名前 TOSHI
誕生日 2月16日
出身地 群馬県
現住所 オランダ・アムステルダム近郊の田舎町
職業 ライダーさんの夢を掴む手伝いを生業にしております
モットー Think positive





1973年に4輪のレースメカニック成りたくて渡米、ひょんなん事から2輪のレースショップで一時的に働いたのがきっかけで1977までアメリカで2輪のレースメカニック修行、その間にケニーロバーツやランデイーマモラ、ステイーブベーカーらアメリカのライダーと知り合い、77年10に渡欧しその年、フランスのポールリカルドで24時間耐久レースを初めて見学し観衆の多さに驚き、欧州で開催されているグランプリに次のターゲットを絞る、その77年の冬の間にイタリアのチームと交渉し78年はNAVA OLIO FIAT と言うその頃としてはファクトリーに次ぐ組織のレースチームに職が見つかる。シーズンエンドにライダーが大怪我をした為、TEAMとは1年で契約を終了、78年から79年の始めにかけてはライダーの母国であるカナダ・アメリカと79年シーズンの準備に掛かるが、ライダーの怪我が思ったより回復が遅れるため、79年のGP出場を断念、その為私だけ急遽、ヨーロッパに戻り79年のTEAMを探すが、なかなか見つからず、最終的にマルコ・ルキネリと組み、プライベートスズキでこのシーズンを戦う事になる。散々たる結果で79年シーズンをやっとの思いで終了、古巣の”NAVA OLIO FIAT”にマルコを引き取って貰い、小生は欧州ヤマハさんからの依頼で80年からイタリアのインポーターの変更のお手伝いを契約でする事になる、それが切っ掛けでそれから93年の12月まで欧州ヤマハの社員として日本人ライダーの海外遠征の場合のコーデイネーター及び外国人ライダーが来日の際の手助け等の業務を80年代後半まで担当させていただき、90年代に入り、欧州ヤマハの量産車レースサポート及びテスト部門を担当、93年一杯で欧州ヤマハを円満退職しレースの何でも屋"PROJECT ONEをOPEN現在に至る。幾つになってもレースに関わって行ければ良いなーと考えています、その為に何がこれから出来るのかが今後の課題です。(平選手が8耐で勝った時も原田選手が世界チャンピオンに成った時もその場に居なかった、Nori−chanが世界チャンピオンに成る時は絶対に側に居たいものだそしてそれが今の僕に次の大きなターゲットである)








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