高梁市武家屋敷
この建物は今から170年前天保年間に建てられたもので200石前後の武士(今で言う部長クラスの地位)がすんでいたものである。母屋と長屋からなり、母屋は書院造り、また中庭の池や庭石、踏み石などは、ほぼ昔のままでありその庭に面して資料館がある。

風呂場の写真。木製でできてあり、現在みたいに湯沸かし器などないため、台所で沸かしたお湯を桶で運んでいたようだ。大きさ的には大人が座り込んでいっぱいになるほどで現在みたいに肩までつかり身体を温める事など苦難だと思った。そして昔の質素な生活ぶりを感じさせられた。

台所にある釜。通気口などがほとんど無い為、当時は煙が屋敷中にこもっていたのではないかといわれている。普通に考えてみて建物の真中あたりに煙の立つような物を置かないと思うが、もしあの場所に配置した理由として考えられることは風呂場の横にないとお湯を運べないといった理由だけだと思う。しかし風呂場の位置を変えれば改善できる。なにが理由かは明確ではないが、生活の不便さが大変よく分かった。

武家屋敷の中にある資料館の鎧、大きさ的には小さく、当時の人間の身長など体格がよくわかる。その他にも、火縄銃や当時の着物などが展示されている。

座敷の様子。上座に男性が座り、サイドに女性が座るといったように、当時の男尊女卑の生活ぶりがよくわかる。

天保年間(1830〜1844)に建てられた旧折井家の中庭の風景、ほぼ住時のままのこしており、当時の庭の造りなどがよくわかる。
その他写真はないが女部屋や広敷には、筵が敷いてあり他の武家屋敷ではなかなか見れない光景を体感できる。女部屋は真っ暗で、二畳ほどの狭い部屋であり昔の男尊女卑が明らかにわかる。
○将来像○
今後の武家屋敷について管理人に聞いてみたところ、なにも変えるところはなく、昔のままの古風を残し少しでもお客が感心を持って頂ければと言っていた。