優しさを,君に

 

                             一光 輝瑛

 

 

 白いバックに,大きく赤い文字。『山中博志』というゴシック体。そして,まじめそうな

雰囲気ではあるが,それでいて堅苦しくないのは口元の笑顔のせいか,大きな顔写真。

 

「これが問題だよな…」

 市役所の秘書課,その市長室のとなりのちょっと雑然とした部屋で,檜山氏は大きな

ため息をついていた。

 市役所に勤務してすでに30年,ダークスーツがしっかりと板についていて,まさしく

“古き良き時代の市役所の職員”を絵に描いたような檜山氏であったが,ここ数日は苦悩の表情が

目立っていた。

「ついにはじまったよ…」

 

「あ〜あ,やっぱり例のやつが始まってしまったんですか」

 横で相槌を打つように話しかけたのは,同じ職場の同僚,とりあえず部下という

位置付けになっている桑野であった。

「そうなんだ。今朝,ついに市長が言い始めたんだ」

「公約を実行に移す。そのための具体策を作成せよ,てなことですかね」

 桑野は30過ぎの男であったが,ずいぶん年上の檜山氏に対してもかなりぶっきらぼうな

話し方をする。まあ,そこがこの職場の良いところなのかもしれないが。

「ああ,具体策を早急に整備し,一日も早く実行に移し,そして目に見える成果をあげろ,

とのお達しだ」

 檜山氏はうんざりしたような表情になって,もう一度手元のポスターに目をやる。

「具体策のない公約なんて,はじめから立てるほうがどうかしていますよね。…もっとも,

それで市長に再選してしまうのも問題なのでしょうが」

 桑野は,もう一枚置いてあった,先日行なわれた市長選挙のポスターを手に取る。

 大きな顔写真の下に,緑色の比較的目立つ文字で,

『優しさのある市民生活の実現を!』

とある。

 

 

「と,いうことで,皆様に集まっていただいたのは,先日再選された山中市長の新しい

公約であった,『優しさのある市民生活の実現を!』を,いかに実現して行くか,

その辺の忌憚なきご意見をお聞きしたいと思ったからです」

 檜山氏の前に集められたのは,市役所でそれぞれの課の課長ポストにある人達,

もしくはその代理を勤め得る人達の集団であった。

「どんな,些細な意見でもよろしいのですが…」

 非公式の集まりであったから,座りかたからしてかなりフランクであった。が,

檜山氏のまじめな切り出しで,一同顔色が変わるのはやはり市役所の上役達の必然性であろうか。

「え,あれは公約だったのですか」

 市民課の上田課長が口を開く。

「ただのキャッチフレーズだと思っていたのですが…」

 みんなの目が檜山氏に向く。

「はい,私も最初はそうだと思っていたのですが,最近の市長の口ぶりから行くと,

どうも本気らしいのです。いや,まったく…」

「晴天の霹靂,それでいて大迷惑。そんな感じですか」

「…いや,そこまでは申しませんが…」

「ポスターに書いてあったからといって,それをそのままやらなくてはいけない理由はないですよね」

「そうそう,だいたいあんなものはあたりさわりのない,クリーンで多少インパクトのある

コメントを選ぶのですから,それの実現を目指しても…」

 

「誰も公約だと思わずに聞いていたことでも,本人がそう思えばそうなってしまうのですよね

…もっとも,逆のケースの方が多いのでしょうが」

 後の,桑野の一言であった。

  

 

 時計は十二時を回って,それでも檜山氏の目は冴えて仕方なかった。家族はすでに床についている。

控えめにつけたライト,そして虫の声。

「どうするかな…」

 独り言は寂しさをさらに助長する。

 ふと,国語辞典を開く。『優しい』@優美なさま A当たりがやわらかい,おだやかだ

 B情け深い,思いやりがあるさま Cすなおなさま …なんだろう…

「…」

 襲ってこない睡魔,そして言葉にならない…

 

 

「檜山さん,どうですか。良いでしょう」

「!,なんだ,それは」

 一瞬何事かと思った檜山氏。桑野が得意そうに持つそれは,一瞬スーパーの特売日に

掲げられるのぼりに見えた。そう,のぼり,旗には違いなかったが,よく見ると,デザインは違う。

『優しさのある市民生活の実現を!』,何度も反芻して,ほとんど拒絶反応の原因と

なりかけているその文字列が,もう一度檜山氏の脳天に突き刺さる。

「…」

「とりあえず,これを持って町に出ましょう,檜山さん」

「え」

「こんなところでどうのこうの言っても,何も始まりませんよ。こののぼりと,

このカメラを持って町に出ましょう」

 確かに,桑野の首からは大きなカメラがぶら下がっている。

「とにかく,何かしましょう」

 

 

 数人の市役所の職員。暑い季節だと言うのに,パリッとしたスーツに身を包み,

汗を拭き拭きのろのろ歩く。

「はい,皆さん。笑顔で〜」

 時折シャッターボタンを押す桑野。全員の顔はつかれきっていたが,それでも

カメラ目線になるのはこの世代の特徴か!?

 黄色いのぼりを先頭に,よくわからず歩く集団。一人カメラを構える男だけは元気で,

あとは年寄りの集団に見える。確かに市民の奇異の目はひいたが,その視線に

優しさはなかったかもしれない。

 

「さて,皆さん。次は電車に乗りますよ」

 桑野の元気な一声で気づくと,確かに隣駅まで歩いてきていた。商店街もない,

静かな駅ではあったが,それでも殺風景なアスファルトを通ってきた男達には,

オアシスに見えたに違いない。しかも,切符の代金は経費で落ちるらしい。

 

「さて,せっかく電車に乗るんですから,席に座れてもお年寄りに譲りましょうね」

 相変わらず元気そうな桑野の一言。そう言えば,今日の目的はそうだった。

邪魔になりつつあるのぼりには,正体不明の“優しさ”が論じられている。が,

「がらがらですよね」

 誰かがふとつぶやいたが,確かに真昼間の電車,空席ばかりが目だっていた。

乗客はそれぞれ,適当な間隔を置きつつ,てんで読書なり瞑想なりにふけっているようであった。

「檜山さん,檜山さん」

「ん…」

 いいかげん疲れの目立ってきた檜山氏に,桑野が話しかける。

「檜山さん,あそこに立ってください」

「え」

 半信半疑ながら,そちらに向かう檜山氏,そしてシャッターを押す桑野。

 檜山氏が気づくと,目の前にはいかにも老人といった人が座っていて,

半分怪訝そうにこちらを見ている。

「はい,檜山さん。もう大丈夫です」

 

 

「さて,皆さん,最後は公園です」

 桑野の元気さはまだ衰えない。数人のその男達は,いいかげんだらっとして,

それでも桑野の号令に従う。

 なんの変哲もない公園。幼稚園帰りだろうか,砂場で遊ぶ子供達。

精力的にシャッターを押す桑野の姿。

 檜山氏は,カメラを振りかざす桑野を前に,いったい自分がどこに立っていたらいいのか

戸惑いの表情であったが,そんなことには一向にかまっていない桑野の様子。

 基本的に子供達にカメラが向いているようで,横にいた親らしき人がやはり怪訝そうに見ていた。

 

 

「結局,なんだったんだ。今日のあれは」

 疲れ果てた表情をしながらも,それでも元気な四時半の公務員。

「いや,実はですね。広報課の人と相談しまして,次の市政便りはこのテーマでゆくことにしたんです」

「…」

「市長再選を前面に掲げ,そのスタートとしての数週間の市長の歩みを掲載するというのが

今回の市政便りのテーマになっています。その一環として,我々を取材対象として使った。

まあ,そんなところでしょうか」

「…で,どのようになるんだ」

「今回の『優しさのある市民生活』のキャンペーン運動として,そしてその実現例として,

今日の写真を掲載してもらうんです」

「…」

 檜山氏は再び怪訝そうな表情で桑野を見る。

「あんなものを,か」

「まあ,仕上がってみれば,あんなものかこんなものかわかりますよ」

 

 

 数日後,完成してきた市政便りの原型を見て,檜山氏はかなり驚きの表情を見せた。

「おい,桑野君。これはいったい…」

 “優しさのある市政キャンペーン”

 『運動の趣旨に関する理解を深めるべく,精力的に歩く市役所職員』

 あの,のぼりを持って歩いた奇妙な行進が,写真と共に掲載されている。

どうやってうまく写したのか,自分たちの元気なうちの表情の写真だ。

 『市民の皆様が集まる駅でもPR』

 駅を背後にして,同じのぼりを持った自分たちの姿がある。確か,あの時駅には

あまり人がいなかったように思ったが,それでも写真には多くの通行人がとらえてあった。

 “優しさのある市政の実現”

 『お年寄りに積極的に席を譲る』

 再び自分の写真がそこにあった。どうやってうまく撮影したものか,確か妙なものを

見るような表情をしていたはずの老人が,写真では楽しそうな笑顔になっている。

アングル的にも,見るからに檜山氏がそのお年寄りに席を譲って立った後のように見えたから不思議だ。

実はそうではないのに…

 『楽しそうに遊ぶ子供達』

 公園の砂場で遊ぶ子供達の写真。一瞬どうしてこんな写真がここにあるのか戸惑ってしまうが,

それでも平和な光景には違いない。

 

 

「どうです,うまいものでしょう」

 桑野の得意そうな表情がある。

「ああ,確かにうまく写したものだな。だが,本当にこんなのでいいのか」

「良いと思いますよ,檜山さん。どうせ“優しさ”なんて言っても実態のないものですから。

それらしきキャンペーンをしている姿と,それらしき理想的な光景が写っていて,これで確かに

PR運動をやっているように見える。そして,やっぱりこういう時には子供か動物の写真を載せるのが

基本でしょう。良いアイキャッチになりますし,ますますそれらしき記事に見えます」

「…実は真実ではなくても…」

「写真上うまく写っていれば,少なくともその場に居合わせなかった人には,それなりの光景に

見えるでしょう。本当に時間とお金をかけてPR運動をやるより,このようにいかにも

そのような運動があって,そのような機運が高まっているかのような印象を広める方が,

効果的だと思います」

「…なんだか子供だましみたいだな」

「それで良いのではないでしょうか。どうせ発端になった例の公約だって,子供だましなのですから…」

 

 

「いやぁ,檜山君。例の記事はすばらしかったよ」

「…」

 完成した市政便りを手に,問題の市長が秘書課を訪れた。

「いやぁ,正直言って,こんなにうまくやってもらえるとは思わなかったよ」

「…」

「とにかくこの記事はいい。君達の努力の成果だな。PR運動もきちんとやってもらったようだし,

反響も上々。これで公約を掲げた市民の皆様に,顔向けができるってものだ。

これからもこの調子で頼むよ」

「…」

 うれしそうな市長の表情。

 そして,困惑しながらも無理やりの笑顔を浮かべた,檜山氏の姿があった。

 

 

 以上      PN 一光輝瑛

 

 

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