内田ひとしの大いなる野望 2

 

                          一光 輝瑛

 

「課長,これはいけます」

 とあるビジネス街の某所にある,ちょっと背の高いビルの8階。中堅商社“銀河商事”の,

総合企画室があるフロアである。

 今まさにわれらの内田君が,満面の笑みを浮かべて課長席の前に立っていた。

「今度はばっちりです。高収益のあがる投資対象を見つけてきました」

 

「また何かろくでもないものを見つけてきたんじゃないでしょうね」

 すかさず,すぐ近くの席に座っている女子社員が反応する。庶務雑務一般を取り仕切っている

木村さんである。彼女の表情は穏やかだが,発言はちょっときついか?

「まあそう言わないでくださいよ,木村さん。今度は自信があるんですから」

 そう言って内田君は手許の紙を軽くたたく。A4の二つ折りが数枚。どうやらパソコンで

印字してきたものらしい。

「まあ,要は中身だな」

 ようやく課長,徳田課長が口を開く。両腕を椅子の肘置きに据え,何やら気取った風にも見える。

ダークスーツには似合わないような派手なネクタイが人目をひくが,どうやら娘さんに贈られたもの

らしい。

「いったい,この不景気の中,どんなものに投資するのかね」

 言葉とは裏腹に,すでに興味をひかれたような表情になって,徳田課長は内田君を見ている。

「ルクタジア公国のメルサですよ」

 

「はっ」

 一瞬,凍りつく。…徳田課長と木村さんの事である。

 

「そのルク…何とかというのは,いったい何なの?」

 課長よりも早く回復した木村さんが,自信まんまんの内田君に問い掛ける。

「ル・ク・タ・ジ・ア,ルクタジア公国という名前の国で使われている通貨,お金のことです。

メ・ル・サ,メルサです。正式な発音はちょっと違うかもしれませんが」

「何なのよ,それ,聴いたこともないわよ」

「むりもないと思います。日本ではほとんど知られていない国ですから。南米中部にある,

とても小さな国です」

 課長の表情はいまだに凍りついたままだ。

「今はやりの“日本版ビッグバン”の影響で,外国為替の取引がずいぶんと自由になったのは

ご存知ですよね」

「ああ,もちろんだ」

 ようやく耳慣れた言葉が出てきて,課長は復活する。

「昔と違って国際間の資本取引,通貨の両替はかなり自由に出来ます…」

「原則自由ってやつだな」

「そうです」

「でも,自由とは言っても,実際にやろうとしたら結構面倒なのよ」

 早くもいやな予感がしたのか,いつも雑務を押し付けられる木村さんがつぶしにかかる。

「自由化されたことによって,取引銀行を経由しなくても外貨の取引が出来る。これは想像以上に

便利なことですよ。株や債券や証券は,なんだかんだ言っても何らかの金融機関を通さなければ

ならないわけですから…」

「まあ,確かにそれはそうだ。すでにわが社でもセクションによっては差額決済等の手を

打っているが,だが,そのル ル…」

「ルクタジアです」

「まあいい。それはいったい何なんだ」

「有望な国ですよ」

 

 内田君はついにその手許の紙を開き,課長の机にのせる。あわてて木村さんが立ち上がり,

横からのぞきこむ。例によって小さな字でいっぱいに書き込まれたその紙に,

ところどころマーカーでしるしがつけてある。

「まあ,これを見てください。ネットから取り出した最新の情報ですから,まだほとんど

知られていないと思います」

「ああ,確かに知らないな」

 徳田課長は日本人の代表にでもなったような口調でつぶやく。

「ルクタジア公国は南米中部の小さな国。人口も少なく,これといった特徴も無い国なのですが,

この資料のここを見てください」

 すでにピンクのマーカーでしっかりとしるしがつけてある部分をさらに指差す。他の二人の目が

そちらにくぎづけになるが,徳田課長はすぐに目をこする。

「見にくいな…」

「すいません,この形でしかプリントアウトできなかったものですから。小さくて見にくいですね」

「何,これ。このトリノサイトというのがすごいの?」

 さっさと記事を読み飛ばした木村さんが,早くも問い掛ける。

「はい。それがすごいんです」

「おいおい,よくわからんよ。説明してくれないと…」

 徳田課長が慌ててブレーキをかける。どうやら自分で読むつもりは無いらしい。

「つまり,ルクタジア公国で大規模な鉱脈が発見されたんです。トリノサイトという鉱物ですが…」

「んん,それも聴いたことが無い…」

 徳田課長にとってはもはや宇宙の話である。

「無理もありません。最近一部の研究者の間で注目されはじめたばかりの資源です」

「…常温超伝導の最適素材…って,これ本当なの?」

 徳田課長の意向を無視して,木村さんは資料を読み進める。

「あいにく,技術的な部分はよくわかりませんが,常温超伝導の素材として注目されているのは

事実のようです」

「超伝導か,なにやら久しぶりに聴く言葉のような気がするな…」

 徳田課長は何とか会話に復帰する。

「確かに,超伝導が注目されはじめたのは数年前のことです。現在でも研究は進んでいますが,

マスコミのベースで採り上げられることはむしろ減っているようです」

「もう古い話ということかね」

「いえいえ,とんでもない。超伝導は今でも画期的な技術であることに変わりはありません。

ただ,目新しさが無くなってきただけのことです。まあ,リニアモーターカーのようなものでしょうか。

…リニアにも超伝導は使われるそうですが」

「で,そのトリ…」

「ト・リ・ノ・サ・イ・トです」

「…それが超伝導に使われるわけかね」

「最近の研究成果で明らかになったそうです。トリノサイト自体は以前から発見されていましたが,

まあ,エジソンが竹を発見したようなものですよ」

「超伝導自体は目新しくないが,素材は新しい。今回はその素材に対して投資するという事か」

「事実上はそうなります。しかし,鉱山の開発に対するリスクは非常に大きい。そこで,我々は

その開発で潤う国自体に投資をするのです。」

 内田君の言う“我々”は恐らくこの課のメンバーのことであろう。やはり,どこかほのぼのとした

課であろうか。

「ライバル各社の先行投資は今のところ確認されておりません。今がチャンスです」

 そう言って,内田君は先程の資料の一番最後の紙を指し示す。それは,どうやら内田君の

手書であるようだ。

「現在通貨1メルサが約1円です。現在のルクタジア公国のGDPはこちらの数字です」

「はあ,異常に低いな」

「これが現在のこの国の実力です。しかし,トリノサイトの開発が進むことによって,それ自体の収益,

関連事業の発展,インフラの整備,まあ,外資が中心になるかとは思いますが,開発権については

国家が完全に握っています。この国は驚異的な発展をするはずです」

「今何も無いだけに,いざ発展しはじめるとすごいことになるわけね」

「その通りです。この国の経済規模は,一気に数千倍に膨れ上がる計算です」

「数千倍!」

「はい,計算上は」

「この時代にそもそもそんなことがありえるのかね」

「まあ,現在は国自体が貧困にあえいでいるようなものですから」

 内田君は,自信ありげな表情で,もう一度手書の用紙を指し示す。

「あくまでも計算の上での話ですが,この急激な経済発展によって,さまざまな社会問題の発生が

予想されます。ただし,それよりも問題は為替相場です。通貨単位メルサの対ドル交換レートは

約100倍に跳ね上がる計算です」

「百倍だって!」

「はい。ここがこの話のすごいところです。他の条件に変更が無いとすれば,現在1円の

価値しかない1メルサが…」

「一気に100円に,なってしまうってことね」

 木村さんも,すっかりとこの話にのめりこんでしまっている。

「そういうことです。今のうちにメルサを手に入れておき,値上がりした時点で売却すれば,

膨大な為替差益が発生します」

「まあ,計算上の話ではあろうが,それにしてもすごい話だな」

「多少時間はかかるにしても,他の投資対象ではここまでの収益を生むものはそう無いでしょうから」

「確かにそうね」

 内田君は満足そうに徳田課長の顔を見る。

「ぜひ,この件は前に進めて行きたいと思います。さっそく国際金融のセクションの人に連絡して,

為替取引の準備をすると同時に,資金部にも連絡を取って,運用対象としての認定をもらうよう,

ネゴしておきましょう。それと,予算の調達については課長の方からお願いします。場合によっては

私が現地に飛んで…」

 

「前に進めるのはいいが,ある程度慎重にやった方がいいだろうな」

 突然,というわけでもなかろうが,後ろから近づいてきた星野氏が口を挟む。どうやら,

同じセクションの自分の席から,話の内容は聴いていたらしい。この星野氏,内田君と同じ課の

先輩である。左手に書類を持っているところをみると,他の仕事の最中だったらしい。

「為替差益の追求というのは,一見すごく魅力的なもので,確かに収益があがるケースも

多いのですが,それ自体は事業ではないですから,いわばリスクと交換するかたちで収益を目指す

ことになります。確かにタイミングは非常に重要で,今の内田君の話では現在非常に

タイミングが良いようですが,ただそれ以上にベースとなる部分が大切です。その国がいったい

どんな国なのか,もう少し認識してからの方が良いかと思いますが」

 内田君は話の腰を折られた形になったが,星野氏にはとても世話になっているし,あてにも

しているから,むしろ次の発言を求める気配で星野氏の顔を見ている。

「まあ,リスクが大きいのは確かだな」

 課長がいまさらのようにつぶやく。

「損出が出た時の報告書って,結構たいへんなのよね…」

 そうつぶやいたのは,もちろん木村さんである。

「そこで提案なのですが,そのルクタジアという国を調べるために,いろいろなものを

取り寄せてみてはどうでしょうか」

「取り寄せる?」

「はい。資料ベースの話ではなかなか他の国のことはわかりません。特に普段なじみの無い国に

ついては。本当は現地に行ってみるのが一番いいのですが,予算面でも時間的にも結構

厳しいですから…」

「出張については最近総務の締めつけが厳しいのよね…」

 木村さんの一言に徳田課長は苦笑いする。

「…そこで,現地のものを取り寄せてみるのは一つの方法です。たとえば現地の新聞・本とか,

生活雑貨,工芸品,写真等々,あ,紙幣やコインの現物を送ってもらうのもいいでしょうね。

おそらくいろんなことが見えてきますよ」

「ふむ,なかなかいいアイディアだな」

「幸い,わが社のネットワークを使えば数週間のうちに一通りのものは届くでしょう。

もしあまり時間がかかるようでしたら,その国との取引が難しいことの証明にもなって

しまいますが…」

「ふ〜ん,そういう意味もあるわけね」

「まあ,妥当な線だろうな」

 課長の落ち着いた一言が大勢を決する。

「タイミングを逸するのも怖いが,やはりどんな国かは知ってないとな。内田君の言うように

すぐにでも動き出したいのもやまやまなのだが…」

 やや未練のあるような徳田課長の一言に,星野氏の一言がとどめをさす。

「それではわたくしの方で,南米担当のセクションに連絡しまして,それなりのものを取り寄せて

もらうようにします」

「ああ,頼むよ,星野君。それと,木村さん,取り寄せの件についての予算の申請書を

用意しておいてくれ」

 やはり最後には,木村さんの笑顔が凍りつくはめになった…

 

……

 

 その荷物が届いたのは,約二週間後のことであった。結構大きい小包が届き,徳田課長を

はじめとして課のメンバーはなぜかうれしそうな表情をしている。南米から届いたおもちゃ箱,

それが今テーブルの上に置いてあるのだ。

「さあ,さっそく開けてみようか」

 課長の一言で,その箱を4人が取り囲む。内田君がここぞと意地を見せて,真っ先に

カッターナイフで小包に取り掛かる。

 

 その箱はまさにおもちゃ箱だった。紙質の悪そうな新聞。読めない文字が並んだ本。

どこかこけしに似た木彫りの人形。シャツのようなものも入っていたが,とても着られそうにない

デザインだ。

「ええ〜,何これ。キッチンででも使うのかしら」

「これは街の写真か。〜やっぱり田舎のようだな」

「なんか変なパッケージですが,お菓子か何かですかね」

 4頭のハイエナ達による競争の中,内田君が大事そうに包まれた封筒を取り出し,開けてみる。

「どうやらこれがお金のようですね」

 

 内田君は手にした紙幣を見て,首をかしげる。モノクロで印刷されたそのお札は,

何の変哲も無いもので,中央に奇妙な衣装を着た知らない顔の人がいる。紙の粗さだけが妙に

目に付くが,折り目は無いから新札だろうか。文字は読めないが,“100”という数字だけは

読めるから,おそらく100“メルサ”なのだろう。それなりに装飾はしてあるが,

すかしは無い。

「ええ,これが例のおかねなのぉ」

 すぐに内田君の手からそのお札をひったくった木村さんが,それをかざしてみる。

「ずいぶんと貧相なお金ね…」

「紙幣の質はある意味その国の経済実態を反映してきますから。…もしかしたら貨幣経済自体

あまり発展していないのかもしれませんね。」

「そんな国と取引なんてできるの?」

 星野氏の冷静な分析と,木村さんの容赦の無い突っ込みを経て,100メルサ札は徳田課長の

手に渡る。

「確かに安っぽい札だな…」

 徳田課長はそのお札をもう一度まじまじと見る。

「内田君,これは100と書いてあるが,どのくらいの価値があるものかね」

「1メルサ約1円ですから,約100円になるかと思います」

「それで,君の計算では将来100倍になるのだったかな…」

「はい,そういう計算ですから…一万円!ですか…」

「そうか,一万円か。…だったら私は10円払って,これをコピーするよ…」

 

 以上  PN 一光輝瑛

 

 

 ご感想等いただければ幸いです。

E-mail kiei_ichi@geocities.co.jp

 

 

 この作品はあくまでもフィクションです。

作品中に登場する団体名,国名等はすべて架空のものであり,実在する団体,国等とは関係

ございません。なお,本文中にある“南米中部”という設定は,単に日本から遠いところとして

設定されたものであり,他意はありません。

 

 通貨の偽造・複写等を行った場合,たとえそれが外国の通貨であっても罰せられる場合が

ありますから,ご注意ください。

 

 この作品の著作権はあくまでも作者に属します。加筆・無断転載等は出来ません。

 

 設定等を流用する場合は,必ず事前に作者の同意を得てください。