1991年上野の芸大のはずれにいたクラブから、この物語は始まる。
9月末のマイレッジマラソンで手痛い敗退を帰したこのクラブは、衰退の一途にあった。

スタート直後の第一コーナーで他車がコースアウトするのを横目で見て、「うおーすげー」なんて驚いていたが、コーナーを曲がりきり、のぼりの直線で加速状態に入ったとき事件はおきた。
エンジンの動力をタイヤに伝える橋渡しをしていたカウンターシャフトがカブのエンジンのパワーに耐え切れずにねじ切れた。
地元での練習走行もせずにぎりぎりのタイムスケジュールで作られたマシンは沈黙し、二度と走り出すことは無かった。
マイレッジマラソン:
シェルが協賛するエコラン
鈴鹿で行われている。
現在休止中(2001現在)

部長手記

1994

 私は手痛い敗北を喫していた。その時、俺はとある大学のサークルを指揮していた。チームの士気は高く、決勝前日の記録会までは良かった、チームの歴代記録をしのぐ成績だった。しかし大会決勝、マシンは故障した。最後に取り付けたドッククラッチが破損して駆動力が伝達できなくなり、走行不能に陥っていた。ドライバーが応急修理し再始動するもタイムオーバーしてしまった。世代交代の為、このサークルでの俺の戦いは終わった。来年の再戦を誓って。

 この年、部品取りとして芸大チームで製作されたエコランマシンを貰い受けていた。

1995

 この年の個人活動は始まった。参加クラスは二人乗りクラス。
俺は知っていた、このクラスはエントリー台数が少ないことを、リッター300km程で優勝が狙える。先ずは野ざらしだったモンキーのエンジンを手に入れた。シリンダー内まで泥が入り程度が悪い。
ポイント点火、初めて見る機構だ、
CDIがいらないと言うとてもシンプルなものだ。
一週間ほどでエンジンは動くようになった。
次はフレームだ。自転車のフレームをベースにして作る予定だった。溶接の練習としてママチャリ後輪にスクーターのリアショックを取り付けたものを完成させていた。しかし、時間が迫っていた、とても新しくフレームを作ってられない。
そこで、前年芸大チームから貰い受けたマシンのフレームが残っている事に気がついた。幸いにも一人乗りとしては破格の大きさの車体だ、これなら二人乗れるだろう。こうして芸大チームで製作されたフレームをこの年だけ暫定的に採用されるはずだった。
お次は駆動系だ、自転車後輪軸を強化してカウンターシャフトとした。俺は旋盤、フライス等の本格的工作機械は扱えないので極力既製品を流用することに勤めた。こうして大会前日マシンは完成した、とりあえず二人乗って発進は出来た。
大会初日、練習走行スタート、すぐにトラブルは出た、「なんてこった、まっすぐ走らないぞ。」二人目の乗車位置が悪かった、後輪の真上に乗った為、フレームの弱いところに力が掛かりよじれが生じ、ローリング、蛇行してしまった。しかもハンパなもんじゃない車幅1メートルを越える車体が、横転しそうだ。
メインドライバー、副ドライバーとも重心をずらさないように微動だにしなかった。
メインストレートを通過するときも応援してくれる人に顔を向けることも出来なかった、首を動かしただけで進行方向が変わってしまうからだ。
お次はチェーンが外れてしまった、カウンターシャフトの軸がズレたのだ。なんとかチェーンを入れて走り出す。最後にカウンターシャフトをねじ切ってしまった、これは致命的だ。とても会場では直せない、こうして大会初日は終わった。
俺はすぐに大学に戻り、強化カウンターシャフトを製作し、大会決勝に間に合わせた。フレームのよじれにはタイダウンを引き、ずれる駆動系にはアングルを入れた。決勝はスタートしてチェーンが2度ほど外れたが、入れなおして走り始める。しかし、ロスした時間を取り戻さなければならない。そういえば、我がマシンにはスピードメーターは無い。おまけに腕時計も見る余裕は無い、必死にぶれるハンドルを押さえているからだ。
走るペースは一台前のマシンに付いていくという作戦だった。しかしこれもまずかった、そのマシンは通常よりハイペースだったのだ、後から分かったことだが。 我々は奇跡的なドライビングで時間を残しゴールした。結果はリッター65.015kmだった。




エコラン:
ホンダ主催の燃費競争。
規定周回数を走り、消費したガソリンの
量を元に1リットルあたりの燃費を競う。
社会人クラスのトップチームは3000km/L以上、制作費は数千万円。


ドッククラッチ:
駆動系とリアタイヤを完全に切り離すために、リアスプロケットにつける部品。
注:よく壊れる。

モンキー:
ホンダの50ccバイク。
ちなみにセル無し。

カウンターシャフト:
エンジンのスプロケは左側、しかし後輪にはフリー機構をもつ自転車の後輪を使うが、これは右側。
駆動を左から右に伝える仕事をする部品。
注:よくバラバラになる。

ハンドル:
普通は左右に動かすとマシンが左右に方向を変える。
ただしうちのチームは、ハンドル操作は前後に動かす。
前に押すと右、手前に引くと左。
ちなみに操縦できるのは世界中で部長だけです。

2000年

20回 本田宗一郎杯
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会

参加者 三羽、高原、岩本、毛利、大平、英樹、鷹嘴、船越、たけ

エコランマシン概要 去年型を軽量化して前輪を27インチから24インチに
先年よりの改良点としては、今年は軽量化のみにしぼり、マシンの無駄な贅肉を削ぎ落とした。

削れるところはサンダーやグラインダーで削り。切り離せる部分はバンドソウや弓ノコで切り落とし、今まで一切いじらなかったエンジンにも手を入れ、使っていない三速と一速のギヤや、キックスターターのギヤ、変速のギヤなんかも取り外せる限り取り外した。
そして最大の目玉は副ドライバーに岩本を採用!鷹嘴(55kg)から高校時代の後輩の岩本(47kg)をスカウトし変更した。
総重量で12〜3KGの軽量化!


○9月30日(土) 午前:練習走行会、 午後:記録会
走行会をスタートしたマシンの音を聞いて、いい音してるなーと言って、一人悦にいる。

しかし!思ってもいないトラブル発生。
「なんかおかしい、エンジンが回り過ぎていて 加速が悪い」
燃費は自分で計測 リッター160キロ 最悪だ
我々のライバル 空風倶楽部さんに パルス式のタコメーターを借り
エンジン回転数を計測 時速40キロで11000回転
明らかに回り過ぎだ。なぜだ?
クラッチが滑っているか、ギヤ比の問題しかない。
エンジンをばらしてクラッチ板を見てみる 異常は無いみたいだが?
とりあえず 部品取りのモンキーエンジンからクラッチ板を移植してみる。
再びエンジン回転数を計測 時速40キロで11000回転 変化無し。
結論 搭載したミッションが間違っている! なんてこった!
軽量化の為に外したギヤが間違っていた 2速を使っているとずっと思い込んでいたが
実は3速を使っていたのだ 3速は外しちまって しかもエコラン場に置いてきちまった

午後の記録会では走り方を換え
通常  時速20キロで加速、35キロでエンジン停止 これで平均時速25キロ強
になる(時速25キロ以上がレース規定)
そこで 時速22キロで加速、30キロでエンジン停止 これでも平均時速25キロ
強になる
これで エンジンを回しすぎないで走れるが エンジンをかける回数は増えてしまう
記録会結果 リッター162キロ やっぱだめだ

この日 夜来る大平に電話 「ミッションだ、ギヤを持ってきてくれ!」
ギヤが到着し さっそく作業 夜中の1時に終了 テストしてみる 
エンジンをかけてみる 時速53キロで11000回転 OKだ! これで問題は解決した。
冷凍枝豆を煮てビールで乾杯。ちなみに同じピットでバイクの世界グランプリの時ヤマハのビアッジとかが真剣にバイクのセッティングとかしてたと思うとなんかおかしい。

しかし「今年はダメそうな気がする」 「俺もそう思う」 
そんな会話も


○10月1日(日) 決勝
決勝スタート30分前にもっちんが到着 駅まで毛利がCRMで迎えに行った
途中何度か岩本の叫び声を聞いた気がする。
いざ 決勝スタート マシンの調子は悪くない 
しかし 長野高専 のマシンが追越しをかけてきた 減速しながらこちらの進路上に出てきたのだ
こちらは加速を始めたばかり 幅寄せを食らう形になり ダートに押し出されちまった 
それに加えて ゴール手前最後の加速はぎりぎりゴールできるだけの加速しかしないのだが
前日の記録会と同じように加減して加速したら予想より早く速度が落ちてしまい
もう一度エンジンをかける羽目になってしまった
高原いわく 「昨日と風向きが逆だった」 「そうだったのか 気づかなかった」
走りとしては まずかった。

結局記録は242.158km/Lの四位でした。 
去年より、順位はいいけど記録は悪い。ダートに出るとこうなっちゃうのね。
このマシンで300kmを超えられる日が来るんだろうか。ポテンシャルはぎりぎり有ると思うんだけど。
勝利の女神が離れていってる気がする。

それにしても1号車は火力不足だ
2号車の登場が期待される。

2001年

第21回 本田宗一郎杯
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会

参加者 三羽、毛利、高原、英樹、岩本、石川さん、しばざきさん、岡田、美穂ちゃ
ん、大平、高橋さん、


エコランマシン概要
ハニワクラブエコノパワーチーム初の純国産車両(フレームも初めて作った)。
フレーム構造材に材木を用いて製作作業を大幅に短縮&簡略化した。
構造材をふんだんに使うことにより大幅な強度アップ。
横二人乗りから 縦二人乗りのレイアウトにし前方投影面積を減少させた。
カウル材料はハニワ伝統のプラスチック青ダンボール、今年もフルカウルにこだわっ
た。
エンジン系はほとんど去年型。
去年の駆動系はバイクの420チェーンから自転車チェーンへと二段階に減速していた

今年はエンジンから直接、自転車チェーンを出してバイクの420チェーンを無くし
た。
車重は約60s。
そして副ドライバーに体重35sの石川さんをスカウトに成功!

タイヤも去年と同じなので 要するに新型フレームとカウルによる
転がり抵抗の減少による燃費の向上だけです。


○9月23日(日) 午前:ウォームアップ走行、 午後:記録会   ドライバー 
;三羽 岩本
とりあえずウォームアップ走行 走り出すと未だかつて無い現象が下
りで出現。エンジンを止めた惰性走行中に 若干だがハッキリとスピードが上がる
去年の一号車には見られなかった 二号車は明らかに転がりで優れている。
自分で燃費を計測リッター371キロ 1号車ではどうやっても破れなかった300
キロの壁をや
すやすと突破。新型車両の実力を存分に発揮する。
これは いけるかも・・・

午後の記録会は大会側できちんと燃費の測定をしてくれる。これは楽しみだ。
それは 記録会をスタートして2周目に入ったコーナーで起きた。
ズパーーン    ぺたぺたぺたぺたぺたぺた・・・・
「ちっくしょー、パンクだ!」 
(ホントはもっと下品な言葉でしたがここでは伏せておきます
ちなみに車積カメラにはすべて悪態が入ってました)
俺はこのまま走りたい衝動に駆られたがホイールを傷めては替えも無いので
すぐに減速しダートに止めた。
「すごい音がしましたねー」 とオフィシャルが駆け寄ってくる。
「右前輪がバーストです。回収してください。」
と俺が言うより早く 隣りにエコランマシン回収トラック (通称ドナドナ)が寄っ
てきた
なんてこったドナドナに乗っちまうぜ。ハニワチーム結成7年目にして初の自力修理
走行不能。
タイヤを見ると接地面の真ん中が裂けていた。何か踏んだのだろうか。

回収してすぐに毛利と高橋さんが宇都宮までタイヤを買いに行く。
2年前にも タイヤを傷めて買いに行ったことがある。
夜、タイヤを交換して修理完了。タイヤにエアーを17気圧入れておく。
朝まで破裂しなかったらこのタイヤを使おう。
夕飯はチリビーンズだ。

満点の星のもと 外にテーブルを出してカードゲーム「俺のケツをなめろ!」をやる


○9月24日(月) 決勝  ドライバー;三羽 石川さん
新品タイヤは大丈夫だった。毎年恒例だが最後のアガキに何か出来ることをやる。
カウルのサイドがばたつきそうなので ガンガン ビス止めする。
秘密兵器 体重35キロの石川さんが到着。この為にわざわざ来て頂いてありがとうご
ざいます。
いざ 決勝スタート ドライバーは若干パンク恐怖症におちいってるが マシンは調
子よく走る。
それにしても マシンの中は暑い。 
2周目にして 異変に気付いた 「 先行してスタートしている イチノセキすぅ
ぱぁやまきしゃDXチームを追い抜いてしまったぞ 」 それに時計を見ると時間が
余っている
うーん スピードメーターがずれているみたいだ。ここからペースを落とす。
そういえば、○○川河川敷のテスト走行で伴走するバイク班に事前に指摘されてい
た。
スピードが速いみたいだ、と
チェックしておくべきだった。
その他はトラブル無くゴール。
記録は346km/Lの3位でした。 
2号A型(01’)は1号G型(00’) を上回る高記録をだした。



2号の成功により1号は退役する。
1号は1989年にマイレッジマラソン用に一人乗りマシンとして東京芸大チームで
製作され、
その後ハニワクラブに移り、6年間の沈黙の後、1995年に二人乗りマシンとして
よみがえった。
1998年には287km/Lで3位入賞もはたした。しかし、その後は伸び悩んでい
た。
1号と出会っていなければ ハニワクラブエコノパワーチームは無かっただろう。
長きに渡る使用年数、過酷なテスト走行に耐え よくがんばった。そろそろ ゆっく
り休んでください。
とか言って 来年は二人乗りは2号に任せて ちゃっかり一人乗りクラスに出たりし
て。
2002年

第22回 本田宗一郎杯
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会

参加者 三羽、毛利、高原、英樹、岩本、石川さん、しばざきさん、大平、高橋さん、

みなさん エコラン全国大会 お疲れ様でした


結果は一人乗り一般クラス89位でした。
334km/Lで二人乗りよりも一人乗のほうが結果が悪い。

うーん 今年は一人乗りだから
去年の346km/Lは 何もしなくても余裕で超えるかと思ったが
あまくは無いねえ。

そういえば MEC号も 俺の時が460q/Lで
同じ車体で 今年が180km/Lだからなあ。
やはり 最後の詰めの魂の入れ方で 変ってしまうということか。

そういえば 我らのライバル「すーぱーやまきしゃ」さんも
今年は二人乗りに出られず 一人乗りだったが
結果は去年と大差なかったみたい、
単純に 二人乗りマシンは 一人減っても記録は伸びないみたいだ。
すべてセッティングを変えないとならないのか。


来年はもう少し 知恵を出して がんばります。

補足-毛利

今年はエントリー時点で負けていました。
二人乗りクラスにエントリーできないという、かつてない屈辱に会い、すっかりやる気をなくして
しまいました。
マシンもサブドライバー用のブレーキ系統をドライバーが操作できるように改造しただけで本戦に望みました

記録会
ドライバー:三羽 

今年も記録会はドラマがありました。
走行後、やけにガソリンだ減っていないと思ったら、キャブのフロートが上がりっぱなしで、
なんと記録が3000Km/Lオーバーで入賞が狙えてしまう状態でした。
そんなわけはないと思っていたら、大会委員長から呼び出し!
どきどきしながら、失格覚悟で行って、平謝りして許してもらいました。
早速原因のソレノドシステムを取っ払い、決勝準備完了。
第二駐車場に移って露営。
雨が降ってきたので、ブルーシートで天幕を張る。
あっとゆうまに天幕が張れて、キャンプ能力の向上を実感。

決勝

 ドライバー;三羽 

決勝も少雨であまり良い状況ではない。
ハッチがへこんだんで黒ダンボールで作り直す。
結果はなぜか去年より悪く、まったく救いがなかった。
部長はアクセルの操作のミスといっていた。
タイヤのグリップ力とアクセルの問題と、また路面がぬれていてので、さらにスリップしたものと思う。
来年に対して課題が残った。
2003年


第23回 本田宗一郎杯
ホンダエコノパワー燃費競技全国大会

エコラン大会お疲れ様でした。

参加者 三羽、高原、英樹、植木、植村、岩本、大平、石川さん、柴崎さん

エコランマシン概要 2号C型(03’)
前輪を27インチチューブラーから20インチミシュランエコランタイヤに替える。
あとは去年と同じ


今年は正ドライバーに植木(55s)が乗る。
今までの三羽62sより軽量化


20日(土) 正ドライバー植木 副ドライバー岩本

雨なのでリアタイヤに簡単に泥よけを作る。

午前 ウォームアップ走行
事前のテスト走行で前輪エコランタイヤはドライ路面、6.5気圧で400q/リットル
だった。
そこでさらに気圧を上げてみた。(バースト覚悟で)
天候 雨  前輪ミシュランエコランタイヤ 8気圧
298q/リットル
「あれ?おかしいな。何がいけないっていうんだ。」
雨もしくは タイヤの気圧の為に記録が落ちたと思われる。


午後 記録会
エコランタイヤの気圧を変えてみる。
天候 雨  前輪ミシュランエコランタイヤ 6.5気圧
255q/リットル
「致命的だ、悪夢のような悪さだ。」
雨のコースでエコランタイヤではこれ以上を望めないと思う。


夜は冷え士気も低く 追い撃ちの雨の中 眠りに着く
ストーブを持ってくれば良かった。それ以前に我々には防寒着が必要だ。




21日(日) 正ドライバー植木 副ドライバー石川さん
リアタイヤ泥よけをプラスチックダンボールで作る。
昼   決勝(公式記録)
前タイヤを実績のあるチューブラーに替える。
天候 雨  27インチチューブラー 15気圧
雨で視界の悪い中、無事に植木は走った。
窓のくもり止めも課題だ。
結果 310q/リットル 2人乗りクラス5位
他チームが雨で記録を落とす中 出来るだけの調整は出来たと思う。
今年 投入したエコランタイヤが活躍出来なかったのは残念だが。


エコランタイヤはドライは良いが 雨だと接地面が広く太い分
水の巻き上げも多く記録が落ちるのではないだろうか。
それと、前輪のトウ角はチューブラーなら接地面が小さくあまり影響を受けないが
エコランタイヤは接地面が広いのだから完全に平行を出さなければならないと思う。
前輪の取り付けのガタも今より減らさなければエコランタイヤでは影響が大きいと思
う。

さて 来年はどうしたものか?

トップシークレットなのだが 今年って一昨年とまったく同じマシンだ