虚空の趨勢

 

           一光 輝瑛

 

 

 金曜日の夜の帰宅への道は程遠く,道筋は一直線に居酒屋へと続いている,のかもしれない。

まあ,要は飲みに行くことがあまりにも多い,というか,まっすぐ帰ることなど

ほとんどないというか…

 同じ職場にいる二桁の男性社員のうち,誰か一人が言い出せば自然に輪ができる。

まあ,それはそれで和やかな光景なのかもしれないが,この若さでサラリーマンの悲哀を

全身に湛えることになっているのはあまりにも悲しいのかもしれない,などと,

堀内君は考えていた。もっとも,彼自身飲みに行くのは嫌いでない,というか,

好きだというか…なのだから,文句を言うべきではないのだろうが,それにしても

「とりあえず,生を人数分。それと,早くできるもの…,そう,やっこを人数分」

 などと,下っ端の手際よさで注文している光景は,やはり“哀しきサラリーマン”の姿,

そのものだった。ううむ,日本にさえ生まれなければ…

 

「それにしても,今度の人事異動が気がかりだな」

 数杯の生ビールで顔を赤らめた課長が,やはり話題の中心でくだをまいていた。ふと見ると,

堀内君も含めて外商担当の人間ばかり,十人ほど,これが今日の飲みのメンバーだったから,

自ずとその場の雰囲気は外商課の課長が牛耳る。

「要は,次に誰が外商に来るかだ」

 場の話題は,一週間後に予定されている,人事異動の内示に関することに集中していた。

「ええっと,この支部が長いのは,村上さん,三島さん,そして私ですかね」

 堀内君の3年先輩にあたる楠木が,やや期待を持った目つきで話す。

「まあ,楠木,安心しろ。お前の転勤はない」

 応酬したのは,そのさらに一つ先輩の伊東であった。彼は半年前の異動で

転勤してきたばかりだから,次の転勤とはなんの関係もない人間であった。

「まあ,順番通り行くかどうかは別として,やはり今回は外商課から二,三人は出るだろうな…」

 再び,課長が場を制するように話す。

 

 ガラガラっと扉が開き,若い女性店員が料理を運んでくる。“ヤマイモのバター焼き”

三人前であった。人気メニューには違いないのだが,毎週食べているような気がして堀内君は

『ああ,またか』という表情になる。が,

「ええっと,生の追加を…ええっと,おかわりはどうですか,三島さん,楠木さん…,では,生を四つ」

「はい,生を四つですね」

「あ,課長さんは冷酒いかれますか。はい,じゃあ冷酒を二本,銘柄は千代福で。グラスは四つで」

 …他の人の持つグラスの状況を見ながら追加注文を出すのも,

若手である堀内君の大切な仕事であった。

 

 そうこうしている間に,人事異動の話は進行していた。1週間後に発表になるのは,

本店からの異動通知の内示,つまり誰がどこの支部に移るかという,大きな範疇での配置変更の話。

その後,各支部の判断で,支部内の配置を決定することになる。

 堀内君の会社では,男性社員は主に経理等を担当する事務課と,セールスマンとして活動する

外商課のどちらかに配属されることがほとんどだった。多少語弊はあるが,

どちらかというと外商の方が花形であり,特に若手社員は事務で鍛えてから

外商に配属するのが通例になっていた。

「例えば二人出たとして」

 課長は注がれた冷酒に少し口をつけ,それからも同じペースで話した。

「誰が新しく外商に出るかが問題だ。うちはこの前の調整異動で一人抜かれているから,

三人は補充があるだろう。一人は新しく転勤してくるやつがなるとして,後の二人は事務課からか…」

 軽快な課長の口調も,ここに来てややトーンが下がる。

「順番から行くと,杉田,近藤,ですかね」

 杉田,近藤の二人は,堀内君の一つ後輩であった。ちなみに,堀内君が外商課に移ってきたのは,

ちょうど1年ほど前のことだ。おや,そう言えばもう1年になるのか,早いものだ。

「まあ,杉田はともかくとして,近藤か,冗談だろ,あんな外商向きじゃないやつもいないぞ」

「いや,近藤もそれなりにがんばってますよ。それに,そろそろ外商も経験しないと…」

 助け舟を出したのは村上であった。

「いや,それにしても,近藤は勘弁してほしいな。あいつは外商向きじゃない。

あんなやつが物を売りに来て,誰が買うんだ」

「いや,結構ガッツはある男ですから」

「ガッツがあってもだめだな。雰囲気の問題だよ。表に出てくるものがない。

あいつに外商を任せても,業績は上がらないだろう」

「そうですかね…」

「じゃぁ,一つ後輩で,内山あたりが外商に来ますかね」

 今度は三島の一言。

「内山か…」

 課長が再び困ったような顔をする。

「あいつは元気は良いが,ちゃらんぽらんなところがありすぎる。あんなやつに

大切な取引先を任せてみろ,どうなるかわかったもんじゃない。苦情が殺到するぞ」

 

 その場の末席にいた堀内君は,そんな課長の顔を見ている。この課長は,ちょうど二年前から

この課を担当している。そして,その左横に座っている塩田,彼は堀内君の三つ先輩だったが,

やはり課長と同時期に転勤してきた口だ。

 堀内君の視線が塩田の顔に行く。毎週のように来ている居酒屋,毎週のように居並ぶ顔ぶれ,

そしていつかあったであろう位置どり。それでも,なぜか塩田の顔に堀内君の目が吸い寄せられる。

そして…

 

 

…一瞬堀内君は視界が遮られたような気がして,次の瞬間,周囲を見る,が,何か違和感がある。

もやもやっとした感じ。そして,手袋で手探りをするような感触。確かに今までと同じ光景,

そして,課長,その横に塩田…

「…え…」

 同じ居酒屋の,同じ部屋。だが,メンバーが若干違っていた。島本さん,富田さん…あれ,

この二人は確かこの前転勤したはず…

 そして自分はどこにいる…

 

「要は,次に誰が外商に来るかが問題だ」

「ええっと,うちの課から二人は出るとして,事務の若手から一人は移ってきますね」

「と,いうことは,順番から行くと,堀内が来ますかね」

「馬鹿言え,堀内だって。あいつほど外商に向いていないやつはいないぞ」

 課長の飲んだときの口調,これはまったく同じであった。そして,堀内君はまったくの傍観者として,

そこに意識だけがあった。自分はいったい…

「でも,堀内も内務が長いですから,そろそろ外に出さないと」

「だがな,堀内は難しいぞ。外商向きじゃない。だいたい,あんな愛想がないやつに外商をやらせて,

誰が物を買うんだ,お前,もし客だったら買うか」

「でも,彼もがんばってますよ」

「だめだめ,努力の問題じゃないんだ。向き不向き,それが問題だ。あいつがうちの課に移ってきたら,

上司である俺がたいへんなことになる」

「まあ,課長さんそこまで言わなくても…」

「じゃあ,一つ後輩で,杉田とか,近藤とかですかね」

「杉田か…」

 

 

「…!」

 再び視界を遮られる感触。そして,室内の暗めの照明が,ちょっとだけ明るくなったような,

そんな感触。自分は…確かにその席の一番端に座っていた。隣,そしてその隣,間違いなく,

先ほどと同じ顔ぶれ。

「…でも,やっぱり近藤が来るんでしょうかね」

「…近藤か…」

 苦虫を潰したような,課長の表情。が,

「まあ,最終的には支部長が決めることだから,我々には決定権はない。確かに支部長の話では,

若手の,外商未経験者を優先して外商課に配属させるそうだ」

「そうですか」

 横の塩田。ちょっとうかない表情ではある。

 課長は,手もとの冷酒のグラスを軽く傾け,なめるように日本酒を飲む。

「まあ,ますます素人が入ってきて,外商課もたいへんになるが,お前ら先輩連中がしっかりして,

うちの課を盛り立てて行かないとな。頼むぞ」

 課長は,再び良く言えば陽気な,つまり酔っ払いの表情に戻る。居並ぶ先輩達も,

うなずいたように自らのグラスや箸に手を移す。

 課長の目が一瞬泳ぎ,そして,末席の堀内君の方に視線が来る。

「お,堀内,どうした。今日は妙に静かじゃないか」

 

「…」

 

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

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