乗り継いだ車たち

DAIHATSU タフト 1000
18歳で免許を取得して乗り始めた車が「DAIHATSU タフト 1000」です。
この車をご存知の方は少ないと思います。ダイハツ自動車がはじめて作った四輪駆動車で現在のラガーの先祖にあたる車です。
残念ながらこの車の写真はありません。
1000ccのエンジンで幌の屋根。JEEPを髣髴させる車でした。1000ccという排気量の割には頑丈なラダーフレームのシャーシー。ジムニーとJEEPの中間的なサイズでした。その後1600ccのエンジンが乗りタフトグランという車になり、OEMでTOYOTAのBLIZZARD(2.8Literディーゼルエンジン車でした)という車も発表されました。
TOYOTA CELICA LB 1600ST(昭和47年式)
次に20万円で知人から購入して乗ったのが「CELICA LB 1600ST」です。
この車は言わずと知れた車なので説明は要らないと思います。カーレースの好きだった私が発表時からあこがれていた車でした。ダックテールのリフトバックスタイル。エンケイメッシュ(当時の流行のホイール)に185−70−14(当時としては扁平タイヤ)を履いていました。

排気音はノーマルでも他のどんな車よりも早そうな音でした。
ISUZU RODEO BIGHORN (UBS−52CKC)


  
やはり四輪駆動車が忘れられずまたこの世界に入り込みました。ここから暫らく四輪駆動車との生活が続きます。

1981年9月に中型サイズとしてパジェロよりも一足速く発売された「BIGHORN」。当時「JEEP」や「ランクル」「サファリ」しかなかった四輪駆動車。四輪駆動車といえば林野庁や自衛隊などの働く車のイメージが強かった時代に都会的な雰囲気で登場した「BIGHORN」。正確には「RODEO BIGHORN」。これはいすゞで生産されていた小型トラック「RODEO」からの派生車種であったためです。

C223という形式の117クーペのディーゼル車に載っていたエンジンを積み、フロントダブルウィッシュボーンサスペンションを採用していました。しかし、搭載されていたエンジンは静粛性などは良かったものの、非力であった為に、後発のパジェロがターボエンジンを積み登場し、パワーを売りにした為にちょっと影の薄い存在になってしまいました。
非力ではありましたが、粘り強く低速でじわりじわりとオフロードを走り、野山をかけるには非常に運転のしやすい車でした。

ワンメイクのUBSユーザーのクラブを作り、全国のUBSユーザーを集めたイベント等を行い活発に活動をしていました。
ショックアブソーバー交換、ワイドタイヤ装着オリジナルランプステ-等々。

1982年から1987年10月まで。
ISUZU BIGHORN irmscher(UBS−55CK)
  
1987年9月110馬力の直墳ディーゼルターボ(4JB−1)搭載の「BIGHORN irmscher」誕生。「momo」のステアリング「RECARO」のシート「MICHELIN」のタイヤという四輪駆動車には似つかわしくない装備で登場しました。そして足回りには「irmscher」と共同開発のガス封入式ショックアブソーバーをつけていました。この車こそ四輪駆動車のパワー戦争に火をつけた車です。
この車の発売と時を同じくして乗り換えてしまいました。

パワーマフラー、オーバーフェンダー装着等定番コースのいじり方をしました。(懐かしいです)
この時代からヘッドライトウオッシャー付ですね。
1991年秋に事件は起こります。

1987年10月から1992年5月まで。
ISUZU BIGHORN irmscher RS(UBS−25DWSI)
  
1991年12月遂に200馬力オーバーの四輪駆動車誕生!それを遡る事数ヶ月前。四輪駆動車専門雑誌の編集部より「今度ビッグホーンが変わるんだけど試乗記事を書いて見ませんか?」との連絡を受けました。「えっ!発売前の車に。それもテストコースで!」夢のような話を受けることとなりました。北海道のテストコースを試乗し、細部をいろいろと見させていただき特集号に5ページもの記事を書いてしまいました。その時試乗したRSのインパクトが強く発売したら買い換えてやる!とひそかに思っていました。

5ドア車は12月に発売になりましたがRSは翌年の5月発売でそれまで待つ事となりました。

3年間はまるきりのノーマルな仕様で乗り、車検を機にショートでは希少なキャンパー仕様とし、エンジンを手組みのポート研磨されたものへ載せ換え、それに合わせたコンピュータに交換、スポーツマフラーを装着、足回りもよりハードなものに交換。しかし、外観はフルノーマルといういでたちでした。かなり力強い車でした。
言い忘れていましたが初代ビッグホーンからず〜っと「HOLDEN JACKAROO」(オーストラリア仕様)という仕様にしていました。

その後ず〜っとインパクトのある気にいった車が登場せず8年間も乗りつづけてしまいました。その間に日本中あちらこちらに旅をしました。時間に追われ、休日が不定期だった為、車中泊でした。狭いながらも簡易キャンパーのおかげで大変重宝しました。

このクルマは手放してしまった今でも手元に置いておきたい車でした。

1992年5月から2000年8月まで
簡易キャンパーベッドを組んだ状態
この状態では車輌移動が出来ませんでした。

Mercedes Benz V230(GF-638230)
2000年9月納車。Mercedesのディーラーに足を踏み入れてから9ヶ月。最初は「購入はまだ早い」と思いながら、なにげに通っている間に、ふと気づくと契約書に判を捺していました。ほとんど衝動的に決めていました。

「Vclass」を初めて目にしてからほぼ3年と半年が経過していました。「Vclass」との出会いは、会社の帰り道、駅から歩いて家路に向かっているときに、並行輸入業者のショーウインドウーに展示してあったVでした。数日後その店に行き車の名称をはじめて聞き、値段を聞いて諦めて帰ったのです。
その年の夏休み、能登半島に旅行に行く途中、上越自動車道で「なにわ」ナンバーの銀色(この時点で色の名称はしりませんでした)の「V」が私の前を走って行く後姿に「ゾッコン」惚れ込んでしまいました。
まもなくして正規に輸入が開始されることを耳にし、値段を聞いてびっくりしました。これなら将来的には買えるのではないか?それから暫らくの間はなぜか「エルグランド」にしようか、「グランドハイエース」にしようかなどと悩みました。しかしふと気づくとなんと「V230」のオーナーになっていました。

インターネットを通じて「V&V」を知り当時わけのわからない的外れな質問をし、皆さんに迷惑をかけたのではと思っております。

つづく