リスクリスク

 

                                  一光 輝瑛 

 

 運送屋の軽トラックが裏口につけられ,そこからたった一つの箱がおろされる。本来の

配送トラックとは時間も大きさも荷物の量もまったく違う。月曜日の夕方,閉店間際の出来事。

私にとってはこれがすべてのはじまりだった。

 

 “すこやかクリーニング久利間駅前店”これが,私のバイト先の名前である。一応,

全国チェーンのクリーニング店の支店だが,もともとは個人経営の店だったそうで,

今でもその名残か,急ぎのものや修繕が必要なものについては,自店で処理を行なっている。

店員は,店長と,その奥さん。そして,4月から来ているアルバイトの私だ。私のバイトは

平日の午後,日によって違うが,だいたい夕方の忙しい時間に入るかたちになっている。

住宅地の駅前という立地のせいか,比較的お客さんは多く,時間帯によっては殺人的な

忙しさになることもあるが,その分コンビニやファーストフードで働くよりは良い給料を

もらっているから,自分としては満足している。

 

 その日届いた箱には,大手電機メーカーのロゴと,商品名,そして商品の絵が書かれていた。

日頃みかけるものではないが,私にもそれがノートパソコンの入ったダンボールであるという事は

わかった。この手の箱を見るとなぜか楽しい気分になるのが私の習性ではあったが,

どう考えても不自然な場所に届いたような印象を受けた。なにせ,届くものといえば,

クリーニングが終わった商品ばかり,そんな毎日である。いったい何がおころうとしているのか,

私の好奇心は強烈に刺激されていた。

 

「これは今度はじまる“馬券窓口販売”のための情報系端末だ」

 同じくその箱にひきつけられるように近寄ってきた店長が,説明をはじめた。

「“馬券…”ですか」

「“馬券窓口販売”だ。ええっと,この話はまだしていなかったかな」

「はい,私は何も聞いておりませんが」

 店長はちょっともったいぶったように,上着の襟を正すしぐさをして,すぐに説明を続けた。

「今度の法律改正で,来月からうちのようなクリーニング店の窓口でも,中央競馬の勝馬投票券,

つまり馬券だが,これを売ることが出来るようになるんだ」

「馬券を,うちで売るんですか」

「本社から,モデル店にならないかと勧められたので,是非にと承知したんだ。まだ試行段階だから

最初はうちのチェーンで全国30店だけでの取り扱いになるんだがな」

「30店,ですか」

「そうだ。つまり,全国で30店しかできないことを率先してやる店に選ばれたってことだ」

「…なんだか,すごいですね」

「その通り。特に県内ではうちだけだから,かなり有望だと思うぞ」

 店長は妙にはりきって話をしている。最近機嫌が良かったのはこのせいか?

「それにしても,馬券,ですか」

「そう。まさに今はやりの『規制緩和』ってやつだ。いままでは馬券といえば競馬場か馬券売り場で

買うものだったが,それを自由化したわけだ。まあ,どこでもというと統制が取れなくなるから,

さしあたりクリーニング店だけでの取り扱いになっているがな」

「…それにしても,こんなところで」

「クリーニング店でも,全国チェーンになっているようなところでは,商品管理が徹底されている

から,そのオンラインにのせて,馬券も売ってしまおうという仕掛けだ。まあ,

クリーニングだけでは過当競争になりつつあるから,その救済の意味もあるらしいが」

「という事は,あのレジで馬券を売るんですか」

「そうだ。まあ,レジというとずいぶんちゃちなものにきこえるが,実はこのレジは本社の

商品管理コンピューターに接続されているわけだから,それをちょっと改良するだけで

馬券の発行・販売が可能になる」

「ええっと,私は競馬のことはよく知らないんですが,…馬券を仕入れてくるんですか」

「いやいや,まあ,駅で切符を買うのと一緒だ。注文を受けて,コンピューターをたたけば,

印字された馬券が出てくる,そんな仕組みだ」

「…はあ,そんなものですか」

「だから,うちでの処理はそんなに難しくはないらしい。ちょうど背広やシャツの種類を

うちこんで,引換証を発行するのと同じだ」

「でも,馬のことなんてよくわからないんですが…」

「別に,うちがどの馬券がいいか決めるわけじゃない。選ぶのはお客さん,うちは処理するだけだ。

それに,選んでもらう時には今日来たパソコンを使って情報を呼び出し,それを参考にして

もらうようになる。もちろん実際に馬を見ることはできないが,この“情報系端末”を使えば,

必要な情報はほとんどすべて取り出せるということだ」

「そんなに簡単にゆくものですかね…」

 実際,簡単にはゆかなかったのだ。

 

 翌日,本社から若い男がやって来た。若い,と言ってももちろん私よりはずっと上だが,

店長と話をするにはずいぶんと若い男に思えた。何でも東京からわざわざやって来たらしい。

今回の“馬券…”にかかわっているのは私の目にもすぐにわかった。

 

「今日のところは,基本的な姿勢について,一通り習っていただきます。実際の事務処理と,

セールストークにつきましては,テキストで一通り習っていただき,また開始が近づきましてから

店頭研修というかたちで対応させていただきます」

 

「ええっと,申し訳ありませんが,アルバイトの方は今回の制度での販売資格を

持たれておりませんので,習得していただかなくて結構です。もしも,実際に店頭の方で

お客さまから問い合わせがあった場合には,有資格者,つまり店長さんですかね,

そちらの方に取り次ぐようにしてください。これは,制度上決まっていますから,必ず,

どんなに忙しいときにでも守っていただかなければなりません。もしも,これを守らなかった

場合には,裁判で負けることがありますよ」

 どうしていきなり裁判が出てくるのかまったく理解できなかったが,とりあえずその一言で私は

無罪放免になった。

 

「いいですか,馬券を販売すると言うのは,今までのクリーニング店業務とはまったく異なります。

今までの業務は,お客さまからお金をいただき,それに対するサービスを提供するというものでした。

つまり,これは純粋な商取引,サービスの授受であって,そのサービスの内容,つまり商品の

仕上げと,商品の受け渡しをきちんとやっておけば,基本的に免責されるものです。しかも,

クリーニング店でクリーニングをやる以上,来店されるお客さまはすべてその認識のもとに

来られている,クリーニングのお客さまと認定されますから,この点でも係争がおこることは

ありません」

「まあ,そうですね…」

 店長は,いきなり難しそうな話になったせいか,ややひきつって見える。

「ところが,これが馬券の販売ではそうはゆきません。まず,販売対象が投機的な商品です。

しかも,ケースによっては換金性を持ちます。一方的なサービスの授受でなく,双方向性を

持つわけです」

「…」

「投機であることから,その権利行使には十分な確認が必要となります。たとえば,本来馬券購入に

対する無資格者,つまり未成年,学生,禁治産者等にその権利の行使を許してしまった場合,

後にその権利行使の無効を主張されるケースがあります。この場合,その主張は大抵保護者から

来ますが,当方が確認を怠っていたと認定された時には,取引の無効が宣告されることがあります。

つまり,さかのぼって馬券購入の取引を取り消す。…まあ,馬券が当たっているときに

そんな要求が出ることはありませんから,とどのつまり賠償することになるのです」

「…」

「しかも,来店者を限定することで水際で遮断できる本来の馬券販売所と異なり,クリーニング店に

来店されるお客さまは不特定です。しかも,馬券購入に対して認識のないお客様もいらっしゃいます。

このような方に馬券を販売した場合,賠償を求められた場合に免責されません」

「…」

「最終的には,法的権利行使の上での権利者確認と,意思確認,そして十分な説明が必要になります。

これは,トラブルや訴訟から当社を守る上,そしてあなた自身を守る上でどうしても必要な

ことなのです」

「…」

「ご理解いただけましたでしょうか」

 最後のその一言と,山ほどのテキストを残して,彼は東京に帰っていった。

 

 その日から店長の猛勉強が始まった。暇さえあればテキストを見ている。奥様の話では,

寝る時間も削って読みこんでいたらしい。

 

「さて,店頭販売の開始も1週間後に迫りました。今回は,店頭研修として,ロールプレイングの

形式でやってみたいと思います」

 東京から再び若い男がやって来たが,前回とは違う人物であった。金曜日の夕刻。営業がすべて

終了してからの話。私も参考のために立ち会うことになっていた。

「私がお客様の立場で話しかけますから,店長さん,対応してみてください。まあ,あくまでも

練習ですからそう硬くならずに…」

 確かに店長の表情はこわばっていた。

 

「いぃ,いらっしゃいませ」

「ええっと,こちらで馬券は買えますか」

「はい…。当店では中央競馬の主要レースの勝馬投票券につきまして,,代行販売業務,

を行なっております」

「日曜日の,“皇帝賞”の馬券を買いたいのですが…」

「はい。かしこまりました。…それではまず,お客様のか,確認をさせていただきたいと思います

ので,,免許証など,ご本人様が確認できる書類を見せ…,ご提示願います」

「これでいいでしょうか」

「はい。ありがとうございます。…お客様は25歳でい,いらっしゃいますね。

ご…確認させていただきますが,学生さんではないですね,よね…」

「はい」

「はい,わかりました。ありがとうございます。それでぇは,実際に馬券を買っ,購入していただくに

あたりまして,事前の,…説明をさせていただきますので,聞い…お聞きになってください」

「はい」

「勝馬投票券の購入については,いぃわゆる賭け事,キャ,ギャンブル行為となっておりまして,

お客様の購入された投票券が当選された場合,しよ,所定の配当金をお支払いいたしますが,

もしもご…当選されなかった場合には払い戻しはしませ…,行なわれませんので,

あらかじめご了承ください」

「はい」

「ですから,お客様にとって,たいへん,,非常に危険な,投機的な,行為になりますので,

十分な考ぇ,自覚を持って購入を行なっていただきますようにお願いいたします」

「はい」

「どの馬券を買い,ご購入されるかは,すべてお客様のご意志で決めて,決定していただくことに

なります。そのための情報,参考情報はこちらの専用パソ…端末でご,提供させていただきます」

「購入資金につきましては,お客さん,お客様のゆう,遊興費の範囲内での購入をお願いいたします。

…買い過ぎ,過度の購入はお客様の生活を損なう恐れがあり,ございますので,

ご自身にとっての適正な金額を超えるご,購入についてはご遠慮願います…」

「はい」

「…でも,買ってください…」

 

        以上   1998.12.19  PN 一光輝瑛

 

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