一光 輝瑛
「長谷川さん。あなたは何歳まで生きたいと思っていますか?」
謎を掛けるように向けられたA氏の言葉は,どこか無機質に響く気がした。
「はぁ,いきなり…」
62歳の長谷川さんは,ちょっと戸惑ったように微笑んで見せる。
「大切なことですよ,長谷川さん。あなたの人生のお話です」
「…」
長谷川さんは,驚いたようにA氏の顔をみつめる。相変わらずの機械的な表情が,そこにある。
「そうですねぇ…」
長谷川さんは,手元のコーヒーを軽く揺らして,それから目線を上げる。
「やはり,100歳でしょう」
「100,ですか」
「そりゃあ,もぉ…,せっかく生まれたからには,100まで生きることを目標にする。
それが,当然じゃないですかね」
「はは,100,ですか…」
A氏は,困ったような顔を浮かべて,それから長谷川さんをじっと見る。
「…」
「これは,困ったお方だ」
「!」
A氏の無機質な声は,非情なくらい落ち着いた雰囲気で流れる。
「100ですか。それは困りますね,長谷川さん。まったくおわかりではないようだ」
「…」
「よろしいですか,長谷川さん…」
A氏が,それでも気まずそうな雰囲気を出すが,やはり冷酷な声には変化が無い。
「今の社会ですよ。特に,高齢者の保護に手厚い,今の社会ですよ」
「…」
「このような社会で,100まで生きることを欲するあなたは,ある意味非常識と言わざるを得ません。
まあ,実際は100まで生きることも可能かもしれません。ですが,本当に100まで生きることを
望むならば,あなたの現実認識は的外れだといわざるを得ません」
「!,そんな…」
「いいですか,現在のように,高齢者優遇が進んでいる世の中では,
高齢者の創出は世の中にとって負担なんです。つまり,あなたの100まで生きるという願望は,
私達の住むこの社会にとって,まさに“コスト”なのです。お解りですか,コスト,ですよ」
「…」
「あなたの希望が,世の中のコストにつながる。そりゃあ100まで生きれるなら,
あなた本人にとっては良いことでしょうね。ですが,どうでしょうかねぇ,
おおっぴらにそれを望むと言うのは…」
「…」
「悪いとは申しませんが,非常識のそしりを受けることもあるでしょうねぇ」
A氏は,ひいた態度で,それでいて,長谷川さんをじっと見る視線で続けた,…
「岡部さん,あなたは何歳まで生きたいと思っていますか?」
A氏の表情は,どこか猫をいたぶるときのような甘く冷たい流れを持っていたが,
口調はどこまでも冷淡であった。
「はぁ,寿命の話,ですか…」
「寿命,確かにそうでもありますが,実際のところはあなたの心意気,つまり人生の予定の話ですよ」
「予定…」
「もちろん,希望かもしれませんがね」
「…それだったら…」
「それだったら?」
「やっぱり,生きるとしたら,100を目標にしますね」
ようやく答えた岡部さんの表情には,どこか無造作な安心感のような雰囲気が広がっていた。
「100!,ですか」
「はい…」
「100歳,ですか…」
42歳の岡部さんは,戸惑ったような表情でA氏を見る。
一方,A氏はあえて困って見せるようなわざとらしい口調。
が,やはり声のトーンは抑揚が少なく,機械的であった。
「困ったお方だ。100まで生きることを望むとは」
「!」
「よろしいですか,岡部さん」
A氏は,岡部さんをじっと覗き込むようなしぐさを見せるが,
軽く組み合わせた両手の置き場がどこかぎこちない。
「これからの社会ですよ。高齢者が,自らの能力と,
資産でもって自らの生活諸費を捻出してゆくべき,これからの社会ですよ」
「…」
「そんな社会で100まで生きることを望む,それも本当に望むというのであれば,
それは非常識のそしりを免れませんね。だいたい,考えてもみてください。
保険にしても,年金にしても,はたまたリバースモーゲージにしても,
果たして100までの余生を念頭において作られているのでしょうか?」
「…」
「そりゃあ,社会に,そしてあなたの懐に資産があふれているのなら,まったく問題は無いですよ。
ですが,普通に生きて,普通に貯蓄してきた一般の人にとっては,
そんな過大な余生の計算は成り立ちません。
平均年齢をカバーするのもおぼつかないくらいですからね」
「…それで…」
「つまり,資産・費用のバランスが若い時点で組まれているあなた方の世代の場合,
100まで生きることは,そこから生じる費用負担にからむ“リスク”なんです。
いいですか,リスク,ですよ」
「!」
「そのリスクを省みず,いたずらに余生を望み,ましてや100まで生きることを望むなど,
私には理解できませんね」
A氏は,言い捨てるようにして立ち上がった。岡部さんの視線は,一瞬A氏を追うが,
すぐに宙を仰いで,そして混迷のふちに入り込んでしまった…
「木村さん,あなたは何歳まで生きたいと思っていますか?」
「え?」
「何歳まで生きる,生きられるつもりなのですか」
22歳の木村さんは,驚いたような表情でA氏の方を見る。が,
A氏はまるで気にするそぶりも無く淡々と続ける,やはり,機械的な口調で。
「いえ,そんなこと,考えたことも無いですが…」
「あなたの人生についての,大切な問題ですよ」
「…」
木村さんは,困ったような表情に落ち込むが,すぐに開き直って,飄々と続ける。
「それなら,やっぱり,100歳ですか?」
「100!」
「はい,まあ,100まで生きれば良いでしょう」
「はは,100,ですか」
「はは」
木村さんの様子は,『まるで何事もなかったかのような』ものであったが,
A氏の表情は一気に曇った。
「これは,これは。ずいぶんと困った若者だ」
「!」
「100まで生きることを望むとは…」
「…なにか,いけないんですか?」
「いけないも何も,非常識,ですね」
「!」
木村さんは,ちょっと困ったような,どこか怒ったような表情に変る。
「何がいけないんですか」
「良いとか,悪いとかの問題ではありませんね。…非常識,ということです」
「!」
ますます厳しくなる木村さんの表情,が,A氏は構う様子も無く,諭すように続ける。
「いいですか,未来の話ですよ。あなた方が高齢者と呼ばれるようになる,未来の話ですよ」
「…」
「考えてもみてください。あなた方は,これまでどのようにして生きてきましたか。
星も見えない汚れた空気の街で,有害な磁波を発する電子機器に囲まれ,
化学薬品にまみれた過多の栄養を食し,そして,必要最小限にしか体を動かさない生活。
そんな中でこれまで生きてきたのではないですか?」
「!」
「肉体は油脂にまみれ,ホルモンは異常な波を描き,骨の髄まで有害物質に染められた,
そんな体で,今生きているんですよ。そんな人間が,どうして100まで生きられるんですか」
「…」
「あなた方の世代で,100まで生きるなんて,まさに“ミラクル”としかいいようがありません。
いいですか,ミラクル,ですよ」
「…奇跡,ですか」
「奇跡を望むのは勝手ですがね。しかし,常識的な話だとは到底思えません。
その辺はよく認識されたほうが良いですよ,木村さん」
A氏は,そこまで言うと,あとは口を堅く閉ざしてしまった。
木村さんはしばらくA氏の表情を追っていたが,やがて立ち上がり,ドアの方に歩いていった。
ドアの向こうには社会が広がっている,彼らが生きて行く社会が…
以上 PN 一光輝瑛
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