主の恵み,下界の調べ

 

 

                        一光 輝瑛

 

 

 

「江上さん,ちょっといいかな」

「はい,チーフ」

 結婚式場で,“フロアスタッフ”としてアルバイトをしている江上さんは,女子大の3年生。

この仕事ももう2年ほど続けていて,すっかりなれた手つきでこなしていた。

「ちょっと,悪いんだけど…」

 日頃は厳しいチーフの,いつにない弱気の言葉。なんとなく不気味なものを感じた江上さんであった。

「…急遽,チャペルの方に回ってもらえないかな」

「え?」

 

 江上さんの仕事は,簡単に言えば結婚式に出席した人に酒や料理を出す仕事。

つまりは給仕役兼案内係といった感じだ。しかしながら,さすが一流ホテルの“フロアスタッフ”

であって,時給は良いが,その分仕事も厳しい。最初『おいしいバイト』ではじめた友人達は,

みな次々とやめてしまったが,忍耐が信条の江上さんは,気づけば古株になってしまっていた。

 

「チャペル,ですか」

「ああ。ちょっとあちらで人数が足りなくなってしまって,急に頼まれたんだ。

すぐに行ってもらえるかな」

「はい,かしこまりました」

 長い研修で鍛えられたせいもあって,返事もきっちりした江上さんであった。

 

 

「ええっと,江上さんかな」

「はい,フロアの江上です」

「…ああ,今日はちょっと人手が足りなくてね。こっちの仕事を手伝ってもらうことにしたんだよ…」

 ちょっと気まずそうに話すのは,ホテルの最上階,結婚式用のチャペルを仕切る,近藤さんであった。

タキシードをびしっと着こなしているのはフロアチーフと同じだが,

若干優しげな顔つきなのは役柄の違いだろうか。

「…いや,今日は急遽一人病気になってね。それでも式はきちんとしないといけないからね」

「はい,もちろんそうですね」

「…そこでだ。江上さんには,今日は聖歌隊の一員として仕事をしてもらう」

「…え?」

 

 華やかに着飾った女性達が,次々と行き交っていた。展望フロアとして設計された最上階には,

ラウンジレストラン,そして,仰々しく設計されたチャペル,

つまり結婚式用の仮想教会といった部屋がある。

「…聖歌隊,とおっしゃいましたか?」

「ああ,聖歌隊だ。衣装は用意してあるから,すぐに着替えて準備してくれ。

30分で最初の式が始まる。その1本でいい。次の式までには代わりを呼んである」

「でもですね…」

「人数の関係があってね。どうしても一人補充する必要があるんだ。簡単だから,とりあえず頼むよ」

「簡単!,ですか。私…」

「聖歌といっても,きいたことのあるような有名なやつを2曲ほど,それだけだ。

歌詞を見ながら,それなりに歌っておいてくれれば良い。

…内山君からは,君は歌が上手いときいているしね」

「…でも…」

「大丈夫だ。難しければ小さめの声で歌っている様子だけしてもらってもいい。

それ以上は望まない。…とにかく,頭数を合わせる必要があるんだ」

「…それにしても…」

 江上さんの前を,見るからに“聖歌隊です”といった衣装を身にまとった女性が通り過ぎる。

清楚な黒いロングスカート,ショール,そして十字架。

「私,教会とかキリストとかそういうのは…」

「見たことくらいあるだろう。なぁに,宗教の話は全部神父様がやってくださる。

君は,歌う,そして立っている,それでいい」

「…信者でもないのに…」

「信者?,関係ないさ。別に入信してくれと言っているわけじゃない。

それらしい格好で,立っていてくれ,それだけじゃないか」

「…そんな,ばち当たりな…」

「ばち当たり?,そんなことは無いさ。他の聖歌隊のメンバーだって,教会から来ているわけじゃない。

全部うちの職員さ」

「え?」

「…まあ,神父様は本物を呼んであるが,それ以外は全部イミテーションみたいなものさ。

人も,場所も,全部教会風であって教会ではないんだ。

それで今までやってきたが,ばちなんて当たったことは無い」

「…」

「大体,考えても見ろ。式を挙げる新郎新婦だって,結婚式だけ教会で,別にキリスト教を

信仰しているわけではないのが普通さ。つまり,イミテーション,我々と一緒さ」

「でも,そんな…」

 江上さんの手には,すでに他の人と同じ,“教会風の”衣装が手渡されていた。

が,それを持つ江上さんは,まるでご神体を抱えるかのように恐る恐るであった。

「考えても見ろ,」

 近藤さんは,徐々に強い口調になる。

「今の日本人の宗教なんてめちゃくちゃだ。仏教か神道か知らないが,葬式と初詣のときだけ信者だ。

その他,何がある。都合の良いところだけ取り入れ,まるで信心深いかのように装う。

ばちが当たるとすれば,こっちの方がよっぽどばち当たりさ」

「…」

「キリスト教だって,そうだろう。結婚式は教会の方がハイカラで結構だ,

十字架のネックレスはシンプルで無難だ,クリスマスはカップル記念日だ,アーメン。

…どうだ,そんな感じだろう。万事が自己満足の追及だ。そんな日本人趣味を,

充足して差し上げるサービスがうちの仕事だ。それで十分だ」

「…まあ,その辺でいいでしょう」

 気づくと,フロアチーフの内山が立っている。どうやら,江上さんが心配で上がってきたらしい。

「…ある意味,近藤さんの言うとおりさ」

 江上さんの方を向いた内山チーフは,まるで諭すように話す。

「まあ,いろいろ不満や,むしろ不安があるかもしれないが,

実際このチャペルでの仕事も我々の大切な仕事の一つさ。

まあ,気にせずにやってみろ。話はそれからでも十分だ」

「…」

「それで良いですね,近藤さん」

「…もちろんだ」

 江上さんは,引き続き不安そうな顔であったが,チーフにもう一度顔を向けると,

いそいそと準備室へと向かった。“聖歌隊”の衣装を,大事そうに胸に抱えて…

 

 

「どうだった,“聖歌隊”の気分は」

「…私…」

「突然の代役でやったにしては,上出来だったじゃないか。特にミスも無かったし,

見た目初心者には見えなかったぞ」

「え,見ていてくださったんですか?」

「ああ」

 にぎやかな拍手で式が終わり,やや放心状態の江上さんを,チーフが笑顔で迎える。

「さあ,大役は終わった。フロアに戻ろう」「私,たいへんなことを…」

「…なあに,気にすることは無いさ。信仰とか宗教とか,確かに重い問題だが,

君は良い仕事をした。それで十分じゃないか」

「ばち当たりな…」

「はは…」

 内山チーフは,まだ不安そうな江上さんを,優しい目でじっと見る。

「江上さん。式での,神父様の言葉を覚えているか?」

「…いえ,でも,なんだか幸せな気分になるお話でしたわ」

「そうか。…そうだな,たとえば,こう考えるのはどうかな。

新郎新婦,そして,我々スタッフも含めて,普通に生活している場面では,キリスト教の話なんて,

聞く機会のまったく無い人間だった。そうだろう」

「はい…」

「それが,今日のこのめでたき結婚式の日に,縁あって,神父様のお話,

つまりはキリスト教のお言葉に接する機会を得た。つまり,一つの出会いだ。

もし宗教というものに,一つの意思があるとするならば,その意思に照らして見て,

これだけでも十分なことなのじゃないかな」

「…」

「江上さんは,自分自身その出会いの場に一役買ったし,自分自身その出会いを得た。

こう考えることにしようじゃないか。

さあ,フロアの仲間達が待っている。今日は忙しいぞ。みんなのところへ戻ろう」

「はい」

 江上さんの元気のある返事が,軽く響いた。

 チャペルでは,“聖歌隊”達が忙しそうに次の式の準備,

そして,再び着飾った参列者達が集まってきていた。

 緊張した表情の新郎が,ゆっくりと歩き出した。

オルガンの音を奏でる銀色のパイプが,天窓の光を受けてキラキラ輝いていた。

 

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

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