ミクロマクロ

 

 

                   一光 輝瑛

 

 

「会議室の電灯をこまめに消せば良いと思います」

「資料の枚数をきちんと管理して,無駄なコピーを減らすべきです」

「電話を私用で使っている人がいます。再度禁止を徹底すべきではないでしょうか」

「エアコンの温度をもっと低めに設定すべきです。その方が体にも良い…」

 

「うぅむ…」

 

 もっともらしい意見が次々と出たが,中央に座る社長の表情は曇ったままだった。

 『21世紀を展望しての全社員会議』と銘打たれた今日の会議だったが,

10名ほどの社員達に活気は無かった。水曜日のみんなが早く帰りたい夕刻に設定したのも

まずかったが,何よりもその論題の漠然としたところに問題があったようだ。

「わが社が,今後ますます発展して行くために,みんなの自由な発想を聞きたい」

 社長のその一言で始まった会議ではあったが,その後,沈黙。

「えぇっと,つまり,うちの社が,利益を増やすにはどうすればいいのか,

その辺でみんなの意見が聞きたいということだ」

 専務があわてて言い換えるが,この言い換えの時点で社長の思惑は外れてしまった。

 

 

「やはり,無理があるか」

 会議後,社員達が足早に夜の光に向かって行き,取り残された社長は頭を抱えた。

「なかなか,会社の将来を見据えたような意見は出ないものですね…」

 専務が,まるで人事のように付け加えるが,社長は気にもしていない様子。

「役員の交代でもするか」

「え?」

 専務が慌てて立ち上がる。

「まあ,それもまた無意味だろうが…」

「…」

 社長は,デスクから“ウィークリービジネス”を取り,なれた手つきで開く。

どうやら,これが社長の突如とした発想の起点になったらしい。

「2000年を迎え,ビジネスはますます加速して行くが,生き残るには…」

「社長,わが社は今のところ磐石な経営基盤を持っています」

「次の時代を見据えた新しい発想が…」

「取引先も安定していますし,収益も十分な水準です」

「常に起業家としての精神を忘れることなく…」

「…」

 専務は社長の横顔を眺める。

「ビジネスサイクルはますます短くなる。勝ち組と負け組の差はますます開いて行く…」

 どうやら社長は独り言を連発していた。まさに,“ウィークリービジネス”に

毒されてしまった形らしい。

「それでは社長,お先に失礼いたします」

 まるで逃げるように,専務はかばんを持って後ずさりする。社長の目は宙空を眺めてぼやけていた。

「…今まさに斬新なアイディアが必要とされている…」

 

 

「え?,専門家,ですか…」

「そうだ」

「しかし…」

「わが社の将来のため,今は斬新な改革が必要だ。そのため,わが社の実態と将来について,

専門家から的確な助言をもらおう,と,いうことだ」

「経営コンサルティング,ですか」

「いや。ありふれたコンサルティングなんて求めていないよ。それよりも,

斬新な発想が欲しいんだ」

「はあ…」

「ちょうど,私の友人が教授をしている大学に,付属の研究所があってだな,」

「大学,ですか」

「付属の研究所,だ。ここに,経済の将来像について大局的に研究している

優秀な研究員がいるらしい」

「学者,ですかね…」

「研究者だ。私の友人の紹介だ。優秀な男だということだから,まず間違いはあるまい」

「それで…」

「わが社の実態を説明した上で,わが社の将来に助言をもらうんだ。いいアイディアなら,

すぐにでも実行に移す。いや,まさに,21世紀はスピードが勝負だよ」

「…」

 

 

「こんにちは,真田と申します」

「!」

 さすがの社長も,現れた若者を見て,ちょっと驚いた様子。

さすがに,想像よりも若い男だったらしい。しかし,差し出された名刺には確かに

“研究員”の文字があり,社長は安心した表情に戻る。

「御社のデータは,昨日見させていただきました。なかなかすばらしい会社のようですね」

「いやいや,それほどでも…」

 社長は,いきなり誉められて表情を崩す。

「財務的な分析については,もう十分にされておられるでしょうから,

あえて私の方での検討は差し控えさせていただきました。

まあ,私の考えでは,過去数期の財務分析はあまり役に立たないとも思っているのですがね」

「…はぁ」

「重要なのは,今後どうなるか,どうしたいのか。ここなのです」

「はい。まさしく,はい…」

「そこでですね…」

 若い男は,持ってきた大きなかばんから,手早くノートパソコンを持ち出す。

社長は慌てて真田に椅子を勧める。事務員が同じく慌てた様子でお茶を運んでくるが,

真田は目もくれずにそのパソコンを立ち上げる。

 

「社長さん,これを見てください」

 液晶画面に,色鮮やかなグラフが現れる。

「これは,過去数十年分のデータ,そして,今後の経済動向の予想からはじき出した,

業界全体の成長性の推移です」

「…はぁ…」

 社長は懸命に画面に目をやるが,ちかちかしてよく見えない。

「ここで重要なのは,今後の予想です。この業界については,

過去数年は安定した成長が続いてきています。それは,御社もそうですね」

「はい,そうです」

 社長はやや元気になった返事をする。

「今後数年間は同様の成長が見込めると思います。

まあ,あらかじめ一定の経営努力が前提とされていますから,楽に行くわけではないのですが」

「ほぉ」

 社長は,ちょっと“わからないな”という表情を見せるが,それでも安心した表情なのは変らない。

「しかし,問題はそれから後です。業界全体の成長については,

7年から8年後までには成長の急激な鈍化,あるいは停止の時期を迎えることになります」

「…!」

「これについては,わが国の経済成長の予測,人口増加と人口構成変化の推移,外国企業の参入,

自由化の進行,等が,すべて考慮されています」

「…あと,7,8年…」

「そうです。現状のまま,急激な変革がなければ,もっと早く到来することも考えられます」

「厳しいですね…」

「コンピューターの分析は,時として残酷なものですよ。

この予測が絶対だとは思いませんが,傾向としては当たっているのではないかと思います。

社長さんもそう感じられたことはありませんか?」

「…」

 社長は,まさに口ごもった様子。

「しかも,これだけではありません。今後予測できるさらなる規制撤廃の流れから行くと,

数年先をめどに,他業種からの参入が盛んになるでしょう。そうなれば,7,8年と言わず,

もっと早く危機がやってくるかもしれません。…小さいパイの奪い合いですから…」

「…」

 

「それで,わが社は,今後,どうするべきなのでしょうか…」

 完全に不安な表情に化けてしまった社長は,まるですがるような面持ちで真田に話しかける。

専務は,さらに不安そうな表情で,そんな社長を見ている。

「私の分析は,経済全体を大きなところから見ての分析ですから,

個別の企業の動向についてまでは分析しておりません。

しかし,御社はこの業界の専門企業,でしたよね」

「はい,この分野で…」

「それでしたら,将来像はまことに厳しいと申し上げざるをえません。

私もこんなことは言いたくないのですがね」

「…」

「やはり新規分野への参入ですかね」

 専務がようやく口を開く。

「厳しいでしょうね。まあ,できないことは無いですが,御社の経営基盤と,経営資源では,

参入できる異業種はかなり限定されたものになってしまうでしょう。

しかし,それでは収益につなげるのはちょっと…」

「…」

「しかも,新規の分野にはしかるべきリスクが伴います。すべてのリスクを考慮した場合,

投資と収益の関数はぎりぎり1を維持できるかどうかの水準です。

しかも,これは純粋な新規参入の場合ですから,旧の事業による足かせのある企業の場合,

新規参入による投資対効果はさらに厳しいものになるでしょう」

「…」

「やはり,経済は,その参加者の新しい参入,そして退出があってこそ,発展して行きます。

まあ,新陳代謝,ってところでしょうか」

「新陳代謝…」

「つまり,残酷な言い方をするなら,つぶれるべき会社は早期に潰すのが望ましい,

ということです。いたずらな延命や悪あがきは,経済全体の将来に対して

悪い影響をもたらしかねません」

「…それは…」

「つまりですね,御社はまだ利益の確保できる現状のうちに,何らかの形で

経済から退出する方が傷が小さくてすむと思いますよ。

新規参入のリスクをとるより,そのほうが,最終的な分配利益の期待値は極大化できます」

「経済から,退出,ですか…」

 

「つまり御社の場合,解散,ってことですかね」

 

「ひいぃぃぃぃ…」

 

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

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