2点差を追いかける,最終回裏の攻撃。5丁目チーム,つまりうちのチームは
大チャンスを迎えていた。1アウト満塁。ベース上には3人のジャージ姿の男が,
それぞれ落ち着きのなさそうな様子で立っていた。
ここで,迎えるバッターは交差点前の肉屋の川上さん。ちょっと力んだ様子が見えるが,
それでも,真剣な目つきになって素振りをしている。
「さあ,川上さん,頼みますよ!」
一光 輝瑛
年に一度の町内ソフトボール大会。天候にも恵まれ,わきあいあいと進んでいた。
せっかくの日曜日に駆り出された大人たちであったが,近所仲間との付き合い,
そして自治会同士のプライドをかけた闘いのため,早朝の準備から文句も言わずに出場していた。
その1回戦…
守備側,8丁目チームのエースは,ウインドミル投法からの速球で5丁目をきりきり言わせたが,
ここに来てタイミングが合い始めたか,こちら側のベンチにもようやく自信の表情が見え始めた。
「さあ,一気に行きましょう!」
叫んだのは,最高齢の永山さん。今日は監督気取りだ。
「ん?」
白線で無造作に引かれたネクストバッターズサークルの中で,次の打者,
吉川さんが妙な格好をしていた。額に手をあて,まるで熱を測るかのよう。
「吉川さん。どうかされましたか?」
「え?」
話しかけた私に,吉川さんが疑問の表情を投げる。
「ああ,これね」
吉川さんは,誇張するように額の手をはずし,改めて置く。
「これは,おまじないなんですよ」
「おまじない?」
「はい。絶対にヒットが打てる,最強のおまじないです」
吉川さんは,つい数ヶ月前,県営住宅に引っ越してきた人で,自治会の行事には初登場だが,
『昔ソフトボールをやっていたらしい』との噂で,私が誘ったのだった。
「小学校の頃から,手をこうすると,なぜか必ずヒットが打てるんですよ。」
吉川さんは,まだ額に手を置いている。
「え?,本当ですか??」
「本当,本当ですって。このおまじないには,裏切られたことが無いんです」
「はは,いいですねぇ。それなら,全部の打席,ヒットが打てるじゃないですか」
「それが,この方法で打てるのは1試合一回のみと決まっていまして,今日は,
この打席で使うってことです」
「はぁ」
吉川さんの目は驚くほど真剣で,聞いているこちらが思わず引いてしまうほどだった。
「とにかく,このおまじないは絶対,“絶対”なんです」
「ああ〜」
川上さんの打球は,ふらふらと上がり,そのまま外野手のグラブにストンと収まった。
浅いレフトフライ,ランナーは一歩も進めず。
「あらら,二死満塁になりましたよ…」
「そうですね。まさに最後の大チャンス,…今こそこのおまじないの力をみせてあげましょう」
「…」
吉川さんは,ゆっくりと打席に向かう。そして,打席の前でもう一度額に手を当ててみせる。
「大丈夫かなぁ,吉川さん…」
不安そうな永山さんが,私の背中に話しかける。
「さあ…」
実は,今日の吉川さんはいいところが無かった。立った2打席はいずれもボテボテのピッチャーゴロ,
守備でもエラーこそ無いが,危なっかしい動きではらはらさせていた。背は低く,線は細い。
一方のピッチャーは大柄で豪腕。正直言って,私の目には打球が前に飛ぶことが
不思議であるかのようにも感じられていた。
「何とかここで…」
永山さんの言葉は,祈るように語尾が消えた。
カキーン,
「!」
吉川さんのバットから弾けた打球は,サードの左,矢のように突き刺さってファウルボールになった。
「当たった!」
「…おしいなぁ…」
「いや,でも,恐ろしく良い当たりでしたね」
「確かに。これは当たるぞ…」
「…」
見ると,吉川さんは再び額に手を当て,改めてバッターボックスに戻る。
8丁目のエースも投げづらそうに軽く肩を上下させる。
「…これは…」
吉川さんは日頃見たことが無いくらいの真剣な目つき,むしろにらむくらいの視線で
ピッチャーに対している。いったいどこからきたのだろうかと思ってしまうような,
全身に満ち溢れる自信。
投手は大きく息をついて,そして投球動作に入る。吉川さんは大きく構えて球を待つ格好。
そして…
「!」
カキーン
金属バットの乾いた音が,どこまでも届くような鋭さで響いた。
「うわぁー」
ピンポン球のように弾かれたボールは,レフトとセンターの間,その守備半径のはるかかなたに向け,
ぐんぐんと伸びていった。外野手はいっせいに追跡を開始するが,
白球はそのさらに向こうにまで軽々と伸び,そして大きくバウンドした。
「…」
あっという間に2人のランナーが戻ってくる。そして,3人目は三塁ベース上で速度を緩め,
余裕のラストランに移った。ピッチャーは呆然とした様で,背中をこちらに向けたまま,
目だけでボールを追った。白球は,いまだ走る外野手の向こう側ではじけるように転々としている。
「やった,やった!」
5丁目チームのベンチは,蜂の巣をつついたような大騒ぎで,劇的なサヨナラ勝ちに酔っていた。
が,本来その輪の中心にいるべき“監督”の永山さん,そして私は,ただただ呆然と,
外野のはるかかなたを見つめていた。
「…」
「これってなぁ,…物理法則に反していないか?」
以上 PN 一光輝瑛
ご感想等,メールはこちらまで。
E-mail kiei_ichi@geocities.co.jp
この作品は,あくまでもフィクションです。
この作品の著作権は,作者に帰属します。