「いや,実はな」
日ごろ無口な親父が,突然しゃべり始める。
「何よ,いったい」
食事の準備を続けていたおふくろも,何事かと親父の横に座る。
「今度,家を直そうと思ってな」
弟の信幸
一光 輝瑛
「おい,いきなりなんだよ」
「家を直すんだ」
親父は,もったいぶった様で,ゆっくりと口を開く。家族四人が集まる,日曜日の食卓。
どうやら,親父は“家族会議”を開く心づもりらしい。
「直す,…どこを」
「玄関を直そうと思っているんだ」
「玄関だって!」
早速,信幸が突っかかる。信幸というのは,僕の弟だ。だが,弟といっても双子だから,
別にどっちが上という意識も無い。性格はまるっきり違うが,顔は似ているといわれる。
…僕ら本人達に言わせれば,“明確に”違う顔なのだが,はたから見れば区別がつかなくても,
『まあ無理はないか』などと思う。
「玄関って,別に壊れてるわけじゃないじゃん」
「あたりまえだ。壊れる前に直すんだ」
「でもさ。別に直さなくても,壊れそうなところは無いし」
「実はな…」
「広げるのかしら,やっぱり」
「そうだ」
さすがおふくろ。親父のことはよくわかっているらしい。…それとも,
もともとがおふくろのさしがねか?
「まあ,これを見てみろ」
親父は,もったいぶったように,テーブルの下から書類を取り出す。
「なんだよ,牛山工務店って。そんなの聞いたこと無いぞ。どっかの土建屋かぁ?」
信幸は,その封筒に早速いちゃもんをつける。
「実は,俺の昔からの友達でな。どうしてもって頼まれたんだ」
「でもさぁ,この手の土建屋って,怪しいっていうぜ。本当に大丈夫なのか」
「そこまで言うな,信幸。父さんの友達なんだ。間違いない」
「そうかなぁ」
「で,これが見積もりってわけね」
おい,おふくろ。表紙をそのまま読むなよ。
「玄関を,広げるんだ」
「え?」
「うちは玄関が狭いだろう。あれをな,ズンと前に出して,広げようと思うんだ」
「広げる…」
「そうだ。ズンと前に出せば,ずいぶん広くなるぞ」
「そりゃあそうだけど…」
「とにかく,ズン,と出すんだ」
「ズン,とね」
信幸は,ちょっとからかったような口調だ。
「これを見てみろ」
親父は,その青い表紙がついた見積書を開き,やたら大きい紙でとじられた図面を広げる。
「ここを,こうするんだ」
「え?,どうするんだぁ」
「だから,ここをこうするんだ」
親父も応戦する。信幸はニコニコしているが,一歩間違えば親父に喧嘩を売っていることに
なるような気もする。
「へぇ〜,広くなるのかしら」
…だから広くするって言ってるじゃん,おふくろ。
「ざっと,2メートル,玄関を前に出す。その分広くなるぞ」
「ふ〜ん」
「なんだ,その言い方は。広くて綺麗な玄関。これが俺の夢なんだ」
「広くて綺麗な,ねぇ」
そう。広さはともかくとしても,綺麗さはおふくろにかかっている。
「2メートルね」
「げ,なんだよこれ」
「え,どうしたんだ」
「たった2メートル広くするだけで,200万もかかるのか!」
「ああ」
「ああじゃないよ。あんなに小さな玄関だぞ。それを,ほんのちょっと長くするだけで200万か」
「見積もりではそうだな」
「本当にそんなにかかるのか?,この見積もり,詐欺じゃないのかぁ」
「馬鹿言え。父さんの友達なんだ。間違いは無い」
「それにしてもさぁ」
「そんなにかかるものなのかねぇ」
大蔵大臣兼おふくろの声が,急に暗くなる。
「あのなぁ,前に出すって言っても,ただ出すわけじゃない。それに伴って,
壁もドアも作り変えになるし,だいいち,屋根だって直すんだ。そのぐらいはかかるさ」
「そんなにかかるんならさ,もっとほかのところ広げようぜ。たとえば,俺の部屋とか」
「ばかだなぁ。部屋を広げると,もっと金かかるぞ」
「でもさぁ,玄関みたいに意味の無いところ直して,それで200万だろう…」
「意味が無いとは何だ。父さんの夢なんだぞ」
「でも,高いよな。玄関が2メートル広くてもさぁ,そんなに変らないよなぁ」
「ところで,輝幸。お前はどう思うんだ?」
「!」
しまった!,家族4人の中で,一人だけ発言してなかったのを気づかれたらしい。
「どうなんだ。この父さんの計画をどう思う?」
「やっぱ,意味無いよな。玄関2メートルだなんて。そうだろう,輝幸」
「こら,信幸。今は輝幸に聞いてるんだ」
『さあ,ここは親父の肩を持ってやるか』
『きっかけはともあれ,とにかく親父は夢だったなんて言ってるし』
『親父の夢としたら,ひとつくらいかなえてやってもいいんじゃないかな』
「俺は,それでいいと思うよ」
「おお,輝幸。やっぱりそうか」
親父の顔が,一気に緩む。
「ええ,マジかよ。2メートル広げるだけで,200万だぜ。1メートルあたり100万円だ。
べらぼうに高いぞ」
「物は考えようじゃないかな」
「え,どういうこと?」
『うぅむ,おふくろは今のところ,どちらの味方かはっきりしてない』
「玄関ってさ,毎日何度かは通るものだろう」
「そりゃあそうだ」
「たとえばさ,一日に3回通ると考えよう」
「まあ,そのくらいは通るわよね」
「とすると,増えた分の2メートルが3往復だから,一日につき12メートルだ」
「ふむ」
「1ヶ月で360メートル,一年で,えぇと,」
「だいたい4300メートルくらいか」
「ああ,そのくらいかな」
信幸は計算も速い。
「いったい何年もつのかは知らないけど,少なくとも10年として,43キロになるのか。
結構長いだろう。フルマラソンより長いぞ」
「…」
「やっぱさ,日々の中では短いと思ってもさ,積み重ねるとすごいんだよ。
これだけ違いが出るならさ,200万でも安いもんだろう。なにせ,マラソンより長いんだ」
「うん,輝幸,さすがだ。その通りだ」
親父はすっかりニコニコ顔になり,手をたたいて喜んでいる。
まるで,もう増築するのを決めたような表情だ」
「でもさ,」
「え」
「10年経っても43キロだろう」
「ああ」
「それって,本当に長いのか?」
「…」
「そりゃあ,走ったらマラソンだけどさ。もし,新幹線で行ってみろ。
時速250キロとしたら,…ええっと,43キロなんて,10分ほどで通過しちゃうんだ」
相変わらず暗算のすばやい男だ」
「新幹線で10分の距離が,10年でやっとかせげるんだろう。それに200万ってさ,
結構馬鹿げてないか。1分あたり20万円,べらぼうに高いぞ」
「!…」
親父の顔が,一気に曇る。おふくろは,数字が出た時点でうんざりした表情だ。
うぅむ,ここはなんとかしないと…
「いや,馬鹿げてはないと思うけどさ…」
以上 PN 一光輝瑛
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