ちょっと無理すれば,昨日のうちに帰ることも出来た。18時30分の新幹線に飛び乗れば,

家まで帰り着くことが出来る。そこまでしなくても,夜行バスという手もあった。

夜8時の便に乗れば,眠っている間に地元の駅が見えてくる。だが,そうしたくはなかった。

 

 

 新聞とグレープフルーツ

 

                          一光 輝瑛

 

 目覚めは快適だった。

 駅の近くのビジネスホテル…まさにビジネスホテルだった。ベッドと,テレビと,浴室。

究極の機能的なスペースで,私は目を覚ました。カーテン越しにさしこんでくる朝日の光が,

妙に新鮮でまぶしかった。いまだに着慣れない浴衣が体にまとわりついているように感じられるが,

どうせ人目もない。リモコンをちょっと探して,テレビの電源を入れる。慣れないチャンネル順に

多少戸惑うが,すぐに見慣れた顔を発見する。見たこともないコマーシャルが旅を感じさせて

くれるが,その他は何も変わらない。場所さえ合っていれば,いつもの風景だ。

 

 ちょっとの間,何とは無しに画面を見ていたが,枕もとのデジタルクロックに促されて立ち上がる。

着替えは昨夜のうちに準備して,椅子の上にたたんである。荷物は枕元にまとめてあって,

われながら実に準備が良い。

 こうして,さわやかな朝が始まった。…知らない土地での日曜の朝が。

 

 忘れ物がないか再確認して,キーを左手に部屋を出る。オートロックが,カチッっと小気味良い

音を立てて閉まると,そこからはここも“外の”世界になる。いつもより大きめの荷物と,

ちょっとだけ装飾の凝った廊下。エレベーターで出会った人は,眠そうな顔でやはり一階に降りた。

ちょっともったいないような早いチェックアウト。だが,それが今日の日を豊かにしてくれる

ことを,多くの人は知っている。

 

 ソファーの横を通り,自動ドアをくぐると,突然都会の喧騒が私を迎える。そしてまぶしいような

朝の光。早足で通り過ぎる人波にあわせて,私もとりあえず駅の方向に歩き始める。

 

 この朝の雰囲気がたまらなく好きだ。都会的な駅と,早足の人の群れ。聴き慣れた車の音と,

次々と発車して行く路線バス。規模の差はあるかもしれないが,どこにでもあるような駅前の風景。

だが,今の私には何の目的も,束縛も無い。いつもとは違う,圧倒的な開放感に私は包まれている。

 

 日曜日の朝,ビジネスマンの波は押し寄せて来ないが,その分かっちりしたスーツに身を包んだ

人とすれ違うと,なぜかそちらを見てしまう。旅行者だろうか,大きなスーツケースに逆に

引きずられるかのように歩いてきて,そのまま駅のコンコースに消えて行く。ふと自分の手許を見る。

使い慣れた黒のスポーツバックが,しっかりと膨らんでいる。自分も一緒かとなぜか納得するが,

まだ片手は開いている。

 

 ちょっとした会が私の目的だったが,それも土曜日の午後にあっけなく終わってしまった。

その後は純粋な休日。明日からはまた帰って仕事だが,今日一日はとりあえず自由に使える。

闇雲な旅行者ではないから,特に見ておきたい場所も無い。本当は見ておくと良い場所もあるかも

しれなくて,そのうち後悔するかもしれないなどとふと感じるが,まあそれもいいだろう。

いつになるかはわからないが,どうせこの町にはまた来ることになると思う。少なくともそう

感じるから,観光の時の様な奇妙な脅迫感も無い。立ち並ぶ豪華な百貨店の看板は,

それなりに購買意欲をそそるが,今は別に買いたいものも無い。いや,あるにはあるが,

またでいいだろう。

 

 売店で,いつも読むのとは別の種類の新聞を手に入れる。なぜか旅の時だけこの新聞を

読むことに決まっていて,まっすぐに手が伸びたのだが,また紙面の構成が前と変わっている

ように感じる。ところで,前にこれを手にしたのはいつだっただろう…

 

 駅はそれなりに混み合っていた。ラッシュのようなたちの悪さは無いが,やはり早足の人が

目につく。時折携帯電話の音が響く。かけながら歩いている人も目立つが,子供達も同じことを

やっていることにはいまだに抵抗を感じる。自分の携帯電話はかばんの奥に沈んでいて,

しかも電源を切っている。どうせ職場も全部休みの日なのだ。

 

 日曜日の駅の地下街ほど,朝の雰囲気を感じさせてくれるものは無いと思う。地下道入口の

ガラス扉は閉じられていて,一瞬入り込んでも良いものかどうか疑問を感じてしまうが,押せば

開いたのだから問題は無いだろう。地下道のライトはすべて点灯されているようだが,奇妙に

暗い印象を受ける。昨夜は圧倒的な光の量で異常に目をひく空間であったのに,今は妙に殺風景だ。

飲食店はもちろん,まだ早いのだろう,普通の店もまだ開店準備中だ。一部開いている店もあるが,

閉まったシャッターの合間にあるとこれもまた奇妙だ。時折凝った装飾を施したシャッターが

目をひくが,どうだろうか,このような環境ではむしろ逆効果のように感じられてならない。

人通りはまだまばらだが,やはりここでも旅行者の姿が目をひく。踏みしめている白い床材が

すべるような奇妙な音をたてる。…昨夜は感じられなかった音だ。

 

 ちょっと歩いて,感じのよさそうな喫茶店が見えてきた。ガラス張りの向こうのメニューを

ちょっとだけ見て,ゆっくりと中に入る。とたんにコーヒーの匂いが私を包む。しっかりと

ともされたライトが,白い壁にうまく映えとても明るい。スポーツバックは先にコインロッカーに

預けてきたが,もしそうしていなかったら邪魔で仕方がなかったかもしれない。ロッカーのカギは

確かにズボンの左ポケットにはいっている。ポーチと新聞だけになった手荷物を向かいの椅子の上に

置き,二人がけのテーブルに一人で腰掛ける。調度品の趣味が妙に自分にあうような気がする店内,

ガラス張りの窓際からは地下道の様子がよく見える。

 

 店内には何人かのお客さんがいて,二人ほどの店員が手際よく応対していた。モーニングセットも

あったが,あえてそれをたのまずに個別に注文した。ミックスサンドとグレープフルーツジュース。

ちょっと冷たい組み合わせかもしれなかったが,それだけあれば良いような気がした。コーヒーは

また後でどこかで飲めばいい。

 

 料理の到着を待つ間,新聞を開く。いつも家で新聞を読むのとはまったく別の雰囲気だ。

一面の見出しをおさえるが,たいした記事は載っていないようだ。特集記事もいくつかあるが,

連載ものにはどうせついて行けないから無視する。テレビ欄も必要ないか…

 

 木製のトレイにのって,料理が運ばれてきた。趣味の良い白い皿の上には,しっかりと

挟まれたレタスやトマトが妙に映えるサンドイッチ。ちょっと大きめのガラスコップに注がれた

グレープフルーツジュース。ストローでちょっと飲み込むと,ほのかな苦みが体を包む。

なぜか私は,このジュースで体を目覚めさせるのが好みだ。いつもはミルクの方が多いのだが…

 

 再び新聞に目を戻す。本当はものを食べながらの新聞や本はとても行儀の悪いことだとは

思っているのだが,妙にビジネスマンらしいこの雰囲気が好きで,学生の時からいつもこうだ。

時間の節約になるかどうかはわからない…本当に二つとも同時に進行しているわけではないのだ。

 芸術とか,社会をえぐるエッセイとか,ビジネスにあまり関係のない記事に不思議と目が行く。

日頃読んでいる経済誌との違いもあるのかもしれないが,それにしても経済や政治の記事は

なぜか飛ばしてしまう。ふと考えるが,コラムを書ける人は天才だと思う。特に,あの一面の下に

毎日載っているやつ。毎日書かないといけないということは,さぞかし日頃からネタをためて

いるのかもとは思うが,実際はそうではないのだろう。

 それにしても,目的や脅迫無しに新聞を読めたのも久しぶりだろう。『これを読んでいないと,

お客さんと話ができないよ』…いや,本当はそんなものではないはずだ。

 

 もう一度ジュースを軽く飲んで,今度は本格的にサンドイッチにとりかかる。

新聞は右横にたたまずに置いた。野菜のシャキシャキした歯ごたえが心地よい。それにしても,

外食した時に限って“食事のバランス”が気になる。本当は,こんなところでちょっとばかし

野菜を食べたところで,バランスなんて大差ないのではと思っても,それでもまあましなのだろうと

思う。

 

 新聞から目を離すと,今度はガラス越しの向こうが妙に気になる。先程よりは少しは人通りも

増えたように感じるが,今度は清掃の人や,カートに商品を載せて行き交う人が目につく。

そろそろ本格的なオープンの時間に備えて準備が着々と進んでいるのだろうか?

 それにしても清掃の人の制服はどこでも似たようなものだと感じる。機能的なのだろうが,

もう少し洒落ていても良いような気がする。まあ,あまりじろじろ見るのも失礼かと

目をそらす。ふと気づくと,店内のお客さんも少し増えたようだ。

 

 簡単な朝食はあっと言う間にかたがついた。最後にもう一度グレープフルーツの苦みで口の中を

包む。新聞も出来る限り原型に戻るように(本当は雑にしたところで大差ないのだが)たたむ。

手荷物をつかんで,新聞はわきに挟む。店を出ると決めると,なぜか急にあわただしい気分になる。

勘定の伝票を一度確認して,席を立つ。

 

 少しはにぎやかになってきた地下道を通り抜け,今度は開放したままになっていた扉の横を通過。

地下道の構造から言えば本来は脇道になる階段なのだろうか,細い階段を登って地上を目指す。

どうやら駅からは少し離れた場所に出てしまうようだ。階段は急で,地下道よりも多少暗い。

私は比較的元気にその階段を登って,そして…

 

 先程よりも強い陽射しがもう一度私を迎えた。町はさらににぎやかさを増し,人波も増えていた。

百貨店の開店まではまだかなり時間があるはずだが,買い物客らしい姿が見えるようになった。

走って駅に向かっている人もいる。到着したバスからはたくさんの人が降りてくる。

…そう,朝から昼に向けて,街は確実にその動きを早めているのだ。

 そして朝食を済ました私は,先程より元気が出ている。こちらも昼に向けてどんどん動いて行こう。

 

 ただ,朝からまったく変わらないこともあった。しょせん,どこまで行ってもこの街の営みと

私の生活にはほとんど接点がないのだ。行き交う人は皆他人ばかり。極端な話,明日この街が

なくなったとしても,私には何の影響もないだろう。

 

 そう,

 『私はこの街を知らない

   この街も私を知らない』

そんな圧倒的な開放感と共に,私はみどりの窓口に向けて歩き出した。

 新幹線の切符を買うのだ。

 

 以上 1998.11.09  PN 一光 輝瑛

 

 

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