
新宿駅西口を発つ関東バス 宿08中野駅行き
都内某所にある現在我家の最も近くを走るバスはこれ。会社名は「関東バス」系統番号は「宿08」である。最寄のバス停留所までは約2分。
幼少のころからこの路線は存在し、この関東バスのカラーにはひじょうに親近感がある。
おそらく、ボンネットバスの時代から変わっていないはず。もう40年以上になると思う。
関東バスで使用しているバスのメーカーは車体が富士重工でシャーシが日産ディーゼルであった。その影響でバスの形について言うときに 富士重工と日産ディーゼルを基準にしてしまう。三つ子の魂百まで・・・か?
我家から西に向かって1kmくらい行くと、国際興業バスと都営バスが走っていた。その先に行くと京王バスも走っていた。逆に東に1kmほど行くと西武バスと都営バスが走っていた。よって近所のバス会社といえば関東、京王、国際興業、西武、都営ということになる。そして未だになじみのあるバスである。
しかしながら、その後自分も成長し世の中も変わった。都営は路線が無くなり、京王は塗装変更し、西武は運転本数が減った、国際興業は元来運転本数が少なかった。その為、バスといえば、一番最初に頭に浮かぶのは「関東バス」になってしまう私です。
中野の我家の最寄のバス停は早稲田通り沿いにある。現在は上記の「宿08」(初・終バスのみ宿07)1系統のみである。バスの最盛期は、この関東バス以外に都営バスも走っていた。上り方面は「新宿西口」以外に「伊勢丹前」等が存在した。下り方面も「阿佐ヶ谷営業所」以外に「石神井公園駅」「下井草駅」「南善福寺」等が存在していた。逆に「中野駅」はなかった。
都内の他の地区同様に交通渋滞が激しくなり、距離の長い路線は定時運行が困難になり、順次路線は縮小された。
都バスとの共通運用だったと想像できるが、江古田から新井薬師を通り、落合から早稲田通りを通り、「東京駅」まで行く路線も存在していた。当時は山手線の内側まで郊外のバス会社の路線が乗り入れていたのは、それほど珍しい事ではなかったようだ。
早稲田通りのバス路線の衰退は交通渋滞もさることながら、昭和40年頃から順次開業路線延長された営団地下鉄東西線の影響が一番大きかったようである。関東バスの「東京駅」行きと都営バスの撤退は東西線の開通時期とほぼ一致しているらしい。
その後は早稲田通りの路線はローカル線へと転落したようです。関東バスでは「新宿線」と今でこそ都会的に聞こえる名前をつけてますが、昭和40年といえば新宿西口はスバルビルの向側は淀橋浄水場が広がっており、やっと京王プラザの建設が始まろうかという頃。新宿が新都心と呼ばれるのはもう少し時代を経てからのこと。そんな路線でしたから新宿へ顔御を出す路線の中で最後までボンネットバスを使っていたとか。その後も他の関東バスの路線に9mクラスの新車が導入されても、延々と小ぶりなのUDの2サイクルのものばかり走っていた。昭和52.53年頃から、あらかた他の路線に9mクラスU−20がゆきわたりきった頃、ようやくこの路線にも投入が始まった。おそらく他の路線のお古だと思うが。(写真下の左側)多分自分が小学2年くらいのことだったと思う。U−20Lが投入された時はやっと他の路線並になったなと嬉しかった。その後あっという間にU−2OLが関東バスの大半を占めるようになると、それまで主流だった小ぶりな旧型車に愛着がわいてきたが・・・またたく間姿を消してしまい、思い出になってしまった。暫くはU−20Lに統一された。ちょうどこの頃「伊勢丹前」行きが無くなったと記憶している。またこの中型車達は方向幕に「阿佐ヶ谷営業所」「阿佐ヶ谷車庫」とがあって、たしか停留所も2つあったような・・・定かではない記憶があります。
その後2・3年経って、僕にとって一大事が起きた。路線が中野で2分割されてしまったのだ。「宿08」と「阿45」に。その直後くらいに事実上サービスダウンになったことを挽回すべく、他路線に遅れてではあるが、昭和58年ころ冷房車が登場、それもおそらくこの路線用の小ぶりなやつRM−80が登場したのだ。(写真下左)約半分近くがこの車両になった。その後はU−20も順次冷房改造されて全車冷房車になったと記憶している。その後はU−20(3E)が順次P−U32(5E)(※その間にK−U31も一時在籍していたような気もする)に取りかえられていった。平成1・2年頃にU−20は全廃されたようです。その後自分は社会人になり東京を離れたので記憶が途絶えまてます。平成11年に都内へ戻ると既ににK−RM80の姿は無くなっていた。つい平成12年までは都内では珍しい全車PU−32の路線だった。ところが最近になって、都バスが普及させた全面広告のラッピングバスが流行りはじめた。新宿へ顔を出すこの路線はまさにうってつけだったのだろう。今まで車検とか例外的なことがないとU−UA440系が走らなかったのだが、ラッピングバスとして定期運用に就きはじめた。
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| U−20L(1000番代) 一時は関東バスの顔であった。運転本数の割にあまり満員になることが少なかった為か新宿線への導入は遅かった。初期のものは最後部が2枚折り戸だった。途中から冷房の取りつけを行ったものも存在した。 この車が導入される前の中型車とはかなり格差があった。とくにエンジン音は静であるなと感じた。車内も明るい感じがした。 |
K−RM80(100番代) 一時期関東バスでは中型車の導入は途絶えていたが久々にこの車を導入。利用客の少ない路線に導入した。その分運転本数が増えたような記憶がある。小さいが馬力があり加速がよかったと記憶している。新宿線に適した車だった。 |