童夢の野望について  Text by Hidetoshi Yamaguchi

■童夢とは何者か
 京都、比叡山の麓。高野川の脇に童夢のファクトリーはある。童夢は林ミノル氏によって1979年に設立された。1979年には伝統のルマン24時間レースに童夢・零RLで挑戦。以後10年間に渡り童夢のルマンチャレンジは続く。1988年には先進的な一体成形モノコックをもつオリジナルF3000マシン「童夢F101」を開発、全日本F3000選手権に本格参戦した。その結果1994年、童夢F104無限は全日本F3000選手権のチャンピオンを獲得し、翌年春から童夢初のF1マシン「童夢F105無限」の設計が開始された。当初は1997年からの本格参戦が目標であったが、諸般の事情により97年本格参戦は延期された。しかし、全日本GT選手権では無限童夢プロジェクトとしてNSXを開発。圧倒的な速さで98年、2000年のチャンピオンを獲得し、童夢の高い技術力を実証することになった。
童夢ヒストリー

■「童夢の野望」について
 1997年に発売された童夢の野望は、スタッフと共にF1マシンを開発し、鈴鹿サーキットでの開発熟成走行を行った後、タイムアタックをするゲーム。このゲームで取り扱われるデータは、驚くことに全て実際のF105を開発する際に用いられたものだという。実際の手順に沿ってF1マシンを開発する過程には、予算配分、パッケージデザイン、エアロデザイン、風洞実験、ギヤボックス設計、サスペンションレイアウト、モノコック設計・クラッシュテストなど実際の工程と同様の作業が行われる。

■挑戦記
 まず、使用できるパーツが多いため、組み合せは無限大だと言える。当初はマシンを開発しサーキットでタイムアタックを行うことのみに重点を置いていましたが、オリジナル設計のF001でのタイムアタックは2分3秒158という散々なものでした。タイムアタックの目標は1995年のF1日本GP予選PPタイムである1分38秒023。この日からデータを記録しながらの作業を行うようになり、F001の改良型であるF001/Aでは1分58秒485を記録。それまでのロングホイールベースからショートホイールベースに変更した影響だと思われます。
 その後フロントを中心に空力に若干の変更を加えたF002では、1分51秒335までタイムを短縮することに成功。しかし、各速度域に対するCLr(リアのダウンフォース)の変化が大きく、原因を探るべく風洞実験においてフロントウィングのフラップを最低値に、リアウィングのフラップを最大値まで上げみると、CLrは理想値まで達していなく、フラップの角度を前後逆で計測するとCLfは理想値を上回る結果となりました。考えられることは、フロントウィングの効きすぎです。しかし、上述の方法で計測したCLf値ではそれほどの影響はないと判断して、アンダーパーツに空力に敏感にならないよう若干の変更を加えました。その結果CLrの変化は多少改善されたようで、タイムアタックでも1分45秒835をマーク。
 F002では最終的にF002/Dまで改良を加え、セッティングをいろいろと変更しましたが、リアダウンフォース不足は最後まで悩みの種でした。その結果、3台目のニューマシンF003の開発ではエアロデザインに重点的に設計。若干空力に敏感な特性がありますが、F002と比較すれば格段に進化しています。現在のベストタイムは1分42秒735まで短縮。しかし、モノコックとサスペンション設計は全く行っていないため、今後はこの分野の開発も行わなければいけません。
風洞データ紹介

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