天使の平等

 

 

                      一光 輝瑛

 

 

 今,僕のカバンの中には3億円が入っている。

 あ,もちろん,今僕が持っている,この小さなカバンには3億円なんて入らない。

そうじゃなくて,,そうそう,3億円と言えば,やっぱりあれでしょう。

 

「ん?」

 僕の目の前を,ふわっと何かが通り過ぎたような気がした。

「え…」

 周囲を見渡し,そして小脇に抱えたカバンを引き寄せるが,何も見えないし,何も変らない。

『…どうしたんだろう』

 いつもの見慣れた家路の風景。いつもどおりラフな格好で歩く僕。

かなり興奮気味ではあったが,だからといってめまいを感じたわけではなかったのだが…

 

「!」

 次の瞬間,僕の目は宙の一点に釘付けになってしまった。

「何だ…」

 自宅までもう少しのところまで来て,風景はますます見慣れたものになっている。

が,そこに突如として見慣れないものが出現していた。

“ふわふわ”

,文字通りそんな感じだった。黄味がかった透明,所々白っぽいひらひらが見える。

そして,“それ”は,確かに宙に浮いていた。ふわふわと…

「…」

 たいていのことでは驚かない僕だったが,さすがに数秒間その場に立ち尽くす。

が,今日すでに強烈な偶然に遭遇し,しかも,はじめてではないシチュエーションに

ある意味強みも覚え,僕はつかつかと進んだ。

「君は,いったい,誰だ」

 

 “ふわふわ”は,宙に浮いたまま,ゆっくりと回転した。

かなり近づいたせいか,それとも僕自身が相当落ち着いたせいか,そのふわふわの正体が

はっきりと目に映ってくる。太陽の光を受けて,半透明のそれはかなり見えにくいが,

それでも,白い翼,やわらかい衣服,そして,小柄な胴体が見える。

そして,今顔の部分がこちらに向こうとしていた。

 間違いない,“天使”だ。

 

「君はいったい誰だ」

 さすがの僕も,天使に対してあいさつの言葉など知らない。

「…」

「君はいったい…」

「…そんな。あなたには私の姿が見えるのですか…」

「ああ,見えるとも」

「…霊感の強い人には,私達の姿が見えると聞いたことがありますが,まさか」

「君は,天使だろう」

「…ずいぶんと落ち着いて話しかけてこられますね」

「はじめて見るわけじゃないものでね」

「…これはうかつでしたね。それにしても,今まで誰にも見咎められたことが無かった私を見つけて,

しかも話しかけてこられるとは,ずいぶん霊感の強い方ですね」

 確かにそうだった。僕は,子供の頃から普通の人には見えないものが見えることがあって,

結構周囲を驚かせることもあったのだ。だが,どちらかというと,

『変なことを言うやつだ』と馬鹿にされたり,嫌な地縛霊を見かけたりと,

悪い思いをすることの方が多かったのだが。

「私は,小天使,平等を司る天秤の大天使さまに仕えています」

「天秤の大天使…」

「世の中の幸せの分配に不公平がないように,調整するのが天秤の大天使さまのお仕事。

そして,それを実際に執行するのが私達小天使の仕事です」

「つまり,実働部隊ってわけだ」

「大天使さまも全能ではありません。主ではありませんから。ですから,

大天使さまが決めた幸せの分配を実行するためには,私達小天使の活動はとても大切なのです」

「それで,君は降りてきたということか」

「はい,そうです。行き過ぎた幸せを調整し,幸せの足りないところに還流させる,

そんな活動を日々やっています」

「それを聞いて安心した。どうも,世の中不公平が多いと思っていたんだ」

「あなたは,不幸な方なのですか…」

「…いや,別に取り立てて不幸があったわけでもないけれど,出世も遅いし,結婚も遅かったし,

両親も早く死んだし…,まあ,今では幸せになったと思っているが」

 それは僕の正直な感想だった。若い頃は,友人達と比べて自分が今ひとつ不幸なのではないかと

思ったこともあった。が,今では結婚して子供もできたし,家も建てたし,課長にもなったし,

そして今日は…

「それにしても,平等の天使って本当にいたんだな。安心したよ」

「はい,天秤の大天使さまは,確かにいらっしゃいます」

「それで,不幸な人の所にも幸せがやってくるんだな」

「どうやら,あなたのところには幸せがちょうどよく配分されているのですね,良かった」

「え,“よかった”って,そのために君たちがいるんじゃないのか」

「残念ながら,天秤の大天使さまは,大天使であって主ではありません。全能ではないのです。

そして,その理念も絶対ではありません」

「…」

「天上界には,いろいろな大天使様がいらっしゃいます。幸せを配分するのでも,

恣意性を破棄して偶然性を追及するサイコロの大天使さま,

幸せな人をますます幸せに,不幸な人をますます不幸にする激流の大天使さま,

逆に幸せな人を不幸に,不幸な人を幸せにする逆流の大天使さまなどがいらっしゃって,

それぞれ独自の活動をしておられます。幸せの配分に,主が定めたルールは無いのです」

「つまり,どの大天使に影響を受けるかで,僕達の幸せは大きく変ってくる,ということか」

「その通りですよ。でも,私はやはり天秤の大天使さまが一番合理的だと思うのですがね。

すべての人に,平等に幸せが行くのです」

「でも,逆に,今幸せな人は,今から不幸になるんだろう」

「まあ,それはそうなのですが」

 

 

「ところで,話ついでに教えていただいてもよろしいでしょうか」

「…天使に教えられることなどないと思うけれど…」

「いえ,簡単なことです。実は,私もこのあたりにははじめて来たもので,

ちょっと道に迷ってしまったのです」

「ああ,道くらいならわかるよ」

「実は,鈴木さんという方のところで,今度のお仕事がありまして」

 

 僕は,小脇に抱えたカバンを,もう一度確認するように抱え直す。

実は,この中には当たりくじ,しかも,あの宝くじの,さらに1等の当たりくじが入っているのだ。

買ったっきり,抽選日まで忘れていた宝くじ。今日立ち寄った喫茶店で新聞を見て,

そして当たりであることがわかったのだ。爆発しそうな興奮と,震えるくらいの恐れ,

そんなすべてをひた隠して,無理に平常心を装う,それが今の僕であった。

 

「あれ,どうかされました?」

「いや,ええっと,鈴,鈴木さんだね…」

「あ,ご存知無かったですか」

「いや,ええっと,鈴木さん,と言えば…」

「あ,わからなければよろしいですよ。やはり,自分で探しますから」

「いや,あ,あ,そう言えば,そう言えば確かに鈴木さんという人が,前に引っ越して来たんだ。

ええっと,ここから3つ目の角を右に行った,ええっと,新しいアパートに確か…」

「あらら,私としたことが,ずいぶん違うところを探していたのですね」

「…は,はい。鈴木さん,なら,もうちょっと向こうで…」

「ありがとうございます。では,私も先を急ぎますので」

「あ,あぁ,角を三つ行ったところの,アパートの…」

「あ,ありがとうございます。そこまでわかれば,迷わずに行けそうです。

ありがとうございました」

 その小天使は,いきなりふっと薄くなったかと思うと,すうぅっと宙に消えた。

 あとには,いつもの見慣れた風景だけが残っていた。

「…」

 僕は,もう一度宙を見て,そして,ぎゅっとカバンを抱きしめると,

一つ目の角を曲がって家に向かった。

 

 

「あれ,佐藤じゃないか」

 家の前に,懐かしい顔が立っていた。

「ああ,ちょうどよかった。ちょうど近くまで寄ったから,

もしかしたら帰ってないかと思ったんだが,来てみたんだ」

「それは良かった。ちょうど今帰ったところだ。会えてよかったよ」

 佐藤は,大学時代の友人である。時々,ひょいとうちに遊びに来ることがあった。

「ああ。それにしても久しぶりだよなぁ,鈴木…」

 

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

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