内田ひとしの大いなる野望1

 

一光 輝瑛

 

「課長,これはいけます」

とあるビジネス街の某所にある,ちょっと背の高いビルの8階。中堅商社“銀河商事”の,

総合企画室があるフロアである。

今まさにわれらが内田君が,満面の笑顔を浮かべて課長席の前に立っていた。

「今度はばっちりです。大ヒット間違いなしの新商品を見つけてきました」

 

 フロアの中にいる全員が…とは言ってもそんなにたくさんの人間がいるわけではないのだが…,

半分驚いたような表情で彼を見る。発言を驚いたのであろうか,それともその元気な大きい声に

驚いたのであろうか。

 

「またろくでもないものを引っ張ってきたんじゃないでしょうね」

 間髪入れずに,課長の右ななめ前に席を構える女子社員がちゃちゃをいれるが,その表情は穏やかな

ものであった。

「木村さん,またそんなこと言わないで下さいよ。…そうですよね,徳田課長」

 徳田課長は半分あきれたような,それでいて何か興味をひかれているかのような表情を浮かべ,

内田君の方を見ている。一方,木村さんと呼ばれた女性はいかにも面倒くさそうな表情を浮かべている。

 

 徳田課長は40〜50くらいの,人のよさそうな課長である。周りの社員より横幅の広い机と,

肘置きのついた椅子が彼の(形式の上での)権力を感じさせる。個性の無い茶色のスーツが妙に

似合っている。

 一方,木村さんは30をちょっと超えたくらいの女性である。長めの髪に大きな瞳。化粧はあまり

濃くなくて好印象を受けるが,スカートはちょっと短すぎるような気がする。

「この何日間か,貴重な時間をしっかりと費やして必死に調べてきたんです。ぜひ見てみてください」

 われらが内田君はまだまだ若さの抜けきっていない年齢である。…26歳であるが,その割には

大きな,悪く言えばえらそうな口をきくのも彼の特徴である。

「で,何を見つけてきてくれたんだね,内田君」

 課長は相変わらず興味を引かれている様子でじっと彼を見ている。どうこう言いながらも同じく

木村さんも彼を見ている。

 

「新しい野菜を見つけてきたんです」

「えっ」

「今までほとんど国内では紹介されてこなかった野菜です。,というか世界的にもあまり知られて

いない野菜です」

「野菜ですって,またまた何を持ち出すのかと思えば…」

「遥かアフリカの中部に生えていた野菜を,数年前からヨーロッパの何人かの研究者が栽培している

ものです。すでにデータは取り寄せてあります」

 そう言って内田君は何枚かのコピー用紙を取り出す。A4の用紙を二つ折りにしたものが数枚。

どうやら自宅のパソコンで印字したもののようだ。

「どれどれ」

 開いてみると所々に蛍光ペンがひいてあるのが目に映えるが,ちょっと字が小さすぎるようにも

思える。徳田課長の目がやたらと細められてその用紙に落とされる。しかし,本当に字を追って

いるのかどうかはよくわからないし,もしも読んだとしても理解できそうにもない複雑な記号が

いくつか並んでいる。

「よくわからんな…」

 中身を理解する見込みの無い課長に対して,内田君が続ける。

「ポイントはここです。“ミネラルがほうれん草の150倍”」

「ほお,そりゃあすごいね」

「つまりこの野菜を一本食べれば,ほうれん草150本分だと言うことです。ほうれん草自体

栄養豊富だと認識されている野菜ですから,こりゃあすごいですよ。販売すれば大ヒット間違いなし

です」

「なかなか面白い話じゃないか」

「まだまだ栽培本数も少ないですから,すぐに販売ベースに乗せるのは無理ですが,将来を

見越しての投資対象としては非常に有望だと思います。場合によっては栽培等を一手に引き受けて

商品展開するのもいいでしょう。比較的栽培も簡単だそうですし」

「動植物の輸入は結構面倒ですよ」

 木村さんが口を挟む。

「最初はそうかもしれませんが,そのうち軌道に乗ればそれもクリアできるでしょう。要は他社が

目をつけないうちに手を打つことです」

 徳田課長が腕組みをしながらうなずく。

「これはどこから引っ張ってきたのかね」

「その道の専門誌を検索していて見つけました。まだまだ注目度も低いですし,研究所にも

ほとんど照会は入ってないそうです」

 内田君は満足そうに徳田課長の顔を見る。

「ぜひ,この件は前に進めて行きたいと思います。さっそく私が現地に飛んで,より詳しい状況を

把握してきたいと思います。データの提供を受けた上で,広域での栽培や独占契約の締結が可能か

どうかまで含めて,折衝を行いたいと思います。何しろうちが一番に手をつけることに意味が

あるんですから…」

 

「前に進めるのはいいが,ある程度慎重にやった方がいいだろうな」

 そう言ったのは,後ろから近づいてきた星野氏であった。ある程度話を聴いていたらしい。

「新規の物件ということはある意味得体が知れないものを手がけることになるわけだから,

あまりあせって手をつけても失敗することが多いよ」

 星野氏は内田君よりも二年先輩にあたる。若いには違いないが,しっかりとした意見を言う

ことから課長の信頼は厚い。今日は鮮やかなネクタイが薄い色調のスーツによく合っている。

「ただよそに先を越されては…」

「もちろん手は打って行かないといかないと思うけれど,あまり深いところまで手をつけると

ダメージも大きい。データも安くは無いだろうし」

「今は出張旅費の申請も,結構たいへんですし」

 庶務一般を取り仕切る木村さんが,ここぞと口を挟む。

「じゃあ,どのへんからやって行くかな」

 すでに軸足を星野氏の方向に移している徳田課長が,問い掛ける口調で話す。

「まあ,まずは現物を取り寄せて見ることではないでしょうか。データではわからないことでも

現物を見ればわかりやすいでしょう。サンプルという形であればある程度の量は確保できる

でしょうし,まあ多少は契約をちらつかせておけば向こうもすぐに送ってくるでしょう。

ただ,あまり今の段階で断定的なことを伝えると後で問題になりますから」

 そこまで言って,星野氏は徳田課長の判断を促す。

「まあ,それが妥当なところだろうな。急ぎたいところでもあるが,あまりわけのわからないもの

でも困る。内田君,先方の連絡先は把握しているね」

「はい,研究機関と連絡をとりましたから」

「では,先方への連絡は星野君,頼むよ。メールを送れば大丈夫だろう。取り寄せに関する細かい

手続きは木村さん,うまくやっておいてください」

「…早く届けばいいんですが…」

 内田君はちょっと残念そうな表情を浮かべている。

「…手続きって結構面倒なんですよ…」

 そう言ったのはやはり木村さんである。

 

 二週間ほどたって,“お待ちかね”の荷物が到着した。ビジネス便で到着したその包みは途中

何度か開封されていたようだが,中身の性質からいえばそれも当然のことか。

「いやあ,待っていましたよ。早速開けてみましょう」

 もちろんわれらが内田君が真っ先に手をかけた。

「大体の形は写真で見ているんですが,問題は味でしょうか…,え,なんだこれは」

 その野菜自体は十分に梱包されていたのだが,最後のビニール袋に手をかけたところで

その手が引っ込む。

「なんだ,この臭いは」

 後ろにいた徳田課長でもそう言ったのだから,内田君はその被害をまともに受けたらしい。

「確かにスペシャルフレグランスとは書いてあったんですが…」

「これってフレグランスなの?…まるっきり悪臭じゃない」

 木村さんも鼻をつまみながら冗談半分で言う。

「こりゃあかなわんな」

 徳田課長はそう言って遠ざかってしまった。

「商品化にはずいぶんと障害がありそうですね。これは殺人的ですよ。腐っているのかも

しれませんね…」

「いえ,腐った臭いとは違うようです」

 星野氏の疑問に気丈な内田君が答える。彼は果敢にもその荷物に再び近寄っていたのだ。

「荷物の輸送には細心の注意がはらわれたそうです」

 木村さんが手許の送達状を冷静に読み上げる。

「さあ,これをどうさばくかな,内田君」

 星野氏の一言で内田君の顔に一同の注目が集まる。(徳田課長は遠くから)しかしながら

そのやさしい目つきはこの職場の独特なものだろうか。それを見て内田君の表情は和らぐ。

「そうは言っても,ほうれん草の150倍ですよ。投げちゃあいけません。香りの悪さは…」

「臭いでしょ,内田君」

「匂いの悪さは調理法で克服しましょう」

「調理法かね。どうすれば何とかなるようになるかね」

 徳田課長も再び近づいてきている。

「手許の資料によれば,味の濃いスープでよく煮込むのが一案とあります」

「そうか。では頼むよ,木村さん」

 木村さんの表情が凍りついたのは言うまでも無い…

 

 星野氏の賢明な提案で,“その物体”は屋上で調理され,ついに試食タイムがやって来た。

「まあここは課長さん。一番にどうぞ」

 男性3人に紙皿と割り箸が渡された。木村さんは充血してしまった目をさかんにこすっている。

当然味見などしていない。

「何を言っているだ。ここはやはり内田君の出番だろう」

 そう言ってしり込みする徳田課長の耳元で,内田君がつぶやく。

「でも多分日本人では初めてってことになりますよね…」

「課長,生命保険には入られてますよね」

 星野氏の一言が妙に響く。

 

 徳田課長は恐る恐るなべに箸をのばし,一つまみをさらに移す。そして…

「うえっ」

 ひと噛みしただけで,徳田課長はそれを吐き出してしまう。すぐに横に準備してあった

ウーロン茶をあおる。

「内田君,これはほうれん草の100倍だったかな」

「いえ,150倍です」

「だったら私はがんばってほうれん草を150本食べるよ」

 

    1998.10.31

      P.N.一光 輝瑛

 

 

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