夏の雛鳥
一光 輝瑛
「課長,例の“サマーインターン”が来週の火曜日と水曜日にある予定ですが…」
「ああ,そうだったな」
とあるオフィスの,ありふれた風景。周囲よりも大きめのデスクに,どっかと腰掛けているのは,
総務部所属の大田課長であった。
「計画は万全かね」
「はい。当初の予定通り進んでいます。若干予定よりも学生数が増えていますが,まあ,
日程の追加はしなくてもすみそうです」
課長席の前に立ったのは,ずいぶん若そうな男に見えたが,物腰からすれば,
やはり30代ではあるのだろう,相馬という男だ。
「これがタイムスケジュールです。昨年のものと大差ありませんが,
先日の会議で出た問題点については修正してあります」
「ふん。まあ,時間割なんてどうだって良いさ。せいぜい,学生連中が居眠りしない程度の
ものにしておけば,問題はない」
―“サマーインターン”とは,彼らの属する会社が毎年行なっているもので,就職活動前の大学生,
具体的には三年生から募集して,“一日体験入社”をさせるものであった。バブルの時期,
学生獲得の手段としてはじまったものであったが,この不景気の時代でも続いているところを見ると,
どうも彼らの会社は人気企業とは呼べないようだ―
「で,相馬君。学生の顔ぶれはどうだ。少しはましになってきたか」
「…どうでしょうか。応募の時のアンケートを見ると,例年よりは少しはまともな,
骨のありそうな学生も来ているようですが…」
「まあ,実際に見てみないと,ものになるかどうかはわからないがな」
「しかし,今年は初めて中帝大学の応募者がありました。二人です」
「ほう,中帝大学か。就職難の折り,一流大学生もなりふり構わず,ということか」
―中帝大学とは,地元の国立大学で,この辺りでは一番のエリート大学と言われていた。
「二人か」
「はい,火曜日と水曜日に,それぞれ一人づつです」
「…そうか」
大田課長は,手許のタイムスケジュールにもう一度目をやる。
「…そうだな,こう見ると,午後のスケジュールは比較的軽くなっているな」
「はい,そうですが…」
「では,その中帝大学の学生だけ,午後の日程からはずしておいてくれ」
「え」
「…せっかくのチャンスだ。とどのつまり,学生に会社を見せるだけではなく,
我々も彼らを吟味する良い機会なのだからな」
さて,そうして翌週の火曜日が来た。朝早くから,着慣れない紺色のスーツに身を包んだ学生達が,
その大きくもないオフィスに押し寄せていた。日頃そう使うでもない会議室が,
時ならぬ熱気に包まれたようであった。
「課長,午前の日程は無事に消化しました。昼食の後,引き続き実習形式に入りますが,
例の学生だけはずしてあります」
「ああ,そうだったな。昼一にここに連れてきてくれ」
大田課長は,ややしんどそうなそぶりであったが,それでも瞳の奥には何かたくらみが見えた。
「…こんにちは」
学生は明らかに萎縮してしまっていた。軽い気持ちできた会社訪問で,
いきなり一人だけ連れ出されて,目の前には何やら貫禄のありそうな男が座っている。
だが,それでも自信ありげな表情を時折浮かべるのは,
さすがに中帝大学のエリート意識がなせる技か。
「ええっと,白石君だったね」
「はい,中帝大学の白石と申します」
「…ああ,そう硬くならなくても良いから。今日の午後はそれぞれ職場体験ということで,
一部実務を体験してもらっているわけだが,君にもその一つを体験してもらいたい」
「…はい,ありがとうございます…」
大田課長の妙にかしこまった態度に,さすがの白石君も不安をよぎらせた。
「ちょっとこちらに来てもらえるかな」
エレベーターは二人の男を乗せて地下に下った。経費節減のせいか,
なんとなくクーラーの効果が薄れているスペースに思える。
そんなひとつの部屋に,白石君は連れて行かれた。
「実務,といっても単純なものなんだが,実は,今度の会議の資料を今作成している」
「…」
「全店に送付するものだから,かなりの部数になるわけだ。午前中にタイプが終わって,
今から輪転機をかけるのだが,それをちょっと手伝ってもらいたい」
「…輪転機,ですか…」
「まあ,つまりは印刷機だが,なぁに,そんな難しい話じゃない。簡単な作業だ」
「…」
大田課長は,目をぱちくりさせている白石君を,機械のところに連れて行く。
「ここから刷り上った紙が出てくる。だが,いかんせん機械が古くてね。
紙が丸まって出てくるものだから,排紙口でせっかくの資料がぐちゃぐちゃになってしまうんだ。
そこで,白石君と言ったね,君にはこの紙が出てくるところに立っていてもらって,
丸まって出てくる紙を押えて,この排紙台にまっすぐに乗るようにしてもらいたい」
「…」
「面倒な作業だが,宜しく頼むよ。…あ,暑くなるから,上着は脱いでもらって構わない。
では,何かトラブルがあったらそこに電話もあるから」
「…」
慣れぬ手つきで背広の上着をそこに置いた白石君,何事もなかったように部屋から出て行く
大田課長を見送る。
グウィ〜ン,と音がして,機械が動き始める。確かに熱で丸まった印刷紙が排出されてくる。
いいスピードだ。
「…!」
「え,課長さん,学生にそんなことをやらせているのですか」
「ああ」
「…しかし,それじゃあ,学生は怒って帰りますよ」
「…まあ,そうなるだろうな」
「しかし…」
「まあ,何時間もつか,それでその学生の資質は読めるよ」
「…!」
小さい扉を開けた大田課長の目に,長袖のシャツをぐっしょりと汗でぬらし,
それでも機械と紙と奮闘する,白石君の姿が映る。彼も課長の入室に気づいたようだが,
それでも手を休めない。大田課長が時計を見ると,もう三時間がたとうとしていた。
「…」
プスプス,と音がして,機械が停止する。ようやく紙との競争から開放され,
白石君が額の汗をぬぐう。
「いやぁ,たいへんな仕事ですねぇ」
「…」
「最近の若者は根性なしばかりかと思っていたが,今日の学生は凄かったな。
さすが中帝大のエリートだ。文句も言わず,あんな長い時間働いたのは根気のある証拠だ。凄いよ」
夕刻,学生達が帰宅した後の,大田課長と相馬の会話である。
「…それをさせた課長もすごいですが…」
「まあ,それはさておいてだ。最近の若者もどうしてどうして,捨てたものじゃないな」
「それにしても…」
「会社の仕事なんて,どうせ大半が雑用だ。今日の彼にもそのあたりが良くわかっただろう。
勉強ばかりができる,頭でっかちな学生が多い中で,彼が今日見せた根性は何よりもすばらしいよ。
なんだかんだ言っても,知性より根性だな」
「…」
「やはり,今日の彼は,なかなか見所のある学生だ」
「ところで課長さん,今日も同じようにするのですか」
「ああ,もちろん。今日も学生を見させてもらうよ」
「…では,今日も呼んで参ります。…かわいそうな犠牲者を…」
言葉の終わりの方をわざと聞こえないように,相馬はつぶやく。
「と,いうことで,杉山君といったかな,作業はそんなところだ。たいへんな仕事だと思うが,
しっかり頼むぞ。あ,暑くなるから,上着は脱いでもらって結構」
「…」
これも不慣れな手つきで上着を置きながら,その杉山君は大田課長の背中を見送る。
そして,昨日と同じように,機械が動き始める。
「今日の学生はもちますかね」
「さぁ,うちの新入社員でもねをあげるような作業,しかもどう考えてもやりがいのない,
不毛な作業だ。二人も続けてもつものかどうか」
「…」
相馬は,恐ろしいものでも見るかのように,大田課長の表情を追う。
「…!」
小さな扉を開けた大田課長の目に飛び込んだのは,昨日とはまったく別の光景であった。
騒がしい機械の音の中に汗を流す男の姿はなく,かわりに,一人の若者,先ほどの杉山君が座っていた。
暇そうに文庫本を読みながら。
「あ,どうも」
「…」
一瞬,失望に似たものが大田課長の顔に浮かぶ,が,
「あ,作業の方は順調にいっています」
「…!」
大田課長が目をやると,確かに機械から排出されてくる用紙は,曲がることなく
まっすぐに積み重なっていた。さらによく見ると,何やら見なれぬ金具のようなものが置いてある。
「そこにあった針金をちょっとお借りしました。うまいことできたもので,この針金が…」
杉山君は,排紙口のところにゆっくりと移動する。
「針金のこの部分で紙を押えることで,紙が曲がることを押えることができるんです。
こうしておけば,一枚ごとに手で押さえなくても,数分ごとに注意しておけば
紙が乱れることはありません」
大田課長は驚いたような目つきで,先ほどまで杉山君が座っていた椅子を見る。
どこから取り出したのか,読みかけの文庫本が妙に目をひく。
「ですから,本を読みながらでも,十分に作業ができます」
「…」
大田課長は時計を見る。昨日と同じ時刻であった。
「しかし,それは一本取られましたね,課長さん」
「ああ…」
夕刻,学生達がすべて帰宅し,またいつもの光景を取り戻したオフィスでの,
大田課長と相馬の会話である。
「さすがの課長さんも,学生が作業を簡単にしてしまうことまでは考えつかなかったでしょう」
「まあ,そうだな」
「さすがの“鬼の大田課長”も,今回ばかりは面白くない,と」
「馬鹿言え。最近の若者もたいしたものだ。与えられた仕事を自分なりにうまく消化して,
最小限の労力でやりやがった。さすが中帝大学のエリートだけはある。頭が良いことはすばらしい。
いくら努力しても,それだけじゃだめだからな。根性より知性,そんなところだ」
「…」
「やはり,今日の彼は,なかなか見所のある学生だ」
以上 PN 一光輝瑛
ご感想等,メールはこちらまで。
E-mail kiei_ichi@geocities.co.jp
この作品はあくまでもフィクションです。
この作品の著作権はあくまでも作者に帰属します。
加筆・無断転載等はこれを禁じます。