日本人の朝

 

                                   一光 輝瑛

 

 僕たちの共同生活が始まったのは,大学生活も3年目に突入しようとしていた時だった。

入学以来二年間をすごした大学敷地内の寮からは,規則上二年間で追い出されることになっていた。

ちょうど同じバイトをしていた僕たち4人は,家賃を少しでも安くあげようと,大きめのアパートを

4人で借りて,残りの二年間の共同生活をはじめることにしたのだ。もちろん,兄弟でもない

4人もの男達がともに住むわけだから,不安がないわけではなかったが,それまでの二年間,

それぞれが別々とはいえ,いまどき信じられないような六人部屋の寮で生活をしてきた僕たち

だったから,何とかなるだろうと思ったのだ。逆にこれが一対一であったなら躊躇したかもしれない。

とりあえず四人いれば大丈夫だろう,そんな気もしていたのだ。

 

 “大きめのアパート”は本当に大きくて,各々が自分の部屋を確保した後でも,四人が集える

居間が残っていた。洗面所や風呂は共有スペースであったが,多くの下宿でいまだに共同洗面所や

共同トイレがあることを思えば,それでも恵まれた環境のように思えた。どうやら,どこかの企業が

借り上げ社宅にしていたものが,荒れ狂うリストラの波で借り手がつかなくなっていたらしい。

家賃も四人で負担するわけだから,ずいぶんと割安なように思えた。

 

 …まあ,そのようにしてちょっと奇妙な四人での共同生活が始まったのだ。

 

 すぐに不安になることが,もちろん四人が仲たがいしたらどうするのかということだったが,

まあその時はその時でできるかぎり衝突をおさえてゆこう,そんな感じでの見切り発車でもあった。

もっともそんな風におおざっぱに考えないかぎりは,始まるはずもない異例の生活であったのだから。

 

 環境は意外なほど快適であった。もともとが寮生活になれていたせいもあって,四人で

話し込むことも多かったし,一人になりたければ扉を閉めてしまえば,そこには憧れの一人暮しが

あった。ドラマに出てくるようなワンルームマンションのようなかっこ良さはなかったが,

それ以上に都合の良さがあったから,誰も文句は言わずに…少なくともおおっぴらには言わずに

すんでいた。

 

 そんな順調な共同生活に事件が起こったのは,新学期が始まってすぐの,ある朝のことだった。

この朝は全員が朝一番から大学に行く必要があったせいで,一人が起き出したのを合図に全員が

活動を開始したのだ。

 

 7時前,一番に居間にやってきた僕は,いつものようにテレビのリモコンをつかみ,スイッチを

いれる。まもなく,7時の時報とともに番組が始まる。

『皆さんおはようございます。いやあ,今日もすがすがしい朝ですね。……今日もはりきって

行きましょう。それでは今日は春まだ遠い札幌から順に行きましょう。

札幌に向かって“クローズアップ!”』

 5チャンネルの朝の番組,“クローズアップモーニング”だ。この番組を僕は中学時代から

ずっと見ている。まあ,生活の一部といったところだろうか。

 

「おはよう…遠山…」

 かなり寝ぼけ気味の声とともに,香田が起き出してくる。遠山というのはもちろん僕の名前である。

香田は,ぼんやりとした表情のまま,おもむろにリモコンを手にしてあっという間に

チャンネルを変えてしまう。

『レポーターの○○さん,大丈夫でしたか…いや〜あ,しょっぱなから過激なリポートでした。

さて,そんなこんなで今朝もペンギンのスタートです』

 7チャンネルの誇る朝の大型番組“早起きペンギン”らしかった。もちろん僕はこの番組を

見たことがなかったから,よくわからなかったが,番組宣伝は見たことがあったから,司会陣の

顔ぶれを見て判断できた。…なぜペンギンが出てくるのかが僕には謎で仕方なかったのだが,

香田は何も言わずに画面を見ている。

 

「…おはよう…」

 さらに眠そうな表情で川崎が起き出してくる。

「ああ,おはよう」

 そんな返事をしている間に川崎もリモコンを拾い上げるとすばやくチャンネルを変える。

『時刻はまもなく7時10分になります。続いては街角アンケートのコーナーです。

あなたの町に突然お邪魔して,皆さんの目を覚ましますよ!,さあ,今日の中継は横浜に

繰り出しています。リポーターの××さん,そちらの朝の様子はいかがですか』

 9チャンネルの人気番組,“ウェイクアップ生”であった。こちらは僕も多少は見たことがある

番組であった。もちろん見たことがあるといっても,5チャンネルがコマーシャルの間にちょっと

移ってみた程度の話。セットのにぎやかさと,目覚し時計のアニメーションが印象に残る番組であった。

画面中のレポーターの妙なあわただしさを横目に,川崎は新聞を読みはじめる。

僕と香田は怪訝そうにそれを見る。特に香田はそわそわしているようにも思える。

 

「…ああ,みんなおはよう…」

 最後に島村が起き出してきた。そんな島村もいつの間にかリモコンを持っていて,

画面をすばやく変えた。

『…ロシアと日本の閣僚会議は…両国間の…大統領の訪日を挟み…経済問題が…』

 とたんに雰囲気が一変し,妙に堅苦しいニュースが飛び込んでくる。どうやら,2チャンネル,

国営放送のニュース番組らしい。キャスター陣は非常ににこやかにしゃべっているが,

なぜか堅苦しく思えるのは気のせいだろうか。

「やっぱり朝はこのニュースを見ないとな」

「…別に普通のニュースじゃないか」

「朝のニュース,“朝起きワイド”だ。なんだかんだいってもこれが一番しっかりしている番組

だからな」

「たいした面白みはないよな」

「それがそうでもないんだよ。特集も充実しているし,感じも最近ではやわらかく作ってあって

親しみやすい番組だ」

「いやいや,朝の番組といえば“クローズアップモーニング”だろう。昔からやっている番組だし」

「いやいや,いまでは“ウェイクアップ生”の方が人気高いらしいぞ。

友達もたくさん見ているし…」

 川崎が口を開く。

「いや,やっぱり“早起きペンギン”のものだろう。ふざけた番組のようで,実は報道なんかも

充実していて,大抵の情報はカバーできるし…」

 そう言ったのはもちろん香田だ。

「でも,やはりしっかりとした情報を流してくれるのは国営放送だと思うぞ。

コマーシャルも入らないし」

 

「なんだかんだいっても,俺はいままで“ウェイクアップ生”を見ながら朝のしたくをしてきた

わけだから,それを見ながらじゃないと調子でないんだよな」

「それは俺だっていっしょだよ」

「そうそう。どのコーナーがどの時間にはじまるかがだいたい決まっていて,

それにあわせてしたくをするんだ」

「…実は内容なんかどうだって良かったりもするんだよな」

「まあな。だいたい朝の忙しい時間にテレビなんてゆっくり見ていられないわけだから,

しょせん時計がわりかもな」

「…でもやっぱり内容にもこだわりがあったりするんだよな。たとえば占いのコーナーとか」

「ああ,あるある。気にしないようでいて,実は気になるよな」

「俺は“早起きペンギン”のリポーターにはすごく愛着があるな。なにせずっと見てきているからな」

「いやいや,ずっとといえば,やはり“クローズアップモーニング”のキャスターでしょう。

もう10年も同じ人がやっているんだから」

「…長けりゃいいって問題でもないとおもうけどな」

「“朝起きワイド”のキャスターはよく変わるけど,その人その人でいろいろ雰囲気が違って

楽しめるな」

「楽しめる?あんなニュースでか!?」

「最初は不慣れなキャスターが,どんどん上手になってゆくんだ。これがまた愛着がわくんだよな」

 

「やっぱり朝のプロ野球情報に一番こだわりがあるよな。その点では“クローズアップモーニング”が

一番だと思う」

「あのすごく偏ったやつか」

「そうそう。なにせテレビ局そのものが球団のスポンサーだもんな」

「いやいや,各局のレポーターがその地方の球団の情報を流すから,どこのファンでも

楽しめるようにはなっているぞ」

「でもやっぱり偏っていると思うぞ」

「“早起きペンギン”にもプロ野球コーナーがあるけど…」

「ああ,そうそう。あれは“クローズアップモーニング”の二番煎じって言われているらしいな,

よく見たことはないけど」

「…」

 

 そんなこんなの取り留めのない会話が続いたが,結局のところ,いったいどの番組が一番良いのか

の結論は出ずじまいだった。…まあ,出るとも思えなかったけれども…

 

 

 翌日からは,しばらく悲惨な状態だった。共同生活の悲しさか,四人が四人ともお互いの衝突を

避けようと思ったようで,特に朝のテレビ番組については誰も会話しようとはしなかった。

問題は,それではいったいどの番組を見るようにしたかということであったが,結局全員の

遠慮の賜物か,テレビのスイッチがその時間にいれられることはなかった。つまり,

誰もテレビを見ないまま,静かな朝が流れ,全員が黙々と朝のしたくをしているのだ。

正直言って,これは僕にとっては相当の苦痛であった。いつもは別についているだけの

テレビなのに,いざそこに真っ暗な画面があると,とてつもなく違和感があって,

気持ち悪かった。

 

 ちなみに,テレビを見ない分だけ朝のしたくがスムーズにいったかというと,

これがそうでもなかった。妙なタイミングで時計を見てしまったりもしたのだが,

気づいてみるといつもと同じ時間に玄関に立っていた。…同じくらいのあわただしさで。

 

 さて,この奇妙な均衡を打ち破ってしまったのは,香田であった。それも,奇妙な打ち破り方で。

電気屋さんのショッピングバックを持って帰っていたから,いったい何を買ってきたものだろうかと

思っていたら,その日…あの日から4日後のことだったが…の朝にその正体が判明した。

 

 ポケットテレビを買ってきていたのだ。

 

 銀色のアンテナをにゅうと伸ばし,その携帯テレビと香田が移動を開始する。洗面所の横で

テレビの音声がきこえる。内容はもちろん“早起きペンギン”だ。そして,顔を洗い終わると

その音声とともにトイレに移動する。…中の風景を想像するとややぞっとしなくもなかったが,

とりあえずは妙にうらやましかった。川崎も,島村も,同じような表情で香田の様子を見ていた。

 

 それから1週間もしないうちに,なんと4台のポケットテレビがそろった。

機種は全部違っていたが,要は同じものである。全員がアンテナを伸ばしてテレビとともに

移動する。僕の“クローズアップモーニング”も無事に復活。飢えを満たされたような

充足感でいっぱいであった。しかも,画面は自分の手の中にある。それまで以上にしっかりと

各コーナーが見られるようになって,満足度はむしろあがっていた。

 

 そうして,僕たちの共同生活は無事に流れていった。

 

 そうこうしているある朝、僕はふと鏡を見て,そして振り返った。

香田はテレビを横に飯を食っている。島村は新聞を見ながら,耳は横のテレビに傾けているようだ。

トイレのドアが開き,出てきた川崎の右手にもテレビが握られている。そして,顔を洗い終わった

僕の横にもテレビがあって,昔馴染みのキャスターが楽しそうにしゃべっている。

 

 もう一度振り返る。

 そこには14インチ型のテレビの,真っ暗な画面があった。

 

                   以上    PN 一光輝瑛

 

 

 

 

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