内田ひとしの大いなる野望 4
一光 輝瑛
「課長,これはいけます」
とあるビジネス街の某所にある,ちょっと背の高いビルの8階。中堅商社“銀河商事”の,
総合企画室があるフロアである。
今まさにわれらの内田君が,満面の笑顔を浮かべて課長席の前に立っていた。
「今度はばっちりです。大ヒット間違いなしの新商品をみつけてきました」
そのフロアの衆人の目が,その大きな声にひきつけられるようにこちらに向く。しかし,
すぐにそれぞれの仕事の方向へともどって行く。書類をめくる音,パソコンのキーをたたく音。
そんな職場の雰囲気である。そして,この風景もまた,日常の見慣れた風景であるには違いなかった。
内田君の派手なネクタイが妙に目をひく。
「また何か変なものを見つけてきたのではないでしょうね」
すかさずコメントをいれるのは,書類の入った封筒を持ち,今まさに席を立とうとしていた
木村さんである。今日は濃紺のジャケットにミニスカート。全体的に地味なファッションが
30過ぎの彼女を妙に落ち着かせて見せている。…もっとも,それは独身の彼女にとってあまり
好ましい感想ではなかったかもしれないが。
「木村さん,またそんなことを言わないでくださいよ。今度はかなり有望な企画なのですから」
そう言った内田君の手には,数枚の白い紙が握られている。いつものことではあるが,
パソコンからプリントアウトしてきたものらしい。
「そんなこと言って,また何か怪しげなものに引っ掛かっているのじゃないでしょうね」
「そんな人聞きの悪いことを言わないでくださいよ」
「なんだかんだ言って,変な企画だと後の整理が面倒なんだからね」
木村さんの表情はいたって明るく,悪気は感じられない。一方の内田君の方も,
屈託のない表情である。
「それで,いったい何を持ってきてくれたんだね」
いきなり自分の目の前でやりあいをはじめられた課長,徳田課長が,実権を取り戻すべく,
発言する。ここはやはりこの課の課長,その一言で何か言いたそうな雰囲気であった木村さんは,
とりあえず矛をおさめて徳田課長の方を向く。徳田課長はいつもの通り地味めのスーツに身を包み,
妙に立派な椅子にしっかりと腰掛けている。
「今回持ってきたのは,新しい種類のお酒です」
内田君がいつになく慎重に切り出す。
「ほお,酒かね」
「酒といっても,かなりの変り種です。これまでこの国には紹介されていないものです。
マーケティングをうまくやれば,必ず売れるはずです」
興味なさげに切り出した徳田課長に対し,すかさず内田君が襲撃を開始する。
「それって,やっぱりどこか遠い外国から輸入するのかしら」
「そうです。南太平洋の島からの輸入になります」
「うわあ,それってものすごく手間がかかりそうね」
木村さんがしきりに手間を気にするが,それも彼女がこの課での庶務・雑用全般を
取り仕切っていることからすれば無理もないか。
「それにしても…」
徳田課長が,まるで自らの発言権を確認するような口ぶりで切り出す。
「輸入品の酒なんて今では氾濫しているからな。その酒には何か目新しい部分があるのかね」
「目新しいというよりも,ヒット商品の条件が整っているのです。口当たりはなめらか。
もともと果物産なのでとってもフルーティー。産地も南太平洋ですから,まさに
“トロピカル”といった感じでしょうか」
「…まあ,女性には受けそうね」
「アルコール度数は高めですが,まあ,その部分は飲み方しだいでどうにでもなるでしょう。
とにかく,風味は日本人向けだと聞いています。そしてかなり安い」
内田君はそこまで言って,初めて手に持った紙を開く。パソコンで打ち出された文字がびっしりと
並んでいたが,内田君は一度もそちらには目を落とさないところから見ると,内容の方はすべて
記憶した上で,その権威づけくらいのつもりで持ち出したらしい。
「…まあ,値段の方は税金の関係もあるからどうとも言えないだろうが,まあ,全体的には
面白そうな話ではあるな」
徳田課長は興味を持った様子で,じっと内田君の様子を見ている。資料の方に目をやるつもりは
ないようだ。木村さんは机の上に広げられたさきほどの資料に,懸命に目を通しはじめている。
「要はマーケティングの問題だと思います。ただ輸入するだけでは面白くない。…それではたいした
売上は望めないでしょうから。私がこのお酒を持ち出した理由は,このお酒はすべて
ビンテージものになっているということです」
「ビンテージ?」
「…つまり年代ものってことかしら」
「そうです。このお酒は…リノーフルというのですが…同じ名前のフルーツから作られます。
そのフルーツの収穫年によって,そのお酒も年代別に分類されています」
「まさにワインと同じ,ということね」
「その通りです。さらにこのお酒も年代に応じて熟成して行くタイプですから,一般的に
古い年代の物になれば値段が上がってゆく傾向にあります。…まさに,南国のワイン,
そういった商品です」
「つまり,ワインブーム第二弾ということかね」
徳田課長の口から“ワインブーム”という言葉が出てきたのはある意味意外でもあったが,
それでも会話は前に進んで行く。
「ワインブームについては,もはやただ単なる“ブーム”というよりも,すでに定着したものだと
考えた方が良いでしょう。要因としてはもちろんワイン自体の味もさることながら,イメージ戦略の
成功が大きいと思います。なにしろ味もよくわからない人にも定着しているものと考えられますから」
「確かにその通りだな。うちの家内もワインを飲んでいるが,まさか味がわかっているとは
思えないからな」
実は,徳田課長の口から家族のことが出てくるのはたいへん珍しいのだが,そんなことは誰も
気づかずに会話は進んでゆく。
「私はこのお酒につきまして,まず“トロピカル”であることと“ビンテージ”があることを
強調しながら,売ってゆきたいと思っています。まあ,“ビンテージ”自体はワインで使う用語
なのですが,そのまま流用すれば良いでしょう」
「とりあえず,年代ものと言えば,なんだかいい雰囲気が出るわよね…」
木村さんはかなりこの話にのめり込んできているようだ。
徳田課長は前のめりになって,じっと内田君の表情を見ている。
「実際このお酒についても,過去100年分くらいの年代のものが存在しているとのことです。
中にはかなりレアなものもあって,そのへんにはかなりのプレミアムがつくでしょう。
まあ,全体的に安価なものですから,ワインのように洒落にならない値段にまでは行きませんが」
「つまり,ほぼワインと同じ体系が整っていて,しかもワインよりもかなり安い…」
「そうです。しかも,基本的には南国のイメージですから,ワインとはあまり競合せずにすむでしょう」
「まあ,どちらかっていうとカクテルのようなイメージかしら」
「そうですね。当然料理とのコンビネーションも独自のもので行くことになるでしょう。
エスニック料理店との提携などはどうかと思っています」
「ソムリエなんかもそろえるのかしら」
「それについては徐々に検討してゆくところですが,日本酒でも同様の制度が出来つつ
あるわけですから,十分に可能でしょう」
話の中でかなりイメージが膨らんできているのを見た内田君は,見るからに楽しそうな表情で
自信を深めて行く。この状況では彼を止めるものはもう無いような雰囲気でもあった。そして,
徳田課長の表情を見る。
「ぜひ,この件は前に進めて行きたいと思います。さっそく私が現地に飛んで,
より詳しいデータ収集を行ないます。まだ他社は目をつけていないようですから,
とにかく早く動きましょう。どのくらいの量が輸入可能であるものかどうか,
詳しく折衝もしてきましょう」
「前に進めるのはいいが,ある程度慎重にやった方がいいだろうな」
そう言ったのは,後ろから近づいてきた星野氏であった。ある程度話を聴いていたらしい。
「新規の商品の輸入になるわけだから,あまり簡単に進めてしまうと,失敗したときのリスクが
大きい。もちろん,他社に先を越されるのは困るが,かといって何でもこちらが先を走ればいいと
いうものではないと思う」
星野氏は,内田君の二年先輩である。薄い緑色のスーツに,赤い色を基調としたネクタイが
映えている。ちょっとさめたところがあるが,適確な意見を挟んでくれるので,課長の信頼が厚く,
内田君も頼りにしているのだ。
「すぐに現地に飛ぶよりも,もう少し慎重にその物品自体を調査してからの方がいいだろうな」
「よそに先を越される可能性は,ありませんか」
内田君は本当に心配そうな表情に変わる。
「確かにその心配もあるが,正直言って一つの商品が注目されるたびにその現地に飛んで
いたのでは,身が持たないぞ」
そう言う星野氏自身,先日韓国への出張から帰ってきたばかりであり,その言葉には妙に
説得力があった」
「しかし,調査といっても…内田もそれなりにきちんと調べてきているのだから」
すっかり話に入り込んでいた徳田課長が,内田君を弁護に入る。
「とにかく,その商品自体を取り寄せて見ましょう。内田君が一人で現地に行くより,
多少時間がかかっても現物を取り寄せた方が,みんなでその商品を判定できますし」
「…まあ,その方が予算を申請するのも楽だしね…」
そう言ったのはやはり木村さんであった。
「では,内田君,その酒,ええっと,なんと言ったかな…」
「リノーフルです」
「そのリノ何とかを取り寄せるよう,手配してくれ。それと…輸入通関の手続きは木村さん,頼むよ」
結局,木村さんの表情が凍りつく運命にあった。
二週間ほどたって,お待ちかねのものが届いた。ダンボールらしいのだが,何やら怪しげな箱に
梱包してある3つの荷物。無造作にこのフロアに到着したが,到着するやいなや内田君が駆けつけて
大事そうに抱えたその瞬間から,重要物件に変身した。
そして,別室に運ばれたその荷物は,いつもの通り徳田課長,木村さん,星野氏,そして内田君に
取り囲まれる。
「この箱の中に来期の売上を倍増させる決定版が入っているのかもしれません」
内田君が妙にもったいぶって口を開く。
「まあ,そうじらさずに早く開けてみよう」
そう言った徳田課長は妙にそわそわしているように見える。
その箱は厳重に梱包されていた。もちろん通関の時には開かれたのだろうが,また封をして
あったのだ。そして,梱包を解くのはもちろん内田君の役目であった。内田君はまさに満面の笑みを
浮かべていたが,それは課の全員にしても同じであった。
「えっ,これか」
内田君のちょっと驚いたような一言で,あとの全員が不安そうになる。それでも内田君は
その箱にしっかりと腕を入れ,そして中から何か怪しげなものを取り出す。
「えっ,ビンに入っているんじゃないの」
木村さんが声をあげたのも無理はなかったのかもしれない。“南国のワイン”という
イメージを持たされていた彼女,そしてあとの全員が見たものは,なにやら奇妙な形をしたつぼ,
いや,甕(かめ)であった。
かなり重かったらしく,内田君はちょっとつかれた表情に変わっている。ポリバケツくらいの
大きさの甕。何やら奇妙な模様が掘り込まれていたが,浅い掘り込みであったせいかはっきりとは
見えなかった。真ん中がちょっとくびれているせいで,ずんどうのひょうたんのような形をしている。
いかにも土を焼きましたといった色合いで,粗悪な焼き物らしく妙に重量感があった。
ふたのところは多少細くなっていたが,何か植物の皮のようなもので封をされていた。
横にすると全部こぼれてしまいそうな雰囲気。よくここまで届いたものだ。
「とりあえず,ふたを開けてみましょう」
星野氏がまず立ち直ってその甕に向かう。内田君は手許の商品送達状を再度確認するそぶりだ。
「まあ,違う文化圏からの輸入品ですから,外見にあまりこだわっても仕方ないでしょう。まあ,
匂いは悪くないですよ」
そう言いながら,星野氏はふたに手をかける。
「とりあえず,飲んでみればきっとおいしいわよね」
木村さんがビニールパックに入った紙コップを取り出しながらつぶやく。
「まあ,実際に販売するときには,検討の余地はあるだろうがな」
徳田課長も,ようやくその甕をのぞき込む体勢にはいる。
「木村さん,ひしゃくかなにかなかったですかね。どうもこの甕からこの酒を注ぐのは難しいようです」
星野氏の一言で,木村さんが動く。そして,すぐにちょっと小さめのひしゃくを持ってあらわれる。
…よくそんなものが置いてあったものだ。その間,甕をのぞきこんでも真っ暗でよく見えなかった
せいか,あとの3人は匂いだけかいでいた。
「課長,この香りならいけるでしょう」
「ああ,確かに南国風だな」
しかし,徳田課長の言う“南国風”とは,いったいどんなものだったのだろうか。
「やはりここは課長が味見ですかね」
星野氏のその一言で,徳田課長に笑みが浮かぶ。木村さんから手渡された紙コップを
うれしそうに両手で持っている。
さきほどのひしゃくは内田君の手に渡っている。
「さあ,これはまさに“南国ワイン”,その1992年ものです。これを味見するのは,
もしかしたら日本人初かもしれません」
妙にもったいぶった内田君は,課長から紙コップを受け取ると,ひしゃくを甕に入れ,
そしてそのちょっと青みがかった液体をそれに注ぐ。その液体が全員の目にふれたのだが…
「内田君,この浮かんでいる黒いものは何かね…もしかして虫の死骸か?」
紙コップをのぞきこんだ徳田課長が,思わず問い掛ける。
「確かになにやらそのようなものが浮かんでいますね」
ひしゃくの方を見た星野氏が応じる。
「そう言えば,ここに書いてあるわよ,『ハエの死骸らしきものが混入している模様』」
通関書類を見て,木村さんが付け加える。
はっきりとハエの形をしたものが浮いていたわけではないが,その液体には確かに
黒い粒が浮いていて,よく見ると明らかに虫の形をしている。それが,かなりの数なのだ。
「ええっと,アルコール度数はかなり高めですから,衛生上は心配ないはずです。…それに
甕の上のほうからすくいましたから…」
内田君は必死に弁解するが,力がない。
「おそらく,現地の人はハエをはらいながらこれを飲むのでしょう。…もしかしたら
ストローのようなものを使うのかもしれませんね。まあ,特に南の方向から輸入すると
このようなこともあります」
「そう言えば,肉だと思って輸入したらゴキブリだったってこともあったわよね」
星野氏の冷静な分析に,木村さんが追い討ちをかける。
徳田課長は,もはや試飲をするつもりはまったく無いようであったが,もう一度紙コップを
ながめ,そして内田君に話しかける。
「内田君。これは確か6年前のものだったかな」
「はい。1992年のものです」
「ということは,このハエの死骸も“ビンテージもの”かね」
以上
1998.12.6 PN 一光輝瑛
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