霧の思考
一光 輝瑛
村上の視線は,さっきからずっと宙をさまよっている。確かにそうだ。
焦点が定まらないようで,何かを見ているのではないようだ。
プシュー
いつもの空気の音がして,ゆっくりとドアが開く。そして,無言の乗客たちが入れ替わる。
いつもは混雑が目立つ路線なのだが,さすがに日曜日だけあって,乗客は少ない。
「あれ,村上じゃないか」
「…!」
「偶然だなぁ,」
「ああ…」
村上は,相変わらず宙を見つめたような,ぼぉっとしたような感じで,
新しく乗り込んできた石川の顔を見る。
「どうしたんだ。元気なさそうだな」
電車が動き出すと,すぐに窓の外は真っ暗になる。地下鉄特有のモーター音を残し,
車両が加速しているのがわかる。
「別に元気がないわけじゃないんだけどな」
がらがらの車内で,石川は村上の横にゆっくりと座る。座席に余裕があるせいか,
通常では許されないようなスペースの取り方であったが,この場合は逆に自然に見えた。
「さっきから,どうしたんだ?考え事か」
「そうだ…」
やはり元気のない村上の声。
窓から光が差し込み,駅を告げるアナウンスが耳に入る。乗り込んでくる乗客もいたが,
むしろ降りる客のほうが多い。
「悩み事か?」
「ああ…」
「珍しいな,おまえが悩み事なんて」
「珍しくはないさ」
「…しかし,ずいぶん深刻そうだな」
列車は再び加速をはじめている。かすかな揺れが,床を通じて伝わってくる,そんな感じだ。
「俺たちは,どこから来て,そして,どこに向かっているんだろう」
「…え?」
「俺たちは,どこに向かって行くべきなんだろう」
「…なんだよ,それ?」
「俺たちの生きる目的って,いったいなんだろう」
「…おいおい,いったい何の話だ」
「悪いな,いきなり難しい話で」
「…難しい,か。というか…」
「ずっと考えているんだけどな。どうしても答えが出ないんだ」
「…」
「俺たちって,いったい何のために生きているんだろう」
「…それって」
「俺たちの生きている意義って,何なんだろう」
「…確かにわからないな,けどな…」
「俺たちってさ,あたりまえのように生きているけどさ,これって,このままでいいのかな。
こんな基本的な問題にも答えが出せずにさ,それでのうのうと生きていて,それでいいのかな」
「命をつなぐために生きている。子孫を残してゆくために生きている,ってのはどうかな」
「それが目的なのかな。でも,じゃあ,つながれた命の目的は何なんだ?」
「……」
「それに,それが目的って,とてつもなくむなしくなるじゃないか。
愛だ恋だ家族だって言っても,結局それが目的なのか?」
「…」
「もしもさ,それがゴールだったとしても,そのために生きているって,
むちゃくちゃむなしくはないか。俺たちは家畜じゃないんだ。考える能力も,思う心も持っているんだ。
それじゃあ,それはいったい何のためにあるんだ?」
「…じゃあ,自分のしたいことをするために生きているってのはどうかな」
「ああ。それも考えたんだけどな。でも,それじゃあ,俺たちの“したいこと”って,
いったい何なんだ。自分で勝手に決める,ああ,そうかもしれないけれども,そんなんでいいのか。
生きる目的,行くべきところだぞ。そんないいかげんな目標のために,俺たちは生きているのか?」
「…」
「人生って,余興か,快楽か。そんなものじゃないだろう。じゃあ,俺たちの苦しみは何だ。
何のために…」
「…結局,その目的をみつける,探すために生きているのかな」
「それも考えたさ。でも,つまりは,それをみつけるって,何だ。何をみつけるんだ?」
「それは…」
「じゃあ,それをみつけるまでは,その人生は何だ,もしみつけられなかったら,
その人生は無意味か?これだけの時間と,これだけの労力をかけて,その人生って,何だ?」
「…」
「逆に,もしみつかったとしたら,それで人生は終わりか?」
「…」
「しかも,個人的に勝手に探せばいいだけの話か。俺たちには仲間がいる,社会もある。
それはいったい何のために…」
地下鉄は着実な進行を続けていた。乗客はますます減って,
まるでこの二人から距離を置いているようにまで見える。
「結局,そんなこと,考えても仕方のないことなのじゃないかな」
「え」
「考えて結論を出すにはさ,あまりにも大きすぎるよ」
「…」
「それに,そんな問題に,結論を出してしまうのはさ,本当に正解なのか?」
「…けど…」
「人生にはさぁ,どう考えても結論が出ない,逆にどう考えたっていい問題ってのも
あるんじゃないかな」
「…それは…」
「考えないようにしよう。それが一番さ。ここでこれに悩んでも,きっとその先はないんじゃないかな。
考えること自体無駄だとは思わないけれど,無理に結論を出すのはどうだろう」
車両は再び暗闇に入る。時折,金属音が響くが,不思議と気にならない。
「幸せな話だよな。問題を先送りする。というか,問題に目をつむったまま生きて行くのか」
「…それも違うと思うけど」
「じゃあ,いったいお前の悩みは何だ。お前には解けない疑問ってないのか。…あるだろう,
そうだろう…」
「ああ,あるだろうな…」
「…」
石川は,ゆっくりと席を立ち,大きな窓に向けて歩く。斜め上方を見る目つき。
そして,ゆっくりと振り返る。
「昔から疑問に思っていたんだけどさ」
「…」
「地下鉄の電車って,いったいどこから地下に入れたんだろう?」
以上 PN 一光輝瑛
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