幸せの分割

 

                    一光 輝瑛

 

 

「それにしてもうまく行ったな,佐藤」

「はい。おかげさまで」

「あんなカタブツだった湯川社長が,ここまで折れてくれるとは思わなかったな」

「はい」

「それもこれも,お前の粘り強い折衝の成果だな」

「いえいえ,それほどでも」

「いや,謙遜しなくてもいい。やはり,お取引先に納得していただくには,時間をかけて,

真剣に,何度も足を運ぶのが一番の方法だ。今回の佐藤の粘り強い折衝は,私も驚いたほどだ。

まさに,わが社にとって非常に大きな功績だな」

「ありがとうございます」

「部長にも,私の方から報告しておこう。今回の新規取引についての最大の功労者は佐藤君だとね」

 

 ダークスーツに身を包んだ二人の男。

40過ぎの,いかにも“課長です”といった感じの中年が橋本課長。

そして,まだ30前だろうか,いかにも“営業です”といった感じの方が佐藤君であった。

 今日は,新規取引先との契約に成功し,意気揚揚と引き上げてくる,そんな道中,

『たまにはいいだろう』と立ち寄った喫茶店での会話であった。

(本当にたまになのかどうかは定かでなかったが…)

 

「それにしても,湯川社長の佐藤に対する信頼はすごかったな」

「はい,ありがとうございます」

「半年前,飛び込みで行ったときは,門前払いだったんだろう」

「はい。それでも通いつめて,話を聞いてもらえるまでが一番大変でした」

「ご苦労なことだ。まあ,どんな営業でもそんなものだがな。

…それが,今では『佐藤君の言うことなら間違いはないでしょう』ってわけだ。よくがんばったよ」

「はい,ありがとうございました」

「しかも,『契約の記念に』なんて,お土産までもらっていたな。

新規のお客さんから物をもらうなんて,普通は無いことだぞ」

「はい,ありがたいです」

 佐藤君は,やや誇らしげに,社長からもらった包みを取り出す。

「それにしても大きな箱だな。いったい何が入っているんだ?」

「さあ,何でしょうかね。わざわざ別の紙で包み直してありますし…」

「『佐藤君の好きなものだよ』なんておっしゃられていたから,悪いものは入っていないだろう。

むしろお前を驚かせようとしている様だったが…」

「はい,あけてみましょう」

 佐藤君は,わざわざ黒っぽい包みで中身が見えないように包まれたその贈り物を,

ある意味無造作にあけはじめる。

「あ!」

「ん?」

「課長,これはすごいですよ!」

「ああ,菓子か」

 橋本課長は,“何がすごいのかわからない”といった風で佐藤君の手元を見ているが,

一方佐藤君は明らかに興奮していた。

「課長,これはめちゃくちゃすごいですよ」

「だから,饅頭か何かだろう」

「ただの饅頭じゃないですよ。これ,天翔堂の饅頭ですよ」

「天…」

「天翔堂ですよ。ご存知無いんですか。めちゃくちゃ有名な和菓子屋で,

特にこの“天翔饅頭”は逸品,限定品でなかなか手に入らないんですよ」

「…そういえば,聞いたことはあるな」

「僕も,何度か朝から並んで食べたことはあるんですが,この世に無いほどの美味さですよ」

「…でも,饅頭だろう…」

「これこそ究極の菓子,そんな最高の味わいです。

…それにしてもすごい,あの“天翔饅頭”の50個入りの箱が,今この手の中にあるなんて!」

「…」

 橋本課長は,やや引いてしまった感じで,それでも佐藤君の顔を見ている。

「すごい,すごい,すごすぎる!いったい,どうやって手に入れたんだろう!

やっぱり社長の人脈かな。しかも,それをくれるなんて」

「…そんなにすごいのか…」

「すごいなんて物じゃないですよ!,いやぁ,これはうれしいですよ。

前に社長との話の中で,“天翔饅頭”の話をしたことがあったんですよ。

それを覚えていてくれたなんて…」

 佐藤君は,まるで今にも泣き出してしまいそうな雰囲気であった。

「取引の契約はともかくとして,この饅頭はめちゃくちゃうれしいですよ!

これを腹いっぱい食べることが,昔っからの夢だったんですよ!」

 

 

「そんなに美味い饅頭なら,社の全員で分けて食べよう」

「!」

 一通りの興奮状態が治まった後,課長の無造作な一言が佐藤君を直撃した。

「え?」

「50個も入っているんだろう。ちょうど,わが社の全員に行き渡るくらいだな」

「…」

「そんなにめったに手に入らないものなら,みんな喜ぶだろう」

「…」

 佐藤君は,一気に暗い表情に沈んでしまう。

「まさか,饅頭を50個も一人じゃ食えないだろう」

「…いえ,この饅頭なら…」

「いやいや,やっぱり全員に配るのが一番いい」

「!」

「そりゃそうだろう。一人の人間が50個食うよりも,

50人が一個づつ食べた方が良いに決まっている」

「…」

「佐藤は確か,法学部の出身だったな,それなら,限界効用逓減の話は

聞いたことが無いかもしれないが」

「え?…」

「つまり,そうだな…たとえば,仕事の後にビールを一杯飲むとするだろう」

「はい…」

 佐藤君は,“何のことかわからない”といった表情であったが,課長はかまわず続ける。

「一杯ビールを飲んで,二杯目,三杯目も飲んだとして,

それぞれ飲んだときの満足具合は同じだろうか,ということだ」

「…」

「普通の人なら,一杯目はめちゃくちゃ美味いと思うだろう,

だが,二杯目,三杯目となるにつれて,一杯あたりの喜び,満足度はそれほどでもなくなってゆく,

普通はそうだろう」

「はい,確かに…」

「つまりだ。消費される財の単位数が増加するにつれ,追加的な一単位から得られる効用は

徐々に減って行く。…少なくとも,一般的にはそう考えられている」

「…?」

「と,すればだ。一人の人間が饅頭を50個食べた時の満足度よりも,

50人の饅頭一個分の満足度をすべて加えたものの方が,大きな満足度になると考えられる」

「そうですか…」

「このことは,50個の饅頭があった時に,それを一人が独占するよりも,

50人に分け与えた方が,世の中に出現する満足度がより高いことを意味する。

まあ,つまりみんなで幸せになろうってことだ」

「?」

「だから,今回のこの饅頭は,ちょうど50人ほどの,社員全員に配った方が良いということだ」

「え!」

「え,じゃないだろう。だから,みんなで幸せになって,しかもその幸せの合計値は増加するんだ。

みんなに配るんだぞ!」

「…」

 

「それじゃあ,私はもう一件取引先とのお約束があるから,先に帰っておいてくれ」

「はい,課長」

「…もう一度言うが,饅頭は全員に配るんだぞ」

「…」

 課長は,タクシーを拾って次の仕事に行ってしまった。佐藤君と,そして大きな饅頭の箱を残して。

 

 

「いやぁ,遅くなってしまったな」

「課長,お疲れ様です」

「いやいや,例の件はなかなか難しくてな…」

 夕方,むしろ夜になって帰社した橋本課長を,同じ課の三村君が迎える。

三村君は佐藤君とほぼ同じくらいの年代,同じく橋本課長の期待の部下であった。

「君も遅くまでお疲れだな」

「ありがとうございます。気になる取引があるものですから」

「…ところで,佐藤はどうした?」

「はい,佐藤でしたら,今日は早めに帰宅しましたが」

「そうか。…それで,何か言っていたか…」

「いえ」

「ええっと,たとえば誰かに何かを渡したり,配ったりはしていなかったか」

「いえ,特に何も」

「そうか…」

「ああ,そう言えば,帰宅するときに,紙袋に入った大きな包みを大事そうに持っていましたよ」

「え?」

「めちゃくちゃうれしそうな顔をして,楽しそうに帰っていきましたが,

何か良いことでもあったのでしょうか?」

「……」

 

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

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