内田ひとしの大いなる野望 5
一光 輝瑛
「課長,これはいけます」
とあるビジネス街の某所にある,ちょっと背の高いビルの8階。中堅商社“銀河商事”の,
総合企画室があるフロアである。
今まさにわれらの内田君が,満面の笑顔を浮かべて課長席の前に立っていた。
「今度はばっちりです。大ヒット間違いなしの新企画をみつけてきました」
大きな声が,なぜかそれまでしんとしていた室内に響く。他のセクションの人達も,一瞬何事かと
こちらを向く。しかし,声の主が内田君だと確認したとたん,皆,目の前の仕事に取り掛かる。
仕事が忙しいのか,それとも関心がないのか,それとも…
「また,みつけてきたの?,こんどはどんなめんどうが起きるのかしら」
課長席の横で,お茶の準備をしていた木村さんが,まず攻撃を開始する。
「木村さん,そんなこと言わないでくださいよ。本気で持ってきているんですから…」
内田君は手に持った資料を強調するように軽くたたいてみせる。10枚くらいあるだろうか,
みるからにパソコンで打ち出された用紙だ。
「またなにか怪しい情報でもつかまされたんじゃないの?,この不景気な時代に,そんないい
情報なんてないんだから」
木村さんは容赦なく浴びせるが,口調はやわらかで笑顔もまぶしい。最近髪型を変えるのと同時に
化粧もちょっと変えてみたのだが,同僚からの反応はほとんどない。まあ,髪を切ったことにも
反応しなかった同僚も多かったわけだから,それも仕方のないことだろうか。
「不景気な時代だからこそ,新しい発想が大切です。そうですよね,徳田課長」
内田君はちょっと表情を緩めて軽くいなす。一方,コメントを求められた徳田課長はちょっと
首をかしげる。
「…まあ,内容にもよるがな…」
机の上に重ねられた書類を左側に移動させ,徳田課長は内田君を直視する。この人のよさそうな
表情が,どれほど部下達の救いになっていることか。
「それで,いったいどんなものを持ってきたのかしら」
木村さんが,課長を差し置くように内田君に質問をぶつける。机にちょっともたれかかった姿勢が,
彼女のスタイルの良さと,スカートの短さを強調する。これだけ見れば彼女が30過ぎていまだ
独身なのが信じられないような感じも受けるが,それはそれなりの事情があるのだろう。
「今回の案は,しっかりした体系を持っていますから,かなり期待が持てますよ…」
内田君は書類を徳田課長の机の上に広げる。
「で,何を売りこむんだ」
ちらと書類に目をやるが,自力で読む気配のない徳田課長が尋ねる。
「商品としては,ハンモックを売ることになります」
「ハンモック,って,あの網みたいなやつかしら…」
木村さんが,意外そうな表情で内田君の顔を見る。徳田課長に関してはさらに不可思議なものに
遭遇したかのような困惑の表情だ。
「はあはあ,ハンモックといえば,あの,ぶら下がるやつか」
「…まあ,ぶら下がるのではなくて,ぶら下げるのですが…」
「とにかく,ぶら下げて,寝るやつよね」
「はい,そうです」
「ジャングルとかで使うやつだな…」
徳田課長が自信なさげに続けるが,どうやらイメージはほぼつかめたようだ。
…ジャングルで使うかどうかは定かではないが。
「それで,どうしてハンモックなのかしら」
木村さんが,当然のように内田君に尋ねる。
「今回の商品については,大々的なキャンペーンを組むことになりますし,期間も長期のものに
なるかもしれません。題して,“お昼寝キャンペーン”です」
徳田課長の顔がこわばって見える。木村さんもちょっと不思議そうな顔をして,内田君を
まじまじと見る。
「お昼寝,ですって。なにそれ」
「科学的に言って,人間の脳の働きは昼食後の数時間の間,極端に低下するそうです。
ですから,この時間に仮眠をとることは,実はたいへん効率の良いこととされています」
「その意見は確かに真実ですね」
そう言って,もう一人の男が話の輪に加わってくる。相変わらず明るい色調のスーツに
身をかためた星野氏である。内田君の2年先輩である彼が,タイミングよく通りがかって
助け舟を出した。
「現実的に昼寝をすることは現代社会では難しいですが,一昔前までは軍隊等でもよく行なわれた
制度ですし,文化圏によってはいまだに一般的に行なわれている場合もあります。確か,
“シエスタ”とか言いましたかね」
「ほお,昼寝か」
徳田課長は気を取り直して腕を組む。
「“お昼寝キャンペーン”を組んで,職場で仮眠を取ることをもっと一般的にするよう
働きかけるのが,この案の中核となります」
「そんなことが本当にできるのかしら」
木村さんはまだ不思議そうな表情だ。
「まあ,時間はかかるでしょうが,面白い発想ではありますね」
内田君よりも先に,星野氏が反応する。
「余暇の拡充が叫ばれて,週休2日とか,フレックスタイムなどがかなり普及してきているのは
事実です。同じ流れで,“シエスタ”が普及したとしても,不思議なことではないですよ」
「外資系の企業から火をつけるのはどうかと思っています。怠惰で居眠りするのでは能率は
下がりますが,計画的なものであれば効率的になります。午後の一定時間,能率が下がる
ことについては,脳波測定等のかなり具体的なデータも提示できますから,合理主義を採っている
彼らなら理解を得られるでしょう。もちろん,すぐに定着するとは思いませんが,
将来的には面白いですよ。昼の時間は電話番一人残して,残りは寝ていれば良いのですから」
「…なんだか嫌な話ね」
日頃電話番をしている木村さんが,拒絶反応を起こす。
「まあ,面白そうな話ではあるな。…確かに午後は眠いからな」
徳田課長は,妙なところで納得しているようだ。
「それで,ハンモックの販売,ときたわけだな,内田君」
星野氏が内田君に向き直って話しかける。
「確かに“シエスタ”といえばイメージ的にハンモックも面白いな」
「はい。普通の寝具を職場に持ち込むのはあまりにも抵抗があるでしょうから」
「…まあ,それはハンモックでも同じかもしれないが,まあ,イメージ戦略としては面白いな」
「パーソナルハンモック,というのはどうでしょうか。持ち歩きを可能なものとすれば,
いいランドマークになりますよ」
「宣伝効果だな。サッカーブームの時のミサンガのようなものか。視覚的効果はもっと大きそうだが」
「…つまりは,昼寝をキャンペーンして,ハンモックを売るわけだな」
徳田課長がおおざっぱな要約を試みるが,決して間違いではない。
「確かに,今ハンモックなんて持ってる人はいないわよねぇ」
木村さんも話に帰ってくる。内田君は自信を深めたような表情で続ける。
「“お昼寝の定番アイテム”としてうまく売りこめれば,今普及していない分,未曾有の市場が,
マーケットがあることになります。どうでしょうか。ぜひ前に進めて行きたいのですが」
「…で,どこから進めるの?,楽なところから行ったほうが良いかしらね」
「やはり,“お昼寝キャンペーン”の骨格作りから行きましょう。専門家をつけて科学的データを
整備し,あとはマーケティング,週刊誌とタイアップというのはどうでしょうか。
ちょっと俗物のような気もしますが」
「なかなか面白いな。テレビ番組なんかもどうだ。日曜日の夜にやってるやつなんか。
昼寝は体に良い,なんていう特集があれば,いいかもな」
徳田課長の口から,ナイター以外のテレビの話が出るのは実は珍しい。
「平日のお昼の番組なんてどうでしょうか。主婦はすごく見ていますよ」
木村さんも実は見ているのだろうか。
「宣伝から入るのも良いですが,それよりもそのハンモックから入るのはどうでしょうか。
結局のところ,我々が売ろうとしているのはそれなのですから」
星野氏が冷静な口調でコメントする。
「どんなにPRしても,かんじんの商品に問題があっては,どうしようもなくなってしまいます。
まず,その商品面,ハンモックをチェックしましょう」
星野氏は,決断を促すような視線で,徳田課長の表情を追う。
「…そうか,確かにそうだな。ええっと,内田君,そのハンモックの製造元には目星は
つけてあるのかな」
「梨田製作所の関連会社で,製造しているところがあります」
「ああ,梨田製作所の関連か。それなら大丈夫だろう」
「はい」
「では,さっそくサンプルを取り寄せてみてくれ。ええっと,木村さん,梨田製作所と言えば,
前回のあの書類を出しておいてくれ。去年のだったかな」
数分後,書類の山を探索する木村さんの姿があった。
数日後,同じビルの会議室に,例の四人と他に外から来た2人の男が集まった。小さめの会議室で,
10ほどの椅子が用意されていたのだが,実際は六人も入ればずいぶん窮屈になった印象を受ける。
「梨田繊維から来られました,山下さんと友山さんです」
内田君が紹介する。
「今日は,実際にハンモックを持ってきていただいておりますので,使用方法等,実際に
やってみていただきます」
「ええっと,これが当社で製作しております,ハンモックです」
山下さんの説明を受けて,友山さんがおおきな袋をテーブルの上に置く。
「…ずいぶんと大きいですね。これで一人分ですか」
徳田課長がちょっと面食らったような表情で尋ねる。
「はい。どうしてもこの大きさになります。昔はもっとコンパクトなものも製造していたのですが,
例のPL法が成立して以来,安全基準が異常に厳しくなってしまったもので,このくらいの大きさ
でないと検査を通りません」
「…重そうですよね」
「はい。まあ,持ち運べないことはないのですが,あまり持ち歩きたいものではないですね」
一同はもう一度その袋に注目する。まるで大型テレビのような大きさの袋だ。
「どうしても人の体重を支えるものですから…」
山下さんが申し訳なさそうに付け加える。
「…これって,これ持っては電車にも乗れないわね」
木村さんがふとつぶやく。
「パーソナルハンモック,だったよな」
星野氏が,内田君に向けてつぶやく。
「ええっと,大きさはともかくとして,実際のセッティングをお願いできますか」
「はい,すぐに」
そう言って,友山さんはもう一つ持ってきたかばんに手をつっこむ。そして,なにやら
大きなものを取り出す。プラスチックのカバーを取ってみると,中からはハンドタイプの
ドリルが出てきた。
「ええっと,どこでしたら穴があけれますかね」
「え,穴をあけるんですか」
徳田課長がすかさず反応する。
「はい,ハンモックを固定するのにどうしても必要ですから」
左手には,フックのような金具を持っているが,これが異常に太く大きい。そういえば,
ドリルも普段見かけるものよりはずいぶん大きいようだ。
「昔は貼りつけ金具なども使っていたのですが,やはりPL法で厳しくなりまして,どうしても
穴をあけるしかないんです」
グイ〜ンン,ガリガリ,ギギ…
会議室のきれいな壁が,恐ろしいほどの悲鳴をあげる。その音は耳をつんざき,
空気も激しく振動した。
「さて,これで取りつけることができます」
両壁に一目でわかる大きな穴をあけた二人の男は,なれた手つきで金具の挿入,
そしてハンモックの取り付けを開始した。
「木村さん,壁に穴って,よかったかな」
「課長,この建物,賃貸でしたよね…」
木村さんの表情は凍りついている。
「さて,これで設置完了です。極めて安全ですよ。最高の安全基準で製作してありますから,
力士が乗ってもびくともしないはずです。ぜひ,どなたかお休みになってみてください。
非常に快適ですよ」
ハンモックを引き上げ,山下さんと友山さんが帰っていった後,四人が会議室に残された。
「それにしても,派手にやってくれたものだな」
課長の目は,やはり壁に残された無残な穴に向けられている。
「彼らも,安全なものを設置する必要があるのですから,まあ仕方のないことなのでしょう」
星野氏がフォローをいれる。
「しかし,これをどこのオフィスでもとなると,とんでもないことになりそうですね」
「…まあ,やはり一戸建てに住む人が自宅に置いたり,ジャングルで立木につけるのなら良いが,
オフィスではまだ簡易ベットを置いた方が良いようだな」
「はい。持ち運ぶ手間もそんなに変わらないようですし…」
徳田課長と星野氏の冷静な分析が続く中,内田君は言葉を失ってただ立っている。
「木村さん,なにか,あの壁の穴を隠す,ポスターかなにかなかったかな」
「ええっと,この前“快適な職場の実現を”というポスターがありましたよね」
「ああ,もう何でもいい。とにかくふさいでおいてくれ」
木村さんは部屋を出て,そしてすぐにいくつかのポスターの筒を持って戻ってくる。
徳田課長は腕組みして,もう一度穴を見る。
「それにしても,どうせなら床にあけてもらえば良かったかな」
「え」
「床にあいていれば,ゴルフの練習にちょうどよさそうな穴だ」
以上 PN 一光輝瑛
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