一光 輝瑛
いつも処方箋を持ってゆく,行きつけの薬局に行ってみると,店頭には違う男が立っていた。
どこかしら雰囲気が変ってしまったような気分がしたが,それでも封筒に入った処方箋を手渡す。
「しばらくお待ちください」
やや機械的な感じがする声。そして奥に入る。
「!」
おかしい,ここの窓が擦りガラスに変っている…
「お待たせいたしました」
同じ男が出てくる。
「お薬三種類出ています。それぞれ毎食後,1錠ずつ服用してください」
男は,事務的な言葉遣い,そして,無表情のまま,銀色のパッケージを袋に詰めはじめる。
「…」
「1750円になります」
「…」
手渡した2000円を,男は無造作に受け取り,手早くレジを叩く。
「250円のおつりになります。ありがとうございました」
「…あのぉ…」
「はい,なんでしょうか」
「この薬は…」
「お医者様の処方箋の通りに調剤いたしました」
「いえ,それはわかっているのですが…,いったい,この薬は何に効く薬なのですか…」
「もちろん,お客様の症状にあわせたものとなっております」
「ですから,それは当然のこととして,いったい,どの薬がどの症状に…」
「薬は3種類で一まとめとお考えください。
どれか一つだけで効果が十分というわけではありません」
「ですから,そんなことが聞きたいんじゃなくて…」
徐々にいらだってきたのが,自分にもわかる。
「以前は,薬を渡してもらうときにはいつも詳しい説明があって,
かなり細かいことまで教えてもらえたのですがね。特に最初のときは入念に」
「はい,前任者はそうしていたかもしれませんね」
「じゃあ,あなたは違うのですか?」
「はい,違いますよ。私はお医者様が指示した通りに調剤して,お渡しする。
それが仕事であると心得ております」
「!,それは違うでしょう。薬局は,たとえ処方箋の通りであっても,
自分が調剤した薬には責任を持つのが当然でしょう」
「ええ,もちろん責任は持っていますよ。効果ある薬しか調剤しません」
「そんなこと言ってるのじゃないでしょう!,薬剤師は,患者に対して,
自分の調剤した薬を十分に説明する義務がある,そうではないですか?」
「さあ,それはどうでしょうね」
「!,前はそうだったでしょう!,あなたの前任の人は,三種類薬があったら,
どれがどの症状のための薬か,どんな効果があるのか,どんな副作用があるのか,
全部説明していましたよ。そして,詳しい説明書まで添付していた。それが,あなたは何ですか!,
薬は三種類,毎食後1錠ずつ,それしか説明して無いでしょう」
「はい,そうですね」
「そうですね,じゃないでしょう!」
幸い,薬局には他の客は来ていなかった。狭い店内に,私の声はよく響いたが,
奥にいるほかの店員も,まるで関係ないかの様に仕事を続けていた。
「そもそも,今は情報公開の時代でしょう。政治だって,経済だって。
我々は奇妙なブラックボックスなど必要としていないんです。
それなのに,あなたのその態度は何ですか!,
患者にはどうせわからないだろう,そんな雰囲気がぷんぷん伝わってきますよ」
「…そうかもしれませんね」
「!,…」
店員の飄々とした態度に,私の我慢は限界にまで達しようとしていた。
「あなたは,我々患者の権利を何だとお考えなのですか! それっておかしいでしょう,
どうして,自分の飲む薬について,十分な告知・説明を受けることができないのですか?
私らは,得体のしれない薬を飲まされるのですか?!」
「しかし,効果のある薬ですよ。そして,飲み方はご説明しました」
「…」
「効果のある薬を効果的に飲むのなら,それで良いじゃないですか。
私だって,商売でやっているんです。患者さんの利益が,私達の利益につながっています。
それで十分でしょう」
「…」
どうしても納得の行かない私は,さらに食い下がった。
「何事も,何者も,商売の折には自らの提供するものの内容について,
十分な説明をするのがマナーってものでしょう。車のディーラーは車の説明をする,
物には詳しい取り扱い説明書をつける。危険なら危険である表示をする。
これが,世の中の常識でしょう!」
やや力説して,私はちょっとだけ気まずい思いをする。
が,男の顔色には一向に反省の色は出てこない。
「…」
「お客様。確かにお客様の言うことは正しいかもしれません。
しかしながら,そればかりが正しいこととも言えないのですよ」
「!」
「おっしゃる通り,情報公開の流れの中,説明する義務がおおっぴらに主張されてきました。
商店でも,金融でも,官庁でも。そして,それは医療にも及び,治療法からガンの告知まで,
まるで知らせることが当然のような意見が,最近の主流を占めてきました」
「…」
「ですが…」
男の表情が,どこか悲しげなものに変った。
「“知る権利”の話はともかくとして,何でも教えれば良いという考えには,私をはじめ,
多くのものが疑問をもち始めています。
…そうですね,一昔前,“まぜるな危険”の表示が話題になったのは覚えておいでですか」
「塩素系洗剤の…」
「そうですね。あれが話題になったとき,多くの人は,『混ぜると危険だ』との認識のもと,
洗剤をきちんと使った。…しかし,それがすべてではなかったのです」
「…」
「逆に,『ならば混ぜるとどうなる』と,本気で危険な混ぜ方を試してみた人も多かったそうです」
「!」
「まあ,被害が出たかどうかは知りませんが,少なくとも,知らなければ絶対に混ぜなかったものを,
逆に混ぜて楽しむ人がいたわけです」
「それは…」
「他にもこんな例はありますよ。スプレー缶を火に投じたり,電熱器を過剰に加熱したり,
説明書きに“危険だ”とあるものに限って,それを試してみる輩は後を絶たないそうですね」
「子供のいたずら…」
「まあ,そんなところですかね。しかし,やっているのはれっきとした大人ですよ」
「…」
「まあ,いたずらですむようなものは良いのですが,医薬関係になるとさらに難しくなります。
最近では,“医師の指示で服用してください”となっているかなり危険度の高い薬が,
一般薬としてよく売られているのですが」
「胃薬,とか…」
「そうですね。しかし,逆に,無視して飲んでしまう患者も多いそうです。
危険を承知で,スリルを味わっているつもりなのでしょうが。
まあ,自分で自分を傷つけるうちは問題ないのですが」
「…他人を…」
「そうですね。“危険な薬”イコール“気をつけて飲む薬”と解釈する人だけでなく,
“効果的な毒薬”として考える輩も,一部には存在します。
もちろん,意識して飲む分にはよっぽどのことをしないと危険は無いですが,
故意にもしくは密かにであれば…」
「…」
「本来人を救うはずの“医療薬品”が,“自殺薬”にも,“他殺毒”にもなるのです」
「…」
「さて,薬の内容は,十分に説明した方が良いのでしょうかね?
世の中の人が,すべて賢明な人ならそうしましょう。しかし,私にはそうは見えません」
男は,少しうつむいて,深いため息をつく。
「…」
背筋に冷たいものが走る。もう一度男を見ると,今度はこちらの目をじっと見ている。
「…悲しい話ですね…」
「悲しい時代ですよ」
以上 PN 一光輝瑛
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