緑色のスーツに身を包んだ女性が,デスクでしきりに手鏡をのぞきこんでいる。

この課の,秘書兼庶務係兼その他,木村さんである。30をちょっと過ぎたくらいの彼女は,

独身ということもあって,普段は年齢よりも若く見られることが多いのだが,

ここ数週間はどうも風向きが違う。

 細めた目もとをしきりに気にし,そしてティッシュペーパーを持ち出して鼻をかむ。

できるだけ音をたてないようにしたつもりであったが,やはり周囲の目が気になるのか,

あたりを見廻して,そしてもう一度鏡をのぞきこむ。真っ赤になった目,涙で崩れた化粧。

そしてもう一度鼻をかむ動作。

 …これらが,彼女を一気に“おばさん”の範疇に連れ去ろうとしていたのかもしれなかった。

 

 

 内田ひとしの大いなる野望 6

 

                                 一光 輝瑛

 

「課長,これはいけます」

 とあるビジネス街の某所にある,ちょっと背の高いビルの8階。中堅商社“銀河商事”の,

総合企画室があるフロアである。

 今まさにわれらの内田君が,満面の笑みを浮かべて課長席の前に立っていた。

「今度はばっちりです。大ヒット間違いなしの新企画をみつけてきました」

 

 フロアにいる人々…といっても人数はしれていたが,彼らは驚いたような表情で

内田君の方を見る。やはり,比較的静かなフロアに,ちょっと大きめの声がよく響いたのか。

 

「ハッ,ハックション」

 内田君がいきなりくしゃみをしたので,徳田課長まで驚いたように目を細める。

「あ,すいません…」

 内田君の表情は,一転して暗いものになる。目が細められたせいか,多少人相が悪く見える。

「どうした,内田。あまりよさそうな表情ではないな。本当にいいアイディアなのか」

「ハッ,ハックション」

 もう一度大きなくしゃみ。

「…すみません。花粉症なものですから…」

「ああ,おまえも花粉症か…」

 そう言った徳田課長の目は,自然と木村さんの方向に流れていた。内田君が何かを持ち出すたびに

第一撃を加えるはずの彼女は,まだ手鏡相手に悪戦苦闘している。

「…そういえば,木村さんも花粉症だったよな」

「…はい…」

 ようやく鏡を机に置き,木村さんが内田君の方を見る。目が真っ赤なのが印象的だ。

「で,今回は何を持ち出してきたのかしら」

 残念ながら,木村さんの言葉にもいつもの切れ味がない。

「まあ,健康には気をつけてくれよ。これから期末の忙しい次期になるのだからな」

「…課長さん,気をつけると言われましても,これはどうしようもないのです。

課長さんにはわからないかもしれませんが」

「ああ,幸いなことに,わからないな」

「課長さん,花粉症は日本人の1割がかかる国民病なんです。しかも突如として患者になってしまう

可能性もあります。ひとごとではなくなる可能性だってあるんですよ」

「…そういえば,女房のやつが花粉症だと言っていたな…」

 

 かわいそうなのは内田君だ。課長席の前に立ち,課長と木村さんのやりとりを聞く状況である。

 

「ああ,すまない。内田の話だったな…」

「はい。実は,今の話に関係があることなのですが」

「へ〜ぇ,花粉症に関係ある話なのかしら」

「はい,そうです」

 木村さんが思わず立ち上がって,関心ありそうな表情で内田君を見ている。

 内田君はいつものようにパソコンでプリントアウトされた数枚の白い用紙を取り出す。

「花粉症対策の決定番,と,なるかもしれないものを持ってきたのです」

 

 …

 木村さんは再び手鏡を取り,必死にのぞきこむ。一瞬ファンデーションを取り出しかけるが,

すぐにティッシュペーパーに持ちかえる。

「…あれ,木村さん,」

 木村さんは,関心のなさそうな表情。徳田課長はむしろ気の毒げに内田君の方を見る。

「そういうのって,実はたくさんあるのよね。病院にも何件か通ったわ。

花粉症の免疫をつけるとか,アレルギー反応をブロックするとかいろいろ聞いたけれども,

最終的には“花粉の侵入を防ぎなさい”なんて言って,防御用品を勧められるのよね。

で,今回は何かしら。マスク,それとも,ゴーグル?」

「どちらでもありませんよ。体の内部から花粉症を撃退する。花粉症にならない体を作るのです」

「薬,かしら」

「いいえ」

 

 徳田課長が胸の前で手を組んで,何か言いたそうに内田君の表情を見る。

「治療や,医薬品がからむと認可がたいへんだぞ」

 が,そう言ったのは徳田課長ではなく,後ろから歩いてきた星野氏であった。

「ああ,そうだ。医療関係は何かと時間と金がかかって仕方がない。それでも黒字が出るのは

ほんの一部だと言われている。一発当てると大きいが,それまでがたいへんだ」

「いいえ,ご心配なく。私のみつけてきたアイディアはどちらかというと

“民間療法”に属するものです」

「梅干を鼻の頭に…なんてやつかしら」

「おや,木村さんはそんなことまでやったんですか」

「…」

 星野氏の間髪入れぬ突っ込みに,木村さんが沈黙する。

「…まあ,もう少しは科学的かと思いますが…」

 内田君がやや不安そうになるが,それでも右手に持った紙に勇気づけられて続ける。

「その名も,“共生体移植”です」

「…,それは,臓器移植のようなものか」

「いえ,決してそんな仰々しいものではありません。もちろん,手術や入院も必要ありません。

しかも,これまでの薬による治療とはずいぶん異なっています」

「本当に,治療でも,医薬品でもないのだろうな」

「はい。その点がこの商品のセールスポイントでもあるのですから。どちらにせよ,

初期の実験ではかなり有望な結果を残しているようです」

「…まあ,最初から失敗するようでは,アイディアとして抹殺されてしまうけどな…」

 星野氏が冷静そうな表情で釘をさす。

 

「そもそも共生体とは…」

 内田君が,手もとの資料を見ながら,自信ありげに解説する。

「…自然界にもともと存在するものであって,決して人工的に作ったものではありません。

その点,科学的な障害が起こる可能性は比較的低く,人体への適応も有望です。

そもそも共生の歴史も長いと考えられ,まさに,理想的なバイオメディカルです」

「バイ…メディ…」

「バイオメディカル,ですよ,課長さん」

 内田君は,徳田課長の目を,じっと見る。

「で,その共生体とやらを移植すれば,花粉症が,克服できるわけね」

「症例から言って,その確率は高いとのことです」

「本当なのかしら…」

「試してみる価値はあると思いますよ,木村さん…」

 

 

 ダークスーツを着込み,大きなかばんを持った男がやってきた。

格好からはどこかの銀行員を連想させるが,髪型がややぼさぼさなのが気になる。

重そうに抱えたかばんには,割れ物でも入っているのか,やたらと気にしている。

 

「はじめまして。興化メディカルズの草山と申します」

 会議室で,その男を囲むように,いつもの四人,徳田課長,星野氏,木村さん,そして

内田君が並ぶ。

「…ということで,この“共生体”の効果は実験によっても証明されています」

「…人体実験ですか」

「いえ,臨床実験です」

 星野氏のやや皮肉めいた一言を,草山氏がぴしゃりと封じる。

「…でも,医薬品ではないのですよね」

 残念ながら,その一言は声にならない。

 

「…我々のコンセプトの中心は,人間が本来持っていた自然との共生関係を取り戻すことで,

現代病といわれる“脱自然型”病理を克服することにあります」

「…花粉との共生ですか」

「もっと広く,自然との共生です」

 星野氏はいつになく積極的に発言していた。…何か嫌な予感でもしたのだろうか…

 一方,徳田課長は話の羅列に半分うんざりしたのか,あまり熱心な感じは受けない。

…むしろ,今すぐにでもこの場を脱出したい,そんな印象を受けた。

 

「…共生体と,アレルギー反応の因果関係は,現在でも未知の部分が多いのですが,

それにしてもこの効果です。やはり…」

 熱心に解説を続ける草山氏をよそに,星野氏は,意を決したように切り出す。

「効果についてはよくわかりました。ところで,我々の自然な疑問かと思うのですが,

その“共生体”というのは,いったい何なのですか?」

「そのご質問はごもっともです。今日,私は皆様にわかっていただこうと,

そのサンプルをお持ちしています」

 草山氏は,床に置いた黒いかばんから,大切そうに一本のガラスビン,というよりはガラスの筒,

を取り出した。

 四人は吸いつけられるように,そのガラスに近づいて行った。

 

「!」

 

「なによ,これ」

 まず反応したのは,木村さんだった。一言言うなり,筒から遠ざかってしまった。

 長さ50センチほどのやたらと細長い物体。先のとがった黄土色で,ビンの中に立てられて,

いや,つるされていた。一度細くなった部分はちょうど首のように見える。

両側にはみ出した“ひだ”がホルマリンの中でゆらゆらゆれていた。

ぶにゅぶにゅした弾力性を感じさせるその物体,,

 

 

「ぎょうちゅう?」

「回虫,ですか?」

 

「一種の寄生虫で,コルパメッサ,と呼ばれる種類です。小腸に宿し,養分の吸収のほか,

分泌液の生成等を行いながら成長します。その分泌液が花粉症対策として有効であると,

考えられています」

「…しかし,それにしても寄生虫,とは」

「“共生体”です」

 草山氏はなおも言い張る。

 

「副作用がありそうですね…」

「ご安心ください。寄生虫の中では人体への影響が少ない方から品種の選定を行なって

おりますので,悪影響はほとんどないと言ってもよいでしょうね。

もちろん,移植後のケアも万全にすることで,いたずらな増殖も防げるわけです」

 

「見た目は悪そうですが…」

「体内に宿させるのです。外部から見るチャンスはほとんどないかと思いますが」

 

「イメージが…」

「イメージですか,その点は確かに悪いかもしれません。

ただ,イメージでは花粉症は治りませんよ」

「しかし…」

「いずれにせよ,効果は絶大です…」

 

 

 草山氏が帰った後,同じ会議室で例のメンバーの会話が始まっていた。

…木村さんの復活は遠かったが。

「“共生体”という創造語でイメージを良くしようという戦術でしょうか」

「う〜む,確かに戦術的には間違いではないが,問題点はありそうだな」

「効果があれば,飛びつく人はたくさんいるかもしれませんが…」

「…しかし,『銀河商事が寄生虫を売った』ということになると,さすがにまずいだろうな」

 徳田課長がはっきりと決断を下す。権威があるかどうかは別としても,

やはり課長は課長なのだと皆に認識させる効果はあったようだ。

 

「ところで,あそこにあるかばんは何でしょう」

 内田君が指差した先には,黒く大きなかばんがあった。

「あれは…,さきほどの方の忘れ物のようですが」

 それは,確かについさっき草山氏が使っていたかばんだった。ビンを取り出し,

しまいこんだかばん…

「これはまた,たいそうな忘れ物ですね」

「まあ,どうせ取りに来られるだろう」

「大事な“商売道具”が入っているわけですからね」

 星野氏が,やはり皮肉めいた口調で反応する。

 

「それまでは,まあ,落し物として管理しておくのが良いだろうな。

ええっと,木村さん,…木村さん…□!」

 

 危険を察知した木村さんは,あらかじめ撤退の準備にはいっていた。

 何度も呼びとめる徳田課長の声には耳をかさず,

部屋から一目散に逃げ去る木村さんの後姿があった。

 

 以上   PN 一光輝瑛

 

 

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