野崎たくまの素敵な研究室

 

                             一光 輝瑛

 

 野崎からの呼び出しがあったのは,何年ぶりのことになるのだろう。“やつ”とのつきあいは

長く,確か小学校二年生の時に,私がこの地区に引っ越してきてからだから,もう17〜18年にも

なるだろうか。近所に住んでいたせいか,子供の頃に遊ぶのはいつもいっしょだった。いっしょに

野球をしたり,学校にいっしょに通ったりと,いろんなことをやってきたように思うが,

印象としては,いつもばかな話ばかりしてともに笑っていたイメージが強い。

 そんな野崎とも,高校からは違う道を進んだせいか,日々疎遠になっていった。地元の県立高校に

通った私に対して,彼は名門の私立高校に進んだ。別にそんなことにコンプレックスを感じるつもりは

まったくないが,その名門私立高校は,電車で一時間ほど通った“県庁所在地”にあったから,

自転車で10分の私とはずいぶんと距離が離れてしまった。

 大学はともに東京方面に進学したが,私が中央線沿線のいわゆる“多摩地区”であったのに対し,

野崎は地下鉄沿線のいわゆる“都心部”,ここでも大きく境遇?は分かれてしまったのかもしれない。

まあこれを“明暗”と言ってしまうのはあまりに残酷だと思うのだが… ,どちらにしても,

経済学部に進んでマクロ経済学を学んだことにした私に対し,野崎はどうやら理系の勉強をした

らしい,と,風の噂に聴いた。医者かエンジニアかしらないが,おそらく立派な人になるべく

勉強したのだろう。…少なくとも,これまではそう思っていた。

 

「おお,田代か,久しぶりだな。まあ,ちょっと来てみないか」

 いきなりこれである。…だが,確か野崎の実家は引っ越したはず。いったいどこに。

「駅前に今度できたマンションがあるだろう,そう,ジャガーマンション。そうそう。

…その七階に来ればわかると思うから。とにかく,一階に来て,インターホンを押してくれ」

 私の疑問を追いかけるように,野崎からの第二報が来たのは,すぐ後のことだ。…相変わらず,

そそっかしい男だ。

 

 そもそも,野崎が地元に戻ってきていることすらよく知らなかった私としては,かなりの戸惑いを

持っていたのだが,それでも彼が悪い男でないことはよく知っていたから,まるで当時と何も

変わっていないかのような心境で,私はその指定の高級マンションに向かった。

…そう言えば,彼の実家は相当の金持ちだったな。

 

 ジャガーマンションでは,文字通りジャガーの銅像が私を迎える。…どこかの百貨店でこんなの

なかったかな?,まあ,そんなことはどうでも良いのだが,とにかく妙に技巧に走ったマンションの

ように見える。外壁はレンガ調,床もレンガの色調。管理人室からは大柄な男が目を光らせ,

監視カメラ,そして,やたら豪華な扉のついたオートロックの玄関。

 

「ああ,田代か。まあ,上がれよ。いいもの見せてやるから」

 野崎はまるで毎日会っている友人と話すような口ぶり。と言うか,何も変わっていない口ぶりに

ほっとしたのも事実だったのだが。

 やや大きめの音とともに,その豪華なドアが開く。

 

「よく来たな。まあ,どこにでも座ってくれよ」

 久しぶりに見る野崎の姿に,私は多少戸惑う。顔はほとんど変わっていないのだが,いきなり

全身に白衣を着ている。,いや,普通の服の上に,白衣を羽織っているのだ。理科,化学の教師が

着ているような,あれである。

きっと,なんとかコートとかいう名前なのだろう。総合病院の廊下などで,“これ”を着た人に

すれ違うと,たとえどんなに若い人でもずいぶん立派な人物に見えてしまうのだが,野崎がこれを

着ている,羽織っていると,ずいぶんと安っぽく見えてしまう。…子供の頃から知っているせい

だろうか。

 それにしても,信じられないような風景に,私はかなり戸惑っていた。かなり大きなマンション

である。大体,一つのフロアに4〜5部屋くらいあるように見えたのだが,ここ七階は異常だった。

エレベーターホールを抜けると,そこにはこの野崎の“部屋”につながるドアだけがあったのだ。

そして,豪華な内装の内部には,やはり彼一人だけのための空間が広がっていた。

「ああ,このマンションのことか。まあ,もともと親父が建てたマンションなんだが,そのうち

オーナーの自由になる空間を,俺が使わせてもらっているんだ。…まあ,東京を離れて,

帰って来るように言ったのは親父なんだから,当然の報酬だと思っているけどな」

 つまり,こういうことらしい。このマンションの七階は全部ぶち抜きになっていて,

そのだだっ広い空間を,この男が独占しているのだ。

「今は地元の○○大学に籍を置いているんだけども,大学の提供してくれる研究室では狭くて狭くて。

…どうせ大学にもいつも行っているわけではないし,いっそのことここで広い場所を確保した方が

良いと思ったわけだ」

 広い場所!?,確かに確かに。

 

「これが最近の俺の研究だよ」

 “奥”に案内されて,20畳ほどの広いスペースにたどり着く。ただ,不思議とあまり広くは

感じられなかった。天井を見ると広い部屋だということが実感できたのだが,床の方は…何やら

怪しげなものに占領されていたのだ。

 洋風のつくりで,フローリングの床に,全面が白の壁。そして同系統の天井。どこか懐かしい

理科室を連想させるようなスペース。壁にかけられた小さな絵と,音もなく時を刻む壁掛け時計だけが

装飾であったか。これが彼の“実験室の一つ”だということだった。

 それにしても,目の前のこの器械は何だろうか。メカニック丸出しのそのシルエットは,いかにも

実験段階であることを感じさせた。大きさ的には,ワゴン車1台分といった感じ。ドアより

大きいのを見ると,ここで組み立てたのだろうか。手前には計器類らしきものの目盛り,メーター,

針,デジタル…そういった類のものが所狭しと並んでいた。一番奥にあって一番高いところには,

先のとがった電極らしきものが二本立っていて,時折お互いにスパークを散らしていた。

その背後は黒いボード。火花を見えやすくするためか?

 

「どうだ,すごい器械だろう」

「ああ,確かに」

 何が何か良くわからなかったが,とにかくあいづちを打っておいた。

「ちょうど,今日完成したところなんだ。ここ二ヶ月ほどこれにつきっきりでね。他のことは

何もできない状況だっただけに,こうして形になってみるとほっとするよ」

「…で,これはいったい何…」

 野崎は目を輝かせていた。まるで…昔新しいおもちゃを買ってもらったときに,楽しそうに

自慢しに来たあのときのように…そう言えば,あのときのおもちゃ,いったいどんなものだっただろう。

ものすごく些細なものだったような気がするが,ものすごく懐かしい思いにとらわれる。

「これか。これはな,世紀の大実験をするための,世界に一つしかない,“大”実験装置なんだ。

どうだ。みるからにすごいだろう」

 彼の目はいっそう輝いてゆく。

「実は,これは人類初の“重力コントロール装置”なんだ」

「え,重力…」

「正式名称で言えば,…言うなれば,“空間作用型固定式重力・反重力制御装置”ってところかな」

「空間…」

「まあ,田代には難しすぎるかもしれないがな,とにかく,重力を自在にコントロールできる,

…その予定の…,装置なんだ」

「…重力,あの,リンゴの重力か」

「そう,その通り。そう言うのがわかりやすいかな。つまり,万有引力,これに関する器械だ」

 ここまで言って,野崎は上着の襟を正す。なぜか,その白衣が強烈に強調されるような印象を受ける。

「地球上では,通常重力というものは,上から下に向かって作用する。つまり地球の中心に向かっての

力になるがな」

「…」

「この下降運動をもたらす,重力を自由にコントロールできたらどうだろうか」

「…よくわからないが」

「たとえば,下にあるものを上に持ち上げる時にも力が要らない。物質を空間に停止させることが

できる。もっといけば,物質の移動も自由自在に制御できる」

「…そんなことができるのか…」

「…これらの今までは不可能に近かった現象が,この器械が機能すれば,エネルギー保存の法則を

維持したまま,自由に行なえるようになる。これは,これまでの科学に革命的な進歩をもたらす

大発明なんだ」

「そんなに…」

「活用範囲が無限に広がりうる技術だ。これを,今までにない発想と技術で可能にするのが

この装置だ。…まあ,あまり複雑な説明をしても仕方がないが,これまでは重力のコントロールを

地上でするには,遠心力を使うか,自由落下運動中の実験装置の中で,ごく短時間,行なうか,

はたまた密度の極めて高い物質を大量に集めて微小な重力を検出するか,くらいの方法しか

なかったんだが,この俺が考え出した技術は,これらとはまったく違うものだ」

「…まったく違う」

「現実の空間に対して作用し,その空間を屈曲させることで,その屈曲面に沿っての反重力を

発生させ,現実の物理方向に開放しようというのがこの技術の根本理論だ。まあ,

理論を実現させるのには,これまで相当の時間を費やしてきたがね」

「…そんなものが,これなのか」

「その試作器がこれさ。まあ,本格実験はこれから始めるところだが,その前にこの器械を

見てもらいたくてね」

 

 ずいぶんと突飛な話だとは思ったのだが,それを語る彼の目は,思いのほか真剣なものだった。

それに,野崎はほらを吹くために人を呼び出すような人間ではなかったから,とりあえず信用

しておくことにした。もちろん,勝手に信用するだけで,別に彼に投資するわけでも,陶酔する

わけでもなかったから,結局私には何の損害も生じるはずのない世界の話だったのだが。

 とりあえず,この日の彼の説明はここまでであった。例の“器械”での実験をはじめ,

『めどがついたらまた呼ぶから,来てくれ』

とのことであったが,本当に彼からの呼び出しがあるかどうかは,非常に疑問であった。

 

 夕日を受けて,駅前のそのマンションはいっそう雄大に輝いていた。まるで,低い駅舎の,

その上の空を支えるかのように。ちっぽけな人間をあざ笑い,踏み下すかのように。

風を,雨を,そして光を統御するかのように。

 だが,“知ってしまった”私にとっては,そんなマンションの姿はどうでも良かった。

このマンションの七階,“あの男”の手で,世紀の大実験が行なわれているのだ。

いや,少なくとも,彼は自信を持ってそう主張しているのだ…

 

 

          NOZAKI , the scientist

            1st impression

 

 

 だだっ広いあの部屋,そして,異常さをさらけ出すあの器械。野崎は以前と同じ白衣に身を包み,

その壮大な“仕組み”と対峙していた。おびただしい数の計器が,それぞれにライトを灯して

鈍く光っている。それはまるで夜景を見ているかのような錯覚を巻き起こしたが,

それにしては不気味な様相でもあった。

 

「すべての準備は完了した。今日こそは,この世紀の大実験を,とりおこなう,その瞬間に,

ふさわしい」

 野崎の特徴として,突然やたらめったら大げさな表現を使うことがあったのだが,本当に

何年かぶりにその一言を聞き,奇妙な感慨を持った私であった。

 …そもそも,本当に世紀の大実験であるなら,傍観者が私一人なのはなぜ?

 

 その一言だけ言って,野崎は器械の方に振り向いた。そして,…

 

 野崎はキーボードに向かい,思いつめたようにため息をついた後,まるで

予行演習をやっていたかのような正確な手つきで,それをたたいた。そして,最後に大きめの

モーションをとって,キーをもう一度たたいた。

 ブーンという音が響き,傍目にもその器械が本格的に起動したのがわかった。重苦しい

その低音は,容赦なく耳に突き刺さってきたが,野崎はかまわずに“作業”を進めた。

 一部のメーターが少しづつ動き始めていた。完全に器械のとりこになっていた野崎の表情は,

こちらからは見ることはできなかったが,それでも彼の背中は充分すぎるほどの緊張感を伝えていた。

 

 しばらく,息の詰まるような膠着状態が続いたが,野崎の背中からはまったくあせりのようなものは

伝わってこなかった。むしろ,ときどきうなずくようなしぐさをするのが,妙に目についた。

 

 で,いったいなにが起きるんだ!?,何も知らされていない自分の状況に,改めて気づく。

 

 やがて,一番高いところにある電極らしき物に変化が起きる。ジリジリと音が耳に入っては

いたが,それが目にもよくわかるようになってきた。いまや,はっきりと肉眼でもとらえられる

ほどの強いスパークが,その二本の電極の間の短い空間を飛び交う。

 

 そして,野崎が,もったいぶったように,右側にあった赤いレバーを倒した…

 

 “バチバチッ”

 スパークが一瞬まぶしく輝き,空気を切り裂いたような音が,耳をつんざく。

 

 “ガチャッ”

 一瞬遅れて,背後から嫌な音が聞こえる。何かが衝突したような音,そしてガラスが割れるような音。

 

 私と野崎は,ほとんど同時に振り向く。そして,びっくりするくらいの速さで,野崎はそちらに

駆けつける。つられて,私も数歩を踏み出す。

 

「見ろよ田代,これはすごいぞ!!」

 いきなり大きな声,歓喜の表情と,歓喜の声で呼びかけられる。

 この“研究室”の入り口の方向,突き当たりの壁のところ。野崎の足元には,絵の入った額が

落ちていた。たしか,さっきまでは壁にかけられていたものだ。ガラスが割れ,

一部破片が床に散っていた。

 

「見ろ,これぞ明確な実験の成果だ!!」

「えっ」

 あまりの野崎の喜び様にこちらも驚いてしまって,なかなか近づけない。

「こんなに離れているんだ。この距離を越えて,特殊重力が作用し,この額が落下したんだ。

これはすごいぞ」

「…」

「単なる数値上の結果じゃない。空間に作用した重力の影響が,こんなところに出たんだ。

ついに重力の生成に成功した。これは,人類の大きな進歩だ!! ,そうだ,」

 このとてつもない一言を残して,野崎はこの場を去る。近くにあったドアを開き,その向こうに

消えて行ったのだ。

 

 私はようやくその額に近づく。紐で壁にかけてあったのが,なぜか落ちてしまったらしい。

 

“バタン”

 突然ドアが開き,野崎が再び飛び込んでくる。手には,大きなレンズが飛び出した,

高そうなカメラが握られている。

「おい,田代。ここを写真に撮ってくれ」

 

 手渡されたカメラは妙に重かった。そして,野崎はガラスの破片にもかまわず,額の横に

しゃがみこんでこちらを見る。

 ファインダーをのぞくと,ますます野崎のうれしそうな表情が飛び込んでくる。

「おい,額がきちんと写るようにしてくれよ。世紀の記念写真なんだからな」

「ああ」

 そのカメラの使いかたはよくわからなかったが,とりあえず野崎と,破片と,額が画面に入るように

構図を考える。その間も,野崎の歓喜の表情は揺るがない。

 

…壊れた額,そしてうれしそうにしゃがみこむ白衣の男。

ファインダーの角張った空間に閉じ込められたその世界は,実は奇妙な場面なのかもしれない…

 

 

    以上       PN 一光輝瑛

 

 

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