に残る。
「え,誰だって」
ぶっきらぼうな一言に戸惑う三島君であったが,それでも続ける。
「広域システムサービスの者なんですが,臨床部の宇田部長さんからのご連絡で参ったのですが…」
「…困るな,君」
「…え」
「時間外に来るときには,きちんと連絡してから来てもらわないと,防犯上問題があるだろう」
「ええ,ですから臨床部の宇田部長が…」
「部長はどうでも良いんだ。別に部長がこの病院の安全を守っているわけではない。
時間外に来るのであれば,きちんとここに連絡しないと管理ができないだろう」
三島君は,突然現れた高圧的な男に,実際ちょっと圧倒され気味であった。
一方,その男はいかつい表情をますます険しくしている。
「…まあ,今日のところは許してやるが,次からはきちんと一報入れてから来なさい」
『どうしてお前なんかに連絡をとる必要があるんだ』という感想を持ちながらも,
ぐっとこらえて穏やかな表情を堅持する三島君。
「…はい,では守衛の方にもご連絡してから来ればいいんですね…」
「!」
一瞬,その男の表情が変わった。三島君は“まずいっ”という印象を受けてしまったが…
「守衛,守衛だと。お前今,俺のことを守衛と言ったな」
「…」
「人のことを守衛呼ばわりするとは何事だ。なんて無礼なやつだ。俺は守衛じゃない。保安だ。
守衛ごときと一緒にされては困る」
「え…」
「守衛なんて,再就職の年寄りがやる仕事だ。ただの留守番,門番だ。だが,俺は違う。
俺の仕事は保安だ。病院の安全を守り,秩序を守るのが俺の仕事だ。俺は学校出てからずっと
保安をやってきたんだ。だから見てみろ。病院は安全だ。それなのに,お前は俺のことを
守衛呼ばわりするのか」
「保安係,ですか」
「保安係だと。係なんて安っぽい呼び方をするな。俺は保安担当だ。病院の保安全般が俺の担当だ」
その保安担当は,まさに火がついたような勢いで三島君相手にまくしたてた。
三島君は困ったような表情で聞いていたが,むしろ驚きの方が大きかった。
「そもそも,保安と守衛の違いがわかるか。守衛と言うのはな,門だけ守っていれば良いんだ。
門をきちんと通れる客であれば,そいつがいったん入った病院の中で何をしでかそうとお構いなし,
それが守衛のやりかただ,わかるか」
三島君には正直言ってわからず,言葉の違いだけであとはこの男のこじつけだ,くらいにしか
思えなかったのだが,それでもこの男の勢いに圧倒されて,神妙そうな表情を作っていた。
「だが,保安は違う。保安を担当するんだ。つまり,病院全体の管理だ。たとえ正式な通行証を
持って入ってきたとしても,そいつらが暴れて病院が壊れたら,それは俺の責任になる。
これは重いぞ,重い責任だ。だから俺は目を光らせるんだ。危ないやつは遮断する。
遮断しきれなければ,撃退する。ここまでが俺の責任だ,わかるか」
「…」
再び神妙な顔でうつむき加減の三島君。実は,手馴れたものなのだが。
「だから俺は守衛じゃない,保安なんだ。よその病院には守衛もいるぞ,それこそ他の会社を
定年になったやつらだ。やつらにはちょうどいい仕事だ,責任も軽い。首になったって年金がある」
「…」
「だが,俺は違う。俺は保安の仕事一筋だ。女房も子供も,俺がこの仕事で養ってきた。
俺は家でも病院でも大黒柱だ」
「…」
「病院で一番偉いのは院長だ。当たり前だ,だから院長なんだ。だがな,いくら院長でも
病院の安全を守る問題にはとんと疎い。だからその問題はこの俺が解決するんだ。
病院の安全を守っているのは俺だ,わかるか」
「…」
「だから,その意味で言えば,俺が病院で一番ということになる。よく覚えておけよ」
ますます胸を張って得意げに話す“保安担当”の男。一瞬酔っているのかと疑ってしまうほどの
テンションであったが,そうでない様子からするといつもこうらしい。
一方,ますます神妙さを装う三島君。
「いいか,今日のところは勘弁してやるから,今度からは気をつけろよ。
ただのセールスマンの分際で俺のことを守衛呼ばわりしたら許さないぞ」
「…!」
うなだれていた三島君の表情が一瞬にして変わる。そして…
「お言葉を返すようですが」
「!」
「私のことをただのセールスマンと言いましたね。ずいぶんと失礼な言い方じゃないですか。
私はシステム渉外担当です。現状分析からはいって,問題点の抽出,計画の策定,そして
システムの構築,その運用から改善まで,最前線に立ってアドバイスし,お客様と共に
理想の情報管理体制を作るのが私の仕事です。技術屋が作った出来合いのものを,
頭下げるだけで売り歩くそこらのセールスマンとはわけが違います。いっしょにされては困ります。
私はセールスマンではありません。システム渉外担当です」
以上
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