木村なおこのちょっとした憂鬱

 

                             一光 輝瑛 

 

 

「木村さん,大山部長が来られるのは何時だったかな」

「はい。10時の予定です」

 とあるビジネス街の某所にある,ちょっと背の高いビルの8階。中堅商事“銀河商事”の,

総合企画室があるフロアである。

 朝,いつにない張り詰めた雰囲気の中,やや前かがみになった風で課長席に腰掛ける徳田課長と,

その右斜め前の席に座っている木村さんとの会話であった。

「いつものことだからわかっているとは思うけれども,くれぐれも失礼のないようにな」

 ここ総合企画室には,というか,銀河商事のほとんどのセクションに共通のことだったのだが,

課長席の後ろ,本来最も上座と思われるスペースに,普段は使われることの無いデスクがあった。

 一段と広い机,かなり立派な椅子。が,それらが普通の日に使用されることは無かった。

本来,使いたいような状況になっても,暗黙の了解がそのスペースだけを

喧騒から解放していたのだった。まあ,冷静に考えればムダということなのかもしれないが…

 が,そのような場所であっても,各セクションの“上役”達には,

重要な場所として認識されていたのだ。

 さて,そんなデッドスペースが日の目を見る日が,約一ヶ月に一度だけやってくる。

 そして,ちょうどこの日はその日であった。

 

 

 10時,徳田課長をはじめとして,総合企画室の面々は落ちつかない様子。

星野氏は書類に何かを書きこむ様子だが,頻繁に顔を上げては周囲をうかがう。

内田君はパソコンに向かっているが,日頃の軽いキータッチからは程遠い。

そして,木村さんはいつでもお茶がいれられるよう,給湯室にてスタンバイ,

そんな状況であった。

 

バタン

 

 行儀悪くドアが開き,ただ一人,妙に威厳のある雰囲気の男が入ってくる。

なぜか早足に進み,まっすぐに徳田課長の後ろ,つまり日頃は使われることの無いデスクにつく。

 月に一度の恒例行事,そして恐怖の行事,“部長臨店”がはじまったのだ。

 

「おはようございます」

「ああ,おはよう」

 総合企画室の面々が,いっせいにそのデスクに集まり,それぞれ挨拶してはもどってゆく。

それを,やや面倒な様子で,軽く流す部長,大山部長であった。

「ところで,徳田君。例のプロジェクトはどうなっているかね」

「はい。順調に進んでおります」

 徳田課長は,あらかじめ準備してあったらしい,一山の書類を持って“部長席”に駆けつける。

「次回の常任会で協議にかける予定です」

「そうか。あれがどうなるかで,今期の業績が左右されるからな。慎重にやってくれよ」

「はい。こちらがその資料で…」

 徳田課長は,やや重そうなその資料を,はやく大山部長に渡してしまいたいようなそぶりであった。

「相変わらず書類ばかり多いな。…まあ,いいだろう。常任会に備えて,目を通しておかなくてはな」

「はい,お願いします…」

 書類をデスクにどんと置いた徳田課長は,なんとか一安心,といった様子で自分の机に戻るが,

書類に目を通しはじめた大山部長の方向が気になってしかたがない。

 

 

「ところで…」

 大山部長が顔を上げ,一言つぶやくように言うと,即座に徳田課長が振り向き,立ちあがる。

「今日の新聞はあるかね,徳田君」

「はい,すぐに」

 徳田課長は予想外の注文に慌てながらも,机の横に置いてある自分のかばんの中から,

『日刊経済新聞』を取り出す。ちょっとしわになっているのが気になったが,

それでもすぐに部長席に“提出”する。

 大山部長は,手に取り,一面を見て

「いや,徳田君。これじゃなくて,毎朝読新聞の方だがね」

「…毎朝読新聞でいいのですか」

「ああ,そうだ」

 徳田課長はとっさに横を見る。さっそく,木村さんが立ちあがって,新聞を探しに出かけると,

すぐに部屋に戻ってくる。課でとっているものだが,今日はどうやらまだ誰も目を通していない

らしく,折り込みがそのままはさまっている。

「課長さん,どうぞ」

 まるでリレーでもしているかのように,木村さん,徳田課長,大山部長と,その新聞が渡される。

 さきほどの『日刊経済新聞』よりも,やや華やかな一面をチラと見て,大山部長はその

『毎朝読新聞』を開いてゆく。徳田課長はまだ落ちつかない様子で,立ったままその様子を見ている。

木村さんはいったん席につくが,それでも落ちつかない様子で部長席を見ている。

「ちょっと,ここのところをコピーしてもらいたいのだが…」

 “コピー”と聞いて,徳田課長は再び木村さんの方を見る。木村さんも即座に反応して,

部長席の前に立つ。

「ここの面だが,何枚かコピーを頼むよ」

「はい。かしこまりました」

 木村さんのいつにない丁寧な返事に,かえって徳田課長が驚いた表情を見せる。

 

 

 コピー機のところに行くと,たくさんの書類を持った星野氏が,機械と向き合っていた。

「すみません,木村さん。大事な会議の書類を大急ぎでコピーしているところで…」

 一度にたくさんの枚数のコピーをしているらしく,コピー機はフル回転していた。

木村さんはあきらめたように戻りかけるが,もう一度手にした新聞を見て,

「すいませんが星野さん,これも急ぎなんです。大山部長さんのコピーで…」

「…!」

 星野氏は,とっさにコピー機の割り込みボタンを押す。

「それはそれは」

「…」

 木村さんはちょっと顔をしかめながらも,手際よくその星野氏の“重要な会議用の急ぎの書類”

をコピー機からよけ,大きな新聞の目当ての面を不自由そうにコピーしはじめる。一枚とって,

その後色の濃さと,新聞の位置,向きを調整する。この作業を何度か繰り返し,何とか満足のゆく

コピーができたらしく,もう一度確認して,デスクに戻ってゆく。

ちょっと困った顔をしている星野氏に,軽く会釈して…

 

 

「書類のコピーというのはだね…」

 木村さんが差し出したコピーを見て,大山部長が顔をしかめる。

「きれいにとるだけではだめなんだ。回覧するわけだから,回覧印をもらうためのスペースを,

上の方に残しておかないと。これじゃあ,回覧印を押す余白がないだろう」

 

 

「ごめん,もう一回頼むわ」

 再び新聞を持ってコピー機に舞い戻ってきた木村さんを見て,星野氏はおとなしく引き下がる。

 木村さんは,再び何度かコピーをとり直して,刷り上ったものをチェック,

やや満足そうな顔をして,再び部長席に。

 星野氏の“大急ぎの作業”が再開されるのも見ずに…

 

 

「新聞のコピーというのはだね…」

 再び大山部長が顔をしかめる。

「記事だけきれいにとってもだめなんだ。これでは,いったい何をコピーしたのか

わからないだろう。きちんと,枠外にある○○新聞○年○月○日までとらないと」

「…」

 わざわざ気をきかして枠外をカットしていた木村さんは,再び新聞を持ってコピー機に走る。

 

 

「ごめん,たびたび…」

「…!」

 星野氏はさらにあせった表情になるが,それでもあきらめた様子で木村さんにコピー機を譲る。

木村さんは同じ作業を何度か繰り返し,今度こそは,という表情になって再び戻ってゆく。

その背中を見る間もなく,星野氏の手がフル回転を再開する。

 

 

 木村さんは,恐る恐る部長席にコピー紙を提出する。大山部長はちょっと満足そうに

その書類を見る。A4の紙のちょうどよい位置に,“大規模店舗相次ぎオープン”

“地域活性化なるか”という記事が出ている。『毎朝読新聞』の,地方版の記事であった。

 

「ああ,悪いが,この記事じゃないんだがね…」

「…!」

「コピーして欲しかったのはこの記事じゃなくて,隣のこの記事なんだ。

これが真ん中に来るように,もう一度頼むよ」

 木村さんは慌てて大山部長が指差す記事を見る。“ミスフェスティバル決定”

“地域行事などに参加”という小さな記事が,写真入りで載っている,確かに。

「…この,この記事ですか…」

 明らかに驚いた様子で,木村さんが大山部長の顔を見る。大山部長は,

ちょっと恥ずかしそうな表情になって,

「いや,実はね。うちの娘が“ミスフェスティバル”に選ばれてね…,

そのことが載っている記事なんだ。写真がきれいにうつるように,

うまいことコピーしてやってくれ」

 

 

 恐怖の“部長臨店”が終わった夕方5時30分。総合企画室も,

ようやく落ちつきを取り戻していた。

「内田,星野はどこにいったんだ」

「はい。総務課との会議から,まだ戻られておりません」

「ああ,あの会議か…」

「ずいぶんたくさんの書類をもって,あせって行かれたようですが」

 ほっとした表情の徳田課長と,内田君の会話であった。課長席の後ろの“部長席”は

再びきれいに片付けられ,もう誰も振りかえるものは無かった。同じセクションの他の人達は,

まるで日中にたまった仕事をやりあげるように,それぞれ必死に手を動かしていた。

 

「ところで,木村さんはどうした…」

「はい。定時に帰られました。なんでも,営業課の友達を呼び出して,飲みに行かれるそうです」

「…そうか。無理もないな…」

 苦笑した徳田課長は,デスクの右側に積み上げられた書類から,

回覧用のバインダーを一つ取り上げる。

「内田,星野が戻ってきたら我々も飲みに行くことにしよう。そうでもしないとな…」

 徳田課長は,手もとのバインダーにはさまれた書類をチラと見て,それを内田君に手渡す。

「こんなおめでたいこともあったことだしな。お祝いに一杯やろう」

 内田君は手渡された回覧書類を見る。強調されるように赤線で囲まれた中に,

“ミスフェスティバル決定”の記事が踊っていた。

 

 以上   PN 一光輝瑛

 

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