一光 輝瑛
待ち合わせの場所に行くと,青い傘をさした田中が待っていた。
せっかくの日曜日だと言うのに,朝から雨。憂鬱な気分を抱えたままやって来た。
『とにかく,すごいイベントがあるんだ!』
そんな田中の言葉ではあったが,正直言って,半信半疑ではあった。
「橋?」
「ああ,橋だよ」
「けど,橋って…」
「来週,開通するんだ。今日は,その直前の日曜日ということで,イベントがあるんだ」
「…つまり,今日俺を呼んだイベントって,橋の完成イベントってわけか」
「その通り。本当は午前中がメインのイベントだったんだが,人が多いからな。
午後の方がゆっくり楽しめるってわけさ」
「…楽しめるって,何を。こんな雨じゃ…」
じとじとと降り続く雨は,相変わらず傘を叩いていた。
「今日は,橋が特別に開放されていて,歩いて渡れるんだ」
「え?」
「開通したら,自動車専用の橋になってしまうから,歩いて渡れるのは後にも先にも
今日だけってことさ。すごいだろう!」
「…」

『西灘海峡大橋 全長1211メートル』
看板には確かにそう書かれていた。
今日しか渡れないというのもどうやら本当らしく,橋の入り口には有料道路用の料金所が
設けられていた。普通車700円也。こんな片田舎の,島につながる一本の橋にしては,
妙に高く感じる。
「さあ,渡るぞ」
「…おい,本当に渡るのかよ」
「あたりまえだ。そのために呼んだんだ。今日しかできないことなんだぞ!」
「…」
「この橋は,俺達の夢だったんだ」
「…夢?」
「もとから本州に住んでいる人間にはわからないかもしれないけどな,俺達は本土に来るたびに
毎日船に乗って,…船の時間を気にして,日によっては海の様子を気にして…不便な生活を
してきたんだ。そんな俺達の思いで,ようやく橋ができた。これからは,本土と橋でつながった。
…そんな生活ができると思うと,本当にうれしくて仕方がないんだ」
「…それはすごいな」
「そんな夢の橋を,俺は今歩いている。一歩一歩を踏みしめ,豊かな未来に向かって,
この一歩を歩いているんだ!」
「…」

「どうだ,いい景色だろう」
「…ああ,確かにな…」
「船の上から見るのと,全然違うよ。この景色をこんなにゆっくり見られるのも今日だけさ。
しっかり見ておけよ!」
「…ああ…」
強い風は雨を横殴りに変えていた。大きめの傘をさしてはいたが,雨を避けるのに精一杯,
そんな感じにしか思えなかった。
また風が吹く。傘を押さえる腕が,つりそうなほど痛い。

「おい,田中。もっとゆっくり歩けよ」
「…あ,悪いな」
「しかし,長いな…」
「でも,1200メートルほどだから,実際にはたいしたことないけどな」
「馬鹿言え!,十分に長いぞ」
「でも,時刻表を見て船に乗るよりはずっと楽さ」
「俺は,船の方が良いような気がするけどな…」
弱音を吐いてみたが,どうやら田中の耳には届いていないようであった。

長い道程をようやく克服して,何とか対岸までたどり着く。日ごろから運動不足は
感じているが,やはり思い知らされるとつらいものがある。
「ああ,やっぱり夢のようだ。歩いて自分の島に帰ってきたなんて!」
「…そんなにすごいのか」
「これほどすごいことはない!これで島の未来も明るいぞ!」
「なんだか,観光協会の人みたいだな…」
田中は,疲れた様子も無く,単にうれしそうに,そして得意そうな顔をしていた。
「この橋は,うちの島の希望でもあるんだ…」
「…」
突然しみじみと語り始めた田中に,少し戸惑ってしまう。
「めぼしい産業も無く,あるのは農家ばかり。それも,狭い土地で細々とやっているだけだ。
人口はどんどん減って,小学校もいつ廃止されるかわからない状況さ。俺はまだ
島にいるけど,正直ずっと残る自信は無かった。そりゃあ,本土の方がずっと便利さ。
島に残っていたって,いいことなんかない。同級生も,もう大方島を離れていったよ。
だが,本当は,住むにはこんな良いところは無い。少なくとも,俺はそう思っている。
この島で生まれて,この島で育って。…確かに高校からは島の外に出たけど,
それでもここでこうして暮らせている。大学卒業したら,どこに就職するかわからないけど,
それでもこうして橋ができて,24時間行き来ができるようになった。俺は,できる限り,
この島に住みつづけようと思っている。
本土の町が便利なのは認めるけどさ,それだけじゃないだろう?」
「…」
田中は今までに見たことが無いくらい堂々としていて,そして,本当に心の底からの
笑顔を出していた。
「さて,帰りはどうする?」
「…どうするって…」
「俺はこのまま家に帰るけど,お前も寄っていくか?…もう30分ほど歩くけど」
「…いや,遠慮しておくよ」
正直言って,これ以上の距離はもうたくさんであった。
「それなら,今日はここでお別れだ。橋が正式に開通して,バスが通るようになったら,
ぜひ遊びに来てくれ」
「ああ,考えておくよ」
「帰りもしっかり堪能してくれよ。歩いてこの橋を渡れるのは,本当に今日だけなんだ」
「……」
田中は,元気そうに帰っていった。
振り返ると,前方には今渡ってきたばかりの橋が横たわっている。
田中にとって,そして,島の人たちにとってすばらしい橋。
…だが,今の僕にとっては,全長1200メートルの,長い長い帰り道でしかなかった。

以上 PN 一光輝瑛
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