戦慄の黒

 

                    一光 輝瑛

 

 

「いらっしゃいませ!」

 久田君が声をはりあげると,ちょっと狭い店内に妙に響く。

「あ,いけねっ」

 先日までは牛丼屋でバイトをしていたせいか,つい大声で挨拶してしまう癖が抜けていない。

お客さんの驚いたような視線に対しては,軽く会釈して受け流す。

 駅前の通りにあるあまり大きくもない文房具店。久田君はアルバイト募集のビラを見て,

ここならさぞかし暇だろうと思って応募したのだが,企業のお客さんも多いせいか,

事務も含めるとそれなりにハードなバイトだとも言えた。

「105円になります」

 お客さんが100円のボールペンをレジに置くのを見ると,即座に反応して,

実際にレジを打つ前に値段を言う。結局これも牛丼屋で身につけた習慣なのだが,

こちらの方はてきぱきと応対しているように見えるのか,店長からの評価は高い。

 

 

「あれ,あの人は…」

 ガラス越しに見える交差点の向こう,信号待ちをしている老人が遠目に見えたが,

その老人が妙にまっすぐこちらを見ているような気がして仕方がない。

確か,昨日シャープペンシルを一本だけ買っていったお客さんではないかと思う。

ちょうど店内のお客はまばらで,余裕を持ってレジのところに立っていた久田君であったが,

その老人はやはりこちらをじっと見ている。しかも,にらむように。

「なんだろう…」

 信号はやがて青になり,その老人はまるで最短距離をたどるかのように,こちらに向け,

久田君に向け歩いてきた。にらみつける視線。年甲斐もなく妙にぴんと伸びた背筋。

そして,自動ドアが開く。

「…!」

 やはり,その老人は怒ったような顔をして,まっすぐにレジの久田君のところに歩いてきた。

「おい,なんだこれは!」

「…!」

 いくつもアルバイトを渡り歩いてきた久田君としては,多少の苦情処理ならお手のものなのだが,

さあ,文房具屋の苦情って,どんなものなのだろう…

「この鉛筆はなんだ!」

 確かに,老人の右手には昨日買ったものだろう,シャープペンシルが握られている。

が,もう一本…

「なんだ,この鉛筆は。こんな紛らわしいものつくって,困るじゃないか!」

「え,ええっと…」

 まずいきなり『申し訳ございません』と誤ってしまおうかとも思った久田君であったが,

それにしては事情がまったくわからない。まずは事情を察知しないと。

「いくらなんでも紛らわしすぎるぞ。ボールペンと鉛筆が,まったく同じ形をしている。

こんな馬鹿なことがあるものか!」

「…」

 老人が右手に持っているものは,一本100円のシャープペンシルとしてはよく売れているもので,

バード社製の“パワーグリップ”という商品だった。そして,左手にも同じ物を持っていたが,

どうやらこちらはボールペンであるらしい。

「なんで色も形も同じなんだ!」

「あのぉ,お客様」

 久田君は様子をうかがうように下手に出る。

「もし,お買い求めの品が,思ったものと違っていたのならば,交換もできますが…」

「そんなけちなことを言ってるんじゃない。どうして,同じ形をしているのだと聞いているんだ。

紛らわしいじゃないか。おかげで,ボールペンで書くところを鉛筆で書いてしまったじゃないか!」

「…えぇっと,それでしたら…」

「とにかく,どうしてこんな紛らわしいデザインにしたんだ!」

「…つくったのはメーカーさんですが…,同じデザインのボールペンとシャープペンシルが

欲しいという方も多いものですから…」

「俺は違う方がいいんだ。困るじゃないか!」

「…ええっと,お客様。交換されますか」

「交換?,そんなけちなことを言いに来たのではない。とにかく,紛らわしくない鉛筆を出しなさい!」

 久田君は,面倒な返品の手続きをしなくてもいいと聞いただけで,半分安心の表情になる。

「それでしたら,同じメーカーのもので,こちらの色違いのものはいかがでしょうか。

性能は同じですが,色が違えば間違うことはないと思います。グリップの色が,

黒ではなく緑のものと,水色のものと,黄色のものとがあります…」

 その老人,怒りはどこにいったのか,素直に緑色のグリップの“パワーグリップ”シャープペンシル

を新しく買い,昨日買った黒いものはポケットにしまいこんだ。

 

 

「あれ,あの人はまた…」

 翌日,再び閑散とした店内。ガラス越しに交差点を見ると,あの老人がこちらをにらみつけている。

「またかよ,今度はなんだ…」

 

「おい,なんだこれは!」

「…!」

 老人の右手には,やはり昨日買ったシャープペンシルが握られている。

老人は厳しい目つきでじっと久田君をにらんでいる。

「…えぇっと,何かご不都合でも…」

「なんでこんな紛らわしいものをつくったんだ。困るじゃないか!」

「…あの〜,紛らわしくないように色を変えて…」

「うるさい。こんな紛らわしいもの,困る。緑色のペンと間違えたじゃないか。

おかげで,緑色で書くところを,黒の鉛筆で書いてしまったぞ!」

「…緑色のペン,ですか…」

 もう一度老人の手のシャープペンシルを見る。確かにグリップが緑色だから,

その色のペンと間違う人がいても不思議はないのだが…

「どうして,こんな紛らわしいものをつくったのだ。困るじゃないか!」

「…お客様,交換されますか」

「交換だと,そんなけちなことを言いに来たのではない。とにかく,

紛らわしくない鉛筆を出しなさい!」

 相変わらず厳しい目つきの老人を前に,次の商品を紹介するのは気が引けたのだが,

それでもそうしろと言うのだから…

「この商品などいかがでしょうか。値段は同じで,機能もほぼ同じですね。メーカーが違いますから,

デザインも違って,これなら間違うことはないと思いますが…」

 その老人,怒りはどこにいったのか,そのデザインの違うシャープペンシルを買い,

昨日の緑のものはポケットにしまいこんだ。

 

 

「…おいおい,今日も来るのかよ…」

 翌日,今日は比較的混雑している店内から,ふとガラス越しの交差点を見ると,

またあの老人がこちらをにらみつけていた。無情にも青になる信号。

背筋をぴんと伸ばしたその老人は,またまた一直線に久田君めがけて歩いてきた。

 

「おい,なんだこれは!」

「…!」

 すでに腰が引けている久田君。ちょっと肩幅を狭くして,その老人の顔を見ると,

またもや強烈にこちらをにらみつけている。

「困るじゃないか,こんな紛らわしいものをつくって!」

 老人の手には,やはり昨日買ったシャープペンシルが握られている。

さて,今度は何を言い出すのか…

「どうしてこんな紛らわしいものをつくったんだ。どいつもこいつも…」

「あのぉ,お客様。今度はどのような不都合が…」

「この鉛筆はなんだ。どっちが上か下かわかりにくいではないか。

おかげで,指で押そうとしたら,先のとがった方を押してしまったぞ!」

「…」

 

 

「ですから,店長。あのじいさん,訴訟マニアの気がありますよ。なんだかんだと言いがかりをつけて,

とにかく誰かに文句を言いたいのでしょう。そんなじいさんにまきこまれたのだから,

とんだ迷惑ですよ」

 夕方,店じまいの時間。久田君は店長にことの顛末を話していた。まあ,報告,と言うよりは,

面白おかしく脚色して話していた方が多いかもしれなかったが。

「他の人に聞いたら,あのじいさんよそでも同じことをやっているらしいですね。

ラーメン屋にスープが熱いだとか,スーパーには音楽がうるさいとか,

銀行には粗品が気に入らないとか…,とにかく,どこにでも文句をつけたいじいさんなのでしょうね。

迷惑な話ですよ」

「で,久田君。結局今日はどうなったのだ」

「はい。今度は,ノック不用の“勝手に飛び出す”シャープペンシルを買って行きました。

今日のは一本300円でしたが」

「それで,返品はなしか」

「はい。そんなけちなことは言わない,の一点張りで…」

「と,いうことは,そのお客さんは,この四日間で4本のシャープペンシルを買ったことになる。

それも,よそに行かずに,全部うちでだ。

 

 …いいお客さんじゃないか。まあ,文句言わずにつきあってあげなさい」

 

 

 以上 PN 一光輝瑛

 

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