内田ひとしの大いなる野望 7
一光 輝瑛
「課長,これはいけます!」
とあるビジネス街の某所にある,ちょっと背の高いビルの8階。中堅商社“銀河商事”の,
総合企画室があるフロアである。
今まさに我らの内田君が,満面に笑みを浮かべて課長席の前に立っていた。
「今度はばっちりです。大ヒット間違いなしの新商品を見つけてきました」
同じフロアの社員達の視線が,やはり大きな声に引かれて集まってくる。
内田君は一瞬ばつの悪そうな表情を見せるが,すぐにもち直して,再び自信ありげな表情に変わる。
一方,席に座ったままの徳田課長は困ったような表情を浮かべている。
「あら,しばらくなりを潜めているのかと思ったら,今度は何を持ってきたのかしら。
またろくでもないものではないでしょうね」
さっそく,同じ課の先輩,木村さんが釘をさす。今日は長い髪をしっかりと束ね,紺色のスーツ。
相変わらずおとなしめの化粧であったから,いつになく地味な印象を醸し出していた。
が,独身とはいえ,30過ぎの女性にしてはスカートが短い。
「木村さん,そんな風に言わないでくださいよ。がんばって探してきたんですから」
内田君はちょっと弱ったような声を出すが,ちょっと安心したような笑顔。
木村さんのちょっと意地悪な笑顔と好対照であった。
「え,探してきたって,またインターネットかしら」
内田君が,例のごとくパソコンから打ち出してきた用紙を持っているのを見て,
引き続き木村さんがいじめにかかる。
「今度は私も探してみようかしら…」
「いいですよ,木村さん。でも,これはこれで特殊能力と,細かいテクニック,
そして末永い根気が必要ですからね。木村さんにできますかどうか…」
内田君は,先輩を前にしても決して負けてはいなかった。誰に対しても自信満々で会話を挑めるのが
内田君の良いところであり,同時に弱点でもあったのだ。
「そうかしらね…」
木村さんはいつもの穏やかな笑顔に戻って,ノートパソコンをパタンと閉める。
内田君の話をしっかりと聞こう,そんなモードであった。
「で,今日は何を持ってきたんだ,内田君」
しばらく様子をうかがっていた徳田課長は,ようやく口を挟めると判断して,
ちょっと前かがみになる。
「久々だからな,期待しているぞ」
「課長さんまでそんなことを。別に僕だって遊んでいたわけではないんですから…」
ちょっと面食らったような表情の内田君。それでも手元の白い紙を広げ始める。
「今回は,今までにない,新しい家電製品ですよ。普及すれば,数千万台規模の大ヒットに
なることも予想できます」
徳田課長の目が,より真剣になる。
「ほお,それは楽しみだな。いったいどんなものだね」
「はい,家庭用の人工呼吸機です」
「人工呼吸機って,あの,息をする,させるやつかしら」
「はい,そうですよ」
「…え,そんなものが,どうして家庭に…」
木村さんは明らかに疑問の表情を浮かべ,しかもそれをストレートに口に出す。
「あれって,病院にあるものでしょう」
「医療用品としてとらえればそうなりますよ。しかし,今回の商品はもっと簡単なものです。
一家に一台,もしくは一人に一台」
「おいおい,内田君。そんなものをどうするんだ。私には必要ないがね」
「そうですかね,課長さん」
内田君は,何かを企むような表情を浮かべ,課長をじっと見る。そして,手元の紙を指し示す。
「課長さんは,睡眠時無呼吸症というのをお聞きになったことがありますか」
「…ええっと,なんだったかな」
「つまり,眠っているときに息が止まるってやつよね」
「そうです,木村さん。それを研究している過程で開発されたのが,
今回の家庭用人工呼吸機なのですが」
「つまり,息が止まるから,人工呼吸をするってこと」
「そうです」
「でも,全部の人がその病気にかかっているわけではないわよね」
「はい。もちろんそうですよ。しかし,最近の睡眠に関する研究によれば,現代人について
睡眠時の酸素補給能力が低下しているというデータが出てきています」
「え,それって,怖いわね」
「そんなに怖いことなのかね」
すっかり会話から取り残されつつあった徳田課長が,ようやく口をはさむ。
「無呼吸まで行かないにしても,睡眠時に酸素が不足することは,健全な睡眠の妨げになります。
たしかにからだは動いていませんから,日中ほどの酸素量は必要ないのですが,脳,内臓などは別です。
特に脳についての影響は深刻で,睡眠時に酸素不足が発生することによって,結果的に脳波が乱れて
睡眠障害を起こすなどの症例が報告されています」
「…それは怖いな」
「無呼吸症までいってしまった場合には,医療の問題になりますからどうしようもないのですが,
そこまで行かない場合,今回の家庭用の人工呼吸機の出番になります。構造的には気道に
空気を送り込むだけの簡単なものですから,製造費,維持費ともに比較的安く,
普及は十分に可能です」
「本当に普及するのかしら…」
「大丈夫です。睡眠中にきちんと呼吸をすることで,脳や内臓への酸素補給がきちんと行なわれ,
結果的には効果的な睡眠がとれるという効果があるのですから」
「…難しい話はよくわからないが…」
課長の表情は,見るからに“拒絶反応を起こしました”といった雰囲気であった。
「つまりは,流行の安眠グッズの一種ということか」
後ろからやってきて,さっそく助け舟を出したのは,内田君の二年先輩にあたる星野氏であった。
「安眠枕とか,ウォーターベッドとか,そんな感じで考えればいいのかな」
「そうですね,星野さん」
やや説明に窮していた内田君の表情に,やや安心感が戻る。
「だが,内田君。人工呼吸機ともなると,認可が必要になるのではないか。例えば,医療機器として」
「いえ,その点は大丈夫です。簡易のものですので,家電扱いで対応できます」
「安全性の点では問題はないか」
「大丈夫です。すでに海外では一部商品化されているものもあり,
その意味では実験は繰り返されているわけです」
「そうか」
星野氏の表情も安心に変わる。
「どうですか,課長さん。内田君のアイデアもなかなかのものだと思います。多少難しい部分も
ありますが,まずは使い勝手がどうか,実際に試してみるのはいかがでしょうか」
「…そうだな。どちらにしても試してみる価値はあるか。内田君,商品はすぐに入るのか」
「はい,2,3日のうちには」
「では,来週にでも,泊り込みでの実験をしましょう。睡眠の実験ですからね。
実験台は課長さんですかね」
「おい,星野君,それはないだろう」
「…睡眠時の呼吸障害は中高年層に多い問題ですから」
「…」
「課長さん,日本で最初の挑戦者になれますよ…」
翌週の水曜日,すでに他のセクションの人間は家路についた。
窓の外は暗く,昼間では考えられないほど静まりかえっていた。
「さて,それでははじめますか」
社内の会議室に,簡易ベッドが持ち込まれ,そして足元には今回の“家庭用人工呼吸機”が
セットされていた。課長はすでにジャージ姿になっていて,それでも不安そうに内田君を見ている。
「実験段階の装置ですから,まだまだ大型なのですが,実用化の時点ではもっと
コンパクトにできるでしょう」
「で,私は隣の会議室で寝ていれば良いのね」
「はい,木村さん。この会議室には,私が待機します。万一の場合と,翌朝のデータ収集の手間を考え,
木村さんには右隣,星野さんには左隣の会議室でそれぞれ待機していただきます」
「と,いうことは,少なくとも内田は徹夜になるかもしれないな」
「そうですね,でも,大丈夫ですよ。若さでカバーします。なにせ,
課長さんの身の安全のためですから」
「…」
ゆっくりと会議室から出てゆこうとする木村さんに,徳田課長が声をかける。
「あ,木村さん。悪いが,寝る前にお茶を一杯もらえないかな」
「…残念ですが,課長さん。この時間だと給湯器がとまっていますわ」
「…そうか。冷たいやつでもいいのだが,ちょっと買ってきてもらえないか」
「…残念ですが,課長さん。それも無理ですわ。通用口も閉まっています」
「…」
徳田課長の口に,パイプとつながったマスクがあてられる。
「最初は気持ち悪いかもしれませんが,すぐに慣れます」
「…」
徳田課長はすでに言葉を失っている。
「では,スイッチを入れます」
ウィーン,ギギ,
ちょっと機械的な音,そして空気が強制的に流される音と共に,実験が開始された。
内田君が会議室の蛍光灯を切ると,徳田課長の不安そうな表情は見えなくなる。
ウィーン,ガガ,ギギ
きしむ音も混じった機械音が,相変わらず続いている。むしろ大きくなったか,
近くにいる内田君にはけたたましくも聞こえる。
「これは想像以上だな。しかし,異常はないな…」
そんな独り言も,機械の音の前にかき消される。
ウィーン,ガリガリ,ガタタ…
「おはようございます。課長さん。いかがお目覚めですか」
Tシャツに短パン,やや無防備な格好の木村さんが,その会議室に飛び込んできた。
「え!」
機械の横では,内田君が頭を抱えるように,不自然な形で横になっている。一方,
ベッドの上の徳田課長は,いかにも寝苦しそうに,からだを動かしていた。そして,
グワワ,ギギ,ガガガ…
相変わらずの轟音が木村さんの耳にも入ってくる。
「何よ,これ」
「冗談じゃない,こんな音がしたら,眠れるわけないだろう」
見るからに睡眠不足の徳田課長は,木村さんに反応して起きあがったが,
全身がふらついているようだ。“家庭用人工呼吸機”とつながっていたマスクは,
すでに横に投げられている。
「もう勘弁してくれよ」
「…それにしても課長さん,よく一晩我慢できましたわね,この音に」
「…ああ,苦痛だったよ」
二人はうとうとしている内田君に目をやる。彼も一晩中騒音にさらされたようで,
“力尽きて倒れた”そんな感じであった。
「おい,内田君」
「……は,はい…」
内田君は,無理やり起きあがろうとするが,不自然な姿勢だったせいか,
まったくうまくゆかずにもう一度倒れ込む。
「しかし,ひどかったな。少しもまともには眠れなかったよ」
「…それは災難でしたね,課長さん。これじゃあ…」
木村さんがもう一度内田君の方に向く。内田君が申し訳なさそうにスイッチを切ると,
ようやく静かな会議室が戻ってくる。
「ああ,やっと終わったよ,悪夢の一晩が。もう二度とごめんだな」
「…そうですね…」
内田君はすっかり神妙な表情になって,それでも例の機械を見ている。
「木村君,今朝は会議の予定だったな」
「はい。来月のプレゼンの準備会議ですが」
「あ,それなら問題ない。悪いが私は欠席して,もう一眠りさせてもらうことにするよ」
「…それが良いでしょうね」
徳田課長は,もう一度布団を手繰り寄せて眠る体勢に入る。内田君はいつのまにか,
座ったままの姿勢で居眠りをはじめている。
ガラガラッ
勢い良くドアが開き,すでに背広をビシッと着込んだ星野氏が入ってくる。
「どうですか,みなさん。快適なお目覚めですか。…ん…」
以上 PN 一光輝瑛
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