一光 輝瑛
焼けたアスファルトからの立ち昇る熱気は,揺らめく波となって視線をゆがめていた。
時折吹く潮風も,すぐに熱風となって臭いだけを高めた。
波の音は遠く,無造作な歓声と車の音だけが耳に響いた。
「谷山さん,やっぱ暑いっすよ…」
「あ,…あ,そうだな」
谷山のややぼやけた視線に,木田はちょっと不安になる。
すぐに,足元からペットボトルを取り,乱暴にラッパのみする。
ウーロン茶はすでに焼かれて湯と化していたが,それでも水分の補給には違いない。
「それにしても,やっぱひどいですよ,谷山さん。
俺は,海水浴場で時給の高いバイトがあるって聞いたから来たんですよ」
「ああ,コンビニで働くよりずっと高いぞ」
「いや,確かに高いですけど,俺はてっきり監視員か何かかと思ってましたよ」
「ふん,これも確かに監視員の一種さ」
「…」
木田は,もう一度自分の姿,そして谷山の姿を眺める。紺色のスラックス,水色のYシャツ。
手には赤い棒,そして,蛍光ラインが入ったベスト。典型的な工事現場の“棒振り”のスタイルだが,
それを自分が着ていることには強烈な違和感がある。
「やっぱ,海水浴場の監視員っていったら,あれでしょう。海パンにサンダルで監視塔に座って…」
「馬鹿だなぁ,最近の監視員には資格が要るんだ。“ライフプランナー”とか言うやつ」
「それを言うなら“ライフセーバー”でしょう,谷山さん」
谷山と木田は,同じ大学のサークル仲間で,谷山の方が一年先輩であった。
『夏休みはやっぱりバイトだろう』の一言で,谷山についてきた木田であったが,どうも,
その勧誘の仕方には問題があったらしい。
「まあ,そう文句言わずに,しっかり働けよ」
片側一車線の国道を通る車が,右側のウインカーを点滅させた。
谷山はすぐに反応し,棒を振って駐車場に誘導する。
「…」
文句の多い木田であったが,仕事についてはそつなくこなしていた。
今度は,駐車場から出て行く車のため,対向車を制止する。
典型的な,交通整理のバイトであった。
「それにしても,谷山さん,この暑苦しい格好,何とかならないですかね…」
やはり,先に口を開いたのは木田の方であった。
「はぁ」
「何もこんな工事現場のような格好をしなくたって…,ここは海水浴場なんですから,
せめてTシャツと短パンとか…」
木田が指差す方向には,駐車場の入り口があり,そこにも管理人が座っている。
彼のほうは,麦藁帽子にサングラス。比較的涼しそうな格好に見える。
「…お前もわかってないなぁ,確かに暑苦しい格好だけれども,この格好がこの仕事のポイントなんだ」
「…この格好,がですか…」
木田は,明らかに不思議そうな表情を見せる。
「そりゃぁそうだろう。俺達は,駐車場に車がスムーズに入って,
スムーズに出て行くために車を整理するのが仕事だ。
当然,国道を走る車でも止めなければならないし,歩行者だってそうだ」
「…そうですね」
「考えても見ろ。ただでさえ,暑くて,しかも,海水浴場の周りはいつも渋滞だ。
そんな中で,Tシャツと短パンの兄ちゃんに,止まれと言われて止まる車があると思うか?」
「…」
「だいたい,俺達は警官じゃないんだ。信号もないこんなところで,いくら駐車場があるからと言って,
通行中の車を制止して,自分のところの車を優先させるなんていう権利があるわけ無いだろう」
「そう言えば,そうですね」
「だが,そうは言ってもよその車を止めて,自分のところの客を優先させるのが俺達の仕事だから,
せめてこんな格好をして,」
谷山は,軽く胸を叩き,仰々しい服装を強調してみせる。
「せめてこんな格好をして,車を止めるしかないじゃないか」
「なんだか犯罪みたいですね」
「まあ,通行する車に対する進路妨害だからな。本当に犯罪になるのかどうかは知らないが,
どちらにしても,警官でもない俺達が,一般市民の車を制止するんだ。
このくらいの格好でやらないと,できないだろう」
「…そんなものですかね」
「だいたい,ガソリンスタンドがよい例だろう。
やつらも,ガソリンを注ぎ終わった車を道路に出そうとして,対向車を止めるだろう」
「あ,でもなかなか止まらないですよね」
「そりゃそうだ。見るからに○○石油です,なんていう格好のバイト兄ちゃんに制止されて,
ほいほいと止まる車の方がどうかしているよ」
「それで…」
「そうだ。こんな仰々しい,いかにも警備員みたいな格好をしていれば,全部とは言わないが,
たいていの車は止まるだろう。中には,この格好見るだけで,警官と勘違いしてくれる
馬鹿なやつもいるし」
「それでTシャツと短パンじゃまずいわけですね。
もしかしたら,ガソリンスタンドも警備員の格好をすれば,効果抜群かもしれない」
「そうだ。この格好は,俺達の仕事にとっては生命線なんだ。
だから,どんなに暑くても我慢するんだ」
谷山は,見るからに無理をしているような表情で,再び自分の持ち場に気を配る。
「それにしても,やっぱ暑いわ…」
木田は,再びペットボトルに手を伸ばす。
そんな二人の横を,また一組の海水浴客が,水着にTシャツの格好で通り過ぎる。
「キャー」
それは突然だった。場所がら歓声は絶え間なく響いていたが,
それにしても“異質な”悲鳴が耳に飛び込んできた。一瞬たじろぐ谷山。
すぐ横の木田は,不思議そうな顔で周囲を見渡した。
「…」
それでも薄い視線の木田の横を,ちょっといかつい男が必死の形相で走り抜ける。
そして,その後ろから,もう一度悲鳴が…
「た,た,たいへんです,あの男,あの,,」
後ろから,水着の上にTシャツを羽織った,若い女性が走ってくる。
見るからに慌てた表情は,熱帯モードの谷山と木田を,強引に現実に引き戻す。
「た,助けてください,お巡りさん,」
「!」
「ひ,ひったくり,ひったくり,」
「!」
「ひったくり,です,お巡りさん,追いかけて…」
荒れ狂う呼吸で,聞き取りにくい女性の声だが,とにもかくにも必死の形相は,
モードを2桁くらい超越した緊急性を訴えかけていた。
「とにかく,追いかけて,お巡りさん,」
「いえ,僕らは…」
木田は,自分が“お巡りさん”では無いことを必死に否定する体制に入るが,
女性の圧倒的なテンションの前に,まったくなすすべが無い。
見ると,“ひったくり”はかなり向こう側を走っているが,それでも視線の範囲内には違いない。
「と,とにかく,追いかけて…」
その女性は,木田の両肩を強烈な力でつかんで,無理やりにでも行かせようとする。
「そんな,そんなこと言ったって,…谷山さん」
「行くぞ,木田,行くぞ」
「!」
谷山の目も尋常なものではなくなっていた。
そして,次の瞬間,走り去る“ひったくり”に向け,全力疾走をはじめる。
「あ,あ,」
木田は,もう何かを否定する気も失せて,誘導棒を投げ捨てる,
「うわぁぁぁぁ」
乱暴に女性の手を払いのけた木田は,谷山の背中,そして,
その向こう側に見える“ひったくり”の背中を追って走り出す。
汗が一気に噴出す,息もすぐに切れる。が,そこには一片の手加減も存在しなかった…
長く続く海岸線と,並行して伸びる道路。
歓声沸き立つ海辺の近く,必死の形相で走る三人の男の姿があった。
相変わらずの熱気は周囲の空気をゆがめていた。
ぎらぎらした太陽が,容赦の無い光を浴びせていた。
以上 PN 一光輝瑛
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